難民
難民(なんみん、英: refugee)は、対外戦争、民族紛争、人種差別、宗教的迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害、飢餓、伝染病などの理由によって居住区域(自国)を離れた、あるいは強制的に追われた人々を指す[1][2][3][4][5][6]
。
その多くは自身の生命を守るため、陸路、海路、河路、空路のいずれかで国外に脱出し、他国の庇護と援助を求める。
現在の国際法では、狭義の「政治難民 (せいじなんみん、Political Refugee)」を一般に難民と呼び、弾圧や迫害を受けて難民化した者に対する救済・支援が国際社会に義務付けられている。
目次
1 語源
2 難民条約と難民の定義
3 難民のイメージとラベル
4 難民の発生地域と数値
5 難民の種類
6 日本の難民
6.1 歴史
6.2 偽装難民
7 啓蒙活動
7.1 世界難民の日
7.2 難民選手団
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
11.1 関連機関
11.2 大学付属研究所
語源
Refugee(難民)
ラテン語 "refugium"=
re : 戻る
fugere : 逃げる
ium : のための場所
1685年、ナント勅令終結後に移住した、フランス・ユグノーを指し示す語として古フランス語 の"refugié"を使用。「亡命者」などの意[7]。
ロシア革命を介して、日本では避難する民衆の意で「避難民」の語が用いられ、後に「難民」の表現へ移行した。
難民条約と難民の定義
1951年7月28日、スイスのジュネーヴで行われた「難民及び無国籍者に関する国際連合全権会議」において「難民の地位に関する条約(Convention Relating to the Status of Refugees)」(難民条約)」[8]が採択された。
難民の定義、難民保護のための行政措置、ノン・ルフールマン原則(Principle of Non-refoulement)[9]を定めた同条約は、難民法の「マグナ・カルタ」と称され尊ばれる。
「難民条約」の制定に先立つ1950年12月に難民支援活動の監督団体として国際連合難民高等弁務官事務所(以下"UNHCR")[10]が設立されている。
しかし、同条約の対象地域はヨーロッパに限定しており、さらに対象となる人々もUNHCRが活動を開始した1951年1月1日以前に発生した難民に限られていたため、1967年1月31日、国際連合の「難民の地位に関する議定書(Protocol Relating to the Status of Refugees)」(難民議定書)[11]により、対象地域の限定を原則解消し、対象難民の時限性を撤廃した。通常、「難民条約」と「難民議定書」の両方を統合したものを「難民条約」[12]と呼称する。
難民議定書を含む「難民条約」が定義する難民とは、日本外務省発行のパンフレット[13]によれば、
人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの(難民条約第1条A(2)より抜粋) |
である。これは狭義の政治難民にあたる。しかし、元来難民は政治的理由に限定されていたわけではなく、自然災害、飢餓、伝染病などの災害難民[14]のほか、宗教的追放や域内外の紛争から逃れるため、住む場所を追われた者(避難民)[15]が多数を占めていた。
また、経済的貧困から外国へ逃避する難民は経済難民(Economic Refugee)と呼ばれ、政治難民との識別が困難になりつつある。原則、UNHCRや第一次庇護国での難民認定を通過しないと人道支援は受けられなかったが、近年では人権に配慮し、庇護申請者[16]や国内避難民[17](域内難民)といった難民の字義から外れた地位のもとで緊急支援が受けられるようになっている。
なお、クーデタや民衆蜂起によって国外へ逃亡を図る「亡命」という語には、自主的に出国するという語感を与えるが、法的な解釈は難民と同義であり、政治犯罪人不引渡原則に適用させるか否かは到着国によって対応が異なる。
難民のイメージとラベル
「難民」のイメージとラベルの問題は、内外の学者から常に指摘されている。
世界的に難民というとアフリカの黒人とその子供児童らを想起しやすいが、次節で数値を示している通り、実際にはアフガニスタンやイラクといった紛争地域を抱えるアジア人が多数を占めており、現実とは異なる姿を世間一般に投影している。
そうした「難民」のイメージには、強制移動の境遇に貶められた人々を弱者視し、無能力な人種として取り扱おうとする傾向がある。元UNHCRで難民研究者の一人は「いわば弱点を強調することで、イメージはそれ自体、彼ら難民のもつ(中略)可能性を覆い隠してしまう」と述べており、難民のイメージは、時に人間としての尊厳を蹂躙する危険性を孕んでいる[要出典]。
また、『「難民である」というのは例えば「日本人である」「女である」というような生まれ持った属性ではなく、社会がつけたカテゴライズであって、本人のアイデンティティーを表すものではない。』と東京大学大学院のとある研究者がコンゴ民主共和国における紛争・暴力をテーマにした映画『女を修理する男』の上映会・トークショー「私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか」の中で述べている(難民支援協会との共催)。
オックスフォード大学の『難民研究ジャーナル』[18]でR.ゼッターが、「最も強力なラベルのひとつ」と述べているように、「難民」ラベルの持つ効力が人道支援の必要性を強力に世界へ訴えかける一方、ラベルを援用した実務家らによる人権ビジネスへの加担も指摘されている。そのラベル効力で得た膨大な支援物資や活動費は、人類学者B.E.ハレル=ボンドの言うところの「押し付け援助(Imposing Aid)」へと繋がり、逆に難民の労働意欲や生活維持力を減退させ、難民キャンプ内をただの「要求集団化」させてしまう[cf. 小泉]。
難民の発生地域と数値
下掲したUNHCRによる2010年6月公表の統計[19]では、2009年12月31日時点で世界における難民と庇護申請者の合計は1,138万人に上る。
地域別では、中東を含めたアジアが最大の難民(54.1%)[20]を有しており、次いでアフリカ(22.1%)、ヨーロッパ(15.7%)の順だが、庇護申請者ではアフリカ(44.3%)が最も多く、次いでヨーロッパ(28.7%)、アジア(6.7%)の順となる。
難民 | 庇護申請者 | 帰還民(難民) | 国内避難民 | 帰還民(国内避難民) | 無国籍者 | その他 | 合計 |
|
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アフリカ |
2,300,100 | 436,900 | 149,500 | 6,468,000 | 846,000 | 100,100 | 174,200 | 10,475,600 |
アジア |
5,620,500 | 67,900 | 97,600 | 5,434,500 | 1,381,200 | 5,820,400 | 144,900 | 18,567,000 |
ヨーロッパ |
1,628,100 | 282,200 | 4,300 | 420,800 | 2,300 | 639,000 | 92,600 | 3,069,300 |
南アメリカ |
367,400 | 68,800 | 100 | 3,304,000 | - | 100 | - | 3,740,400 |
北アメリカ |
444,900 | 125,000 | - | - | - | - | - | 569,900 |
オセアニア |
35,600 | 2,600 | - | - | - | - | - | 38,200 |
合計 |
10,396,600 | 983,400 | 251,500 | 15,628,100 | 2,229,500 | 6,559,600 | 411,700 | 36,460,400 |
注:難民と国内避難民には同様の状況に置かれた者も含む。 出典:UNHCR
難民の種類
上述した通り難民には様々な形態があり、また国連機関、国家当局、国際NGOが捉える難民観に差異があるため、各組織を貫いて難民を理解するには無理が生じている。以下、様々な難民の類型を二項対立で示したが、二項のはざまに布置された人々や、難民に酷似しながら類型に含められない人々も存在している。
- 「真の難民(Bona Fide Refugee)」と「偽の難民(Mala Fide Refugee)」
- 「伝統難民(Traditional Refugee)」[21]と「新難民(New Refugee)」[22]
- 「避難民(DP: Displaced Person)」と「国内避難民(IDP: Internally Displaced Person)」
- 「条約難民(Convention Refugee)」と「非条約難民(Non-convention Refugee)」
- 「自発的難民(Voluntary Refugee)」と「非自発的難民(Involuntary Refugee)」
- 「政治難民(Political Refugee)」と「経済難民(Economic Refugee)」
- 「法定難民(Statutory Refugee)」と「マンデート難民(Mandate Refugee)」[23]
- 「海路難民(Boat People)」と「空路難民(Air People)」
- 「庇護申請者(Asylum Seeker)」と「支援対象者(POC: People of Concern)」
- 「強制移動民(Forced Migrant)」と「自発移動民(Voluntary Migrant)」[小泉,2005]
- 「事前避難型難民(Anticipatory Refugee Movement)」と「事後避難型難民(Acute Refugee Movement)」[E.F.Kunz,1973]
日本の難民
歴史
歴史的に日本も難民とは無縁ではない。
朝鮮半島において百済が滅亡した時には数多くの百済人が事実上の難民として友好国であった日本に身を寄せた記録がある[要出典]。
いくつかの例外を除いて外国との通商を断絶していた江戸時代の鎖国体制でも出島のオランダ商館にいたヘンドリック・ドゥーフなどが祖国のネーデルラント連邦共和国(オランダ)がフランスに滅亡させられたために一種の難民の状態となって日本に取り残された。
明治の時代でもロシア革命によって祖国ロシアを追われた白系ロシア人やタタール人などの一部が日本に亡命してきた事例もある。
昭和期には、ドイツにナチス政権が誕生し大量のユダヤ人の難民が発生すると、日本の外務省は日本本土や中国大陸の日本支配地域を経由してアメリカなどの国に亡命する「ユダヤ人の取り扱いを定めた規則」や「猶太人対策要綱」などを制定した。
1979年8月には「ベトナム難民第一号」としてルー・フィン・チャウが来日し大きく報道された。チャウはのちに日本で歌手デビューした。
20世紀、インドシナ難民に対する国際貢献の必要性が契機となり1981年10月3日に日本は「難民条約」に、1982年1月1日には「難民議定書」にそれぞれ加盟し1982年1月1日両条約と議定書を発行した。そして、それまでの「出入国管理令」を大幅に改正・改定した「出入国管理及び難民認定法」[24](以下、入管難民法)によって難民の認定手続制度を規定している。入国管理当局の認定作業は当初より非公開かつ厳格であったが、1980年代後半にベトナムからの偽装難民が大量に流入するようになるとスクリーニング制度が導入され更に認定基準が引き上げられた。
以降日本の難民認定手続が外国人である難民申請者側にとって複雑であるとされることや、法務大臣及び難民調査官という法務省官吏のみが難民認定の権限を有していることが人道的配慮に欠けるとして国際社会から批難されるようになると、これを受けて法務省は2002年6月から難民問題に関する専門部会を開催し[25]、2005年5月に入管難民法を改正して外部からの有識者や実務経験者などを難民認定手続に関与させる「難民審査参与員制度」を導入するとともに、日本入国後60日以内に難民申請を行わなければ入国管理局は当事者を違法滞在として強制退去させるとしていたいわゆる「60日ルール」を廃止した。
日本は国際連合に毎年多額の資金を提供しており、2014年の拠出額は世界2位である[26]。しかし国内への難民受け入れには慎重な姿勢をとっており、難民認定の数は諸外国と比べても著しく低い[27][28]。近年、日本では難民認定を求める者が急増している。2005年に日本で難民認定を求める者は384人だったが2013年には3260人となり、2014年には5000人となった。しかし日本では難民だと認定する基準が厳しく、この5000人の申請者のうち難民として認定されたのは11人であった[29]。
2009年7月、日本政府はミャンマー難民の第三国定住受け入れを表明し、翌2010年9月より3年間タイ西部のメラ・キャンプに避難しているカレン難民30名ずつ、計90名の受け入れをパイロット・ケースとして開始し国際貢献をアピールした[30][31]。ただし、日本のミャンマー難民の受け入れには、母国民主化への判断違いや民族問題に対する理解不足[32]があり、かつ難民の日本への移住希望者不在[33]や日本社会不適応性[34]といった問題がある。
いくつかの高等教育機関である大学では難民を対象にした入学推薦制度を整備している。明治大学、青山学院大学、関西学院大学などは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協定を結び難民の子弟の入学を進めている[35][36][37]。
2017年には難民認定申請数が、前年比80%増の1万9629人となった。申請者の国籍は82ヵ国にわたり、主な国籍はフィリピン、ベトナム、スリランカ、インドネシア、ネパール。難民認定手続の結果、在留を認めた者は65人であった[38]。
偽装難民
日本の難民認定制度への申請は何度でも可能である。申請中は本国に強制送還されず在留資格を持てば就労することも可能であることから、出稼ぎ目的で来日した「偽装難民」も存在する[29]。2010年からは難民申請から6ヶ月が経過すれば一律に仕事に就くことができるようになっている[39]。
近年日本で難民認定の申請が急増しているのもこの「偽装難民」が原因の一つである指摘されている[40]。
日本国内で難民を支援する弁護士グループや非政府組織は「偽装難民」の存在や問題を認識しつつも、制度の乱用対策よりも認定制度の改善を優先させてから「偽装難民」問題に取り組むべきとしている。法務省では極端に低い難民認定の基準を国際水準に高めるための議論が行われている[41]。
2015年9月、法務省は難民の認定制度について「新しい形態の迫害」を認めることや認定に対して外部の有識者による「難民審査参与員」の意見を採り入れる事を決めた[42]。
なお、実際に受入数を増やしたいとの思いで難民審査参与員を引き受けたとする吹浦忠正によれば、100人以上を担当した中で1人として難民認定すべきとの意見提出には至っていないとされる[43]。
この「偽装難民」の問題は、本来救うべき難民を苦境に陥らせているとの指摘がある。
2010年、難民申請をすれば、申請の6カ月後からフルタイムで労働に従事することが可能になったが、その結果、日本での労働を希望する者が「難民」として申請するケースが多く出ているとされる。結果として、法務省の難民受付の事務がパンクし、申請に多大な時間がかかるようになった。結果待ちに時間がかかることは、偽装難民にとっては、その分、結果が出るまで長期間の労働が可能となり好都合だが、本来の難民にとっては長期間待たされる状況になっている。公明党の遠山清彦議員は、この規制緩和を「民主党政権の隠れた大失政」と批判している[44]。
啓蒙活動
世界難民の日
6月20日は元々OAU(アフリカ統一機構)難民条約の発効を記念する「アフリカ難民の日」であったが、2000年12月4日の国連総会において、2001年より毎年6月20日を「世界難民の日」とする旨が決議された。
以後、毎年6月20日は、難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、UNHCRをはじめとする国連機関やNGO(非政府組織)による活動に理解と支援を深める日にするため、世界各地でイベントが開催されている[45]。
難民選手団
2016年夏季オリンピックにて、初めて2016年リオデジャネイロオリンピックの難民選手団が登場して注目を集めた。
男女合計10名でうち2名は開催国のブラジル在住で、陸上・水泳・柔道の各種目に出場した[46]。
脚注
^ UNHCR>Who We Help>Refugees
^ UNHCR>About Us>History of UNHCR>The 1951 Refugee Convention
^ UNHCR Japan>基本情報>難民とは
^ UNHCR Japan>基本情報>難民条約
^ 外務省>外交政策>難民
^ 外務省>外交政策>難民条約
^ Online Etymology Dictionary "refugee"
^ 日本における法令番号は「昭和56年条約第21号」。発効は1982年1月1日。
^ ノン・ルフールマン原則:(避難民の)送致・送還の禁止の原則。
^ 緒方貞子は1991年から2000年の間、第8代難民高等弁務官を三期務め、金の鳩平和賞を受賞している。
^ 日本における法令番号は「昭和57年条約第1号」。発効は1982年1月1日。
^ 日本外務省『難民条約(邦訳版)』 (PDF)
^ http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/nanmin.html 日本国外務省「難民条約」
^ 災害難民:多くの場合、被災者は国内の別の地域に移動するため国内避難民と呼ばれることがある。
^ 避難民(DP= Displaced Person)
^ 庇護申請者(Asylum Seeker):UNHCRによれば、自国を追われ、他国で難民としての地位と保護を求める人々を言う。UNHCRが難民と認定した場合でも、第一次庇護国の政府が難民と認めない場合がある。
^ 国内避難民(IDP= Internally Displaced Person):難民は、国境を越えて初めて認定される。しかしUNHCRによれば、「国内にとどまりながらも故郷を追われ、難民と同じような境遇にある人々」が多数いるとする。
^ University of Oxford "Journal of Refugee Studies"
^ UNHCR (2010) "Global Trends 2009"
^ パレスチナ難民支援活動はUNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)が担当しており、UNHCRの管轄外のため統計数値に反映されない点、留意されたい。
^ 伝統難民:難民条約の定義に該当する難民のこと。政治難民と同義。
^ 新難民:東西冷戦終結後、世界各地で顕在化した民族紛争を起因として生じる難民のこと。
^ マンデート難民:条約難民だけでなく、UNHCRが独自の解釈(生命・身体の保全・自由に対する重大で無差別な脅威、なおかつ一般に広まる暴力や公的秩序に対する深刻な混乱から生じる脅威の理由によって、本国外におり本国に帰還できない国際的保護を要する者)で認めた難民のこと。
^ 日本電子政府『出入国管理及び難民認定法』
^ http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan13-02.html 難民問題に関する専門部会開催状況等 法務省
^ “2012~14年国連通常予算分担率・分担金”. 外務省. 2014年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月29日閲覧。
^ “「日本の難民審査は厳しすぎる」 難民支援協会の石川えりさん”. 毎日新聞. (2015年3月20日). http://mainichi.jp/feature/interview/news/20150302mog00m040005000c.html 2014年3月29日閲覧。
^ “日本の難民政策:受け入れは「狭き門」”. nippon.com. (2015年5月6日). http://www.nippon.com/ja/features/h00107/ 2015年5月9日閲覧。
- ^ ab太田泰彦 (2015年3月15日). “「難民で稼ぐ国」と「難民が稼ぐ国」…日本は「難民を見ない国」”. 日本経済新聞. http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84345190T10C15A3000000/ 2015年3月18日閲覧。
^ 外務省2010年9月28日付プレスリリース 『第三国定住によるミャンマー難民の来日』
^ 外務省2010年10月13日付プレスリリース 『第三国定住によるミャンマー難民の来日(第二陣)』
^ 『民主化されたミャンマーに残された課題の解決に向けて』
^ 『第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃』
^ 『第三国定住 難民受け入れの課題』
^ “国連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR Japan)との協定による難民を対象とする推薦入学制度について”. 関西学院大学 (2014年7月24日). 2015年5月18日閲覧。
^ “UNHCR駐日事務所と難民対象の推薦入試実施に関する協定を締結”. 明治大学 (2010年7月28日). 2015年5月18日閲覧。
^ “国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所との協定による難民を対象とする推薦”. 青山学院大学. 2015年5月18日閲覧。
^ “難民認定申請数、前年比80%増”. Qnewニュース. (2018年3月26日). https://qnew-news.net/news/2018-3/2018032601.html 2018年7月10日閲覧。
^ “難民不認定で異議 最多の3120人 15年、審査未処理1.3万人”. 日本経済新聞. (2016年3月26日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H99_V20C16A3000000/ 2016年3月26日閲覧。
^ “難民に冷たい国でいいのか”. 日本経済新聞. (2015年3月16日). http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84420410W5A310C1PE8000/ 2015年3月18日閲覧。
^ 吉富裕倫 (2015年4月30日). “対応急務の難民問題”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20150430org00m070008000c.html 2015年5月2日閲覧。
^ 金子元希 (2015年9月5日). “難民認定の対象拡大へ 審査は厳格化、外部意見の導入も”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/articles/ASH9453XSH94UTIL022.html 2015年9月5日閲覧。
^ 吹浦忠正 (2015年7月27日). “日本の難民受け入れに関する誤解”. 2016年1月27日閲覧。
^ 前川祐補 (2017年9月21日). “ロヒンギャを襲う21世紀最悪の虐殺(後編)”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/21-11.php 2017年9月23日閲覧。
^ 世界難民の日UNHCR
^ http://www.sankei.com/world/news/160606/wor1606060023-n1.html
参考文献
- 緒方貞子 (2006年) 『紛争と難民 -緒方貞子の回想-』集英社.
- 加藤節 編 (1994年) 『難民』東京大学出版.
- 小泉康一 (2005年) 『国際強制移動の政治社会学』勁草書房.
- 本間浩 (1990年) 『難民問題とは何か』岩波新書.
- 難民研究フォーラム (2011年) 『難民研究ジャーナル』現代人文社.
- シモン・ストランゲル(2013年)『このTシャツは児童労働で作られました。』汐文社
- Castles, S. & Miller, M.J. (1993) "The Age of Migration: International Population Movements in the Modern World." The Macmillan Press.
- Gorman, R.F. (2000) "Historical Dictionary of Refugee and Disaster Relief Organization, 2nd Edition." The Scarecrow Press.
- Harrell=Bond, B.E. (1986) "Imposing Aid: Emergency Assistance to Refugees." Oxford University Press.
- Weiner, M. (1995) "The Global Migration Crisis: Challenge to States and to Human Rights." HarperCollins College Publishers.
関連項目
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外部リンク
関連機関
- 国際連合難民高等弁務官事務所 日本支部
- 国際連合難民高等弁務官事務所 ジュネーブ本部
- 日本外務省 外交政策【難民】
- 国連UNHCR協会
- 難民事業本部
- 難民支援協会
- 難民を助ける会
- 難民研究フォーラム
- 移民研究センター(CMS)
- 難民と亡命に関する欧州委員会
- 移民民族関連欧州調査センター(ERCOMER)
- 合衆国難民移民委員会(USCRI)
- 国際救援委員会(IRC)
- 国際移民に関するグローバル委員会(GCIM)
- "移民"海外開発研究所 (ODI)
- 移民政策開発国際センター
- 難民フォーラム
- 移民情報
大学付属研究所
- 東京大学・難民移民ドキュメンテーションセンター
- オックスフォード大学・難民研究センター
- オックスフォード大学・国際移民研究所
- カリフォルニア大学・ジェンダー難民研究センター
- ラ・トローブ大学・難民調査センター
- プレトリア大学・人権センター
- 東ロンドン大学・移民難民信託調査センター
- エセックス大学・心傷庇護難民センター
- ヨーク大学・難民研究センター
- LSEブルッキングズ研究所・国内避難民プロジェクト