名方郡
名方郡(なかたのこおり、なかたぐん)は、古代の阿波国(現 徳島県)にあった郡である。阿波国の国府が置かれていた。寛平8年(896年)に東部が名東郡、西部が名西郡に分割された。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 式内社
3 関連項目
4 参考文献
地理
郡域は現在の徳島市の大部分(勝占町・多家良町・丈六町を除く)、名東郡佐那河内村、名西郡石井町、神山町、板野郡上板町瀬部などの地域一帯に比定される。
歴史
奈良時代から平安時代に見える郡名。平城宮出土木簡に「阿波国名方郡土師郷土師部広友 米五斗」(同前15)とあるのが初見。また長岡京跡においても8世紀末の溝から「阿波国名方郡井上庸」とある木簡が出土している(木簡研究1)。
律令制の執行によって阿波国が成立すると、当郡に国府(現徳島市国府町府中)が置かれ、阿波国の政治・経済・文化の中心地となった。国府の政庁跡は「府中の宮」と通称される大御和神社付近と推定される。また国分寺は国庁推定値の南南西約1,200mの地点に建設され、国分尼寺は国庁の西方約1,00mの地点に建設され、国分尼寺跡は現在国定指定史跡となっている。
当郡に居住した氏族としては「続日本紀」神護景雲元年3月16日条に見える粟凡直氏、「三代実録」貞観6年4月22日条に見える海直氏、同書同年8月8日条に見える安曇部氏、同書同7年11月2日条に見える忌部氏などがいた。
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
名方郡 9座(大1座・小8座) | |||||||
天石門別八倉比売神社 | -ヤクラヒメノ | 大 | 月次新嘗 | (論)八倉比売神社 | 徳島県徳島市国府町矢野 | 阿波国一宮 | [1] |
(論)上一宮大粟神社 | 徳島県名西郡神山町神領 | 阿波国一宮 | |||||
(論)一宮神社 | 徳島県徳島市一宮町西丁 | 阿波国一宮 | |||||
天石門別豊玉比売神社 | -トヨタマヒメノ | 小 | (論)天石門別豊玉比売神社 | 徳島県徳島市眉山町 | 春日神社境内 (元は徳島城内) | ||
(論)(合祀)猿田比古神社 | 徳島県名東郡佐那河内村下字高樋 | 大宮神社境内社 | |||||
麻能等比古神社 | マノ- | 小 | (論)大麻比古神社 | 徳島県徳島市明神町 | |||
(論)桜間神社 | 徳島県名西郡石井町高川原 | ||||||
(論)(合祀)天神社 | 徳島県徳島市入田町天ノ原 | ||||||
和多都美豊玉比売神社 | ワタツミトヨタマヒメノ | 小 | (論)雨降神社 | 徳島県徳島市不動西町 | |||
(論)王子和多津美神社 | 徳島県徳島市国府町和田 | ||||||
(論)王子神社 | 徳島県名西郡石井町高原 | ||||||
大御和神社 | オホミワノ | 小 | 大御和神社 | 徳島県徳島市国府町府中 | |||
天佐自能和氣神社 | アマサシノワケノ | 小 | 天佐自能和氣神社 | 徳島県徳島市不動東町 | |||
御間都比古神社 | ミマヅヒコノ | 小 | 御間都比古神社 | 徳島県名東郡佐那河内村下モノミ石 | |||
多祁御奈刀祢神社 | タケミナトミ | 小 | 多祁御奈刀弥神社 | 徳島県名西郡石井町浦庄 | |||
意富門麻比売神社 | オフトマ- オホ- | 小 | 宅宮神社 | 徳島県徳島市上八万町上中筋 | |||
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関連項目
- 名東郡
- 名西郡
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)