空挺戦車
空挺戦車(くうていせんしゃ)は、輸送機に搭載可能な軽量の戦闘車両。戦闘地帯に空中投下もしくは強行着陸により輸送され、火力が不足しがちな降下直後の空挺部隊に火力と機甲戦力を与えることが目的である。戦車とは呼ばれるが、空中投下もしくは強行着陸により輸送される装甲戦闘車両全般のことを指す。
目次
1 概要
2 各国の空挺戦車
2.1 第二次世界大戦
2.2 戦後~現代
概要
空挺部隊は、輸送機に搭載し、空中投下などができる物資の重量の制限があるため、空挺作戦時に重火器を運用することが困難であった。しかし、対峙する敵部隊は一般に重火器保有が考えられるために、航空機に搭載して輸送できる(自走可能な)重火器が求められていた。
ハミルカー グライダーから降車するイギリス軍空挺部隊のMk.VIIテトラーク軽戦車
1930年代から飛行可能な戦車の概念がアメリカ・イギリス・イタリア・ドイツ・ソ連・日本など各国で研究されていたが、当時の航空機の能力では装甲戦闘車両を空輸することは難しく、実用化されたものはなかった。第二次世界大戦後半にいたり、イギリス軍はMk.VIIテトラーク軽戦車とハミルトングライダーの組み合わせにより、航空輸送が可能な装甲車両の実戦力化に成功する。このテトラーク軽戦車は、ノルマンディー上陸作戦に使用された。その後、1945年3月の大規模空挺作戦であるヴァーシティー作戦(ライン川渡河)には、アメリカのM22ローカスト軽戦車がハミルトングライダーによって輸送されている。
第二次大戦後は、装甲車両の重量化(軽戦車の陳腐化)や歩兵携行の対戦車兵器の発達、攻撃ヘリコプターなど航空支援方法の向上などにより、空挺戦車を用いずとも重火力の発揮が可能となったこともあり、開発は一部を除き行われなかった。
その中でソ連は空挺戦車(空挺装甲戦闘車両)の開発に熱心であり、1950年代からASU-57空挺自走砲、ASU-85空挺戦車、BMD-1、BMD-2、BMD-3、BMD-4空挺戦闘車、2S25対戦車自走砲といった各種の空挺降下可能な装甲戦闘車両を開発している。これらはパラシュート(BMDは逆噴射ロケット付パラシュート)による空中投下が可能である(ASU-85は空中投下能力なし)。ただし、重量物の投下は故障・破損を引きこしやすいこともあり、実戦で投下した例はない。これらの車両のうちいくつかは実戦で実際に使用されているが、いずれも空挺降下した歩兵部隊が飛行場を制圧した後に輸送機によって空輸されて運用されており、実態としては「空輸による高速展開が可能な軽量装甲戦闘車両」であった。
アメリカ陸軍のM551シェリダン
アメリカ軍においては、空挺対戦車自走砲M56スコーピオンと空挺戦車M551シェリダンの二種が開発された。M551はパナマ侵攻作戦において実戦で空中投下運用が行われているが、空中投下された車両のうち半数が故障・損傷して使用不能になるなど、その結果は馨しいものではなかった。M551の後継車両であるM8 AGSは開発は行われたものの量産・配備は行われておらず、以降、アメリカでは空挺戦車の開発は現在のところ行われていない。ストライカー装甲車ファミリーなどの軽量の装甲戦闘車両の開発は行われているものの、それらは輸送機によって空輸することが容易である、というものであり、空中投下が可能な「空挺戦車」には分類されていない。
冷戦後の世界情勢においては、大規模な空挺侵攻作戦というものが行われる可能性が低くなったため、「輸送機による空輸が容易であること」以上の空挺運用能力が装甲戦闘車両に求められる蓋然性は低く、今後も「空挺戦車」というカテゴリーの兵器が存在し続けるかについては不明瞭である。
各国の空挺戦車
第二次世界大戦
イギリス
- Mk.VIIテトラーク軽戦車
アメリカ合衆国
M22軽戦車(供与されたイギリス軍での愛称は「ローカスト」)
イタリア王国
- L3 空挺戦車
大日本帝国
特三号戦車 "クロ" ※計画のみ
二式軽戦車 "ケト" 大型グライダー搭載での空挺作戦への投入が計画された。
ソビエト連邦
A-40 ※試作のみ
戦後~現代
ドイツ連邦軍のヴィーゼル空挺戦闘車
BMDシリーズの基礎を作ったBMD-1
フランス
- AMX-13軽戦車
アメリカ合衆国
- M56空挺対戦車自走砲 スコーピオン
- M551空挺戦車 シェリダン
- M8 AGS
西ドイツ/
ドイツ
- ヴィーゼル空挺戦闘車
ソビエト連邦/
ロシア
- ASU-57
- ASU-85
- BMD-1
- BMD-2
- BMD-3
- BMD-4
- 2S25スプルート-SD
中国
- 03式空挺歩兵戦闘車
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