野村万作
にせい のむら まんさく 二世 野村 万作 | |
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生年月日 | (1931-06-22) 1931年6月22日(87歳) |
出生地 | 東京都 |
国籍 | ![]() |
職業 | 狂言師 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1934年 - 現在 |
活動内容 | 1934年:初舞台 1950年:二世万作を襲名 1990年:日本芸術院賞、紫綬褒章 2007年:人間国宝 2015年:文化功労者 |
配偶者 | 阪本若葉子(詩人) |
著名な家族 | 父:六世野村万蔵 兄:七世野村万蔵(野村萬) 弟:野村四郎 弟:野村万之介 子:二世野村萬斎 |
二世 野村 万作(にせい のむらまんさく、旧字体:萬作、本名・野村 二朗(のむら じろう)、1931年(昭和6年)6月22日 - )は、狂言方和泉流の能楽師。「万作の会」主宰。東京出身。東京都立小石川高等学校、早稲田大学文学部卒業。称号 (現学位)は文学士。紫綬褒章。人間国宝。練馬区名誉区民。
目次
1 概要
1.1 来歴
1.2 人物
1.3 家族
2 年譜
3 出版物・参考文献
4 外部サイト
概要
来歴
人間国宝・六世野村万蔵の次男として生まれる。3歳で初舞台を踏み、1950年(昭和25年)に二世万作を襲名。戦後の伝統芸能不遇の時代から狂言の普及に努め、広い支持を集めた。
以後芸術祭大賞、日本芸術院賞、紀伊國屋演劇賞、坪内逍遥大賞など受賞多数。1990年(平成2年)には紫綬褒章受章。2007年には父に続いて人間国宝に各個認定されている。
人物
『釣狐』を都合26回もつとめてその役柄を磨き上げたことに代表されるように、本来は地味だが芯が太く、芸に関しては情熱的で妥協を許さず、何かをこうと決めたらそれをとことんまで追究する性格。能楽ファンはそんな万作に早くから注目していたが、一般にはどちらかというとあまり目立つ存在ではなかった。しかし1977年に「ネスカフェゴールドブレンドの「違いの分かる男」に選ばれてCM出演をするようになると、その名と顔が一躍全国のお茶の間にまで知られる存在となった。
家族
妻で詩人の阪本若葉子(阪本越郎の長女)との間に、一人息子の二世野村萬斎、孫に野村裕基(萬斎の長男)。また兄に七世野村万蔵(野村萬)、弟に野村四郎と野村万之介がいる。甥に九世野村万蔵、二世野村万禄がいる。
年譜
- 1934年 『靫猿』で初舞台
- 1950年 二世万作襲名。『三番叟』『奈須与市語』を被く。
- 1956年 『釣狐』を被く。
- 1960年 『花子』を被く。
- 1978年 文化庁芸術祭大賞受賞。
- 1979年 紀伊国屋演劇賞受賞。
- 1982年 文化庁芸術祭優秀賞受賞。
- 1986年 法政大学観世寿夫能楽賞を受賞。「狸腹鼓」を被く。
- 1990年 日本芸術院賞受賞。
- 1995年 紫綬褒章受章。
- 1998年 坪内逍遙大賞受賞。
- 2003年 ベスト・ファーザー イエローリボン賞受賞。
- 2006年 朝日賞受賞。
- 2007年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定(各個認定)。
- 2008年 練馬区名誉区民に選定。長谷川伸賞受賞。
- 2011年 練馬文化センター名誉館長就任。
- 2012年 旭日小綬章受勲。
- 2015年 文化功労者。
出版物・参考文献
本人著書に自伝的随筆の『太郎冠者を生きる』(野村万作 著、白水社 1984年、ISBN: 4560032289、白水Uブックス 1991年)がある。
また狂言師野村万作を多角的に分析した芸談に『狂言 三人三様 野村万作の巻(最終回)』(野村萬斎・土屋恵一郎 編、岩波書店 2003年)がある。
外部サイト
- 万作の会 公式サイト
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