三冠ヘビー級王座
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三冠ヘビー級王座 | |||||||||||||||
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詳細 | |||||||||||||||
現王者 | 宮原健斗 |
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獲得日 | 2018年10月21日 |
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管理団体 | 全日本プロレス |
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創立 | 1989年4月18日 |
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三冠ヘビー級王座(さんかんヘビーきゅうおうざ)は、PWFが管理する全日本プロレスのフラッグシップタイトル。初期は三冠統一王座(さんかんとういつおうざ)と称していた。
目次
1 概要
2 歴史
3 歴代王者
4 主な記録
5 脚注
6 外部リンク
概要
三冠ヘビー級王座とはPWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UN王座)の統一王座。全日本プロレスを象徴する、同団体で最も権威のあるタイトルとされている。
インターナショナル・ヘビー級王座は力道山が創設した日本プロレスに於いて、力道山とジャイアント馬場が保持し、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座はアントニオ猪木と坂口征二が保持してそれぞれ腰に巻いた歴史的なチャンピオンベルトである。日本プロレスが崩壊したことを受け、紆余曲折を経てインター王座とUN王座のベルトは全日本が受け継ぐ事となった。
一方、PWFヘビー級王座は馬場が全日本を旗揚げした際に、力道山(百田)家から初代インターナショナルヘビー級王座チャンピオンベルト(通称力道山ベルト)の寄贈を受けたことを契機に、世界ヘビー級王座として新設されたもので、全日本のシンボル王座としてその名を高めた。これら歴史的経緯の違う三つのタイトルを、全日本プロレスでの管理上からまとめた統一王座である。
統一後は、「三冠王座」と言うものの、三つの王座それぞれでタイトル戦が行われることはなく、新日本プロレスのIWGPヘビー級王座、プロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座と同様に、全日本の象徴のタイトルとして位置づけられている。見方を変えればひとつのベルトだとも言える。
統一直後には、選手権試合宣言にて「NWAが認可し、PWFが認定する三冠統一選手権試合」としていたが、1990年代前半からは、NWAの衰退に伴い馬場がNWA第一副会長を辞任したことによって認可が解け、「PWFが認定する三冠ヘビー級選手権試合」に変更された。
三冠ヘビー級チャンピオンは三冠王者とも呼ばれ、これに加え世界タッグ王座(インターナショナル・タッグ王座とPWF世界タッグ王座)を獲得した者は五冠王者と呼ばれる。ちなみに三沢光晴は1999年にアジアタッグ王座を含め六冠王に輝いている。また、2005年に小島聡が三冠王座とともに新日本プロレスの至宝であるIWGPヘビー級王座を獲得した際にも、合わせて四冠王者と呼ばれていた。
歴史
1988年4月15日の大阪大会でインターナショナル・ヘビー級王者であるブルーザー・ブロディとUNヘビー級・PWFヘビー級の二冠王者である天龍源一郎との間で史上初の三冠ヘビー級王座統一戦が行われたが、両者リングアウトで王座の統一は実現しなかった。
ブロディを退けて第18代インターナショナル・ヘビー級王者となったジャンボ鶴田と、天龍を退けて第27代UNヘビー級と第14代PWFヘビー級の二冠王者となったスタン・ハンセンの間で同年10月17日広島大会で2度目の王座統一戦が行われたが、引き分けで王座統一は実現せず、翌1989年4月16日後楽園ホール大会において再戦が行われたが、またしても決着はつかなかった。長く引っ張った挙句の不透明決着にファンが激怒し、会場が騒然となる事態にまで発展した(これがきっかけで、全日本の試合からリングアウト・反則決着が消えていくことになる)。
二日後の4月18日、大田区体育館で鶴田とハンセンの間で満を持して再々戦が行われた。ウエスタン・ラリアットを避けられロープに激突し、一瞬の隙ができたハンセンを、鶴田が片エビ固めで丸め込みフォール勝ち。かみ合わない試合展開で完全決着とは言えない勝利であったが、初代三冠統一王者となった鶴田は満面の笑みでファンに応えた。
以降、鶴田・ハンセン・天龍などの世代とプロレス四天王世代との抗争を中心に激闘を展開。プロレスリング・ノア設立に伴う選手大量離脱以降は、他団体所属選手とのタイトルマッチも行われるようになり、現在まで全日本プロレスの至宝として継承されている。
2006年10月14日、チャンピオンベルトを管理する全日本が三本のベルトが老朽化したことなどを理由として、三冠王座のベルトを一本にまとめた上で新調することを明らかにし、それまでのベルトは2006年10月29日の福岡大会後に回収して新しいベルトは2007年2月の両国国技館大会でお披露目となる予定であったが、何らかの事情があってかこれが延期され現行の三本のベルトを使用し続けていた。1987年制定のIWGPヘビー級のベルトが既に4代目なのとは対照的に三冠王座の三本のベルトはレプリカを使用する場合が多いとはいえいずれも40 - 50年も更新されず経過していた。
2013年、全日本プロレスは8月25日に(三冠王座生誕の地でもある)東京・大田区総合体育館にて開催される諏訪魔vs潮崎豪の三冠ヘビー級王座選手権試合を最後に、三本のチャンピオンベルトを創業者の馬場家へ返還することを決定し[1]、8月25日のタイトル戦で諏訪間が防衛した翌日(8月26日)、改めて全日本から三冠ヘビー級王座チャンピオンベルトを一本化して新製し、10月27日に開催された両国国技館大会にて新装した三冠ヘビー級王座チャンピオンベルトを公開した[2]。尚、今までの三本のベルトは修繕作業を行った後に馬場家に返還される[2]。新しいベルトは中央部分にPWFヘビー級王座(「GIANT BABA」の刻印は「TRIPLE CROWN」に変更)、その左右にインターナショナルヘビー級王座・UNヘビー級王座のバックルをモチーフとしたプレートが配置され、ベルト後部には初代三冠ヘビー級王座であるジャンボ鶴田の名前が刻印されている。
馬場家返還以降、個別の王座ベルトを王者が着用することはなかったが、2019年2月19日のジャイアント馬場没後20年追善興行では第62代王者・宮原健斗が許可をもらい使用している(腰に巻いたのはUNヘビー級王座)[3]。
歴代王者
王者が王座返上した場合は、次のシリーズで王座決定戦によりタイトル移動が行われる。それ以外は、すべて前王者に勝利してのタイトル移動。
歴代 |
選手 |
戴冠回数 |
防衛回数 |
獲得日付 |
獲得した場所(対戦相手・その他) |
---|---|---|---|---|---|
初代 |
ジャンボ鶴田 |
1 |
1 |
1989年4月18日 |
大田区体育館、スタン・ハンセン |
第2代 |
天龍源一郎 |
1 |
2 |
6月5日 |
日本武道館 |
第3代 |
ジャンボ鶴田 |
2 |
2 |
10月11日 |
横浜文化体育館 |
第4代 |
テリー・ゴディ |
1 |
0 |
1990年6月5日 |
千葉公園体育館 |
第5代 |
スタン・ハンセン |
1 |
0 |
6月8日 |
日本武道館 |
第6代 |
テリー・ゴディ |
2 |
0 |
7月17日 |
石川県産業展示館、王座返上 |
第7代 |
スタン・ハンセン |
2 |
1 |
7月27日 |
松戸市運動公園体育館、三沢光晴 |
第8代 |
ジャンボ鶴田 |
3 |
3 |
1991年1月19日 |
松本市総合体育館 |
第9代 |
スタン・ハンセン |
3 |
3 |
1992年1月28日 |
千葉公園体育館 |
第10代 |
三沢光晴 |
1 |
7 |
8月22日 |
日本武道館 |
第11代 |
スティーブ・ウィリアムス |
1 |
1 |
1994年7月28日 |
日本武道館 |
第12代 |
川田利明 |
1 |
1 |
10月22日 |
日本武道館 |
第13代 |
スタン・ハンセン |
4 |
0 |
1995年3月4日 |
日本武道館 |
第14代 |
三沢光晴 |
2 |
4 |
5月26日 |
札幌中島体育センター |
第15代 |
田上明 |
1 |
1 |
1996年5月24日 |
札幌中島体育センター |
第16代 |
小橋健太 |
1 |
2 |
7月24日 |
日本武道館 |
第17代 |
三沢光晴 |
3 |
8 |
1997年1月20日 |
大阪府立体育会館 |
第18代 |
川田利明 |
2 |
0 |
1998年5月1日 |
東京ドーム |
第19代 |
小橋健太 |
2 |
2 |
6月12日 |
日本武道館 |
第20代 |
三沢光晴 |
4 |
0 |
10月31日 |
日本武道館 |
第21代 |
川田利明 |
3 |
0 |
1999年1月22日 |
大阪府立体育会館、王座返上 |
第22代 |
ベイダー |
1 |
0 |
3月6日 |
日本武道館、田上明 |
第23代 |
三沢光晴 |
5 |
2 |
5月2日 |
東京ドーム |
第24代 |
ベイダー |
2 |
1 |
10月30日 |
日本武道館 |
第25代 |
小橋健太 |
3 |
1 |
2000年2月27日 |
日本武道館、王座返上 |
第26代 |
天龍源一郎 |
2 |
1 |
10月28日 |
日本武道館、川田利明 |
第27代 |
武藤敬司 |
1 |
4 |
2001年6月8日 |
日本武道館 |
第28代 |
川田利明 |
4 |
0 |
2002年2月24日 |
日本武道館、王座返上 |
第29代 |
天龍源一郎 |
3 |
1 |
4月13日 |
日本武道館、武藤敬司 |
第30代 |
グレート・ムタ |
1 |
1 |
10月27日 |
日本武道館 |
第31代 |
橋本真也 |
1 |
2 |
2003年2月23日 |
日本武道館、王座返上 |
第32代 |
川田利明 |
5 |
10 |
9月6日 |
日本武道館、大谷晋二郎 |
第33代 |
小島聡 |
1 |
8 |
2005年2月16日 |
国立代々木競技場第2体育館 |
第34代 |
太陽ケア |
1 |
1 |
2006年7月3日 |
大田区体育館 |
第35代 |
鈴木みのる |
1 |
5 |
9月3日 |
札幌メディアパーク・スピカ |
第36代 |
佐々木健介 |
1 |
2 |
2007年8月26日 |
両国国技館 |
第37代 |
諏訪魔 |
1 |
2 |
2008年4月29日 |
愛知県体育館 |
第38代 |
グレート・ムタ |
2 |
1 |
9月28日 |
横浜文化体育館 |
第39代 |
高山善廣 |
1 |
2 |
2009年3月14日 |
両国国技館 |
第40代 |
小島聡 |
2 |
1 |
9月26日 |
横浜文化体育館 |
第41代 |
浜亮太 |
1 |
0 |
2010年3月21日 |
両国国技館 |
第42代 |
鈴木みのる |
2 |
1 |
5月2日 |
愛知県体育館 |
第43代 |
諏訪魔 |
2 |
5 |
8月29日 |
両国国技館 |
第44代 |
秋山準 |
1 |
4 |
2011年10月23日 |
両国国技館 |
第45代 |
船木誠勝 |
1 |
4 |
2012年8月26日 |
大田区総合体育館 |
第46代 |
諏訪魔 |
3 |
2 |
2013年3月17日 |
両国国技館 |
第47代 |
曙 |
1 |
4 |
10月27日 |
両国国技館、王座返上 |
第48代 |
大森隆男 |
1 |
0 |
2014年6月15日 |
後楽園ホール、秋山準 |
第49代 |
諏訪魔 |
4 |
0 |
6月29日 |
札幌テイセンホール |
第50代 |
ジョー・ドーリング |
1 |
3 |
7月27日 |
後楽園ホール |
第51代 |
潮崎豪 |
1 |
2 |
2015年1月3日 |
後楽園ホール |
第52代 |
曙 |
2 |
2 |
5月21日 |
後楽園ホール |
第53代 |
秋山準 |
2 |
0 |
11月1日 |
青森県武道館 |
第54代 |
諏訪魔 |
5 |
0 |
2016年1月2日 |
後楽園ホール、王座返上 |
第55代 |
宮原健斗 |
1 |
8 |
2月12日 |
後楽園ホール |
第56代 |
石川修司 |
1 |
2 |
2017年5月21日 |
後楽園ホール |
第57代 |
宮原健斗 |
2 |
0 |
8月27日 |
両国国技館 |
第58代 |
諏訪魔 |
6 |
0 |
10月9日 |
後楽園ホール |
第59代 |
ジョー・ドーリング |
2 |
3 |
10月21日 |
横浜文化体育館 |
第60代 |
宮原健斗 |
3 |
2 |
2018年3月25日 |
さいたまスーパーアリーナ(コミュニティアリーナ) |
第61代 |
ゼウス |
1 |
1 |
7月29日 |
大阪府立体育会館 第1競技場 |
第62代 |
宮原健斗 |
4 |
3 |
10月21日 |
横浜文化体育館 |
主な記録
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- 最多戴冠記録:6回 … 諏訪魔(第37, 43, 46, 49, 54, 58代)
- 最多連続防衛:10回 … 川田利明(第32代王者時代)
- 最多通算防衛:21回 … 三沢光晴
- 最長保持期間:529日 … 川田利明(第32代王者時代)
- デビュー最短戴冠記録:1年4ヶ月 … 浜亮太(第41代王者時代)
- デビュー最長初戴冠記録:27年5ヶ月 … 船木誠勝(第45代王者時代)
- 最年少戴冠記録:26歳11ヶ月 … 宮原健斗(第55代王者時代)
- 最年長戴冠記録:52歳2ヶ月 … 天龍源一郎(第29代王者時代)
脚注
^ 東京スポーツ 2013年8月7日付最終面記事参照
- ^ ab3冠の統一新ベルト10・27両国で披露 デイリースポーツ 2013年8月27日閲覧
^ “ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!” (日本語). バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
外部リンク
- 三冠ヘビー級王座
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