ハドソン湾会社






ハドソン・ベイ・カンパニー初期の社旗




「ザ・ベイ」モントリオール店


ハドソン・ベイ・カンパニーハドソン湾会社、英: Hudson's Bay Company, HBC)は、歴史的には北米大陸(特に現在のカナダ)におけるビーバーなどの毛皮貿易のため1670年5月に設立されたイングランドの勅許会社・国策会社である。世界金融危機のときNRDC(NRDC Equity Partners)というプライベート・エクイティ・ファンドに売却された(支配率48%)。現在は本社をカナダ・オンタリオ州トロントに置く多国籍企業。株はトロント証券取引所に上場している。現在の総督[1]兼CEOはリチャード・ベイカーである(Richard A. Baker)。カナダ唯一のデパート「ザ・ベイ(the Bay)」やディスカウント・チェーン「ゼラーズ」[2]、キッチン・バス・ベッド用品店「ホームアウトフィッターズ(Home Outfitters)」をカナダ全国で運営している。




目次






  • 1 ストラスコナ男爵授位まで


  • 2 カナダの中央部と世界の関係


  • 3 脚注


  • 4 関連項目


  • 5 外部リンク





ストラスコナ男爵授位まで


現存する北米大陸最古の企業である。設立当時、イングランド王チャールズ2世の勅許状に記された正式名称は「ハドソン湾に於いて通商に従事するイングランドの総督ならびに冒険家の一団」(The Governor and Company of Adventurers of England trading into Hudson's Bay)という。同湾に流れ込む全ての河川の流域(ルパート・ランド)での毛皮独占取引権を許され、初代の総督をチャールズ2世の従兄に当たるカンバーランド公ルパートが務めた。初期に総督職に就いた人物には他にヨーク公ジェームズ(チャールズ2世の弟、後のジェームズ2世)、マールバラ公ジョン・チャーチルなどがいる。ハドソン・ベイ・カンパニーはイングランド銀行の貸付を受けていたが、大同盟戦争終結まで複数の事業所が戦火に曝された。


1732年、イギリス東インド会社へ1万ポンドを投資して無用な競争を避けた。オグデン(Peter Skene Ogden)とブラック(Samuel Black)が親交を深めた結果、1821年ライバル会社のノースウェスト会社(北西会社、Northwest Company)を合併することができた。カナダをイギリス通貨圏に収めようという国策からすれば、ごく自然な出来事であった。純粋な通貨の絶対量が不足していた時代において、軽い毛皮が通貨のように使われた。多ければ倉庫証券としてボストン商人などの手にわたって流通した。


ゴールドラッシュが起きて毛皮の威力が落ちてきたが、その前後1841年と1854年にサミュエルとオグデンが死んで、1846年にジョン・マクローリンも辞めた。1869年、ハドソン・ベイ・カンパニーはルパート・ランドをカナダ自治領政府に譲渡し、毛皮貿易から小売業へ事業の中心を移した。この転換はジョン・A・マクドナルドの鉄道政策とも関係する。同年、ハドソン・ベイ・カンパニーのドナルド・スミス(1900年にマウント・ロイヤルのストラスコナ男爵を授位、Donald Smith, 1st Baron Strathcona and Mount Royal)がマニトバ州に赴き、ガリー砦(Fort Garry)の中でルイ・リエルと交渉したのである。スミスはメティの認知を申し出た。リエルの臨時政府は、ルパート・ランド移転を目的とした公共事業大臣(William McDougall)による測量調査を問題にしていた。政府はスミスは改善策を示さなかったので、レッドリヴァーの反乱が起こってしまった。スミスの従兄弟(George Stephen, 1st Baron Mount Stephen)は1873年モントリオール銀行の重役となり、1876年には頭取となった。マクドナルドの鉄道政策は小麦運搬を一つの目的としていたが、スミス家の力でマニトバとウィニペグの開発が進んでいった。



カナダの中央部と世界の関係




トロントの旗艦店


20世紀初頭にマックス・エイトケンが大企業合同政策を実現させた。そして1915年から1925年にかけてハドソン湾会社の総督を務めたのは、ラザード会長のキンダースレー(Robert Kindersley, 1st Baron Kindersley)であった。彼は第一次世界大戦の勃発した1914年から第二次世界大戦をすぎた1946年までイングランド銀行の重役でもあり、ドーズ案の英国代表でもあった。1926年、ハドソン湾会社はマーランド石油会社(Marland Oil Company)と合弁で石油ガス会社をつくった。世界恐慌をすぎてからもイングランド銀行との付き合いは濃密であった(Patrick Ashley Cooper)。1952年から1965年まで総督を務めたのは、ジャーディン・マセソン会長のケスウィック(Sir William Johnstone "Tony" Keswick, 1903–1990)であった。


1970年から1982年までの経営拡大期に総督を務めたのは、ウィニペグのドンと呼ばれたリチャードソン(George T. Richardson, 1924-2014)であった。彼の曽祖父がつくった穀物会社は現役である(Richardson International)。1979年にトムソンのケネス(Kenneth Thomson, 2nd Baron Thomson of Fleet)が、ハドソン湾会社を支配下においた(75%)。1980年代、ハドソン湾会社は石油価格下落と、企業買収のとき発行した社債の利払とに苦しんだ。1994年から1997年まで総督を務めたのは、アルバータ石油(Alberta Energy)会長のデイビッド・ミッチェル(David E. Mitchell, September 25, 1926 - August 15, 2010)であった。2003年にジェリー・ツッカー(Jerry Zucker)のメープル・リーフというミューチュアル・ファンドが、ハドソン湾会社を買収する目的で設立された。2008年7月16日、ハドソン湾会社はNRDC が買収した。2010年、ハドソン湾会社がバンクーバーオリンピックのローカルスポンサーとなった。2011年9月に、ゼラーズをダウンサイジングするため、傘下ターゲット・コーポレーション・カナダのまずリース部門を売却して、残りも2013年までに閉鎖するという計画を発表した。2013年7月に米高級百貨店サックス・フィフス・アベニューを運営するサックス社(Saks, Inc.)を買収することを発表した[3]。2015年ドイツのメトロから、ベルギーに16店舗を有するガレリア(Galeria Kaufhof)を買収した。2017年初めに、ハドソン湾会社はニーマン・マーカスを買収する目的でメイシーズと予備交渉に入った。



脚注




  1. ^ 歴史的慣行として、取締役会の長を「会長」(Chairman)ではなく設立以来の名称で「総督」(Governor)と呼ぶ。カナダ総督と異なる。


  2. ^ Zellers, 1978年に買収


  3. ^ Saks snapped up by Canada's Hudson's Bay in $2.9bn deal. BBC [1]



関連項目



  • 北アメリカの毛皮交易

  • セブン・オークスの戦い

  • 南海会社

  • フォートオールバニの戦い (1709年)



外部リンク



  • Hudson's Bay Company


  • ウィキメディア・コモンズには、ハドソン湾会社に関するカテゴリがあります。









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