日本労働組合総評議会
















































日本労働組合総評議会
(総評)
General Council of Trade Unions of Japan (JCTU)
設立年月日
1950年(昭和25年)7月12日
解散年月日
1989年(平成元年)11月
後継組織
日本労働組合総連合会
総評センター
組織形態
ナショナルセンター
加盟団体数
50単産(内、オブ加盟1単産)[1]
組合員数
391万人
国籍
日本の旗 日本
本部所在地
101-0062
東京都千代田区神田駿河台3丁目2-11 総評会館(現・連合会館)
北緯35度41分44.7秒 東経139度45分55.6秒 / 北緯35.695750度 東経139.765444度 / 35.695750; 139.765444
支持政党
日本社会党

日本労働組合総評議会(にほんろうどうくみあいそうひょうぎかい)は、かつて存在した日本における労働組合のナショナルセンター。略称、総評(そうひょう)。




目次






  • 1 来歴


  • 2 政治活動


  • 3 加盟組合


    • 3.1 脱退した加盟単産




  • 4 歴代議長


  • 5 歴代事務局長


  • 6 脚注


  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





来歴


日本最大の全国的労働組合中央組織だった。第二次世界大戦の日本敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の保護と育成の下に再出発した日本の労働運動は経済・社会情勢を背景に急進的かつ政治的色彩の濃いもので、日本共産党も大きな影響力を及ぼしていた。冷戦の激化・GHQの方針転換に伴い、産別会議や全労連などに集約されていたそのような労働運動は行き詰まりをみせていた。一方で労働組合主義や共産党の排除、国際自由労連(世界労連から分裂して結成)加盟などを指向する運動潮流の分岐と結集が進み、そのナショナルセンターとして1950年(昭和25年)7月11日、日本労働組合総評議会(総評)は結成された。初代議長には炭労出身の武藤武雄・事務局長には都市交出身の島上善五郎が選出され、総同盟、国労、日教組、都労連、海員組合、私鉄総連など主要なナショナルセンターと単産が参加した。総評結成にはGHQの強い意向が働いており、結成大会で日本共産党排除や国際自由労連への接近を内容とする大会宣言を採択し、産別会議・全労連とは一線を画する労働組合として出発した。


GHQの援助の下、反共的色彩の強いナショナルセンターとして出発した総評であったが、翌1951年3月の第二回大会で行動綱領として平和四原則を決定し、国際自由労連に加盟する議案を否決するなどして、早くも左傾・反米へと方向転換した。吉田内閣の国家公安保障法(後に破防法として成立)、集会デモ取締法、ゼネスト禁止法、労働三法改正の成立を図ったことに対しては、1951年6月に「労働法規改悪反対闘争委員会」(労闘)を設置し、国会審議中の1952年には政治ゼネストを4波にわたって行った(労闘スト)。加盟単産も日本炭鉱労働組合連合会(炭労)と日本電気産業労働組合(電産)を筆頭に戦闘的な争議を展開した。この変化を、当時のマスコミは“ニワトリからアヒルへ”と呼んだ。一説に、これは総評の変化を当時のGHQ労働組合担当者が、“チキン(臆病者)が役立たず(lame duck、レームダック)になった”と罵ったのを通訳が理解できず、「アヒルになった」と直訳したからという。1952年7月の第3回大会では右派の国際自由労連一括加盟案が否決され、左派社会党への支持を決定して左派路線を明確にした。人事においても電産委員長の藤田進が新たに選ばれ,高野実が事務局長に再選され民同左派の主導権が確立した。一方、右派は役員を出さず、総評内の左右の対立は深まっていった。


1952年12月、全繊同盟・海員組合・全映演・日放労の4単産は総評指導部の政治闘争を重視した指導を批判する「総評批判――民主的労働組合の立場に立って」の題する声明を発表し、右派系組合と執行部の確執が表面化した(4単産批判)。両者の対立は解消されることなく第4回大会を経た1953年7月から11月にかけて日放労を除く右派系の3単産は相次いで総評から脱退し、右派ナショナルセンターである総同盟(1951年6月再建)と1954年、新たな連絡協議体として全日本労働組合会議(全労)を結成した。一方で総評は3単産の脱退を機に階級闘争を基本的理念とし、資本主義体制の変革を目標に据え、第2回大会以来の路線転換を完成させた。日本社会党支持を運動方針に明記し、反戦平和の運動を進めた。総評の持つ政治的影響力は絶大で、しばしば横紙破りな行動が物議をかもしたところから、「昔、陸軍。今、総評」などと揶揄された。この総評の左派路線形成には社会主義協会の影響があった。関係者の回想では、1950年代後半から1960年代にかけて、総評本部の専従者はほとんどが社会主義協会会員であったという。


1958年2月、産別会議は2つの単産が加盟していたのみだったが、その1つの主力単産である全日本金属労働組合(全金属)が総評の全国金属労働組合(全国金属)と統合して総評へ合流し、同時に産別会議も解散した。


1978年(昭和53年)にはOECD労働組合諮問委員会へ参加。


1983年(昭和58年)には49単産、451万人、全組織労働者の36%が総評傘下にあり、その約7割は官公労働者だった。毎年、中立労連とともに春闘共闘会議を組織し、春闘を賃金決定機構として定着させた。


1987年に発足した全日本民間労働組合連合会(全民労連。後の日本労働組合総連合会(連合))に合流するため、1989年11月に解散した。


総評の政治活動を継承する組織としては、1989年9月に総評センターが作られ、さらに1992年10月には社会党と連帯する労組会議に移行。そのようにして、連合とは別の形態で社会党(のちに社民党)を支持していたが、民主党の結成後は軸足を民主党に移す動きが強まり、1997年7月に民主・リベラル労組会議に移行。1999年5月には、連合政治センターの結成に伴い、民主・リベラル労組会議も解散し、独自の政治活動に一応の終止符を打った。



政治活動


日本社会党支持を運動方針に明記し、日本共産党とは個別の課題で共闘するとしていた。1964年の4.17ゼネスト問題で、日本共産党がストライキに反対する方針をとった結果、一部の組合では組合内の日本共産党員に対して攻撃をかけることもあった[2]



加盟組合


解散を決定した臨時大会(1989年11月)が開かれる直前である、1989年7月の加盟単産を以下に示す[3]。結成当初は民間の基幹産業の単産も多く加盟していたが、民間労組の多くが同盟に加盟する様になると、官公庁労組が中心となった。




  • 電気通信情報産業労働組合連合(情報通信労連) - 前身は全国電気通信労働組合(全電通)と電電公社系企業の労働組合で構成された電通労連である。日本電信電話株式会社に民営化されたのに伴い改称した。現在は情報産業労働組合連合会(情報労連)。


  • 日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連) - 現日本基幹産業労働組合連合会。総評加盟だったが、民社党との関係も強かった。


  • 日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)


  • 日本医療労働組合連合会(日本医労連) - 総評反主流派(統一労組懇)の有力労組の一つで、総評解散後は全労連結成に参加した。

  • 全国金属労働組合(全国金属)

  • 合成化学産業労働組合連合(合化労連)


  • 全国一般労働組合(全国一般)


  • 全国自動車交通労働組合連合会(全自交労連)


  • 全日自労建設一般労働組合(建設一般全日自労)- 総評反主流派(統一労組懇)の有力労組の一つで、総評解散後は全労連結成に参加した。


  • 日本新聞労働組合連合(新聞労連)

  • 全日通労働組合(全日通)


  • 国鉄労働組合(国労)


  • 全国競走労働組合(全競労)

  • たばこ産業労働組合共闘会議(たばこ共闘)


  • 日本鉄道産業労働組合総連合(鉄産総連)

  • 政府関係特殊法人労働組合協議会(政労協)


  • 全日本港湾労働組合(全港湾)


  • 全国農林漁業団体職員労働組合連合(全国農団労)


  • 全日本運輸一般労働組合(運輸一般)- 総評反主流派(統一労組懇)の有力労組の一つで、総評解散後は全労連結成に参加した。

  • 全駐留軍労働組合(全駐労)

  • 日本非鉄金属産業労働組合連合会(非鉄金属労連) - 全日本金属鉱山労働組合連合会(全鉱)から移行して結成。

  • 全日本ホテル労働組合連合会(ホテル労連)


  • 日本放送労働組合(日放労)

  • 全国印刷出版産業労働組合総連合会(全印総連)

  • 全国山林労働組合(全山労)

  • 日本繊維産業労組連合会(繊維労連)

  • 全日本海運労働組合連合会(全海連)


  • 日本炭鉱労働組合(炭労)


  • 総評・全日本建設運輸連帯労働組合(全日建運輸)

  • 総評・全日本建設産業労働組合(全日建)


  • 全日本造船機械労働組合(全造船機械)

  • 全日本電力労働組合協議会(全電力) - 前身は1947年結成の日本電気産業労働組合(電産)である。

  • 日本自動車運転士労働組合(自運労)

  • アルコール専売労働組合(アル専)

  • 放射線影響研究所労働組合(放影研労組)

  • 全国高齢者退職者連絡協議会(全国高退連)

  • 住宅産業労働組合連絡協康会(住宅労協) - オブザーバー加盟。


  • 全逓信労働組合(全逓) - 現日本郵政グループ労働組合

  • 全林野労働組合(全林野)


  • 全印刷局労働組合(全印刷)


  • 全造幣労働組合(全造幣)


  • 全日本自治団体労働組合(自治労)


  • 日本教職員組合(日教組)


  • 日本都市交通労働組合(都市交)


  • 全日本水道労働組合(全水道)


  • 日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)- 総評反主流派(統一労組懇)の有力労組の一つで、総評解散後は全労連結成に参加した。


  • 全農林労働組合(全農林)

  • 全北海道開発局労働組合(全開発)

  • 全財務労働組合(全財務)

  • 大蔵省職員組合(大蔵職組)

  • 沖縄国家公務員労働組合(沖縄国公労)

  • 会計検査院職員労働組合(会計労)



脱退した加盟単産




  • 全日本海員組合(海員組合)


  • 全国映画演劇労働組合(全映演)


  • 全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)


  • 国鉄動力車労働組合(動労) - 国鉄分割民営化の前にして、総評第75回定期大会(1985年7月15日~18日)後に脱退した[4]。総評第75回定期大会では動労の国鉄分割民営化への対応が集中的に批判され、動労は大会中に退席した。同年9月7日に総評幹事会は動労の総評脱退届を受理した。


  • 鉄道弘済会労働組合(鉄弘労・TKU) - 1987年6月末に、財政負担を軽減するためとして脱退[5]

  • 全国紙パルプ産業労働組合連合会(紙パ労連) - 1988年2月、紙パ総連合と統合して紙パ連合を結成し、総評を脱退した。



歴代議長



  • 武藤武雄(1950年7月~1952年7月、炭労出身)


  • 藤田進(1952年7月~1953年7月、電産出身)


  • 藤田藤太郎(1953年7月~1956年8月、私鉄総連出身)

  • 原口幸隆(1956年8月~1958年7月、全鉱出身)


  • 太田薫(1958年7月~1966年8月、合化労連出身)

  • 堀井利勝(1966年8月~1970年8月、私鉄総連出身)

  • 市川誠(1970年8月~1976年7月、全駐労出身)


  • 槙枝元文(1976年7月~1983年7月、日教組出身)

  • 黒川武(1983年7月~1989年11月、私鉄総連出身)



歴代事務局長




  • 島上善五郎(1950年~1951年、都市交出身)


  • 高野実(1951年~1955年、全国金属出身)


  • 岩井章(1955年~1970年、国労出身)


  • 大木正吾(1970年~1976年、全電通出身)


  • 富塚三夫(1976年~1983年、国労出身)

  • 真柄栄吉(1983年~1989年、自治労出身)



脚注




  1. ^ 1989年11月解散大会時点。以下同じ。


  2. ^ この問題に取材した小説として、佐藤貴美子『桜子』(新日本出版社)がある


  3. ^ 法政大学大原社会問題研究所 『日本労働年鑑 第60集/1990年版』 労働旬報社、1990年7月5日、p.221


  4. ^ 法政大学大原社会問題研究所 『日本労働年鑑 第57集/1987年版』 労働旬報社、1987年6月25日、p.243


  5. ^ 法政大学大原社会問題研究所 『日本労働年鑑 第58集/1988年版』 労働旬報社、1988年6月25日、p.231



関連項目



  • ナショナルセンター (労働組合)


  • 日本労働組合総連合会 - 全国労働組合総連合 - 全国労働組合連絡協議会 (1989-)


  • 全日本労働総同盟 - 中立労働組合連絡会議 - 全国産業別労働組合連合

  • フォーラム平和・人権・環境

  • 日本の労働組合



外部リンク


  • ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『日本労働組合総評議会』 - コトバンク








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