名前
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名前(なまえ、希: όνομα、羅: nomen、英: name)とは、物や人物に与えられた言葉のことで、対象を呼んだりする際に使われる。名称、あるいは単に名とも言う。名前をつけることを「名付ける」「命名(めいめい)する」という。名前として使われる言葉を名詞という。
多くの場合、名前とは人名である。また、人名のうち、家族を表す姓(名字)でない方、個人を識別する名を指すことも多い。ただし、名ではなく姓を指して「名前」と呼ぶこともある。
目次
1 字源・字義
2 一般論
3 商品の名前
4 日本語における人名としての「名前」
5 プログラムにおける名前
6 出典
7 脚注
8 関連項目
字源・字義
「名」は、「夕」(夕暮れ)+「口」(呼ぶ)からとする説(藤堂明保)と、「口」(神器)に「夕」(肉)を供える儀式からとする説(白川静)がある。日本語「“ナマエ”」の「“ナ”」は“ネ”(「音」)に由来するともされるがはっきりしない。
「前」は、もともと「舟」と「止」を組み合わせた「歬」という字があり「進む前方」を意味し、これに「刀」を添えて「前」となり「先を切り揃える」「整える」の意味もあったが、後に「歬」の字が失われてしまったため「前」は前方の意味だけが残り、「整える」の意の字はさらに「刀」を添えた「剪」に代わった。しかし「一人前」「腕前」などの語に「整った」「完成した」の意味が残っている。
「名前」は「整えられた名」「完全な名」「正式な名」という意味になる。
一般論
すべての事象には名がある。我々は先ずその対象に名前を付ける。そのためには対象の概念を明確にし、またそれ以外の事象との区別を持たなければならない。この過程で名前を付けた対象が明確になる。名前がないものは、他人にその対象を説明できないため存在を認識させるのが難しく、自らもその対象を明確にできなくなる。ただし必ずしも固有の名前を持つ必要はなく、限られた人びとの間で認識が明確になるのであれば対象を説明する語を使い、「右側の○○」「白い○○」「○○にいる人」「昔の○○」などで足りることはある。しかし、より多くの人々に他とは区別して認識してもらうためにはやはり固有名が必要となってくる。
自然観察の際に、まず生き物の名前を覚えることから始めることが多いが、これは覚える行為に価値があるのではなく、名前を覚えることで、それまでどれも同じに見えていたものの区別がつくようになるからである。たとえばハコベの名を覚えれば、雑草として区別せずに一緒にしていたものの中から、それが見分けられるようになるし、さらにウシハコベやコハコベを知れば、ハコベの中にもさらに違いがあることもわかるようになる。
名前は元々あるものではなく、人間がそれを個別に把握すべき対象として認識した際に与えるものである。したがってどの範囲で名を与えるかは人間とそれとの関わりによって変わる。たとえば文化が違えば個々の物に対する関わりの深さも異なり、これが名前にも影響するため、言語によって名の扱いも異なる。たとえば日本語において、ウシという動物の名は「牛」である。それに含まれる差異については雄牛・雌牛・仔牛と接頭語をつけ、あるいは牛肉と語尾をつけて説明的に扱う。だが英語では牛は総称としては cattle、雄牛は bull、雌牛は cow、仔牛は cult、牛肉は beef と、すべて全く異なった語を当てる。
商品の名前
商品名については、関連があるとイメージが結びつきやすいが、全く関係がない名前を付けることも珍しくはない。
他には、球場などの名前を期間限定で自由に付ける権利を売買する事例もある。
日本語における人名としての「名前」
個人を特定するために附けられる名前は、その方法として名の中に祖先から受け継ぐ「ミタマ」や血統を表す名を含める。これを「姓[注 1]」といい、個人を血統という共通の要素でグループ化して区別できるようになる。血統を受け継ぐ一族の中心となる家系を「宗家[注 2]」という。しかし日本においては古くから上位権力による支配のため、地位で区別する「氏[注 3]」があり、宗家の継承には血族を継ぐ「嫡流継承」と、能力や資格、官位を継ぐ「氏的継承」の2つの解釈があった。さらに財産としての土地を相続する惣領という考え方や、養子や猶子の制度が加わり、複雑化してもとの血統を意味が失われた経緯がある。後世はこれらが混同して使われ、グループである家系や相続の関係が不明となる場合もあった。
個人の特定には家系(英: family name , last name , surname)を表す「氏」「姓」に加え、「名」「字」「諱」「諡」が使われる。「名」は「姓名」という時は「姓」に続けて記すことで個人を特定する名前を指すが、「名字」というときは「姓」と同様にグループを指す。以下では「名字」として説明する。
氏:ウジ。
姓:カバネ。どちらも血族や一族というグループを表す。氏姓制度のように古くから上位権力による統制に利用された。
名:中世において、田堵が自分の所領を区別して呼んだ名田に由来する。これもグループを表すのに使われる。ここから「名字」「苗字」[注 4][注 5]が生じている。
字:「あざな」。または「あだな(渾名)」、「とおりな(通名)」、「けみょう(仮名)」、英: nick nameとも。個人を特定するために通常使われる呼び名。元服前の「おさなな(幼名)」もこちらである。
諱:「いみな(忌み名)」。元服によって附けられ、これが本名(英: given name , first name[注 6])とされる。個人を指すのに普段は使われずにあざなで呼ぶ。これを実名敬避俗という。少人数の中で個人が特定できる場合に行われた[注 7]が、権力者である場合は大人数の中にあっても存在が「唯一」になることから、後に崇敬が理由に加わって常態化し、後世ではその諱を他人が使うことが避けられた。
本人が自分で使う場合があり、これを「なのりな(名乗り名)」という。
これらを全て並べて用いる習俗を複名という[1]。徳川家康に当てはめると『「源」「朝臣」「徳川」「次郎三郎」「家康」』[注 8]となる。
さらに個人が死亡した後は「諡、おくりな(贈り名)」、あるいは「戒名」や「謚号」が附くことがある。家康の場合、『「東照大権現」「安国院殿」「徳蓮社崇譽」「道和」「大居士」』[注 9]となる。また朝廷からは「正一位」「大相國[注 10]一品」が贈位され、これを名に冠する場合もある。
この他、立場、年齢、職業、目的などで自ら別名を名乗ったり、ほかから名付けられたりすることもあり、遂には本来の目的である個人の特定に至らないことがある。
プログラムにおける名前
プログラムにおいては、スコープが異なる限り一意性(唯一無二であること)を保証することは要件とされていない場合が多い。一意性を保証するために名前空間を導入することもある。
出典
^ 世界大百科事典 第2版『人名』。
^ お寺ネット 戒名相場と付け方。宗派によって異なる。
脚注
^ 「姓」の字義は文字通りで「女性から産まれた」の意、すなわち血族を意味する。
^ 「宗」の字義は、屋内においた祖先に捧げるための台の上に置かれた生贄を表す。
^ 「氏」の字義は、小刀の意味で、同じ食事を分かつ同族を意味する。
^ 土地という財産を相続することが重要になった中世では、荘園の所在地や土地名を苗字にして個人に始まる一族の所有を主張した。このため親兄弟とも苗字が異なるということは頻繁に起き、特殊な事情を除いて親子では名字が同じという現代の名字の感性とはかなり異なり、家系のつながりを知るのに難しさを生じることがある。さらに一個人も荘園を移動することでまた苗字が変わるため、一層複雑になる。
^ このことは特に日本おける住所表記の慣習にも現れている。海外では住所を表すのに一般に道路名が使われるが、日本では一定の領域の土地名が使われる。これは日本での徴税制度と深く関係する。田租は、「誰から」ではなく「何処から」徴税したのかを重視した。災害が発生したり分家が行われたりなどで元の土地を離れて新しい土地に移ると、その新しい土地からの徴税にその土地が誰のものか知る必要がある。そのため納税したものが誰かを主張するため土地に自分の名前をつけ、土地名と一体化した。土地は世襲されるため個人名である必要はなかった。
^ 英語では洗礼名(英: christian name , Holly)と同義。
^ 現代でもそのような場合に苗字だけで(もしくは「〜さん」をつけることがある)ても個人が特定できるため実名を使わない。また苗字や名前を使わず、ただ「先生」「社長」「お父さん」「お兄さん」などで個人を特定して呼ぶことがある。
^ 「德川次郎三郎源朝臣家康」とも表記される。
^ 「東照大権現」は神号。「安国院」は院号で「殿」は尊称。「崇譽」は浄土宗での道号で必ず「誉」が附く。「道和」は名号、「大居士」は位号。[2]
^ 「大相國」は朝廷の最高官位である太政大臣の唐名。
関連項目
- 人名
- 地名
- 通称
- 愛称
- 古名
- 改名
- 命名
命名権(ネーミングライツ)- エポニム
- 姓名判断
- 駅名
- 戒名
- 諱
- 諡
- 呼称問題