恒州 (河北省)























































中国地名の変遷

建置
北周

使用状況
1913年廃止
南北朝 恒州
恒州
恒山郡
高陽郡に統合
恒山郡
恒州
常山郡
平山郡
恒州
鎮州
五代 鎮州
真定府
鎮州
恒州
鎮州
真定府
鎮州

北宋/遼
鎮州
真定府

南宋/金
真定府
真定路
真定府
真定府
正定府
中華民国 廃止

恒州(こうしゅう)は中国にかつて存在した州。




目次






  • 1 魏晋南北朝時代


  • 2 隋代


  • 3 唐代


  • 4 五代十国時代


  • 5 宋代以降


  • 6 関連項目


  • 7 注釈





魏晋南北朝時代


北周により恒州が設置された。



隋代


隋朝は恒州を設置、下部に2郡5県を管轄した。607年(大業3年)、郡制施行に伴い恒州は恒山郡と改称[1]され下部に8県を管轄した。613年(大業9年)に恒山郡は廃止となり高陽郡に統合されたが、617年(義寧元年)に再び設置されている。隋朝の行政区分に関しては下表を参照。
































隋朝の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
恒州 定州
恒山郡
常山郡 蒲吾郡 鮮虞郡
真定県 井陘県 霊寿県
行唐県 九門県 滋陽県
石邑県 房山県

真定県 井陘県

霊寿県 蒲吾県
行唐県

新市県


唐代


618年(武徳元年)、唐朝は恒山郡を廃止し恒州を設置した。742年(天宝元年)には常山郡と改称、756年(天宝15年)には平山郡と改称された。758年(乾元元年)、郡制廃止に伴い平山郡は再び恒州と改称、821年(長慶元年)正月には穆宗の諱を避けるべく鎮州と改称された。



五代十国時代


923年(同光元年)4月、後唐は鎮州を真定府と改編したが11月には再び鎮州に戻されている。942年(天福7年)、後晋は鎮州を恒州と改称している。続いて後漢が建朝されると947年(天福12年)に再び鎮州、948年(乾祐元年)に真定府と改称された。後周が成立すると951年(広順元年)に鎮州とめまぐるしく改称されている。



宋代以降


宋朝が成立すると当初は鎮州が設置されたが、1048年(慶暦8年)に真定府と改称され、金朝に踏襲された。モンゴル帝国がこの地を支配した後は
、1229年に真定路と改称、明朝が成立した1368年(洪武元年)に真定府と改称された。清代になると1723年(雍正元年)に雍正帝の諱を避けるべく正定府と改称され、清末まで沿襲された。中華民国が成立すると1913年(民国2年)の府制廃止に伴い正定府は廃止された。



関連項目


  • 趙州


注釈




  1. ^ 『元和郡県志』では大業9年に恒州が廃止となり高陽郡に統合されたとあるが、これは誤りである。











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