支藩




支藩(しはん)は、江戸時代の藩主家の一族が、弟や庶子など、家督相続の権利の無い者に所領を分与する(分知)などして新たに成立させた藩のことである。このほか有力家臣の所領も支藩という場合がある。


幕府からの朱印状が本家とは別に発給されている場合は、本藩-支藩関係にはないという考え方もある。




目次






  • 1 役割


  • 2 本藩との関係


  • 3 支藩の一覧


  • 4 脚注


  • 5 関連項目





役割


支藩を創設することは、ある藩が新たに別の藩を創設することであり、幕府の認可が無ければ正式に立藩することはできなかった。ただし、江戸時代における支藩の意義は大きく、参勤交代による本家当主不在時などに本家の代理として活動したり、本家の当主が幼少である場合の後見役としても活動したりした。例として盛岡藩の南部利用が幼少で藩主となると、支藩七戸藩の南部信鄰が藩政後見を行っている。


また本家(本藩)において藩主が早世したり世子が無かったときには、支藩から養子を迎えることで、無嗣断絶の危機を逃れる例が少なくなかった。


例として、伊勢津藩の藤堂氏においては、第4代藩主・藤堂高睦の子がことごとく早世したが、支藩の伊勢久居藩より養子を迎え、断絶を免れている。


長州藩の毛利氏においては、毛利輝元の実子の秀就の系統が、第4代藩主の吉広で絶えた。輝元のもとの養嗣子の毛利秀元は、輝元に実子が誕生した後は嗣子の座を降りて別家を立て、関ヶ原の合戦後は長州藩の支藩である長府藩主家となっていた。長府藩主家から吉元が毛利宗家を継ぎ、長州藩第5代藩主となった。長州藩主(毛利氏宗家)は、以後は秀元の系統に移った。



本藩との関係


本藩と支藩のつながりの度合いは事例によって異なる。本藩とは全く別個の場所に支藩が存在する「領外分家」と、本藩の内部に支藩が存在する「領内分家」に分かれる。「領内分家」の中でも、将軍から直接朱印状を受けている支藩を分知分家あるいは別朱印分家と称し、本藩の朱印状の中に支藩についても併記され、朱印状を直接交付されない支藩を内分分家と称した。さらに、内分分家でも新田開発によって増加した分を元に成立した内分分家を、特に新田支藩とも呼ぶ。この場合、新田支藩に与えられた石高は幕府の朱印状には記載されていないため、こうした新田に基づいて成立した支藩も朱印状に記載されない場合があった。


完全に本藩の統制下にあるケース(○○新田藩に多い)もあれば、本藩の統制より独立しているケースもある。後者の場合、常陸水戸藩-讃岐高松藩、陸奥仙台藩-伊予宇和島藩、越前福井藩-美作津山藩などは本家-別家、或いは宗家-嫡家関係にあるとされる。本藩-支藩関係には家格意識の強さから本家末家論争が起こるなど、個々に複雑かつ特殊な様相を呈している場合がある。


その度合いは、幕府が発行する所領安堵の朱印状などの書式で規律されることが多い。あくまでも一般論であるが、独立性の強い順でいうと以下のようになる。



  • 本藩と支藩それぞれに対し、別々に朱印状が発給される場合(宇和島藩や讃岐高松藩の例)

  • 本藩宛ての朱印状に支藩が併記される形式であって、本藩分の石高と支藩分の石高が別建てで記載されている場合(「本藩○○石、支藩○○石」…この場合、本藩知行(朱印高)は本来領知を認められて朱印状に記載された分(拝領高)から支藩分(内分高)だけ減少する)

  • 本藩宛ての朱印状に支藩が併記される形式であって、本藩分の石高に含まれる形で支藩分の石高が記載されている場合(「本藩○○石そのうち支藩○○石」…この場合、本藩知行は実質では支藩分だけ減少するものの、朱印高は維持された)

  • 本藩宛ての朱印状に支藩が併記されず、支藩宛ての朱印状も発給されない場合(○○新田藩に多い…新田開発分は幕府が検地などで公認したものでないため拝領高とは看做されなかったため)


領外分家は事実上独立した藩としての経営を行っているため、支藩とみなさない説もあり、実際に本家と領外分家の間では家格を巡る争いが生じることがあった。分知分家の場合、財政は独立採算でその統治も本藩からの一定の自立が認められていた。内分分家の場合、財政は本藩に従属しており、その家臣は本藩の陪臣とみなされることもあるなど、本藩の強い影響下に置かれた。新田分藩の場合には、秋田新田藩や熊本新田藩のように藩主の江戸定府が義務付けられて、実際には本藩によって統治されている名目だけの藩もあった。


御三家(尾張藩・紀州藩・水戸藩)にはそれぞれ御連枝と呼ばれる支藩が存在した。また、陪臣ではなく直臣の資格で大身の御附家老と呼ばれる家臣がおり、これも支藩とみなされることがある。


水戸徳川家の分家である奥州守山藩に残る記録では「(本藩である)水戸藩の領民だ」と吹聴する者がいたとされ(目明し金十郎の生涯:中公新書)、支藩は本藩に遠慮するものと考えられていたようである。



支藩の一覧


御連枝は除く。藩名は廃藩時のもの。●は支藩の支藩。



































































































































































































令制国 支藩名 本藩
陸奥国 七戸藩
盛岡藩
黒石藩
弘前藩
一関藩
仙台藩

岩沼藩
白河新田藩
白河藩
出羽国 岩崎藩
久保田藩

久保田新田藩

亀田藩
大山藩
庄内藩

松山藩
越後国
黒川藩[1]

郡山藩(大和国)

三日市藩
三根山藩
長岡藩
沢海藩
新発田藩
下野国 高徳藩
宇都宮藩
佐野藩
佐倉藩(下総国)
越中国 富山藩
金沢藩(加賀国)
加賀国
大聖寺藩
越前国 敦賀藩
小浜藩(若狭国)
信濃国 小諸藩 長岡藩(越後国)
奥仁科藩
松本藩
埴科藩
松代藩(信濃国)
上野国
沼田藩
上総国 大多喜新田藩
大多喜藩
相模国 荻野山中藩
小田原藩
美濃国
野村藩(大垣新田藩)

大垣藩
伊勢国 久居藩
津藩
近江国 彦根新田藩
彦根藩
因幡国 鹿奴藩
鳥取藩

若桜藩
出雲国 広瀬藩
松江藩

母里藩
播磨国 姫路新田藩
姫路藩
備中国 生坂藩
岡山藩(備前国)

鴨方藩
備後国 三次藩
広島藩(安芸国)
安芸国
広島新田藩
周防国 岩国藩
山口藩(長門国)

徳山藩
長門国
豊浦藩

清末藩●
豊浦藩
伊予国 宇和島藩 仙台藩(陸奥国)

吉田藩●
宇和島藩
筑前国 秋月藩
福岡藩
肥前国 小城藩
佐賀藩

蓮池藩

鹿島藩
肥後国 高瀬藩
熊本藩

宇土藩
日向国 佐土原藩
鹿児島藩(薩摩国)


脚注





  1. ^ 当初は甲斐甲府新田藩(甲斐甲府藩支藩)。




関連項目


  • 本家末家論争



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