金丸義信
金丸 義信 | |
---|---|
![]() 2017年 | |
プロフィール | |
リングネーム | 金丸 義信 |
本名 | 金丸 義信 |
ニックネーム | ヒールマスター エアリアル・プレーヤー 熱風ソルジャー |
身長 | 173cm |
体重 | 85kg |
誕生日 | (1976-09-23) 1976年9月23日(42歳) |
出身地 | 山梨県甲府市 |
所属 | フリー |
スポーツ歴 | 野球 |
トレーナー | ジャイアント馬場 小橋建太 秋山準 |
デビュー | 1996年7月6日 |
金丸 義信(かねまる よしのぶ、1976年9月23日 - )は、日本の男性プロレスラー。山梨県甲府市出身。2017年現在フリー[1]。愛称は「マルさん」、「のぶ」。現在は鈴木みのる率いるヒールユニット・鈴木軍の一員。
毎日放送のアナウンサーである武川智美とは従姉弟の間柄にある。
目次
1 経歴
2 エピソード
3 タイトル歴
4 得意技
5 入場テーマ曲
6 関連項目
7 脚注
8 外部リンク
経歴
山梨学院大学附属高校時代は野球部に所属し、1994年春の選抜高校野球に控え投手として出場経験を持つ。[2]ジャンボ鶴田後援会関係者の口添えでジャイアント馬場と面談し、高校卒業と同時に全日本プロレスに入門する。しかしなかなか体重が増えず、一時はレフェリー転向も検討されたが、馬場の「体が小さい者にしかできない動きを研究せよ」という教えを励みに初志を貫き、1年半の練習生期間を経て1996年7月6日、浅子覚&志賀賢太郎組戦でデビューした(金丸のパートナーは同じ山梨県出身の井上雅央であった。)。
デビュー当初は空中殺法を中心とした軽快な動きが特徴で、1997年10月12日に行なわれた「格闘技の祭典SPECIAL」では三沢光晴の代理として2代目タイガーマスクに扮し出場し、3代目タイガーマスク(金本浩二)とタッグを組み初代タイガーマスク(佐山聡)・4代目タイガーマスクと対戦した。
小橋健太の最初の付き人を務め、1998年9月に小橋が率いるバーニング入りを果たす。また、当時全日本マットに参戦していた邪道・外道とタッグを組み(この際、出身地の山梨県にちなんだ「甲州街道」と命名されるが実際には使用されず。)、彼らの狡猾な動きを身につけることにより空中殺法一辺倒だったファイトスタイルに変化が生じることになった。2000年5月、(第1次)バーニング解散と同時に付き人を卒業し、秋山準率いる軍団に入った(後のスターネス)。

プロレスリング・ノア時代。
2000年6月、三沢らの全日本プロレス大量離脱に追従し、三沢が旗揚げしたプロレスリング・ノアに移籍する。旗揚げ興行前の7月28日には井上と組んで邪道&外道を破り、第7代WEWタッグ王者となった。
2001年6月24日、初代GHCジュニアヘビー級トーナメント決勝戦でフベントゥ・ゲレーラを破り初代王者となった。その後2002年、2004年に同王座を獲得している。
2002年8月29日には菊地毅と組んで獣神サンダー・ライガー&田中稔組を破り、IWGPジュニアタッグ王座を獲得した。
2005年6月5日には杉浦貴と組んでGHCジュニアヘビー級タッグ選手権に臨み、丸藤正道&KENTA組を破って第2代王者となった。この時、金丸は第9代GHCジュニアヘビー級王者でありノア史上初のジュニア2冠の同時保持を成し遂げた(相方の杉浦も後に同時保持を成し遂げた)。だが、同年7月18日の東京ドーム大会のジュニアヘビー級選手権試合でKENTAに敗れ、王座から陥落した。
2006年は泉田純至に代わって選手会長を務めた。
2007年前半は年始早々からジュニアタッグ王座から陥落し、目立った活躍はなかったもののその間ジュニアのシングル挑戦に照準を絞り肉体改造を行い減量に成功する。同年10月27日の日本武道館大会で第13代王者のムシキング・テリーを破り4度目の王座を獲得し、再びジュニア戦線に躍り出た。
2009年KENTAの負傷離脱を受けて開催されたGHCジュニアヘビー級王者決定トーナメント(JCBホール)に見事優勝し、第19代チャンピオンに輝いた。
2010年3月と4月に防衛戦を行うが、危なげない試合内容で防衛を果たす。しかしKENTA、鈴木鼓太郎が負傷離脱中であり、丸藤もIWGP戦に集中しているためGHCジュニアヘビー戦線を盛り上げることができずにいた。KENTAに「ベルトを持っているだけのチャンピオン」と酷評されるが、9月26日にそのKENTAをタッチアウトで葬り6度目の防衛に成功する。
10月には平柳玄藩と組んで第4回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に出場。
2012年12月、年内をもってプロレスリング・ノア退団が会社より発表され、12月24日有明大会を最後にノアを退団した。
2013年1月に行われた決起集会で小橋からバーニングを託された秋山をリーダーに、潮崎豪、鼓太郎、青木篤志で再結成した。
1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、参戦を発表する。
2月23日、全日本後楽園大会のメインイベントで近藤修司を破り、第35代世界ジュニアヘビー級王者となった。
7月5日、全日本に正式入団(再入団)。
2014年1月26日、全日本神戸大会で秋山と組んで鼓太郎&青木組を破り、第93代アジアタッグ王者となった。
2015年11月20日、同年12月15日のファン感謝デーを最後に全日本を退団することが発表された[1]。
12月22日、フリー転向後初の試合として大仁田厚の超戦闘プロレスFMWに初参戦、FMW設立27周年記念試合・原点回帰年内最終戦ウルティモ・ドラゴンをタッグパートナーとして那須晃太郎&川村亮と対戦し那須にタッチアウトを決めて勝利した。
2016年1月9日、プロレスリング・ノアに再参戦し全日本を退団して再びノアに参戦している潮崎とタッグを組んだ。
ところが1月31日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会にて潮崎と鈴木の一騎討ちで試合中盤に潮崎が鈴木にラリアットを決めようとした際に金丸が潮崎の足を掴み動きを止めて鈴木に加勢した後、さらにリングに上がり潮崎に裏切りのディープインパクトを決め鈴木の勝利に貢献し、その後鈴木軍に加入した。
2月24日、石森太二に勝利し史上最多となる7度目のGHC ジュニアヘビー級王座を獲得、その後、4度の防衛に成功し通算防衛記録を28回とした。
7月から8月にかけて行われた新日本プロレスのスーパーJカップに出場し、決勝戦まで勝ち進んだ。決勝で新日本プロレスのKUSHIDAに敗れはしたものの、準優勝となった。
9月23日、小峠篤司に敗れて王座から陥落し、10月23日の小峠とのリターンマッチにも敗北した。
鈴木軍のノア撤退後はそのまま鈴木軍に追随する形で、2017年1月27日からは新日本プロレスに参戦している。
エピソード
- 全日本時代、日本武道館で選手のサイン入りボール投げのイベントが行われた際、金丸は野球で鍛えた肩を生かしてボールを2階席や3階席にまで投げ込み、ファンを喜ばせていた。
- KENTAに「自分が勝っているのにタッチアウトとはこれいかに」と突っ込まれたことがある。
- ファイトスタイルにおいては、中盤の足攻めやミサイルキック、ムーンサルトなど、武藤敬司を彷彿とさせる動きを見せたかと思えば、ラフファイトも交えていくというバランスの取れた選手でもある。
- 全日本時代には邪道・外道、ノアではVOODOO-MURDERSやマッスル・アウトローズと組み「外敵の内通者」的な立場となることも少なくないが、一方では獣神サンダー・ライガーからGHCジュニア王座、日高郁人&藤田ミノル組からGHCジュニアタッグ王座(パートナーは杉浦)を奪還する大役も果たしており、ファンからもここ一番での切り札的な存在と見られていた。また、31代王者時代は鈴木軍に加入して自ら外敵として振る舞っていた。
- しかしながら、外敵繋がりで言えばなぜか金丸は他団体の選手に自身からベルトを奪取される場合が多い。GHCジュニアヘビー級王座を計5回、ジュニアタッグ王座を計2回、他団体に流失されている(唯一外敵以外に奪取されたケースは、WEWタッグベルトを本田・丸藤組に、第9代GHCジュニア王者時にKENTAに負けたときのみ)。
- シングル・タッグを含め、新日本、全日本、ノアのメジャー3団体のジュニア王座に軒並み就いているが、IWGPジュニアヘビー級王座だけはまだ就いたことがなく、これを奪取すれば3団体全てのジュニア王座に就いたことになる。
- 坊主・長髪・パーマ等、頻繁に髪型を変えている。
- 2007年8月2日に結婚した。
タイトル歴
- 全日本プロレス
- 第35代世界ジュニアヘビー級王座
- 防衛回数は7回
- 第93代・第97代アジアタッグ王座(パートナーは秋山準→ウルティモ・ドラゴン)
- プロレスリング・ノア
- 初代・第5代・第9代・第14代・第19代・第24・31代GHCジュニアヘビー級王座
- 防衛回数は2回→3回→5回→5回→6回→3回→4回
- 第2代・第4代・第10代・第14代GHCジュニアヘビー級タッグ王座(パートナーは杉浦貴:2回→鈴木鼓太郎→KENTA)
- 防衛回数は2回→1回→6回→1回
- 2009年ジュニア・ヘビー級リーグ戦 優勝
- 2009年日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦 優勝(パートナーは鈴木鼓太郎)
- 新日本プロレス
- 第9代・第50代・第57代IWGPジュニアタッグ王座(防衛4回 パートナーは菊地毅→タイチ→エル・デスペラード)
- FMW
- 第7代WEWタッグ王座(パートナーは井上雅央)
得意技
- タッチアウト
- 現在の金丸のフィニッシュ・ホールドで垂直落下式による旋回式ブレーンバスター。技名は金丸が高校時代、野球部だったことからきている。
- 垂直落下式ブレーンバスター
- 金丸の場合は起き上がり式で2連発でブレーンバスターを放つこともあるが、普段は一発だけ放つ。
- ディープインパクト
- コーナーからの飛びつきDDT。命名は技の開発当時に公開中だった洋画のタイトルディープ・インパクトから。コーナーからの飛びつき式以外に雪崩式ブレーンバスターの切り替えしとして使用することもある。本来の落とし方はDDTの形で頭をロックしてそのまま相手と一緒にコーナーから飛び相手の頭を叩きつける「道連れ式」とも言うべきもの(いわゆる「雪崩式DDT」とは自分と相手の位置が逆になる)だが、近年はリング内に立つ相手にコーナーポストから飛び付いて決めるパターンが中心となっている。以前はタッチアウトへの布石として使われていたが、新日本プロレス参戦後からフィニッシャーとして使用している。
- アストロシザース
- 飛びつき挟み込みヘッドシザースホイップ。スペル・アストロが得意としていた。
- 飛びつき式スイングDDT
- 相手に飛びついて変則的に回転してからDDTに移行する。ショルダースルー、もしくは風車式バックブリーカー(ケブラドーラ・コン・ヒーロ)で跳ね上げられた瞬間の返し技として出す場合が多く、まれにDDTではなく首固めに丸め込むこともある。
- ムーンサルトプレス
- ジュニア選手らしい高く滞空時間の長いきれいなムーンサルトである。
- ハリウッドスタープレス
- ムーンサルトプレスほど多用されないが、「隠し武器」的な飛び技。形はムーンサルトプレスに準ずるが、コーナーから尻餅をつく要領で腰を落としながら開脚、両サイドのトップロープに自分の両腿をぶつけ、その反動を利用して高速・低空で飛ぶ。オリジナルは全日本プロレス在籍時代に常連外国人であったRVDことロブ・ヴァン・ダムで、さらにその原型となったのはRVDのパートナーであるサブゥーのアラビアンプレス(こちらはコーナーに上がらず、直接トップロープに上り両足を揃えて尻餅→回転、という流れ)。
- サザンクロススプラッシュ
- 近年ではあまり使用していない。
- ドラゴンスクリュー
- 金丸の場合は、蹴りを仕掛けてきた相手の足を捕って決めることが多い。
- 金丸クラッチ
- 相手の片手と片足を絡めとっての変形エビ固め。
- 延髄斬り
- 全日本に再入団してからこの技を使用している。
- 急所攻撃
- 反則攻撃としては定番だが、レフェリーの死角の突き方や仕掛けるタイミングなどある意味芸術の域、という声も出ている。
- フライングボディアタック
- 金丸の場合は、相手へ飛びかかっていく際に奇声を上げるのが特徴である。
- ロンドンブリッジ(with 杉浦貴)
- 金丸のムーンサルトプレスを杉浦がジャーマン・スープレックスの要領でアシストする技で、通常のムーンサルトプレスより勢いと威力が増していて、杉浦とのヨーロッパ遠征中に編み出した合体技でもある。初出はGHCジュニアタッグ選手権の日高&藤田戦。見た目のインパクト、威力ともに強烈ながら今までに先述の試合と東京愚連隊戦の2回しか使用されておらず、いずれもこの技でピンフォールを奪ったことは無い。
- ギロチンドロップ
- 場外の鉄柵を踏み台に利用して行う。
- ミスト
- ウイスキーによるミスト攻撃。新日本参戦時より使用。
入場テーマ曲
- FLYING COOL
- 全日本プロレス時代のテーマ曲。
- MAXIMUM (Version2.1)
- プロレスリング・ノア時代のテーマ曲。
- Deep impact[3]
- 2016年6月 - 現在まで使用。
関連項目
- ジャイアント馬場
- 小橋建太
- 秋山準
脚注
- ^ ab全日本、金丸義信がファン感最後に退団 - デイリースポーツ・2015年11月20日
^ なお、この時の同級生に元プロ野球選手の五島裕二がいた。
^ 『週刊プロレス』2016年12月6日号増刊、プロレスラー写真名鑑号 2017、頁21。
外部リンク
- 新日本プロレス 公式プロフィール
- プロレスリング・ノア公式サイト 選手紹介
- プロレスリング・ノア公式サイト 選手紹介(鈴木軍)
金丸義信のブログ - アメーバブログ- 金丸義信 公式ブログ
金丸義信 (@kmaru0923) - Twitter
|
|
|
|
|