夏島町
夏島町 | |
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— 町丁 — | |
夏島町と日産自動車工場遠景(右端は野島) | |
夏島町 夏島町の位置 | |
座標: 北緯35度19分7.48秒 東経139度38分7.44秒 / 北緯35.3187444度 東経139.6354000度 / 35.3187444; 139.6354000 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 横須賀市 |
地区 | 追浜地区 |
面積[1] | |
- 計 | 2.891km2 (1.1mi2) |
人口 (2017年(平成29年)10月1日現在)[1] | |
- 計 | 1,367人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 237-0061[2] |
市外局番 | 046 (横須賀MA)[3] |
ナンバープレート | 横浜 |
夏島町(なつしまちょう)は神奈川県横須賀市の町名。追浜地区の海側、市の北端にあり、主として埋立地からなる工場地帯である。北側は平潟湾口をはさんで横浜市金沢区に対する。郵便番号は237-0061[2]。
目次
1 概要
2 歴史
3 世帯数と人口
4 小・中学校の学区
5 施設・事業所
6 関連項目
7 出典
概要
夏島はかつてあった島の名前であり、ここで発見された国指定の史跡・夏島貝塚が有名。またいくつかの船舶の名の由来にもなっている(関連項目参照)。もう一つの烏帽子島とともに埋め立てられて地続きになり、夏島は現在丘として残っている。なお、対岸にある野島は元は陸繋島であり、南にある吾妻島は半島であった(現在はいずれも運河で分断されて島となっている)。夏島の名は、冬でも温暖で雪が積もらないためといわれる[4]。
歴史
夏島貝塚は、初期の縄文土器である夏島式土器が出土した標式遺跡として知られる。この土器の時期は9千年以上前とのデータがあり、この時代既に夏島に人が住み、漁労・採集・狩猟による生活を営んでいたことが明らかになっている。
江戸時代には北側のいわゆる金沢八景とともに景勝地として知られた。
明治時代前期には陸軍が横須賀港に隣接する夏島を買収した。ここには伊藤博文の別荘が建てられ、1887年に大日本帝国憲法の草稿(夏島憲法)が作られた(現在は記念碑がある)。1916年に島の周囲が埋め立てられて横須賀海軍航空隊基地(のち独立して追浜海軍航空隊)となった。戦後はアメリカ軍に接収され、1972年に返還された。その後工業地帯となり、日産自動車追浜工場や住友重機械工業横須賀製造所が建設された。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
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夏島町 | 499世帯 | 1,367人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 横須賀市立夏島小学校 | 横須賀市立追浜中学校 |
施設・事業所
追浜公園・横須賀スタジアム
- 横須賀市立追浜中学校
- 神奈川県立追浜高等学校
- 海洋研究開発機構
- 日産自動車追浜工場
住友重機械工業横須賀製造所
オカムラ追浜事業所
関連項目
以下いずれも夏島にちなみ命名された。
- なつしま
- 夏島 (敷設艇)
- 夏島 (二等敷設艇)
出典
- ^ abc“住民基本台帳登載人口”. 横須賀市 (2017年10月13日). 2018年2月28日閲覧。
- ^ ab“郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月28日閲覧。
^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月28日閲覧。
^ 『三浦古尋録』
^ “通学区域一覧表”. 横須賀市 (2017年2月24日). 2018年2月28日閲覧。
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