国造
この記事には 複数の問題があります 。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典 がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。 ( 2017年8月 ) 出典は脚注などを用いて 記述と関連付けて ください。 ( 2017年8月 ) 国造 (くに の みやつこ、こくぞう、こくそう)は、古代日本の行政機構において、地方を治める官職の一種。また、その官職に就いた人のこと。軍事権、裁判権などを持つその地方の支配者であったが、大化の改新以降は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となった。 訓の「みやつこ」とは「御奴(みやつこ)」または「御家つ子」の意味とされる。 目次 1 概要 2 国造本紀考 3 一覧 3.1 諸国造一覧 4 大化以後も存続した国造 4.1 主な新国造 4.1.1 社家として系譜を伝えた国造家 5 脚注 6 参考文献 7 関連項目 概要 大和朝廷の行政区分の1つである国の長を意味し、この国は令制国整備前の行政区分であるため、その範囲ははっきりしない。地域の豪族が支配した領域が国として扱われたと考えられる。県主とは違い、国主(くにぬし)と言われた有力な豪族が朝廷に帰順して国造に任命され、臣・連・君・公・直などの姓が贈られ、軍事権、裁判権など広い範囲で自治権を認められた。 国造が大王から与えられた姓は、 畿内及び周辺諸国の直姓国造 吉備や出雲の臣姓国造 山陽道の一部と南海道の凡直(おおしのあたい)姓国造 東海・東山の名代の伴造(とものみやつこ)姓国造 東の毛野(けぬ)、西の筑紫・豊・肥の君姓国造 など、さまざまで、一律に行われた編成ではないと分かる。 国造は、東国の国造のように部民や屯倉の管理なども行ったり、出雲の国造(出雲国造)のように神祇を祀り、祭祀で領内を統治するなどしたり、紀国造などのように外交に従事したりしたことなどが分かる。また、筑紫の国造(筑紫国造)のように北九州を勢力下に入れ、朝廷に反抗する者もいた。 国造の下に県(あがた)があり、かなり整備された国県制があったとする見解もある。しかし、律令制以前の地方支配の実態は、国