今村荒男

今村荒男
今村 荒男(いまむら あらお、1887年10月13日 - 1967年6月13日)は、内科学者。元大阪大学総長。奈良県安堵町生まれ。
大阪府から奈良県独立・再設置に導いた民権運動家であった今村勤三の次男。勤三の長男は大正 - 昭和時代前期の銀行家・今村幸男、三男は大日本紡績(現・ユニチカ)常務取締役・相談役を務めた今村奇男。天誅組の立役者であった今村文吾は勤三の伯父にあたる。
目次
1 生い立ち・実績
2 阪大総長時代
3 今村賞
4 著書
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
生い立ち・実績
東京帝国大学卒業。東京帝国大学伝染病研究所を経て、1925年、大阪帝国大学教授に就任。大阪帝国大学微生物病研究所長を務めた。また奈良県立医科大学の前身の奈良県立医学専門学校の初代校長となった。日本で初めてBCGワクチンの人体接種を行い、結核予防と治療に尽力した。1951年、日本学士院会員。1960年、文化功労者。
阪大総長時代
大阪大学第5代総長を務め、総長時代には法文学部(旧制)の新設に尽力し、医学・理学・工学の3学部で発足した同大学の総合大学としての礎を築いた[1]。
今村賞
日本結核病学会では、学会賞として「今村賞」を設けている。これは、今村が日本の結核研究の草わけのひとりとして貢献し、大阪大学での結核研究の伝統を築いたことを記念して、優れた結核研究の成果を上げた研究者を顕彰するものである。
著書
- 『肺結核の常識』改造社 1932
脚注
^ 『大阪大学歴代総長余芳 大阪大学編』大阪大学出版会、2004 ISBN 4872591798
関連項目
- 今村文吾
- 今村勤三
- 安堵町歴史民俗資料館
外部リンク
- 日本結核病学会
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