新自由主義































































新自由主義(しんじゆうしゅぎ)とは、政治や経済の分野で「新しい自由主義」を意味する思想や概念。日本では以下の複数の用語の日本語訳として使われている[1]



  • ニューリベラリズム」(英: New Liberalism)。初期の個人主義的で自由放任主義的な古典的自由主義に対して、より社会的公正を重視し、自由な個人や市場の実現のためには政府による介入も必要と考え、社会保障などを提唱する[2]詳細は社会自由主義および社会的市場経済を参照。

  • ネオリベラリズム」(英: Neoliberalism)。1930年以降、社会的市場経済に対して個人の自由や市場原理を再評価し、政府による個人や市場への介入は最低限とすべきと提唱する。1970年以降の日本では主にこの意味で使用される場合が多い。当記事ではネオリベラリズムの意味を記述する。




目次






  • 1 概要


  • 2 用語


  • 3 歴史


    • 3.1 初期


      • 3.1.1 オーストリア学派


      • 3.1.2 ウォルター・リップマン会議


      • 3.1.3 モンペルラン・ソサイエティー




    • 3.2 第二次世界大戦後


      • 3.2.1 シカゴ学派


      • 3.2.2 ドイツとオルド自由主義


      • 3.2.3 ラテン・アメリカ


      • 3.2.4 イギリス


      • 3.2.5 オーストラリア


      • 3.2.6 アメリカ




    • 3.3 古典的新自由主義


    • 3.4 経済的新自由主義


    • 3.5 哲学的新自由主義


    • 3.6 グローバリズム




  • 4 議論


    • 4.1 肯定論


    • 4.2 批判


    • 4.3 その他




  • 5 参考文献


  • 6 脚注


  • 7 関連項目





概要


アメリカにおいて1970年代のスタグフレーションを契機に物価上昇を抑える金融経済政策の重視が世界規模で起き、レーガノミックスに代表されるような市場原理主義への回帰が起きた。自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。競争志向を正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう。新自由主義を信奉した主な学者・評論家・エコノミストにはミルトン・フリードマン、フリードリヒ・ハイエクなどがいる。また新自由主義に基づく諸政策を実行した主な政治家にはロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャー、中曽根康弘、小泉純一郎などがいる。


高度経済成長期の経済体制(フォーディズム)に続く資本主義経済の体制であり、国家による富の再分配を主張する社会民主主義(英:Democratic Socialism)、国家が資本主義経済を直接に管理する開発主義の経済政策などと対立する。計画経済で企業のすべてが、事実上、国家の管理下である国家社会主義とは対極にある経済思想である。



用語


新自由主義(ネオリベラリズム)という用語は、1938年にドイツの学者アレクサンダー・リュストー(英語版)ウォルター・リップマン国際会議(英語版)により作られた[3][4][5]、その会議では新自由主義の概念を「価格決定のメカニズム、自由な企業、競争があり強く公平な国家体制の優先」と定義した[6]。自由主義(リベラリズム)の中で「新自由主義」(ネオリベラリズム)と名付けた理由は、現代の経済政策が必要だからである[7]


新自由主義は一枚岩の理論ではなく、Freiburg学派(en)、オーストリア学派、シカゴ学派、Lippmann現実主義など、複数の異なった学問的アプローチにその発生が見られる[8]


1973年から1990年のアウグスト・ピノチェト支配下のチリ軍政の期間、反対派の学者はこの用語を使用したが、特定の理論を指したのではなく、チリで行われた政治的・経済的な改革に対して軽蔑語の意味を込めて使用した[9]


1990年代以降はこの用語は定義困難となり、思想、経済理論、開発理論、経済改革政策などを表現する複数の意味で使用され、経済を自由化する潮流を非難する意味での使用が拡大し、最初のネオリベラリストによる概念よりも更に初期のレッセフェール原理に近い市場原理主義も示唆している。このため、この用語の正確な意味や、特に近年の多数の種類の市場経済に対しての使用について、多くの議論が行われている[10]


新自由主義の意味に関する第一の問題は、新自由主義との用語の元となった自由主義(リベラリズム)自体が定義困難という事である[11]。第二の問題は、新自由主義の意味が純粋に理論的な思想から、実際的で実践的な意味に変化した事である。1970年代以降は新自由主義の受容が進展し、新自由主義的な改革を約束する新自由主義的な政府が世界中に公然と登場したが、しかし政府は状況に応じ常に約束した改革を実行したのではなかった。つまり大多数の新自由主義は、常にイデオロギー的に新自由主義的とは限らない。


新自由主義の代表的な論者である肯定派のフリードリヒ・ハイエク[12]、ミルトン・フリードマン、批判者のデヴィッド・ハーヴェイ[13]、ノーム・チョムスキー[14]などによる説明の間でも、新自由主義の意味に合意は見られないため、個人間の意見の相違の無い新自由主義の定義の作成は難しい。


Boas and Gans-Morse の著書によれば、この用語が使用されている最も一般的な意味は、「価格統制の廃止、資本市場の規制緩和、貿易障壁の縮小」などや、特に民営化と緊縮財政などの政府による経済への影響の削減などの経済改革政策である[15]。この用語は複数の意味で使用されており、その例には、ワシントン・コンセンサスに反対する開発モデル、最小国家主義など政府の機能を削減する自由主義概念を非難するイデオロギー用語、更には新古典派経済学に密接に関連する学問的パラダイムなどがある[16]。またこの用語は、民間部門へ権限委譲し経済の役割を増大させる公的政策への偏見として使われていると考えている人もいる[10]


日本で「新自由主義」という言葉は、大正時代の末期に上田貞次郎により用いられた[17]



歴史



初期



オーストリア学派





フリードリヒ・ハイエク.



経済学のオーストリア学派は、経済現象の基礎を個人の意図的な行動に置く方法論的個人主義を提唱した[18][19][20][21]。オーストリア学派の呼称は、カール・メンガーらが19世紀後半から20世紀のウィーンで活動した事から生まれた[22]。オーストリア学派による経済理論への貢献には、主観的価値論(en)、価格理論における限界効用理論、経済計算論争の系統的論述などがある[23]



ウォルター・リップマン会議


1930年代、反自由主義の雰囲気が決定的となった。そこで哲学者ルイ・レージエ(英語版)の提唱で、1938年8月にパリでウォルター・リップマン国際会議(英語版)が開かれた。ウォルター・リップマン、フリードリヒ・ハイエク、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、ロベール・マルジョラン、ナチスの迫害を避けてトルコに亡命した経済学者ヴィルヘルム・レプケ(英語版)、ドイツ革命に参加しヴァイマル共和政の経済問題担当大臣としてルール地方の石炭産業の国有化に携わったアレクサンダー・リュストヴ(英語版)、フランス銀行副総裁のジャック・リュエフなどが参加した。リップマン、リュストヴ、レージエらはレッセフェールの古い自由主義は失敗したため新しい自由主義が必要だと主張したが、ハイエクやミーゼスはそのような非難には同調しなかった。しかし。すべての参加者が新しい自由主義の研究プロジェクトの必要性に同意した。リュストヴの提案によりこのプロジェクトを「ネオリベラリズム」と呼ぶことになった。この会議から生まれたネオリベラリズムは、政府の規制を排除した自由な市場経済というリュストヴの概念に沿っていた[24]。それは資本主義とも共産主義とも異なる第三の道への試みでもあった。このように初期のネオリベラリズムは、21世紀に広く認識されているような市場原理主義とは異なった概念であった[25]


この国際会議は、ネオリベラリズムの国際組織として自由主義刷新国際研究センター(Centre International d’études pour la Rénovation du libéralisme )を設立した。本部をパリに置いて、センターは1939年から活動を開始した。発足時の参加者87名のほとんどはフランス人であり、1926年に欧州経済関税同盟(l'Union économique européenne)を設立したシャルル・ジッド(英語版)がいた。ベルギー人のパウル・ファン・ゼーラントと弟のマルセル、レオン・デュプリエ、モーリス・フレールらも所属していた。



モンペルラン・ソサイエティー



1947年、フリードリヒ・ハイエクは新自由主義の理論や政策を広めるためにモンペルラン・ソサイエティーを設立し、Rüstowらもこれに参加した。ハイエクらは、古典的自由主義は概念的な欠陥により機能せず失敗したため、その診断と是正のために集中的な議論が必要と考えた[26]



第二次世界大戦後



シカゴ学派





ミルトン・フリードマン、2005年



ミルトン・フリードマンを中心としたシカゴ学派は、シカゴ大学の教授陣を中心として生まれ、経済学の学術的なコミュニティでは新古典派経済学とも呼ばれている。この学派は政府による介入を批判し、中央銀行による通貨供給を例外として大半の市場に対する規制に反対する。この理論は1980年代までに、新古典派の価格理論や、リバタリアニズムに影響し、ケインズ主義を拒否しマネタリズムを支持した。



ドイツとオルド自由主義






ルートヴィヒ・エアハルト


新自由主義の概念はドイツで最初に構築された。1930-1940年代、ルートヴィヒ・エアハルトを中心とした新自由主義の経済学者達は新自由主義の概念を研究開発し、第二次世界大戦後の西ドイツに貢献した[27]。エアハルトはモンペルラン・ソサイエティーのメンバーで他の新自由主義者と継続的に交流した。彼は自分自身を「ネオリベラル」と分類し、その分類を受け入れた[28]


1930年、フライブルク大学を中心としたフライブルク経済学派の思想はオルド自由主義とも呼ばれ、より穏健で実用主義的であった。ドイツの新自由主義者は、競争が経済的繁栄を生むという古典的自由主義的な観念を受容したが、レッセフェール的な国家政策は競争の自由への脅威となる独占やカルテルを生み、強者が弱者を破滅させ、競争を窒息させると論じた。彼らは良く開発された法的システムと有能な規制の創設を支持した。彼らはケインズ主義の全面的な適用には反対したが、経済的効率と同等に人道的・社会的な価値を置く意思により、福祉国家の拡充する理論となった。


Alfred Müller-Armack(en)は、この理念の平等主義的で人道主義的な傾向を強調するために「社会市場経済」という表現を新造した[29]。Taylor C. Boas とJordan Gans-MorseによるとWalter Eucken(en)は「社会保障と社会的正義は我々の時代の重要な関心事だ」と述べた[29]



ラテン・アメリカ


1960年代、ラテンアメリカの知識階層はオルド自由主義の理念に注目し、しばしばスペイン語の新自由主義(ネオリベラリスモ)との用語を学派名として使用した。彼らは特に社会的市場経済とドイツの「経済の奇跡」に影響を受け、自国への類似政策導入を模索した。1960年代のネオリベラリズムは、独占への傾向に反対して社会的不平等を緩和するために国家政策を使用する事を支持する、古典的自由主義よりも近代的な哲学を意味していた[30]。実態についてはホンジュラスの経済を参照。ラテン・アメリカは新自由主義者の、最も早い実験場にされた。70年代のクーデター発生後のチリにおいては、ピノチェトの軍事独裁政権による極端な格差社会と、反対派の多数の粛清・行方不明などが発生した。ミルトン・フリードマンとその弟子集団であるシカゴ・ボーイズは、ピノチェトにアドバイスをし続けた。だが、ピノチェトも、経済的苦境が長期化するにつれ、後にはシカゴ・ボーイズの助言に耳を貸さなくなっていた。このように新自由主義を経済理論のみで分析するのではなく、新自由主義が一国家及び世界に、どのような悪影響を及ぼしたかも含めて結論を出すことが肝要である。



イギリス


ラテン・アメリカについで新自由主義の実験場にされたのは、労働組合が強くなりすぎたイギリスであった。1979年に選挙に勝利し、首相となったマーガレット・サッチャーは、国営企業の民営化や、石炭・造船などの重厚長大産業の解体に乗り出した。その結果、若者を中心とした大量の失業者が発生し、支持率が低下した。しかし、1982年に発生した「フォークランド紛争」に勝利し、この勝利を追い風に結果支持率は回復し、長期政権となった。



オーストラリア


1980年代以降、オーストラリアでは労働党と自由党の両党によって新自由主義的な経済政策が実施された。1983年から1996年のボブ・ホークおよびポール・キーティング政権は、経済的な自由化とミクロ経済的改革の政策を追求し、国営事業の民営化、要素市場の規制緩和、オーストラリア・ドルの流動化、貿易障壁の緩和などを行った[31]



アメリカ


1980年に大統領となったロナルド・レーガンは、「ケインズ主義福祉国家」の解体に着手し、「小さな政府」をスローガンに、規制緩和の徹底、減税、予算削減、労働組合への攻撃など、新自由主義的な政策を大規模に行っていった[32]。また、レーガンは少数民族へのアファーマティヴ・アクション(人種優遇策)の放棄や、放送法の改変も実施した。新放送法施行後に台頭してきたのが、右派のFOXニュースである。



古典的新自由主義


初期の自由主義が古典的自由主義と呼ばれるように、初期の新自由主義は古典的新自由主義(クラシカル・ネオリベラリズム)とも呼ばれ、ハイエクやミーゼスなどを含む戦間期のオーストリアの経済学者を中心として作成された。彼らは、社会主義政府とファシズム政府の両方によってヨーロッパで自由主義が衰退して行く状況を懸念して自由を再構築する試みを開始し、新自由主義の基礎となった。


新自由主義の中心概念は法の支配であった。ハイエクは、強制が最小となった場合に自由が最大となると信じた[33]。ハイエクは自由な社会でも強制の完全な廃止は不可能と信じていたが、強制を望むかどうかの判断は個人に許される必要があると論じた。彼はその実態は法で、その使用は法の支配であるとした[34]。この考えを実現する重要な仕組みには権力分立などが含まれ、この概念が立法者から短期的な目標追求を分離し、また多数派による絶対権力を防止する事で、法に実効性を持たると考えた[35]。そして立憲主義の概念により立法者も成立した法によって法的に束縛される。


また古典的新自由主義は、伝統を尊重した保守的な運動・右派運動を指向した。だが、チリのアウグスト・ピノチェト、イギリスのマーガレット・サッチャー[36]、アメリカ合衆国のロナルド・レーガンなどの政策は、新しい文化を生み出す力がない故に、古い文化・伝統への依存や国家の成立過程への信仰、新しい文化の否定などをもたらした。


1980年代には、新自由主義的な目的の実践的な宣言であるワシントン・コンセンサスが成文化された。



経済的新自由主義


経済的新自由主義(エコノミック・ネオリベラリズム)は新自由主義の重要な形態で、古典的自由主義と経済自由主義の歴史的な断絶の間から現れた。ある体系が新自由主義的と呼ばれる場合、通常はこの意味である[37]。経済的新自由主義は多くの点で古典的新自由主義とは異なる。


フリードマンは、新自由主義は結果主義的なリバタリアンでもあると論じた。それはイデオロギー的な理由からではなく、実利的な展開の結果として、経済における政府の干渉の最小化を採用するからである。経済的新自由主義の中核は、新自由主義的経済(ネオリベラル・エコノミー)のイデオロギーを証明する多様な理論である。


ケインズに否定的な新自由主義政策が標榜したのは、生産能力の成長である(サプライサイド経済学)[38]


新自由主義の理論によれば、ジニ係数が上昇したとしても、自由競争と国際貿易によって貧困層も含む全体の「所得が底上げされる」と考えられていた(トリクルダウン理論)[32]



哲学的新自由主義


経済的新自由主義は経済原則に重点を置くが、少数だが経済政策以外にも触れている。経済的新自由主義の最も急進的な種類の1つでは、健康、教育、エネルギーなどの分野に新しい市場を作る事により、自由市場の技法を商業や経営の外部にも適用することを提唱している[39]。この視点では論理的帰結として重要な自由とは市場の自由のみであり、新自由主義はより哲学的な方向性を持ち、単なる経済理論から宗教や文化に近づく。


Paul Treanorの説明では以下である。「我々は何故此処にいるのか、私は何をすべきか」といったステレオタイプな論理的設問に対して、新自由主義者は「我々は市場にいる、競争すべきである」と回答する。新自由主義者は人類は市場に存在し他の道は無いと考える傾向があり、市場での実践が善であり、市場に参加しなければいずれは失敗すると確信している。個人的な倫理観でも、一般的な新自由主義的な視点では全ての人類は自分自身を管理する起業者で、そう行動すべきとする。個人は起業家と同様に将来を含めた自己のステータスを最大化するために友人、趣味、スポーツ、配偶者などを選択するという長所の倫理である。この姿勢は初期の自由主義には見られないが、市場原理を人生の非経済的領域に拡大したものであり、新自由主義の特徴的な点である[39]



グローバリズム



1989年、国際通貨基金は経済危機への対応としてワシントン・コンセンサスなどの見解を支持し、発展途上国における国際企業のリスクを減らす活動を行った[40]


これらを批判する立場からは、これらの政策は「新自由主義」や「新植民地主義」と呼ばれている。その主張では、国際的な金融やビジネスでは、低開発国では現実には制度や権利のレベルも低い事が大きなリスクとなり、発展途上国は通常は先進国と比較して国際市場へアクセスできる特権が少なく、国際金融は地元の企業よりも国内の多国籍企業など海外企業に投資し易いため、国際企業は競争上の不公正な優位を得ている[41]。また投機的な資本の流入は景気の過熱や後退に応じて経済の不安定化や経済危機を発生させる。


David Harveyは2001年のアルゼンチンの例を挙げて、地域の指導者は彼らの利益のために貧困者の負担で新自由主義的な改革を実行する一方で、他方では「邪悪な帝国主義者」を批判している、と述べた[13]



議論


新自由主義に関しては、その用語の定義や範囲を含め、多くの論争的な議論が存在している。



肯定論



  • 新自由主義者である八代尚宏は著書『新自由主義の復権 日本経済はなぜ停滞しているのか』で以下を記した。新自由主義(ネオリベラリズム)は、1970年代にケインズ政策の批判の主体となり、主要な思想家にはハイエク、フリードマン、ベッカーなどが挙げられる[42]。日本における「反市場主義」の思想は、「賢人政治」の思想と、伝統的な「共同体重視」の思想がある[43]。「本来の新自由主義の思想」は、市場競争を重視した資源配分、効率的な所得再配分政策、公平な社会保険制度などである[44]。アダム・スミスは重商主義を非難したが政府の役割を否定しておらず[45]、世界金融危機などは政府の失敗も大きい[46]

  • エコノミストの山田久は「新自由主義は世界に所得の不平等をもたらしたとして批判を受けている。しかし『富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しく』という状況が生まれたのは、新自由主義そのものの構造的欠陥というよりも、世界経済の構図の変化による結果なのである。むしろ、それ以前の経済システムにおける反市場主義的な思想を後退させ、市場原理尊重の考え方を『常識化』して、世界経済の成長力を取り戻したという歴史的意義があったというべきである」と指摘している[32]



批判




  • ナオミ・クラインは著書『ショック・ドクトリン』で、ミルトン・フリードマンとシカゴ・ボーイズの理論と政治活動が、いかに世界各国に悪影響を与えたかを、劇的に明らかにした。フリードマンは公園や水事業などまで含む公共財の民営化を主張し、極端な原始的資本主義の賛美をおこなった。さらにフリードマンもハイエクもチリの独裁者であるピノチェトや、英国のサッチャーらと個人的にも親しかったことまで暴露されている[47]


  • デヴィッド・ハーヴェイは著書『ネオリベラリズムとは何か』で、ネオリベラリズムとはグローバル化する新自由主義であり、国際格差や階級格差を激化させ、世界システムを危機に陥れようとしていると批判した[48]。また著書『新自由主義:その歴史的展開と現在』で、新自由主義は世界を支配し再編しようとしていると記した[49]


  • 宇沢弘文は「新自由主義は、企業の自由が最大限に保証されてはじめて、個人の能力が最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいており、そのためにすべての資源、生産要素を私有化し、すべてのものを市場を通じて取り引きするような制度をつくるという考え方である。新自由主義は、水や大気、教育や医療、公共的交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場・自由貿易を追求していくものであり、社会的共通資本を根本から否定するものである」と指摘している[50]

  • もともと新自由主義者であり、転向したかに見えた中谷巌は「新自由主義が、市場で『値段がつかないもの』の価値をゼロと見なしている。これこそが21世紀における人類社会に最大の困難をもたらした原因である」と指摘している[51]。なお、中谷は後に「自分は現在も新自由主義者」と語り、世間を呆れさせた。

  • リベラルの森永卓郎は「新古典派経済学を勉強したのが、新自由主義者たちである」と指摘している[52]。森永は「新古典派経済学を曲解した新自由主義者が構造改革を行い、アメリカをモノ作りの国から金融・情報・エンターテインメントの国に変えてしまった」と指摘している[53]

  • 反米右派の中野剛志は日本で1990年代から流行した新自由主義に対しては違和感を覚えており、その理由として日本的経営が急に批判対象となったことや、人間は歴史的に形成されたルールに強く拘束されていることを挙げている。




  1. 個人とは共同体の一員で、歴史・伝統・慣習に束縛された存在であり、そのような人々が活動して初めて安定的な市場秩序が成立すること

  2. 人間関係・歴史・伝統・共同体から切り離された個人は全体主義的なリーダーに集まり、国家の言いなりになること

  3. 共同体・文化を破壊したり、強引に作り替えようとすると必ず全体主義に辿りつく


というハイエクによる指摘に特にショックを受けたと述べている。日本型経営も歴史や文化の流れで少しずつ形成されたものであり、ハイエクも日本型経営こそが自生的な秩序(スポンテニアス・オーダー)であり、真の個人主義の基礎であると言ったに違いないとしている。日本の新自由主義者たちはそれを破壊することを明言しており、ハイエクに言わせれば彼らは偽りの自由主義者であり、全体主義者であるとし、小泉政権時の政治は見事に全体主義であったと述べている[54]



  • 兼子良夫神奈川大学学長(経済学・地方財政学、2016年4月より神大学長)は新自由主義経済の弊害を指摘、フリードリヒ・ハイエクなどが起草したモンペルラン協会の設立宣言にも「人間の尊厳」という文言が記載されている事を指摘、新自由主義的資本主義がもたらしたグローバル化の中で学生には「人間の尊厳」を守る社会を構築する義務と責任を果たしてほしいと説く。[55]


その他




  • 中谷巌は「グローバリズム、新自由主義は、大航海時代以来続いてきた『西洋による非西洋世界の征服』という大きな歴史の流れの中で理解する必要がある。新自由主義の本質とは『グローバル資本が自由に国境を超えて移動できる金融資本主義を完成させようという思想』である。新自由主義の理論は市場経済を簡潔に説明することはできるが、社会・伝統・文化に与える影響については、誰も理論化できていない」と指摘している[51]


  • 増田壽男(元法政大学総長)らは「サッチャーやレーガンによって主張されるようになった新保守主義・新自由主義の考え方は、その根底に1960年代に主流であったケインズ政策に対する批判がある」とし[56]、1970年代のスタグフレーションと経済政策破綻をいかに解決するかという中から生まれた市場原理主義とした[56]。新自由主義は雇用面ではケインズ主義の「硬直性」を排除し、福祉国家を解体する[57]。また1982年の日本の中曽根政権も新自由主義、新保守主義の思想潮流の一翼を担った[58]。新自由主義・新保守主義は、ケインズ経済学であるインフレをマネタリストの立場で貨幣供給のコントロールにより克服しようとした点では一面の真理があったが、スタグフレーションは克服できず、多国籍企業によるグローバリゼーションと「カジノ経済」をもたらし、世界経済は新しい危機に見舞われる事になった、とした[59]

  • ハイエクや石原慎太郎を支持する森元孝(早稲田大学教授)は著書『フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン - ネオ・リベラリズムの構想とその時代』で 、第二次世界大戦後に出現した「新自由主義」というコンセプトは、現在アメリカや日本で「ネオ・リベラリズム」と呼ばれているものとは相違がはなはなしい、と記した[60]。第二次世界大戦後の復興期に現れてくる新自由主義者には、古自由主義は弱肉強食の競争を生むものの、次段階でトラスト、経済と政治の融合、経済の腐敗を生み、最終的にナチズムのような専制独裁を許したという共通した考え方があり、こうした古い自由主義から決別するという信念があるとした[61]


  • アレキサンダー・リュストウはフリードリヒ・ハイエクの立場を古自由主義と呼び批判し、文化理論を経済政策に結びつけようとした[62]。またオイケンは秩序ある自由主義、古自由主義の刷新という意味で新自由主義と称したが、競争の抑制という点では社会民主主義との区別は困難である。ハイエクは経済と市場を区別し、いわば経済の諸秩序の外に市場があり、個別経済は市場を通じて相互調整していき、そこには固有のルールが存在していると考えた[63]

  • 経済学者の小宮隆太郎(元東京大学教授)は「最近(2008年)、市場原理主義・新自由主義批判が目立つが、何を批判しているのか。レッセ・フェールの”弊害”や『市場の失敗』はケインズ、マーシャル、ピグーも指摘していた。ミクロ経済学の常識である」と指摘している[64]



参考文献




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脚注





  1. ^ リベラリズムの多義性(川崎修) - 思想 2004年 第9号


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  3. ^ Harvard Univ. 2009, pp. 12-13,161.


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  6. ^ Harvard Univ. 2009, pp. 13-14.


  7. ^ Harvard Univ. 2009, p. 48.


  8. ^ Harvard Univ. 2009, p. 14.


  9. ^ Taylor C. Boas,Jordan 2009, pp. 151-152.

  10. ^ abTaylor C. Boas,Jordan 2009, pp. 137-161.


  11. ^ : This article makes this point rather well, and shows how these problems influence neoliberalism


  12. ^ Hayek 2006.

  13. ^ abYouTube Lecture series: A Brief History of Neoliberalism by David Harvey, accessed 2010


  14. ^ Robert W. McChesney summarises the views of Chomsky


  15. ^ Taylor C. Boas,Jordan 2009, p. 143.


  16. ^ Taylor C. Boas,Jordan 2009, p. 144.


  17. ^ 青葉翰於「新自由主義をめざして」(学文社、1989年、xxiiiページ)


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関連項目




  • 経済的自由主義 - 古典的自由主義 - 自由市場 - レッセフェール - 市場経済 - 市場原理主義

  • 新古典派経済学


  • マネタリズム - シカゴ学派 - リバタリアニズム


  • オルド自由主義 - 社会的市場経済


  • 小さな政府 - 行政改革 - 構造改革 - 規制緩和 - 夜警国家 - 無政府資本主義


  • 新保守主義 - キリスト教右派 - 宗教右派 - 反共主義

  • 社会自由主義





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