ロサンゼルス・ラムズ



























ロサンゼルス・ラムズ
Los Angeles Rams

1937年創設
永久欠番



  • 7

  • 28

  • 29

  • 74

  • 75

  • 78

  • 85



ホームタウン


ロサンゼルス・ラムズの位置(アメリカ合衆国内)

1946-1994 2016-現在

1946-1994
2016-現在



1995-2015

1995-2015



1937-1945

1937-1945




カリフォルニア州イングルウッド(2020-)
カリフォルニア州ロサンゼルス(2016-2019)
ミズーリ州セントルイス(1995-2015)
カリフォルニア州ロサンゼルス(1946-1994)
オハイオ州クリーブランド(1937-1945)

ロサンゼルス・スタジアム・アット・ハリウッドパーク(2020-)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(2016-2019)
エドワード・ジョーンズ・ドーム(1995-2015)
ブッシュ・スタジアム (1995)
アナハイム・スタジアム (1980-1994)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム (1946-1979)
リーグ・パーク (1942)
ショー・スタジアム(1938)
クリーブランド・ミュニシパル・スタジアム
(1937, 1939-1941, 1944-1945)


所属地区

  • NFL(1937-現在)


  • NFC(1970-現在)


西地区(1970-現在)

  • 西カンファレンス(1953-1969)



海岸地区(1967-1969)

地区分けなし(1953-1966)



  • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)

  • 西地区(1937-1949)



  • AFL II(1936)

チームデザイン
チームカラー

     ミレニアムブルー
     ニューセンチュリーゴールド
    
チームロゴ

St louis rams uniforms12.png
2017年シーズンから角の色が金から白に変更
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降













































スーパーボウル・チャンピオン (1回)

  • 1999

カンファレンス・チャンピオン (3回)
NFC


  • 1979

  • 1999

  • 2001


地区優勝 (14回)
NFL海岸地区


  • 1967

  • 1969


旧NFC西地区


  • 1973

  • 1974

  • 1975

  • 1976

  • 1977

  • 1978

  • 1979

  • 1985

  • 1999

  • 2001


NFC西地区


  • 2003

  • 2017

  • 2018


ワイルドカード(8回)


  • 1980

  • 1983

  • 1984

  • 1986

  • 1988

  • 1989

  • 2000

  • 2004


プレーオフ進出(23/53回)


  • 1967

  • 1969

  • 1973

  • 1974

  • 1975

  • 1976

  • 1977

  • 1978

  • 1979

  • 1980

  • 1983

  • 1984

  • 1985

  • 1986

  • 1988

  • 1989

  • 1999

  • 2000

  • 2001

  • 2003

  • 2004

  • 2017

  • 2018


AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン


  • 1945

  • 1951


カンファレンス・チャンピオン

NFLナショナル


  • 1950

  • 1951


NFL西

  • 1955

地区優勝
NFL西地区


  • 1945

  • 1949


ワイルドカード


  • 1950

  • 1951

  • 1952

  • 1955



球団組織

オーナー: スタン・クローンキー

GM: レス・スニード

ヘッドコーチ: ショーン・マクベイ

ロサンゼルス・ラムズ(英語: Los Angeles Rams、略称: LAR)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠地をおくNFLチーム[1]。NFC西地区に所属している。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


    • 2.1 クリーブランド・ラムズ


    • 2.2 ロサンゼルス移転


    • 2.3 アナハイム移転


    • 2.4 セントルイス・ラムズ


    • 2.5 ロサンゼルス再移転




  • 3 主な選手


    • 3.1 殿堂入り選手


    • 3.2 永久欠番




  • 4 歴代ヘッドコーチ


  • 5 成績


    • 5.1 NFC西地区(4地区制)


    • 5.2 NFC西地区(3地区制)


    • 5.3 NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)


    • 5.4 NFL西カンファレンス(1953年-1966年)


    • 5.5 NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)


    • 5.6 NFL西地区(1937年-1949年)




  • 6 脚注


  • 7 外部リンク





概要


1936年「クリーブランド・ラムズ」として創設。1945年のNFLチャンピオンシップゲームに優勝した後、AAFCがNFLに統合され、クリーブランド・ブラウンズがリーグに加入すると同時に、1946年からフランチャイズをロサンゼルスに移転し、「ロサンゼルス・ラムズ」とした。1973年から1979年まで7年連続でNFC西地区優勝を果たし、第14回スーパーボウルに出場したが、ピッツバーグ・スティーラーズに敗れている。1995年シーズンから2015年シーズンまでは、ミズーリ州セントルイスに本拠地を置き、「セントルイス・ラムズ」としていた。セントルイス時代の第34回スーパーボウルで優勝している。2016年シーズンよりロサンゼルスに再移転した。



歴史



クリーブランド・ラムズ


1936年にクリーブランドでチームが創立された時に、当時のゼネラルマネージャーがかつて存在していたフットボールチーム「フォーダム・ラムズ」のファンであったことから、チーム名を「ラムズ」にすることを当時のオーナー、ホーマー・マーシュマンに提案、同意がなされてチーム名は決まった。チームは1936年に創設されたアメリカン・フットボール・リーグ(通称「AFLII」)に参加し、5勝2敗2分でボストン・シャムロックスに次いで2位となった。1937年チームは1934年にNFLから脱退したセントルイス・ガンナーズの代わりにNFLに加入した。NFL加入当初は負け越しシーズンが続いた。1941年チームはダン・リーブス、フレッド・リービーに購入された。1943年6月にリーブスはリービーにチームの所有権を売却した(後にオーナーとして戻った)。第二次世界大戦の影響で選手が不足した1943年にチームはリーグ戦参加を辞退した(この年ピッツバーグ・スティーラーズ、フィラデルフィア・イーグルスは合同チームを作った。)。1944年からリーグに復帰、クリーブランドでの最後のシーズンとなった1945年にUCLAから加入した新人QBのボブ・ウォーターフィールドがリーグの最優秀選手に選ばれる活躍を見せて9勝1敗でシーズンを終了、ワシントン・レッドスキンズとのNFLチャンピオンシップゲームを15-14で勝利し初優勝を果たした。この試合でレッドスキンズのサミー・ボーのパスがゴールポストにあたりエンドゾーンにはねかえるプレーがあり、翌シーズンからこの場合はパス不成功とするルール変更が行われた。



ロサンゼルス移転


1946年からロサンゼルス・メモリアル・コロシアムに本拠地を移し、ロサンゼルス・ラムズと改称した。この年チームはNFLチーム中第二次世界大戦後、最初にケニー・ワシントン、ウディ・ストロードの2人のアフリカ系アメリカ人選手と契約した[2]。この年6勝4敗1分でシカゴ・ベアーズに次いでウェスタン・カンファレンス2位で終えた。シーズン終了後にアダム・ウォルシュヘッドコーチは解任された。


1948年にNFLチームとして初めてヘルメットにロゴを入れた[2]


1949年から1955年までの7年間で4回NFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし1951年に優勝した。当時チームはボブ・ウォーターフィールド、ノーム・バン・ブロックリン、エルロイ・ハーシュ、トム・フィアーズらによるオフェンスはリーグベストの攻撃を見せた。優勝した1951年にハーシュはレシーブで1495ヤード、17タッチダウンをあげた(当時は1シーズン12試合)。


その後1956年から1965年までは1958年を除き勝ち越しなしの時代が続いた。1960年代チームのディフェンスにはロジー・グリア、マーリン・オルセン、ディーコン・ジョーンズ、ラマー・ランディの4人によるフィアーサム・フォーサム」(恐ろしい4人組)と呼ばれたディフェンスラインの活躍などで1960年代終わりからNFC西地区の強豪となった。1967年、ジョージ・アレンの下で1966年から1970年までチームは5シーズン連続で勝ち越ししディック・ヴァーミールスペシャルチームコーチなど多くの人材を育て上げたが、1967年にはグリーンベイ・パッカーズに、1969年にはミネソタ・バイキングスに敗れプレーオフで勝ち星をあげることはできず1970年シーズン終了後アレンはワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチに就任するためチームを去った。


1962年から1972年までの11シーズン、先発QBを務めたロマン・ゲブリエルは1967年から1971年まで5シーズン連続でチームを地区優勝または地区2位に導いた。1969年には2549ヤード、24タッチダウンの成績をあげて最優秀選手に選ばれた。


1972年にチームはロバート・アーセイに1900万ドルで購入された後、ボルチモア・コルツオーナーのキャロル・ローゼンブルームとトレードされローゼンブルームが新オーナーとなった。


1973年から1979年までチームは7年連続でNFC西地区優勝を果たした。しかしNFCチャンピオンシップゲームでダラス・カウボーイズ、ミネソタ・バイキングスに2回ずつ敗れスーパーボウル出場はなかなか実現しなかった。この時代ディフェンスは優れていたもののオフェンスはあまり優秀であるとは言い難かった。ディフェンスの中心選手はジャック・ヤングブラッドであり、プロフットボール殿堂入りを果たしたマーリン・オルセンからはPerfect Defensive Endと呼ばれた。この時代ラムズの選手には引退後、フレッド・ドライヤーなどハリウッドに行く選手が多く見られた。1973年からチームの指揮を執っていたチャック・ノックスヘッドコーチは1977年シーズン終了後更迭された。


1979年シーズン開幕前にチームオーナーのキャロル・ローゼンブルームがフロリダ州ゴールデンビーチで溺死し、未亡人のジョージア・フロンティアとローゼンブルームの息子の間でチームの経営権をめぐって争いもあったが、この年3年目のQBビンス・フェラガモに率いられたチームは同年9勝7敗の成績ながらNFC西地区を制した後、ダラス・カウボーイズを21-19、タンパベイ・バッカニアーズを9-0で降してスーパーボウルへの出場を果たした。この年の中心選手はフェラガモの他にHBのウェンデル・タイラー、オフェンスラインのジャッキー・スレイター、ディフェンスのジャック・ヤングブラッド、ジャック・レイノルズらであった。ラムズのホームゲームといってもいいパサデナのローズボウルで行われた第14回スーパーボウルではディフェンディングチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズにブックメーカーは10.5点のハンディをつけたがチームは善戦しハーフタイムを13-10で折り返し第3Q終了時点でも19-17とリードしていた。しかし第4Qスティーラーズが2つのタッチダウンをあげ、ラムズは無得点に終わり19-31で敗れた。



アナハイム移転


1980年にチームは本拠地をカリフォルニア州オレンジ郡アナハイムに移した。これには2つ理由があり1つは元ラムズの球団フロントに在籍したピート・ロゼールコミッショナーの導入したブラックアウトルール(チケットが完売しなかった場合、地元テレビ中継ができなくなる。)とカリフォルニア州南部の人口急増地域でのファン獲得を狙ったものであった。1965年に建設されてカリフォルニア・エンゼルスの本拠地として利用されていたアナハイム・スタジアムにはラグジュアリシートが設置されるなどの改修がなされた。1982年にオークランド・レイダーズがロサンゼルスに本拠地を移しロサンゼルスでの人気を二分する事態となった。1980年代初めラムズは再建途上にあったのに対してレイダーズは1983年の第18回スーパーボウル優勝、NBAのロサンゼルス・レイカーズの1980年、1982年NBAファイナル優勝、ロサンゼルス・ドジャースの1981年、1988年ワールドシリーズ制覇、ロサンゼルス・キングスの1982年プレーオフの活躍の影に隠れた。


1983年にジョン・ロビンソンが新ヘッドコーチに就任した。この年、ドラフト1巡目で獲得したエリック・ディッカーソンは1年目から1808ヤードを走り、18タッチダウンをあげる大活躍を見せてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝くだけでなくプロボウル、オールプロにも選出された。ディッカーソンは2年目の1984年には現在のNFL記録でもある2105ヤード(それまでの1シーズンのラッシング記録は1973年にO・J・シンプソンのあげた2003ヤード)を走った[3]。1987年シーズン終了後、ディッカーソンはインディアナポリス・コルツのコーネリアス・ベネット、バッファロー・ビルズのグレッグ・ベルらとの三角トレードでコルツに移籍し、ラムズはベルと3つのドラフト1巡目指名権を得た。ロビンソンヘッドコーチは9シーズンで6回チームをプレーオフに導いたが1985年にシカゴ・ベアーズにNFCチャンピオンシップゲームで敗れるなどスーパーボウル出場は果たせなかった。


1989年には11勝5敗でプレーオフに出場したがサンフランシスコ・フォーティナイナーズとのNFCチャンピオンシップゲームでは3-30と完敗した。


1990年代に入るとチームは負け越しシーズン続きとなりファンの興味を失うようになった。バッファロー・ビルズ、シアトル・シーホークスで好成績をあげたかつてのヘッドコーチ、チャック・ノックスを再び起用したがチーム成績はいっこうに良くならなかった。1993年シーズン終了後、エベレットは同地区ライバルのニューオーリンズ・セインツに移籍した。



セントルイス・ラムズ


ジョージア・フロンティアオーナーは新スタジアム建設の働きかけをすると共にメリーランド州ボルチモアへの移転も同時に検討を始めた。その後フロンティアオーナーはチームを自身の故郷であるミズーリ州セントルイスに移す決断をした。NFLオーナー会議で6人のオーナーの反対があったもののフロンティアオーナーは訴訟を起こすかまえを見せチームの移転は承認された。1995年シーズンから、本拠地はミズーリ州セントルイスになり、チーム名はセントルイス・ラムズとなった。


1997年にディック・ヴァーミールをヘッドコーチに招き、ドラフト全体1位でオフェンスラインマンのオーランド・ペースを獲得した。1999年チームはドラフト2巡目、4巡目指名権と引き替えにマーシャル・フォークを獲得、当初トレント・グリーンが先発QBを務める予定だったがプレシーズンゲームで足を負傷しシーズン絶望となった。急遽先発QBに指名されたのがアリーナフットボールなどでプレーしていたカート・ワーナーであり、フォークやWRのアイザック・ブルースなどと共にこの年のハイパーオフェンスを牽引しチームは526得点をあげた。


第34回スーパーボウルではテネシー・タイタンズのケビン・ダイソンを最後のプレー、エンドゾーン残り1ヤードのところで止めてスーパーボウル初優勝を果たした。ヴァーミールヘッドコーチはこの試合で勇退し、後任にはオフェンスコーディネーターを務めたマイク・マーツが就任した。2001年にもチームはNFCを制して再び第36回スーパーボウルに進出したがニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。


2004年にオレゴン州立大学からRBスティーブン・ジャクソンを獲得した。2005年マーツヘッドコーチは病気で入院し指揮をアシスタント・ヘッドコーチのジョー・ヴィットに委ねた。マーツの退院後も球団社長はヘッドコーチとしての復帰を認めずこの年を最後にマーツは解任された。


2006年からはスコット・リネハンがヘッドコーチとなった。この年は8勝8敗で終えたが2007年は3勝13敗に終わり、シーズンオフの2008年1月18日には28年間チームオーナーだったジョージア・フロンティアが亡くなった。チームの経営権は彼女の息子のチップ・ローゼンブルーム、娘のルシア・ロドリゲスに移った。2008年9月29日、開幕から4連敗したところでリネハンヘッドコーチは解任されてディフェンスコーディネーターのジム・ハスレットが暫定ヘッドコーチとして残り試合を指揮した。シーズン終了後球団社長のジョン・ショーは辞任し、12月22日にはジェイ・ジグムンドに代わってビリー・ディバニーがゼネラルマネージャーとなった。


2009年、ニューヨーク・ジャイアンツのディフェンスコーディネーターであったスティーブ・スパヌオーロがヘッドコーチに就任し、パット・シューマー、ケン・フラジョルがオフェンス、ディフェンスコーディネーターに加わった。チームはボルチモア・レイブンズのセンター、ジェイソン・ブラウンを獲得したがサラリーキャップの影響でオーランド・ペース[4]WRのトリー・ホルト[5]などを解雇しチーム再建を目指している。


オーナーのローゼンブルーム、ロドリゲスの兄妹はチーム売却の意向を固めゴールドマンサックスに資産価値を鑑定することを依頼した。フォーブスによると資産価値はおよそ9億2900万ドルであり、保守派の論客であるラッシュ・リンボーらが買収に名乗りをあげた[6]が、かつてラジオ番組などでドノバン・マクナブへの人種差別的言動を行ったリンボーに対してロジャー・グッデルコミッショナーやコルツオーナーのジム・アーセイらの反対意見もありリンボーは買収グループから外れた[7]。一部の株を保有していたスタン・クローンキーが買収に手を挙げ、2010年のオーナー会議で了承された。クローンキーはコロラド州を本拠地とするNBA、NHL、メジャーリーグサッカー、ナショナル・ラクロス・リーグのチームのオーナーでもあったが、他のスポーツチームの所有との重複を禁じるNFLのルールに従い息子に所有権を移した。クローンキーはイギリスのサッカーチームであるアーセナルFCの過半数を所有する最大株主でもある。


2010年、ドラフト全体1位指名権を獲得したチームはQBサム・ブラッドフォードを獲得した。チームは最終週シアトル・シーホークス戦で勝利すれば地区優勝であったが敗れた。


2011年、チームは2勝14敗に終わりスパヌオーロヘッドコーチは解任され、ジェフ・フィッシャーが新ヘッドコーチに就任[8][9]、ディフェンスコーディネーターにグレッグ・ウィリアムズが就任した[10]。オフェンスコーディネーターのジョシュ・マクダニエルスはシーズン終了後、プレーオフを戦っているニューイングランド・ペイトリオッツに加入[11]、同職にはニューヨーク・ジェッツでオフェンスコーディネーターを務めていたブライアン・ショッテンハイマーが就任した[12]。またGMにアトランタ・ファルコンズの選手人事ディレクターを務めていたレス・スニードが就任した[13]


2012年3月9日、チームはワシントン・レッドスキンズから2012年、2013年、2014年のドラフト1巡指名権、2012年のドラフト2巡指名権を受け取る代わりにドラフト全体2位指名権を放出した[14]



ロサンゼルス再移転


2016年1月12日のオーナー会議において、2016年シーズンからロサンゼルスに移転することが承認された[1]。22年ぶりにロサンゼルスの地へ戻り、チーム名をロサンゼルス・ラムズ、本拠地をロサンゼルス・メモリアル・コロシアムとして2016年シーズンは開幕した。2020年シーズン以降、建設中のロサンゼルス・スタジアム・アット・ハリウッドパークをロサンゼルス・チャージャーズと共用する予定である。2016年シーズンは不調であり、2016年12月12日、その時点で4勝9敗の成績の責任を問われてヘッドコーチのジェフ・フィッシャーは解雇され、ジョン・ファッセルが暫定ヘッドコーチとなった。2016年ドラフトで全体一位として指名されたQBジャレッド・ゴフがシーズン途中から先発し始めた。


2017年1月12日、ワシントン・レッドスキンズの元攻撃コーディネーターで31歳のショーン・マクベイがヘッドコーチに就任した。守備コーディネーターには、ビルズやカウボーイズの元ヘッドコーチで守備のスペシャリストである70歳のウェイド・フィリップスが就任し、マクベイが攻撃、フィリップスが守備のプレイコールを担当する体制を構築した[15]。この体制の下、2017年シーズンのチーム成績は劇的に改善し、14年ぶりの地区優勝を果たしたが、プレーオフでは初戦でアトランタ・ファルコンズに敗れた。


2018年も引き続き好調を維持し、連続して地区優勝を遂げた。



主な選手



殿堂入り選手



  • ジョージ・アレン(ヘッドコーチ)

  • ボブ・ブラウン

  • エリック・ディッカーソン

  • トム・フィアーズ

  • エルロイ・ハーシュ

  • ディーコン・ジョーンズ

  • トム・マック

  • マーリン・オルセン

  • ダン・リーブス(オーナー)

  • ジャッキー・スレイター

  • ノーム・バン・ブロックリン

  • ボブ・ウォーターフィールド

  • ジャック・ヤングブラッド



永久欠番



  • 7 ボブ・ウォーターフィールド

  • 28 マーシャル・フォーク

  • 29 エリック・ディッカーソン

  • 74 マーリン・オルセン

  • 75 ディーコン・ジョーンズ

  • 78 ジャッキー・スレイター

  • 85 ジャック・ヤングブラッド



歴代ヘッドコーチ



  • Hugo Bezdek (1937-1938)

  • ダッチ・クラーク (1939-1942)

  • バフ・ドネリ (1944) - 1945年、第二次世界大戦に従軍するためヘッドコーチを退任[16]

  • アダム・ウォルシュ (1945-1946)

  • ボブ・スナイダー (1947)

  • クラーク・ショーネッシー (1948-1949)

  • Joe Stydahar (1950-1952)

  • ハンプ・プール (1952-1954)

  • シド・ギルマン (1955-1959)

  • ボブ・ウォーターフィールド (1960-1962)

  • Harland Svare (1962-1965)

  • ジョージ・アレン (1966-1970)

  • トミー・プロスロ (1971-1972)

  • チャック・ノックス (1973-1977)

  • レイ・マラベシ (1978-1982)

  • ジョン・ロビンソン (1983-1991)

  • チャック・ノックス (1992-1994)

  • リッチ・ブルックス (1995-1996)

  • ディック・ヴァーミール (1997-1999)

  • マイク・マーツ (2000-2005)

  • ジョー・ヴィット (2005)

  • スコット・リネハン (2006-2008)

  • ジム・ハスレット (2008)

  • スティーブ・スパヌオーロ (2009-2011)

  • ジェフ・フィッシャー (2012-2016)

  • ショーン・マクベイ(2017-)



成績



NFC西地区(4地区制)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、ARI:アリゾナ・カージナルス、StL→LA→LAR:セントルイス・ラムズ→ロサンゼルス・ラムズ、SEA:シアトル・シーホークス

  • 数字:シード順

  • v:スーパーボウル優勝

  • s:スーパーボウル敗退

  • c:カンファレンス決勝敗退

  • d:ディビジョナルプレーオフ敗退

  • w:ワイルドカードプレーオフ敗退

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

2018
LAR(2) 13 3 0
SEA(5w) 10 6 0
SF 4 12 0
ARI 3 13 0

2017
LAR(3w) 11 5 0
SEA 9 7 0
ARI 8 8 0
SF 6 10 0

2016
SEA(3d) 10 5 1
ARI 7 8 1
LA 4 12 0
SF 2 14 0

2015
ARI(2c) 13 3 0
SEA(6d) 10 6 0
StL 7 9 0
SF 5 11 0

2014
SEA(1s) 12 4 0
ARI(5w) 11 5 0
SF 8 8 0
StL 6 10 0

2013
SEA(1v) 13 3 0
SF(5c) 12 4 0
ARI 10 6 0
StL 7 9 0

2012
SF(2s) 11 4 1
SEA(5d) 11 5 0
StL 7 8 1
ARI 5 11 0

2011
SF(2c) 13 3 0
ARI 8 8 0
SEA 7 9 0
StL 2 14 0

2010
SEA(4d) 7 9 0
StL 7 9 0
SF 6 10 0
ARI 5 11 0

2009
ARI(4d) 10 6 0
SF 8 8 0
SEA 5 11 0
StL 1 15 0

2008
ARI(4s) 9 7 0
SF 7 9 0
SEA 4 12 0
StL 2 14 0

2007
SEA(3d) 10 6 0
ARI 8 8 0
SF 5 11 0
StL 3 13 0

2006
SEA(4d) 9 7 0
StL 8 8 0
SF 7 9 0
ARI 5 11 0

2005
SEA(1s) 13 3 0
StL 6 10 0
ARI 5 11 0
SF 4 12 0

2004
SEA(4w) 9 7 0
StL(5d) 8 8 0
SF 7 9 0
ARI 5 11 0

2003
StL(2d) 12 4 0
SEA(5w) 10 6 0
SF 7 9 0
ARI 4 12 0

2002
SF(4d) 10 6 0
StL 7 9 0
SEA 7 9 0
ARI 5 11 0


NFC西地区(3地区制)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、LA→RAM→StL:ロサンゼルス・ラムズ→セントルイス・ラムズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、NO:ニューオーリンズ・セインツ、CAR:カロライナ・パンサーズ、SEA:シアトル・シーホークス

  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。

  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年



































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

2001
StL(1s) 14 2 0
SF(5w) 12 4 0
NO 7 9 0
ATL 7 9 0
CAR 1 15 0

2000
NO(3d) 10 6 0
StL(6w) 10 6 0
CAR 7 9 0
SF 6 10 0
ATL 4 12 0

1999
StL(1v) 13 3 0
CAR 8 8 0
ATL 5 11 0
SF 4 12 0
NO 3 13 0

1998
ATL(2s) 14 2 0
SF(4d) 12 4 0
NO 6 10 0
CAR 4 12 0
StL 4 12 0

1997
SF(1c) 13 3 0
CAR 7 9 0
ATL 7 9 0
NO 6 10 0
StL 5 11 0

1996
CAR(2c) 12 4 0
SF(4d) 12 4 0
StL 6 10 0
ATL 3 13 0
NO 3 13 0

1995
SF(2d) 11 5 0
ATL(6w) 9 7 0
StL 7 9 0
CAR 7 9 0
NO 7 9 0

1994
SF(1v) 13 3 0
NO 7 9 0
ATL 7 9 0
RAM 4 12 0


1993
SF(2c) 10 6 0
NO 8 8 0
ATL 6 10 0
RAM 5 11 0

1992
SF(1c) 14 2 0
NO(4w) 12 4 0
ATL 6 10 0
RAM 6 10 0

1991
NO(3w) 11 5 0
ATL(6d) 10 6 0
SF 10 6 0
RAM 3 13 0

1990
SF(1c) 14 2 0
NO(6w) 8 8 0
RAM 5 11 0
ATL 5 11 0

1989
SF(1v) 14 2 0
RAM(5c) 11 5 0
NO 9 7 0
ATL 3 13 0

1988
SF(2v) 10 6 0
RAM(5w) 10 6 0
NO 10 6 0
ATL 5 11 0

1987
SF(1d) 13 2 0
NO(4w) 12 3 0
RAM 6 9 0
ATL 3 12 0

1986
SF(3d) 10 5 1
RAM(5w) 10 6 0
ATL 7 8 1
NO 7 9 0

1985
RAM(2c) 11 5 0
SF(5w) 10 6 0
NO 5 11 0
ATL 4 12 0

1984
SF(1v) 15 1 0
RAM(4w) 10 6 0
NO 7 9 0
ATL 4 12 0

1983
SF(2c) 10 6 0
RAM(5d) 9 7 0
NO 8 8 0
ATL 7 9 0

1982
ATL(5w) 5 4 0
NO 4 5 0
SF 3 6 0
RAM 2 7 0

1981
SF(1v) 13 3 0
ATL 7 9 0
LA 6 10 0
NO 4 12 0

1980
ATL(1d) 12 4 0
LA(5w) 11 5 0
SF 6 10 0
NO 1 15 0

1979
LA(3s) 9 7 0
NO 8 8 0
ATL 6 10 0
SF 2 14 0

1978
LA(1c) 12 4 0
ATL(4d) 9 7 0
NO 7 9 0
SF 2 14 0

1977
LA(2d) 10 4 0
ATL 7 7 0
SF 5 9 0
NO 3 11 0

1976
LA(3c) 10 3 1
SF 8 6 0
ATL 4 10 0
NO 4 10 0
SEA 2 12 0

1975
LA(2c) 12 2 0
SF 5 9 0
ATL 4 10 0
NO 2 12 0


1974
LA(c) 10 4 0
SF 6 8 0
NO 5 9 0
ATL 3 11 0

1973
LA(d) 12 2 0
ATL 9 5 0
SF 5 9 0
NO 5 9 0

1972
SF(d) 8 5 1
ATL 7 7 0
LA 6 7 1
NO 2 11 1

1971
SF(c) 9 5 0
LA 8 5 1
ATL 7 6 1
NO 4 8 2

1970
SF(c) 10 3 1
LA 9 4 1
ATL 4 8 2
NO 2 11 1


NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)



  • SF:サンフランシスコ・フォーティナイナーズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、LA:ロサンゼルス・ラムズ、BAL:ボルチモア・コルツ

  • 括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退

  • プレイオフは地区優勝チームのみ出場





















































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

1969
LA(c) 11 3 0
BAL 8 5 3
ATL 6 8 0
SF 4 8 2

1968
BAL(s) 13 1 0
LA 10 3 1
SF 7 6 1
ATL 2 12 0

1967
LA(c) 11 1 2
BAL 11 1 2
SF 7 7 0
ATL 1 12 1


NFL西カンファレンス(1953年-1966年)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、GB:グリーンベイ・パッカーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、LA:ロサンゼルス・ラムズ、BAL:ボルチモア・コルツ、CHB→CHI:シカゴ・ベアーズ、DAL:ダラス・カウボーイズ、MIN:ミネソタ・バイキングス

  • 括弧内の文字はV:スーパーボウル勝利、v:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝



































































































































































































































































































































































































































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1966
GB(V) 12 2 0
BAL 9 5 0
LA 8 6 0
SF 6 6 2
CHI 5 7 2
DET 4 9 1
MIN 4 9 1
スーパーボウル開始

1965
GB(v) 10 3 1
BAL 10 3 1
CHI 9 5 0
SF 7 6 1
MIN 7 7 0
DET 6 7 1
LA 4 10 0

1964
BAL(n) 12 2 0
GB 8 5 1
MIN 8 5 1
DET 7 5 2
LA 5 7 2
CHI 5 9 0
SF 4 10 0

1963
CHI(v) 11 1 2
GB 11 2 1
BAL 8 6 0
DET 5 8 1
MIN 5 8 1
LA 5 9 0
SF 2 12 0

1962
GB(v) 13 1 0
DET 11 3 0
CHI 9 5 0
BAL 7 7 0
SF 6 8 0
MIN 2 11 1
LA 1 12 1

1961
GB(v) 11 3 0
DET 6 7 1
BAL 8 6 0
CHI 8 6 0
SF 7 6 1
LA 4 10 0
MIN 3 11 0

1960
GB(n) 8 4 0
DET 7 5 0
SF 7 5 0
BAL 6 6 0
CHI 5 6 1
LA 4 7 1
DAL 0 11 1

1959
BAL(v) 9 3 0
CHB 8 4 0
GB 7 5 0
SF 7 5 0
DET 3 8 1
LA 2 10 0


1958
BAL(v) 9 3 0
CHB 8 4 0
LA 8 4 0
SF 6 6 0
DET 4 7 1
GB 1 10 1

1957
DET(v) 8 4 0
SF 8 4 0
BAL 7 5 0
LA 6 6 0
CHB 5 7 0
GB 3 9 0

1956
CHB(n) 9 2 1
DET 9 3 0
SF 5 6 1
BAL 5 7 0
GB 4 8 0
LA 4 8 0

1955
LA(n) 8 3 1
CHB 8 4 0
GB 6 6 0
BAL 5 6 1
SF 4 8 0
DET 3 9 0

1954
DET(n) 9 2 1
CHB 8 4 0
SF 7 4 1
LA 6 5 1
GB 4 8 0
BAL 3 9 0

1953
DET(v) 10 2 0
SF 9 3 0
LA 8 3 1
CHB 3 8 1
BAL 3 9 0
GB 2 9 1


NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、GB:グリーンベイ・パッカーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、LA:ロサンゼルス・ラムズ、BAL:ボルチモア・コルツ(初代)、CHB:シカゴ・ベアーズ、NYY:ニューヨーク・ヤンクス、DAL:ダラス・テキサンズ

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝

































































































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1952
DET(v) 9 3 0
LA 9 3 0
SF 7 5 0
GB 6 6 0
CHB 5 7 0
DAL 1 11 0


1951
LA(v) 8 4 0
DET 7 4 1
SF 7 4 1
CHB 7 5 0
GB 3 9 0
NYY 1 9 2

1950
LA(n) 9 3 x
CHB 9 3 x
NYY 7 5 x
DET 6 6 x
GB 3 9 x
SF 3 9 x
BAL 1 11 x


NFL西地区(1937年-1949年)



  • 1944年は、太平洋戦争の影響により、スティーラーズとカージナルスが合同チームで西地区に参加した。

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、CHC:シカゴ・カージナルス、CHB:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、CLE→LA:クリーブランド・ラムズ→ロサンゼルス・ラムズ、Card-Pitt:シカゴ・カージナルスとピッツバーグ・スティーラーズの合同チーム

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・地区優勝









































































































































































































































































































































優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

1949
LA(n) 8 2 2
CHB 9 3 0
CHC 6 5 1
DET 4 8 0
GB 2 10 0

1948
CHC(n) 11 1 0
CHB 10 2 0
LA 6 5 1
GB 3 9 0
DET 2 10 0

1947
CHC(v) 9 3 0
CHB 8 4 0
GB 6 5 1
LA 6 6 0
DET 3 9 0

1946
CHB(v) 8 2 1
LA 6 4 1
GB 6 5 0
CHC 6 5 0
DET 1 10 0

1945
CLE(v) 9 1 0
DET 7 3 0
GB 6 4 0
CHB 3 7 0
CHC 1 9 0

1944
GB(v) 8 2 0
CHI 6 3 1
DET 6 3 1
CLE 4 6 0
Card-Pitt 0 10 0

1943
CHB(v) 8 1 1
GB 7 2 1
DET 3 6 1
CHC 0 10 0


1942
CHB(n) 11 0 0
GB 8 2 1
CLE 5 6 0
CHC 3 8 0
DET 0 11 0

1941
CHB(v) 10 1 0
GB 10 1 0
DET 4 6 1
CHC 3 7 1
CLE 2 9 0

1940
CHB(v) 8 3 0
GB 6 4 1
DET 5 5 1
CLE 4 6 1
CHC 2 7 2

1939
GB(v) 9 2 0
CHB 8 3 0
DET 6 5 0
CLE 5 5 1
CHC 1 10 0

1938
GB(n) 8 3 0
DET 7 4 0
CHB 6 5 0
CLE 4 7 0
CHC 2 9 0

1937
CHB(n) 9 1 1
GB 7 4 0
DET 7 4 0
CHC 5 5 1
CLE 1 10 0


脚注


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  1. ^ ab“ラムズのロス移転が決定!チャージャースと同居案も”. NFL JAPAN (2016年1月13日). 2016年1月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年1月13日閲覧。

  2. ^ abFUN FACTS St.Louis Rams Official Site 2009年12月26日閲覧[リンク切れ]


  3. ^ ただし1978年からNFLはシーズン14試合から16試合に変更している。


  4. ^ ラムズ、プロボウル7度のOTペースを解雇 NFL JAPAN 2009年3月11日[リンク切れ]


  5. ^ ラムズ、プロボウル7度のWRホルトを解雇 NFL JAPAN 2009年3月14日[リンク切れ]


  6. ^ 人気ラジオホストとNHLのオーナー、ラムズ買収に名乗り NFL JAPAN Archived 2009年11月26日, at the Wayback Machine.


  7. ^ 毒舌があだ? リンボー氏がラムズ買収グループから除外 NFL JAPAN 2009年10月8日 Archived 2010年7月27日, at the Wayback Machine.


  8. ^ “ラムズ、フィッシャー氏とHC就任で合意”. NFL JAPAN (2012年1月14日). 2012年1月20日閲覧。[リンク切れ]


  9. ^ “フィッシャー氏、ラムズHC就任は「簡単な選択だった」”. NFL JAPAN (2012年1月18日). 2012年1月21日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年1月20日閲覧。


  10. ^ “セインツDCがラムズへ、フィッシャー新HCと再タッグ”. NFL JAPAN (2012年1月17日). 2016年3月5日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年1月20日閲覧。


  11. ^ “マクダニエルス氏、古巣ペイトリオッツに合流”. NFL JAPAN (2012年1月11日). 2012年1月20日閲覧。[リンク切れ]


  12. ^ “ラムズがショッテンハイマーOC、ウィリアムスDC就任発表”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年1月26日閲覧。


  13. ^ “ラムズ新GM決定、ファルコンズからスニード氏招へい”. NFL JAPAN (2012年2月12日). 2012年2月12日閲覧。[リンク切れ]


  14. ^ “レッドスキンズが全体2位獲得、予想はQBグリフィン指名”. NFL JAPAN (2012年3月10日). 2012年3月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年3月10日閲覧。


  15. ^ “ラムズ、新HCに元レッドスキンズOCマクベイを抜てき”. NFL JAPAN (2017年1月13日). 2017年12月25日閲覧。


  16. ^ CHRONOLOGY Archived 2008年5月11日, at the Wayback Machine. St.Louis Rams Official Site 2009年12月26日閲覧[リンク切れ]




外部リンク




  • ロサンゼルス・ラムズ公式サイト (英語)


  • NFL JAPANプロフィール (日本語)












































































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