エドゥアルト・シュトイアーマン
































エドゥアルト・シュトイアーマン

Bundesarchiv B 145 Bild-F004565-0007, Darmstadt, Internationaler Kurs für neue Musik.jpg
1957年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会にて

基本情報
生誕
(1927-11-09) 1927年11月9日
出身地
オーストリア=ハンガリー帝国(現在 ウクライナサンビル)
死没
(2004-10-07) 2004年10月7日(76歳没)
ジャンル
クラシック音楽
職業
ピアニスト・作曲家
担当楽器
ピアノ

エドゥアルト・シュトイアーマン(もしくはシュトイエルマンEduard Steuermann, 1892年6月18日 – 1964年11月11日)は、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト・作曲家。後アメリカ合衆国に帰化し、エドワード(Edward)として知られるようになった。1949年に、ピアニストのクララ・シルヴァースと結婚した[1]



経歴


オーストリア=ハンガリー帝国のサンボル(現在のウクライナ領サンビル(英語版))に生まれ、ピアノをルヴフにてヴィレーム・クルツに、ベルリンにてフェルッチョ・ブゾーニに師事。作曲はエンゲルベルト・フンパーディンクとアーノルト・シェーンベルクに師事した[2]。シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》や《ピアノ協奏曲》の初演でピアノ・パートを担当しており、またウィーン音楽院で教え、「ウィーン私的演奏協会」においてもピアニストとしてシェーンベルクとの関係を続けた。シェーンベルクの《浄夜》をピアノ三重奏用に編曲してもいる。ダルムシュタット夏季現代音楽講習会において教鞭を執り、1952年には国際現代音楽協会よりシェーンベルク・メダルを授賞された。


1938年に渡米して[3]からは、1950年代にベートーヴェンのリサイタルで名を馳せるとともに、1952年から1964年までジュリアード音楽学校の教壇に立ち、教師としても高名であった[4]。シュトイアーマンの著名な門弟に、ヤコブ・ギンペルやアルフレート・ブレンデル、ラッセル・シャーマンらがいる。


1964年、ニューヨークで死去。1989年にネブラスカ大学出版局から、クララ未亡人やガンサー・シュラーらの共同編集によりシュトイアーマンの著作集『The Not Quite Innocent Bystander: Writings of Edward Steuermann』が出版された。



脚注




  1. ^ Edward and Clara Steuermann Collection, Music Division, Library of Congress


  2. ^ From abstract of Edward and Clara Steuermann Collection, Music Division, Library of Congress


  3. ^ From abstract of Edward and Clara Steuermann Collection, Music Division, Library of Congress


  4. ^ From abstract of Edward and Clara Steuermann Collection, Music Division, Library of Congress









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