上野学園中学校・高等学校
上野学園中学校・高等学校 | |
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過去の名称 | 上野女学校 上野高等女学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人上野学園 |
校訓 | 建学の精神〈自覚〉 実践徳目〈親切・努力〉 |
設立年月日 | 1904年 |
創立記念日 | 11月21日 |
創立者 | 石橋藏五郎 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 音楽科 |
学科内専門コース | 中学校 普通コース 音楽コース 高等学校 特別進学コース(普通科) 総合進学コース 器楽・声楽コース(音楽科) 演奏家コース |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13584E |
所在地 | 〒110-0015 |
東京都台東区東上野四丁目24番12号 | |
外部リンク | 公式サイト |
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上野学園中学校・高等学校(うえのがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都台東区東上野四丁目にある私立中学校・高等学校である。旧制女学校・上野女学校(のちの旧制高等女学校・上野高等女学校)をその前身とする。
目次
1 略歴・概要
2 沿革
3 おもな卒業生
3.1 女学校
3.2 高等女学校
3.3 中学校・高等学校
3.4 高等学校
4 交通
5 制服
6 系列校
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
略歴・概要
1904年(明治37年)、石橋藏五郎(1875年 - 1964年)が「自覚」を「建学の精神」として、東京府東京市下谷区上野桜木町(現在の東京都台東区上野桜木)に上野女学校を設立した[1]。1909年(明治42年)から1912年(大正元年)にかけての時期、辻潤が英語科で教鞭を執っていた[2]。
上野高等女学校時代の1945年(昭和20年)10月8日、学校農園の不正に対し女学生150名による学園民主化闘争・同盟休校(ストライキ)が発生、同月21日に解決したが、これが「戦後初のストライキ」として歴史に残ることになる[3]。
沿革
1904年(明治37年) - 上野女学校開校
1910年(明治43年) - 上野高等女学校に改まる
1946年(昭和21年) - 東京都より音楽研究指定校に選定される
1947年(昭和22年) - 上野学園中学校開校
1948年(昭和23年) - 上野学園高等学校開校
1949年(昭和24年) - 高等学校に音楽科を設置(日本の高等学校では最初の例)
2007年(平成19年) - 男女共学化・新校舎完成
おもな卒業生
女学校
高橋淡路女 - 俳人
伊藤野枝 - 作家・女性運動家
高等女学校
飯田蝶子 - 女優(中退)
伊藤野枝 - 作家
香住佐代子 - 女優
水川八重子 - 女優
中学校・高等学校
大木彩乃 - シンガーソングライター
太田裕美 - 歌手
北あけみ - 女優(中卒)
栗山絵美 - 女優
やまがたすみこ - シンガーソングライター
高等学校
いしだあゆみ - 女優
市地洋子 - 女優
今井和子 - 女優(中退)
古賀さと子 - 童謡歌手・女優
藤井久仁江 - 地歌・箏曲家
光本幸子 - 女優
矢野薫 - ハープシコード演奏者
山本奈津子 - 女優
交通
JR上野駅より徒歩約5分
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス浅草駅徒歩10分
東京メトロ日比谷線上野駅より徒歩約5分- 東京メトロ日比谷線入谷駅より徒歩約10分
東京メトロ銀座線上野駅より徒歩約5分
京成電鉄本線京成上野駅より徒歩約10分
制服
- 冬服
- 男子: ブレザー
- 女子: ブレザー
- 夏服
- 男子: ワイシャツ
- 女子: ブラウス
- ※基本的に中高共通。
系列校
学校法人上野学園
- 上野学園大学
- 上野学園大学短期大学部
脚注
^ 沿革、学校法人上野学園、2013年2月23日閲覧。[リンク切れ]
^ 世界大百科事典 第2版『辻潤』 - コトバンク、2013年2月23日閲覧。
^ 講談社[1989], p.121.
参考文献
- 『廃墟からの出発』、講談社、1989年2月 ISBN 406194357X
関連項目
- 東京都中学校一覧
- 東京都高等学校一覧
- 日本の音楽科設置高等学校一覧
- 寮がある日本の中学校・高等学校の一覧
- 高等女学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (東京都)
- 日本の学生運動
- 1945年の日本の女性史
外部リンク
上野学園中学校・高等学校 - 公式ウェブサイト
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