ハイパーインフレーション



























ハイパーインフレーション(英語: Hyperinflation)とは、急激に進行するインフレーションを指す。略称として「ハイパーインフレ」とも呼ばれる。




目次






  • 1 ハイパーインフレーションの定義と概要


  • 2 ハイパーインフレーションの例


    • 2.1 ポーランド


    • 2.2 ドイツ


    • 2.3 オーストリア


    • 2.4 ハンガリー


    • 2.5 アルゼンチン


    • 2.6 ブラジル


    • 2.7 メキシコ


    • 2.8 ロシア


    • 2.9 ユーゴスラビア


    • 2.10 コンゴ


    • 2.11 トルコ


    • 2.12 ジンバブエ


    • 2.13 イラン


    • 2.14 北朝鮮


    • 2.15 ベネズエラ




  • 3 ハイパーインフレーションについての議論


  • 4 脚注





ハイパーインフレーションの定義と概要


国際会計基準では、3年間で累積100%(年率約26%)を『ハイパーインフレーション』と呼んでいる。ただし具体的なインフレーション率の値によるのではなく、単に「猛烈な勢いで進行するインフレーション」のイメージを強調する際に用いるマスメディアも多い。


ハイパーインフレの発生は、通貨を媒介とした交換経済の麻痺や不確実性の高まり[1]によって、生産活動や投資への意欲を喪失させることで、国民経済に重大な影響をもたらす。


ハイパーインフレは主に、経済の提供可能な水準を超えて政府がシニョリッジの獲得を図る時に発生する。この時、貨幣供給量が中央銀行にとって外生的に決まってしまい、もはや中央銀行は物価を抑えこむことが出来なくなる。シニョリッジ獲得のために貨幣を刷って名目貨幣残高を増やした場合、インフレーションを伴うのでシニョリッジは実質で見ると目減りすることになる。貨幣を刷るほどに、インフレによるこの目減りが加速度的に増加するため、政府が獲得可能な実質のシニョリッジには上限が存在する。この上限に達した状況から、政府がさらなるシニョリッジを求めて貨幣を刷った場合、インフレが一層昂進して政府は目的としたシニョリッジを確保することができない。それで、ますます貨幣を刷ってシニョリッジを獲得しようとすると、その結果インフレがさらに昂進して…、という悪循環に陥ることになる。これがハイパーインフレである。この種類のハイパーインフレは、政府の政策が変更されるという予測が、人々に形成されるまで継続する可能性がある[2]


実際に、ハイパーインフレが起こるのは、敗戦や革命といった時期であることが多く、フランス革命の時に起こった、アッシニア紙幣の増刷によるインフレーションを、歴史上最初のハイパーインフレとする説もある[3][4]


金塊や銀塊の地金に通貨価値を固定する本位制では、基本的にハイパーインフレは発生しないが、開戦などにより本位制は停止されることが多く、この際に、管理通貨制度に移行し戦時財政が野放図になってしまったり、敗戦により多額の賠償が発生する(おそれがある)場合、通貨信用は喪失され急激で一時的なハイパーインフレが発生する。敗戦や革命以外においても、ある国の経済市場が信認を失うことでハイパーインフレが発生することがある。これは中南米などラテン諸国やロシア東欧諸国で発生した性質のもので、領域経済の成長を期待した域外諸国市場による投資が長年にわたり行われたものの、その成果が十分でなく投資に対する不信感・不安感が醸成された結果として、当該国通貨が暴落し購買力を急速に失うという現象である。


この場合の通貨暴落は、市場による均衡過程であり、比較的短期間による急激な調整ののちインフレ率は安定する傾向にある。しかし19世紀から20世紀初頭の欧州ラテン諸国では国民の大量の移民や離散をまねき、長期的な経済の低迷やインフレの継続を招いた。



ハイパーインフレーションの例


18世紀のフランス革命直後のハイパーインフレ、19世紀の南北戦争直後のアメリカ合衆国のハイパーインフレなど、歴史的には巨額の戦費調達によって生じた例が記録されている[5]。20世紀初頭にも、第一次世界大戦直後では、敗戦後のドイツ帝国で1兆倍、帝政が終わったロシア帝国で600億倍のハイパーインフレが発生している[5]


トーマス・サージェントは、その論文「四大インフレーションの終焉(The Ends of Four Big Inflations)」(1982年)において、第一次世界大戦後にハンガリー(1922年 - 1924年)、オーストリア(1922年 - 1923年)、ポーランド(1921年 - 1924年)、ドイツ(1922年 - 1923年)で生じたハイパーインフレーションを分析した[2]。これらのハイパーインフレが生じた共通の原因は、第一次世界大戦の賠償金支払いなどに伴う財政赤字の急膨張であり、不換紙幣である政府紙幣の発行による、財政赤字のファイナンスであった[6]


これらのハイパーインフレは最終的には、独立した中央銀行の創設、均衡政府予算に向けての一連の措置、金本位制の復帰を通じて終息している[6]。中央銀行が財政赤字をファイナンスすることを拒否し、政府が財政赤字を民間への国債の売却或いは外国からの借入れでファイナンスすることを決めた直後に終息した[7][2]。サージェントは、ハイパーインフレが終息したのは、その国が政府が財政赤字を補填する財政・金融政策のあり方を変更させたからであるとしている[8]。ハイパーインフレは、財政再建計画を伴った貨幣成長率の管理によってほとんどが終息している[9]


ほかに、歴史的に有名なハイパーインフレーションの例としてアルゼンチン、ジンバブエなどがある[2]


南米やアフリカの国では、政府の財政赤字を国外からの借り入れによってファイナンスする手法をとっていた[10]。その後、海外の債権国がデフォルトを予期し、その国の貸し付けを停止する事態が起きた。結果、政府が通貨発行によるシニョリッジに依存し、財政赤字ファイナンスを行うことによって、ハイパーインフレーションが発生した[11]



ポーランド




ドイツ





1924年に発行された100兆パピエルマルク紙幣。前年末に行われた1:1兆のデノミネーションにより、100レンテンマルクの緊急紙幣として使用された。



1914年、ドイツ帝国は第一次世界大戦勃発後に金本位制から離脱、マネーサプライは戦時中4倍に膨れ上がった[12]


第一次世界大戦後、ドイツ経済は戦時体制と長らく続いたドイツ封鎖によって疲弊していた。さらに連合国のヴェルサイユ条約によって、1320億金マルクの賠償金支払いが課された。これはドイツの支払い能力を大きく上回っており、また外貨で支払うことが要求されていたため、賠償金の支払いは滞った。




刻一刻とマルクの価値が下がるため、食料品店に殺到する市民
(1923年 ベルリン)


1923年1月11日、フランス・ベルギーはイギリスの反対を押し切り、ドイツ屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を占領した。占領に対しドイツ政府は受動的な抵抗運動を呼びかけ、ストライキに参加した労働者の賃金は政府が保証した。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレーションが進行していたが、抵抗運動に伴う財政破綻によって致命的な状況へと導かれ、ルール工業地帯の供給能力を失ったために、空前のハイパーインフレが発生した。


同年6月までに、マネーサプライは大戦前の2000倍に増加し、一般物価水準は25000倍を超えていた[12]。マルクは1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレーションとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。このため、この時期のマルクは「パピエルマルク(紙屑のマルク)」と呼ばれる。


またこのハイパーインフレを「ユダヤの紙吹雪」[13]と呼ぶ反ユダヤ主義的な陰謀論も流行り、アドルフ・ヒトラーらがミュンヘン一揆を起こしたのもハイパーインフレの危機が収束するかしないかという時期であり(1923年11月8日)[14]、左派による地方政府掌握が発生するなど、混乱はドイツ中に広がっていた。


第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレでは、酒場の客は、値段が上がらないまだ早い時間のうちに、数杯のビールを一度に注文したとされる[15]


1923年10月15日、ヒャルマル・シャハトドイツ帝国銀行総裁主導により、レンテンマルク導入が発表されたことでインフレーションはほぼ停止し、物価も安定した(レンテンマルクの奇跡)[16][17][18]。レンテンマルクは不動産や工業機械を担保とするレンテン債権と兌換できる、レンテン銀行(英語版)が発行する銀行券であり、1金マルクと同じ価値を持つとされていたが、法定通貨ではなかった[16]


やがて1レンテンマルクは1兆パピエルマルクと交換されることになり[19]、事実上のデノミネーションが行われた[16]。翌1924年にはアメリカが賠償金支払いプロセスに参加し、ドイツに融資を行うドーズ案が採択された。この資金を元にライヒスマルクが発行され、ドイツは戦時中以来離脱していた金本位制に復帰した[16]。ドイツは相対的安定期と呼ばれる経済回復期を迎え、ヴァイマル共和政が倒れることはなかった。


しかし1929年の世界恐慌によってドイツ経済は再び崩壊した。インフレーションの再来を怖れる民衆や財界は、大規模な財政出動に反対していた[20]。ハインリヒ・ブリューニング内閣は、この状況に対してデフレーション政策で臨んだが[21]、状況は改善されなかった。1933年には失業率は、44%に達した[22]


旧来の政治勢力は民衆からの期待を失い、ヴェルサイユ体制打破を掲げるアドルフ・ヒトラーによるナチ党の権力掌握を招いた。ナチス・ドイツ体制期においては、政府支出の拡大、メフォ手形など非公式なものを含む政府債の拡大政策が行われたが、これらの累積は、貨幣市場への圧迫をもたらすものであった[23]。ドイツの経済当局は賃金や物価の上昇について厳しく押さえつけることで、インフレーションを抑制しようとした[24]


経済学者の原田泰は「ナチス政権は、金融緩和によってデフレーションから脱却し[信頼性要検証]、アウトバーンの建設、フォルクスワーゲン(大衆車)の製造という産業政策も行い、景気を回復させた」と指摘している[25]



オーストリア



第一次世界大戦の敗戦国であるオーストリアは、その戦後賠償金をファイナンスするために政府・中央銀行が貨幣を発行し、シニョリッジを利用した事が、ハイパーインフレの引き金を引いた[10]。これによって、オーストリアは月率50%、年率1000%をはるかに上回った[26]。オーストリアのハイパーインフレは1922年8月に停止した[7]



ハンガリー



第一次世界大戦後にオーストリアから独立したハンガリーにも激しいインフレが襲った。独立直後に導入されたハンガリー・コロナ(英語版)の通貨価値は激しく下落し、1925年のペンゲー導入まで続いた。


第二次世界大戦後にはより激しいハイパーインフレが発生した。ペンゲーは後期の16年間で貨幣価値が1垓3000京分の1になったが、20桁以上のインフレーションは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末まではインフレ率がほぼ一定であり、対ドルレートは指数関数的増大にとどまっていたが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、1か月、1週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという[27]


1946年に印刷された10垓[28]ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)は歴史上の最高額面紙幣であったが、発行はされていない。実際に発行された最高額面紙幣は1垓[29]ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。このハンガリーのインフレは、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。1946年8月、ハンガリーのハイパーインフレはフォリントの導入によって収束した。


1948年のハンガリーのハイパーインフレでは、労働者は1日に3回に分けて給料を貰い、給料が無価値にならないように小切手を現金化しようとする労働者の妻たちが、一日中職場と銀行の間を往復していたとされる[30]



アルゼンチン



1988年、過剰な通貨供給が原因で年率5000倍のハイパーインフレが発生する[31]。1989年には対前年比50倍の物価上昇が見られ、1991年にドルペッグ制のアルゼンチン・ペソを導入(カバロプラン)するまで、経済が大混乱となり、庶民のタンス預金は紙屑同然となった。1993年にはインフレ率は年率7.4%に沈静化した[31](ラプラタの奇跡[32])。


その後、固定相場制を維持した結果、急激なペソ高によって貿易不振となり経済が停滞、アルゼンチン政府は2001年11月14日に債務不履行宣言をする[33]。2002年には固定相場制を廃止し、変動相場制への移行とインフレターゲットの導入を行った[34]。2002年にはインフレ率は40%に達したが翌年には年率3.8%に沈静化する[35]



ブラジル



1986年から1994年までの8年間に、2兆7500億分の1のハイパーインフレーションが生じた。ブラジル政府は、1993年12月に「レアルプラン」を発表し、ドルペッグの通貨レアルの導入を1994年7月に行いインフレを終息させた[36]



メキシコ




ロシア


第一次大戦からロシア革命期、ロシア政府は1914年の開戦から1918年6月までに541億ルーブルの戦費を支出しており、これは1913年の経常歳出の17.6年分に相当するものであった。これらは政府短期証券、国債、外債の発行などで賄われていたが、1917年10月革命で成立したソビエト(ボリシェビキ)政権は帝政ロシア時代に内外で発行された国債の債務放棄を宣言し国立銀行券の増発で歳費の調達を始めたため、ソ連では1913年物価水準に対して1924年2月には171億倍にまで増加した。一方でボリシェヴィキ政府の債務放棄宣言にも関わらず帝政ロシアが発行した外債の金利は急騰せず価格も暴落しなかった。これは国際投資家がロシア革命が短期で終わる可能性をみており、あるいは国際金融市場での資金調達の再開にともない帝政ロシアの債務に関しても何らかの義務を負わざるをえないという見方をとっていたからである[37]


ソ連崩壊後のロシアでは、政府による強制貯蓄制度の中止、中央政府の生産指令の停止、コメコン体制の崩壊による物資の不足、通貨ロシア・ルーブルの下落などによって経済が混乱し、ハイパーインフレが起きた[38]。1992年の物価上昇率は、前年比で26倍となった[38]。1992年にインフレ率は2150%を記録したが、1996年にはIMFの融資・指導の結果インフレは収束した[39]。物価上昇率は1993年には10倍、1994年には3.2倍と沈静化していった[38]。しかし、1998年のアジア通貨危機の影響を受け、外貨が大量に流出し財政が危機的状況となり、通貨切り下げと対外債務の支払いの延期を宣言、再び深刻なインフレに陥った[40]




ユーゴスラビア




コンゴ




トルコ




ジンバブエ




100兆ジンバブエドル紙幣



ジンバブエでは、独立後から旧支配層に対して弾圧的な政策を実施。ロバート・ムガベ大統領は、2000年に白人の所有する土地を強制収用する法律を成立させ、2007年に外資系企業に対し、株式の過半数を強制的に政府に譲渡するという法律を成立させた[41]


国内の白人農家を国外へ追い出したその結果、自国の主産業であった農家が崩壊、さらに旱魃が追い討ちをかけ、国内で極度の物不足が発生した[42]。治安の悪化も重なり、富裕層が国外へ流出する結果となった。こうした傾向はインフレーションに拍車をかけ、2000年代に入ると経済が機能不全に陥る猛烈なインフレーションに直面することとなった。


2000-2007年の7年間に通貨供給量は130万倍に達し、物価は650万倍に上昇した[43]。2008年7月のジンバブエのインフレ率は、2億311.5万%となった[44]


2008年時点で年率220万%に達し[43]、同8月にジンバブエ準備銀行は、通貨を切り下げるデノミネーションを行った。その後のインフレーションの影響で9月30日に2万ジンバブエ・ドルの発行など、デノミネーション後に20種類の紙幣を発行し、同12月19日に100億ジンバブエ・ドル紙幣を発行した。現在この8年間で23桁以上のインフレーションとなっていて、うち2008年だけで約14桁、9月から3か月で約10桁のインフレーションとなり、最終的には『100兆ジンバブエ・ドル紙幣』が発行された。


さらに2009年2月2日、1兆ジンバブエドルを1ジンバブエドルに、桁数にして12桁を切り下げるデノミネーション措置を講じた。結局同年2月にジンバブエは、公務員給与を米ドルで支払うと発表し、紙屑同然のジンバブエ・ドルが公式には流通しなくなり、4月12日にはジンバブエドルの流通停止と、アメリカ合衆国ドルおよび南アフリカランドなど外国通貨による、自国通貨の放棄を発表することを余儀なくされた。その後、外貨の使用に伴ってインフレーションは沈静化し[45]、デフレーションとなった。


ジンバブエのインフレーションの特徴としては、インターネット社会によって、世界中の人々が素早く物価上昇に関する情報が入手できた点が挙げられる。



イラン


2013年4月1日、イラン中央銀行が発表したインフレ率は3月までの1年間で31.5%に達している[46]。輸出の停滞で外貨収入が減少し、イラン・リヤルが暴落、実際のインフレ率はさらに高いとみられている[46]




北朝鮮




ベネズエラ


世界屈指の原油埋蔵量を誇るベネズエラは、原油が輸出全体の9割を占めていたが、2015年に原油価格が急落するとベネズエラ経済が危機に陥った。2015年のインフレーション率は98.3%[47]、2016年のインフレ率は700%に達した。2008年から2016年までの累積インフレ率は2,000%を超えている[48]。2018年7月23日、IMFは2018年末のベネスエラのインフレ率が100万%に達する旨の見解を発表した[49]



ハイパーインフレーションについての議論



森永卓郎は「ハイパー・インフレーションは、輸入価格・人件費・利益のいずれかが極端に大きくなったときに起きる。人件費・利益が10倍になるということは考えられず、現実的なのは輸入価格が大きくなることである」と指摘している[50]


物価(供給コストの合計) = 輸入価格 + 人件費 + 利益[50]


経済学者の飯田泰之は「ハイパーインフレが起きる国は二通りだけである。通貨発行主体の継続性が疑われた場合、例えば外国に占領されるんじゃないかという場合と、すでに占領されてしまった場合。つまり、国が崩壊する、革命、戦争という状況下に起こりえるものである」と指摘している[51]


経済学者の若田部昌澄は「ハイパーインフレが先進国で起きるのは稀である。ハイパーインフレは、社会が混乱状態に陥るときに起きやすい」と指摘している[52]


経済学者の田中秀臣は「歴史的な経験から見てハイパーインフレの原因は、主に深刻な財政赤字をファイナンスするためのシニョリッジの利用、その帰結としての急激な貨幣成長率にある」と指摘している[53]。田中は「『不況を解消するために行われた金融緩和が原因でハイパーインフレが起きた』という歴史的経験は存在しない」と指摘している[54]



脚注


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  1. ^ 木立順一 『黄金の国 悠久の心の文化の歴史から目指す未来像』 メディアポート、2015年、154頁。

  2. ^ abcd矢野浩一「ハイパーインフレとデフレ 〜合理的期待と政策レジーム」講義資料


  3. ^ 浜田宏一・若田部昌澄・勝間和代 『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』 東洋経済新報社、2010年[要ページ番号]


  4. ^ 若田部昌澄 『もうダマされないための経済学講義』 光文社〈光文社新書〉、2012年、169頁。

  5. ^ ab神樹兵輔 『面白いほどよくわかる 最新経済のしくみ-マクロ経済からミクロ経済まで素朴な疑問を一発解消(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2008年、90頁。

  6. ^ ab岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、2004年、31頁。

  7. ^ ab岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、2004年、171頁。


  8. ^ 田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、3頁。


  9. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、194頁。

  10. ^ ab田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、189頁。


  11. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、189-190頁。

  12. ^ ab日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、82頁。


  13. ^ "The Death of Paper Money"—London Telegraph 25 July 2010—City of London Bankers are buying up book on the Weimar Inflation:


  14. ^ 若田部昌澄 『改革の経済学』 ダイヤモンド社、2005年、233頁。


  15. ^ スティーヴン・ランズバーグ 『ランチタイムの経済学-日常生活の謎をやさしく解き明かす』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2004年、114-115頁。

  16. ^ abcd居城弘「第一次大戦後のドイツ資本主義における外資導入と中央銀行政策(一) (PDF) 」 、『靜岡大学法経研究』23(1)、靜岡大学、1974年、 pp.1-22、 NAID 110007665720。、14-21p


  17. ^ 岩田規久男 『インフレとデフレ』 講談社〈講談社学術文庫〉、2012年、32-33頁。


  18. ^ 原田泰・神田慶司 『物価迷走 ――インフレーションとは何か』 角川書店〈角川oneテーマ21〉、2008年、204頁。


  19. ^ 日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、84頁。


  20. ^ 井代彬雄「ナチス体制初期の労働政策 (PDF) 」 、『大阪教育大学紀要. II, 社会科学・生活科学』第21号、大阪教育大学、1972年、 pp.139-156、 NAID 110004084682。、143p


  21. ^ 大泉英次「ドイツ信用恐慌とブリュ-ニング政策」、『経済学研究』第26巻第3号、北海道大学經濟學部 = HOKKAIDO UNIVERSITY SAPPORO,JAPAN、1976年8月、 p537-587、 NAID 120000950722。


  22. ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、73頁。


  23. ^ 村上和光「ナチス経済の展開と景気変動過程(下)現代資本主義論の体系化(10) (PDF) 」 、『金沢大学経済学部論集』27(1)、金沢大学経済学部、2007年、 pp.67-102、 NAID 120001342298。88-90p


  24. ^ 村上和光「ナチス経済の展開と景気変動過程(下)現代資本主義論の体系化(10) (PDF) 」 、『金沢大学経済学部論集』27(1)、金沢大学経済学部、2007年、 pp.67-102、 NAID 120001342298。、73-78p


  25. ^ 歴史に学ぶインフレより怖いデフレの危険性WEDGE Infinity(ウェッジ) 2014年5月15日


  26. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、178頁。


  27. ^ 高安秀樹ら(2002)


  28. ^ 1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)。


  29. ^ 1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)。


  30. ^ スティーヴン・ランズバーグ 『ランチタイムの経済学-日常生活の謎をやさしく解き明かす』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2004年、114頁。

  31. ^ ab上念司 『日本は破産しない! 〜騙されるな!「国債暴落で国家破産!」はトンデモ話だ!』 宝島社、2010年、22頁。


  32. ^ 上念司 『「日銀貴族」が国を滅ぼす』 光文社〈光文社新書〉、2010年、142頁。


  33. ^ 上念司 『日本は破産しない! 〜騙されるな!「国債暴落で国家破産!」はトンデモ話だ!』 宝島社、2010年、24頁。


  34. ^ 上念司 『日本は破産しない! 〜騙されるな!「国債暴落で国家破産!」はトンデモ話だ!』 宝島社、2010年、26頁。


  35. ^ 上念司 『日本は破産しない! 〜騙されるな!「国債暴落で国家破産!」はトンデモ話だ!』 宝島社、2010年、27頁。


  36. ^ 神樹兵輔 『面白いほどよくわかる世界経済-日本を取り巻く世界経済の現状とその問題点(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2010年、148頁。


  37. ^ 北村行伸「ソブリンリスクの歴史と教訓」(証券アナリストジャーナル, 2011-01)[1][2]PDF-P.7

  38. ^ abc神樹兵輔 『面白いほどよくわかる世界経済-日本を取り巻く世界経済の現状とその問題点(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2010年、178頁。


  39. ^ 栗原昇・ダイヤモンド社 『図解 わかる!経済のしくみ[新版]』 ダイヤモンド社、2010年、198頁。


  40. ^ 栗原昇・ダイヤモンド社 『図解 わかる!経済のしくみ[新版]』 ダイヤモンド社、2010年、199頁。


  41. ^ 上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、125頁。


  42. ^ 三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ』 彩図社、2009年、65頁。

  43. ^ ab田中秀臣・上念司 『震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!』 宝島社、2011年、204頁。


  44. ^ 原田泰・大和総研 『新社会人に効く日本経済入門』 毎日新聞社〈毎日ビジネスブックス〉、2009年、136頁。


  45. ^ 高橋洋一 『高橋教授の経済超入門』 アスペクト、2011年、41頁。

  46. ^ abイラン、制裁でインフレ30%超 輸出滞り外貨得られず日本経済新聞 2013年4月7日


  47. ^ “ハイパーインフレに喘ぐベネズエラ、飢饉状態で略奪横行/注目トピックス 経済総合” (日本語). ロイター. (2016年5月13日). http://jp.reuters.com/article/idJP00093300_20160513_00320160512 2016年6月9日閲覧。 


  48. ^ 今年だけでもインフレ率700%のベネズエラ、新札発行も届かず大混乱 HARBOR BUSINESS Online(2016年12月19日)2018年1月1日閲覧


  49. ^ Alejandro Werner (2018年7月23日). “Outlook for the Americas: A Tougher Recovery”. IMF Blog. 2018年7月25日閲覧。

  50. ^ ab森永卓郎 『「騙されない!」ための経済学 モリタク流・経済ニュースのウラ読み術』 PHP研究所〈PHPビジネス新書〉、2008年、85頁。


  51. ^ 「○○だからデフレ」論を喝破する【三橋貴明×飯田泰之】Vol.2 日刊SPA! 2012年9月14日


  52. ^ 若田部昌澄 『もうダマされないための経済学講義』 光文社〈光文社新書〉、2012年、173頁。


  53. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、190頁。


  54. ^ 田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、194頁。






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