安政
安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年[1]から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。
目次
1 改元
2 安政年間の出来事
2.1 誕生
2.2 死去
3 西暦との対照表
4 脚注
5 関連項目
改元
- 嘉永7年11月27日(グレゴリオ暦1855年[1]1月15日): 内裏炎上、地震、黒船来航などの災異のため改元
- 安政7年3月18日(グレゴリオ暦1860年4月8日): 万延に改元
朝廷は「文長」を希望していたが、幕府の介入によって「安政」に差し替えられ、実施日も前将軍徳川家慶の月法要(毎月22日)終了後に変えられた[2]。
安政年間の出来事
安政期には大きな地震が相次いで発生したが、安政伊賀地震・安政東海地震・安政南海地震・豊予海峡地震は、「安政」への改元前の嘉永7年に発生した地震である。
このため、これらの地震は本来「嘉永の大地震」と称すべきだという見解がある[3]。
一方、明治の改元にあたっては詔勅で「慶応4年(1868年)を明治元年と改元する」としており、慶応4年1月1日に遡って明治元年と改元されているのだから(立年改元)、これ以前も例えば、嘉永7年(1854年)は1月1日に遡り安政元年に改元されたとも解釈され、歴史年表も安政元年を採用しているので「安政の大地震」とすべきという見解もある[4]。
また、日本史的大事件として江戸幕府崩壊の引き金となる安政の大獄や桜田門外の変が起きた。
- 嘉永7年/安政元年(1854–55年[1])
1月16日(2月13日): ペリーが前年に引き続き江戸湾に再来。
1月24日(2月21日): 一朱銀を通用開始。お台場銀と呼ばれる。
3月3日(3月31日): 日米和親条約(神奈川条約)を締結。
4月6日(5月2日): 京都の大火により内裏を焼失。
6月15日(7月9日): 伊賀上野地震(安政伊賀地震)。
11月4日(12月23日): 安政東海地震(東南海地震含む)。津波でディアナ号遭難。
11月5日(12月24日): 安政南海地震。
11月7日(12月26日): 豊予海峡地震。
11月27日(1855年1月15日): 安政に改元。
12月21日(1855年2月7日): 日露和親条約締結。
- 安政2年(1855年)
- 平安様式に倣った安政内裏を再建。
2月1日(3月18日): 飛騨地震。
10月2日(11月11日): 安政江戸地震。小石川の水戸藩邸で藤田東湖・戸田蓬軒圧死。
- 安政3年(1856年)
7月21日(8月21日): ハリスが下田に着任。通貨の交換率など幕府との交渉にあたる。
7月23日(8月23日): 安政八戸沖地震。陸奥八戸で強震、津波被害。
8月25日(9月23日): 安政3年の台風で江戸に猛烈な暴風と高潮。死者10万人。
- 安政4年(1857年)
- 正月 - 甲斐国・甲府で博徒の三井卯吉が、敵対する博徒集団に襲撃され死亡。
- 安政5年(1858年)
福沢諭吉が蘭学塾(慶應義塾の前身)を創立。
2月26日(4月9日): 飛越地震。北陸地方で大きな被害。
3月12日(4月25日): 朝廷で日米修好通商条約の反対を巡り、廷臣八十八卿列参事件が起こる。
6月19日(7月29日): 江戸幕府、日米修好通商条約始め、安政の五か国条約に無勅許調印。
9月5日(10月11日): 大老井伊直弼による反対派弾圧が始まる(安政の大獄)。- 〜安政7年にかけてコレラが大流行。
- 安政6年(1859年)
5月25日(6月25日): 開国による小判流出防止の目的で、正字金および二朱銀を鋳造開始。ハリスらの抗議により、発行後まもなく8月11日(9月7日)に鋳造停止。小判流出の防止に至らず(幕末の通貨問題)。
6月2日(7月1日): 横浜港開港。
12月27日(1860年1月19日): 政字銀を通用開始。最低品位の銀。
- 安政7年/万延元年(1860年)
- 1月 - 歌舞伎『三人吉三廓初買』江戸市村座で初演。二代目河竹新七(黙阿弥)作。
3月3日(3月24日): 大老井伊直弼が江戸城桜田門外で暗殺される(桜田門外の変)。
誕生
- 安政2年(1855年): 犬養毅(第6代立憲政友会総裁、第29代内閣総理大臣)
- 安政3年(1856年): 原敬(第3代立憲政友会総裁、第19代内閣総理大臣)
- 安政5年(1858年): 斎藤実(海軍大将、第30代内閣総理大臣)
- 安政5年 ( 1858年) : 山本兵吉 (猟師、三毛別羆事件のヒグマを仕留めた人物)
- 安政7年(1860年): 加藤高明(初代憲政会総裁、第24代内閣総理大臣)
死去
- 安政2年(1855年): 江川英龍(享年55)、遠山景元(享年63)
- 安政4年(1857年): 阿部正弘(享年39)
- 安政5年(1858年): 徳川家定(享年35)、島津斉彬(享年50)
- 安政6年(1859年): 安島帯刀(享年49、安政の大獄で切腹)、梅田雲浜(享年45、安政の大獄で獄死)、橋本左内(享年26、安政の大獄で刑死)、頼三樹三郎(享年34、安政の大獄で刑死)、吉田松陰(享年30、安政の大獄で刑死)
- 安政7年(1860年): 井伊直弼(享年46、桜田門外の変で害死)
西暦との対照表
安政 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 |
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西暦 | 1855年 | 1855年 | 1856年 | 1857年 | 1858年 | 1859年 | 1860年 |
干支 | 甲寅 | 乙丑 | 丙辰 | 丁巳 | 戊午 | 己未 | 庚申 |
脚注
- ^ abc嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。
^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P281-283
^ 湯村哲男(1969) (PDF) 湯村哲男(1969): 本邦における被害地震の日本暦について, 地震, 第2輯, 22, pp.253-255.
^ 神田茂(1970) (PDF) 神田茂(1970): 本邦における被害地震の日本暦の改元について, 地震, 第2輯, 23, pp.335-336.
関連項目
- 安政小判
- 安政二朱銀
- 安政丁銀
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