リッチー・ギンサー














































































リッチー・ギンサー

Richie Ginther 1966 Nürburgring.jpg
基本情報
フルネーム
ポール・リチャード・ギンサー
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
同・カリフォルニア州
ロサンゼルス・ハリウッド
生年月日
(1930-08-05) 1930年8月5日
没年月日
(1989-09-20) 1989年9月20日(59歳没)

F1での経歴
活動時期
1960-1967
所属チーム
'60,'61 フェラーリ
'60 スカラブ
'62-'64 BRM
'65,'66 ホンダ
'66 クーパー
'67 イーグル
出走回数
54
タイトル
0
優勝回数
1
表彰台(3位以内)回数
14
通算獲得ポイント
107
ポールポジション
0
ファステストラップ
3
初勝利
1965年メキシコGP
最終勝利
1965年メキシコGP
最終戦
1967年モナコGP
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リッチー・ギンサーPaul Richard "Richie" Ginther, 1930年8月5日 - 1989年9月20日)は、アメリカ人のF1ドライバー。




目次






  • 1 経歴


  • 2 人物


  • 3 1965年メキシコグランプリ


  • 4 F1での年度別成績


  • 5 関連項目





経歴


カリフォルニア州ロサンゼルス・ハリウッドで、3人兄弟の末っ子として生まれる。1946年頃には、兄の友人であるフィル・ヒルからドライビングテクニックを教わると言う幸運にも恵まれた。高校卒業後、一旦は就職するが約1年半後に退職し、フィル・ヒルのメカニックとなり、レースの世界へと足を踏み入れる事となる。21歳の時、2年間の兵役に就き、終了と共にフィル・ヒルの元に戻り、本格的にレースに打ち込んだ。


1956年、フィル・ヒルと共にメキシカン・パン・アメリカン・レースにフェラーリで出場。その後、アメリカ国内のレースに数多く出場し、1957年にはフェラーリでル・マン24時間レースをも走っている。


1960年、フェラーリのメンバーとしてアルゼンチン1000kmに出場し2位となり、この年、モナコグランプリでフェラーリのドライバーとしてF1デビューして6位に入賞した。更にこの年9月のイタリアグランプリでは、2位に入賞。翌1961年は、フェラーリの市販車テスト・ドライバーも兼ねF1グランプリに常時出場、15ポイントを獲得しランキング5位となった。


1962年から1964年の3年間、BRMと契約。1962年は8位、1963年は2位、1964年が4位の成績を残す。また、1964年にはF1史上5人目の年間全レース完走も達成した。


1965年にホンダと契約、最終戦メキシコグランプリで自身・ホンダ・グッドイヤーとも初となる優勝を果たした。


1966年、新3リッター・レギュレーションのイタリアグランプリでホンダRA273を操るが、クラッシュで負傷。カムバックして翌1967年、同じアメリカ人のダン・ガーニーが主宰するイーグルへと加入するが、同年に引退する。



人物


ずば抜けた速さや、ここぞと言う時の粘りに欠けてしまい勝ち星に恵まれず、当時「ベストオブセカンドドライバー」「万年2位ドライバー」など、自身にとってはあまり嬉しくない評価をプレスから受けていたが、繊細な運転技術を持ち完走率が高くF1での経験も豊富だった。


「彼はとても繊細で、ドライバーとしては神経質な性格であり、人に対する信・不信の格差が比較的大きかった」と、当時ホンダF1のチーム監督を務めた中村良夫は後の著書の中で記載している。


F1を引退後はイーグル(AAR)で開発主任になるが、イーグルの経営が傾き始めると以前のように羽振りのいい生活も出来なくなりはじめ、去る事になる。後にカリフォルニア州でポルシェを走らせるレースに参加するようになるが、そのレースを止めてしまった後は、ヒッピー仲間に入って住所不定の暮らしをする。


1989年、ドニントンパークで「BRMの歴史」と言うドキュメントビデオ撮影に招待され出席した後、フランス・クレルモンフェランで行われる旧F1ドライバーの集いに参加するべく移動中に心臓発作で死去。59歳。



1965年メキシコグランプリ


メキシコグランプリが開催されるエルマノス・ロドリゲス・サーキットは標高2,200メートルの高地に在る。中村良夫はここに目をつけ、グランプリ開催直前にテストを敢行。高地気圧条件、燃料噴射セッティング、高温対策に徹底的に取り組み、グランプリを迎えることとなる。また、中村良夫は元々中島飛行機出身であり、当時航空機エンジンに携わっていたことから、高地と言えども航空機の経験が有る為、他チームより優れたセッティングも可能であった。


予選は、ジム・クラークがポールポジションを獲得し、ブラバムのダン・ガーニーが2番手。そして、ホンダを駆るギンサーは3番手に付けた。因みに、この時のマシンは予選時からポールポジション奪取も可能な程の好調振りで、ギンサーはポールポジション獲得に向けタイムアタックに向かおうとしたが、本戦での優勝を期していた中村良夫に『決勝に向けてのマシン温存』を説かれ自重しての予選3位であった。


このマシン温存策が功を奏したのか、スタートダッシュの利かないジム・クラークのロータスを尻目にトップに踊り出たギンサーは、一度も首位を譲る事無くトップでフィニッシュラインを駆け抜けたのである。


このレースを指揮した中村良夫は、コース内の電信局からホンダ本社に向け"Veni Vidi Vici" (来た、見た、勝ったと言う意味のカエサルの戦勝報告)の一文を送信、デビュー以来わずか11戦目の快挙だった。それはまた、アメリカ人ギンサーとグッドイヤー・タイヤにとっても記念すべきF1初優勝となった。もう一台のロニー・バックナムも5位入賞。5年間続いた1.5リッターF1時代最後の一戦でホンダは勝利をものにした。



F1での年度別成績











































































































































































































































所属チーム
シャシー
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
WDC
ポイント

1960年

フェラーリ

246P

ARG

MON
6

500








9位
8

Dino 246




NED
6

BEL


GBR

POR

ITA
2

USA


リヴェントロウ

Type 1






FRA
DNS






1961年

フェラーリ

156

MON
2

NED
5

BEL
3

FRA
Ret

GBR
3

GER
8

ITA
Ret

USA
DNA



5位
16

1962年

オーウェン

48/57

NED
Ret

MON
Ret









8位
10

P57



BEL
13

FRA
3

GBR
13

GER
8

ITA
2

USA
Ret

RSA
7



1963年

MON
2

BEL
4

NED
4

FRA
Ret

GBR
4

GER
3

ITA
2

USA
2

MEX
3

RSA
Ret


3位

29 (34)

1964年

P261

MON
2

NED
11

BEL
4

FRA
5

GBR
8

GER
7

AUT
2

ITA
4

USA
4

MEX
8

5位
23

1965年

ホンダ

RA272

RSA

MON
Ret

BEL
6

FRA
Ret

GBR
Ret

NED
6

GER

ITA
Ret

USA
7

MEX
1

7位
11

1966年

クーパー

T81

MON
Ret

BEL
5

FRA

GBR

NED

GER





11位
5

ホンダ

RA273







ITA
Ret

USA
NC

MEX
4



1967年

アングロ・アメリカン

Mk1

RSA

MON
DNQ









NC
(40位)
0

イーグル/アドヴァンス・マフラー/ブルース・ブルーム



NED
DNA

BEL

FRA

GBR

GER

CAN

ITA

USA

MEX


  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)


関連項目



  • モータースポーツ

  • F1ドライバーの一覧

  • ホンダF1






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