三井住友海上女子柔道部
三井住友海上女子柔道部(みついすみともかいじょうじょしじゅうどうぶ)は、全日本実業柔道連盟に所属する三井住友海上の女子柔道チーム。
目次
1 概要
2 実業団体での成績
3 スタッフ
4 主な在籍選手
5 主な出身者
6 所在地
7 脚注
8 外部リンク
概要
1989年に体重別選手権の会場がそれまでの講道館から代々木第一体育館に移った際に、この当時の全日本女子代表チームの監督だった柳沢久が、広告収入を賄うためのスポンサー探しで住友海上と交渉に入った。それがきっかけで住友海上の女子柔道部創設まで話が進み、柳沢が監督を兼任することになった[1]。1991年には最初の部員である持田典子がコーチに就任した。1996年のアトランタオリンピックでは恵本裕子がオリンピック正式競技になってから日本の女子選手として初めてとなる金メダルを獲得した[2]。この時に会社側は女子柔道部を永遠に存続させることを決定したという[1]。2001年には住友海上が三井海上と合併したために三井住友海上柔道部となった。2002年になってようやく実業団体1部で優勝すると、2018年までに8度の優勝を果たしている[3]。
創部当初から柳沢が監督を務め続けている。最初期の2名を除けば部員は全て高卒である。チャンピオン育成のため徹底的な体力作りから始まる綿密な6年計画の下では、大学を出てからだと遅すぎることや、高卒の段階で本気で世界を目指す覚悟を要求するためだからという[1]。6年計画の内訳は最初の2年で「基礎体力の強化」、次の2年で「世界で一本を取れる技、技術のマスター」、続く2年で「国際舞台で力を発揮できる精神力」となる[4]。試合に勝った者だけが休みを与えられて、負けた者はひたすら稽古に取り組む。部員の努力を目に見える形にするために、すでに部の創立当初からIJFが2009年になって本格的に導入した世界ランキングに相当するような独自のランキングを作成して部員の評価に当たっていた。また、「いくら練習しても実戦につながらなければ意味がない」との信条により、道場には「どすこいバー」「ひねりん棒」「内股くん」「スクワッショイ」など、柔道で使う筋肉を鍛えるための「金取れマシン」と呼ばれる特許も有する独自に開発された筋力トレーニング用のマシンがいくつも設置されている。2002年にフランス選手とのパワー差を具体的な数値で見せ付けられたことにより、パワーに裏付けされた技でなければ勝てないと思い至り、電気通信大学の教授も務めていた柳沢が知能機械工学科の学生らとともに「プロジェクトY」を立ち上げたのがそのきっかけだった[4][5]。2012年のロンドンオリンピックあたりまでは「引く」「押す」マシンが中心だったものの、その後はより柔道の動きに近い「刈る」「組む」に進化させた刈り専用マシンの「幹ちゃん」や組み手専用の「お絞りくん」も製作された[6]。一方、人間の基本は「読み、書き、そろばん」であり、柔道ができるだけでは社会で通用しないとの柳沢の考えから、部員に徹底的な教育も施す。そのため、女子柔道部は別名「三井住友大学」とも呼ばれる。週に一度は一般教養の試験が実施されて、満点を取るまで何度も追試が行われる。また、国際大会におけるドーピング検査の際に英語が話せないと困るとの理由から、部員に英会話の授業を受けさせている。加えて講師を招いてパソコンや金融に関する教養講座も定期的に開かれる。さらに部員には、試合前に対戦が予想される相手を徹底的に分析したレポートや、試合後の反省点など多数の報告書を提出させるが、字が汚いと書き直させる[4][7]。
また、柔道普及や地域との交流を目的として、小学生相手の少年少女柔道教室を週3日設けている[8]。加えて、4700名もの会員を擁する「ガッテンダーズ」と呼ばれる後援会が、大会になると応援に駆けつける[9]。2018年10月には創部30周年式典が開かれた。この際に世界選手権で2連覇を達成した主将の新井千鶴は、「先輩方が築いた歴史、超えたいとの思いで頑張れる」とコメントした[10]。
実業団体での成績
年 | 順位 |
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1990年 | 2位(住友海上A)、3位(住友海上C) |
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1991年 | 2位(住友海上B) |
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1992年 | 2位(住友海上) |
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1993年 | 3位(住友海上A) |
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1994年 | - |
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1995年 | 2位(住友海上A) |
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1996年 | 3位 |
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1997年 | 3位 |
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1998年 | 3位 |
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1999年 | - |
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2000年 | 3位 |
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2001年 | 2位 |
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2002年 | 優勝 |
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2003年 | 優勝 |
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2004年 | 3位 |
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2005年 | 優勝 |
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2006年 | 優勝 |
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2007年 | 2位 |
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2008年 | 2位 |
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2009年 | 2位 |
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2010年 | 3位 |
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2011年 | 3位 |
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2012年 | 3位 |
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2013年 | 優勝 |
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2014年 | 2位 |
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2015年 | 優勝 |
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2016年 | 優勝 |
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2017年 | - |
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2018年 | 優勝 |
- 今大会が始まった1990年から1995年までは複数のチームに分かれて参加していた。1996年からは大会に第1部と第2部の2部門が設けられると、上位カテゴリーである第1部に参加することとなった[3]。
スタッフ
監督
柳沢久(元全日本女子代表チーム監督、電気通信大学名誉教授)
コーチ
貝山仁美(2003年アジア選手権70kg級優勝)
上野雅恵(2004年アテネオリンピック及び2008年北京オリンピック70kg級金メダリスト、2001年世界選手権及び2003年世界選手権優勝)
上野順恵(2012年ロンドンオリンピック63級3位、2009年世界選手権及び2010年世界選手権63kg級優勝)
木本奈美(1998年バンコクアジア大会63kg級2位)
特別コーチ
恵本裕子(1996年アトランタオリンピック61kg級金メダル)
真壁友枝(1998年バンコクアジア大会48kg級優勝)
横澤由貴(2004年アテネオリンピック及び2005年世界選手権52kg級2位)
山岸絵美(2008年世界団体優勝、グランドスラム・パリ(2009年、2010年、2014年)48kg級優勝)
主な在籍選手
中村美里(2008年北京オリンピック及び2016年リオデジャネイロオリンピック52kg級3位、2009年世界選手権、2011年世界選手権及び2015年世界選手権52kg級優勝)
新井千鶴(2017年世界選手権、2018年世界選手権70kg級優勝、世界団体(2015年、2017年)優勝)
稲森奈見(グランドスラム・東京(2014年、2015年)78kg超級優勝)
玉置桃(2018年ジャカルタアジア大会優勝、2014年世界ジュニア優勝、57kg級)
高山莉加(2016年グランドスラム・エカテリンブルグ78kg級優勝)
近藤亜美(2016年リオデジャネイロオリンピック48kg級3位、2014年世界選手権48kg級優勝)
前田千島(2013年世界カデ3位、2017年世界ジュニア2位 52kg級)
柿澤史歩(2017年東アジア選手権70kg級優勝)
鍋倉那美(2017年ワールドマスターズ2位、2015年世界ジュニア優勝、63kg級)
佐藤みずほ(2018年アジアオープン・台北63kg級優勝)
梅津志悠(2016年全日本選手権3位、2017年世界ジュニア優勝 78kg級)
舟久保遥香(2015年世界ジュニア、2017年世界ジュニア、2018年世界ジュニア57kg級3連覇)
和田梨乃子(2018年世界ジュニア78kg級優勝)
主な出身者
北田典子(1988年ソウルオリンピック(公開競技)及び1987年世界選手権61kg級3位)
宮崎未樹子(1996年レスリング世界選手権61kg級優勝、柔道からレスリングに転向)
福場由里子(1994年広島アジア大会72kg級3位)
国吉真子(1997年ワールドカップ団体戦3位、72kg超級)
茂木仙子(2002年ワールドカップ団体戦優勝、57kg級、舟久保の中学・高校時代のコーチ)
岩藤理恵(2004年福岡国際57kg級2位)
徳久瞳(2009年グランドスラム・東京57kg級優勝)
阿部香菜(世界団体(2012年、2013年)優勝、2013年世界選手権63kg級5位、海老沼匡と結婚した)
上野巴恵(2006年世界ジュニア70kg級優勝)
吉村静織(2013年世界ジュニア78kg級優勝)
児玉ひかる(2018年世界ジュニア78kg超級優勝)
所在地
- 三井住友海上 世田谷道場
東京都世田谷区北烏山1-4-1
脚注
- ^ abc「女子柔道の歴史と課題」 山口香 日本武道館、166-172頁 ISBN 4583104596
^ 「あの人に会いに行く」女子柔道・柳澤久 -前編
- ^ ab全日本実業柔道団体対抗大会(女子)
- ^ abc「あの人に会いに行く」女子柔道・柳澤久 -後編
^ 特許もとった「金取れマシン」/柳沢久氏
^ 【柔道】近藤&美里に新「金取れマシン」幹ちゃんにお絞りくん
^ 上野、美里に脳内革命!読み書き試験、英会話、報告書
^ ロンドン五輪に金候補2選手 名門の強さの秘密は人づくり
^ 【企業スポーツと経営】三井住友海上火災保険(上)女子陸上競技部
^ 三井住友海上が柔道女子の創部30周年式典 主将の新井「先輩方が築いた歴史、超えたいとの思いで頑張れる」 サンケイスポーツ 2018年10月2日
外部リンク
- 女子柔道部|スポーツ支援 | 三井住友海上