六文銭 (音楽ユニット)
| 六文銭 | |
|---|---|
| 出身地 | |
| ジャンル | フォークソング |
| 活動期間 | 1968年 - 1972年 |
| レーベル | URC Bellwood |
| メンバー | 小室等 原茂 及川恒平 橋本良一 四角佳子 |
| 旧メンバー | 小林雄二 岩沢幸矢 石川鷹彦 入川捷 小林百合子 木田高介 安田裕美 小室のり子 山口裕美 若松広正 |
六文銭(ろくもんせん)は小室等が中心となって結成された音楽ユニット。「雨が空から降れば」、上條恒彦と歌った「出発(たびだち)の歌」がヒットした。1968年結成。1972年解散。メンバーは年単位で頻繁に入れ替わっていた。
目次
1 グループ名の由来
2 歩み
3 主なメンバー
4 後継ユニット
4.1 新六文銭
4.2 まるで六文銭のように
4.3 六文銭'09
4.4 六文銭
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
グループ名の由来
グループ名は、三途の川の渡し賃とされる六文銭に由来とされているが、小室等は「月と六ペンス」の「六ペンス」を「六文銭」と訳したとしている。また、とある居酒屋の名前からとったとも言っている。最近のインタビューによれば、日本語によるグループ名を決めようとしている際に見かけた、居酒屋の看板「六文銭」に着想を得、「月と六ペンス」にひっかけて命名したとしている[1]。
歩み
1968年結成。
1969年4月、中川五郎とのカップリングアルバム『六文銭・中川五郎』でURCレコードからデビューする。
1971年、上條恒彦と共演した曲「出発の歌」が、三重県の合歓の郷で行われた「ポピュラーソング・フェステバル'71」でグランプリ受賞。次いで、11月、第2回世界歌謡祭でグランプリを獲得。1972年4月25日、ベルウッドレーベルの第1回新譜として『キング・サーモンのいる島』リリース。同年の解散に伴い、『六文銭メモリアル』をリリースした。
主なメンバー
小室等(リーダー、現在ソロとして活動している)- 小林雄二(1967年 - 1969年)
- 岩沢幸矢(1967年、現在はブレッド&バターで活動している)
石川鷹彦(1968年)- 入川捷(1968-1969)
- 小林百合子(1969年)
木田高介(1970年)
安田裕美(1970年)- 小室のり子(1970年)
- 山口裕美(1970年)
- 若松広正(1970年)
- 原茂(1970年 - 1972年)
及川恒平(1970年 - 1972年)- 橋本良一(1971年 - 1972年)
四角佳子(1971年 - 1972年)
後継ユニット
解散後、後継ユニットが編成されたことがある。
新六文銭
1973年1月、1972年に吉田拓郎のバックバンドを務めた柳田ヒロのグループと小室等が組んで、"新六文銭"を結成。メンバーは小室等(ギター・ボーカル)、柳田ヒロ(キーボード)、後藤次利(ベース)、チト河内(ドラムス)、吉田拓郎(リードギター・ボーカル)という顔ぶれ。ところが、ツアーの最中に起きた出来事[2]によって、ツアーのキャンセルなどが起こり、新六文銭はまともに音源を残さぬまま消滅した[3]。この新六文銭の消滅の経緯については、吉田拓郎と小室等の合作によるデュエット曲「君に会ってからというものボクは」でお互いがコミカルな掛け合いで歌っている。
その後、チト河内と後藤次利はフラワー・トラベリン・バンドの元メンバーらと共にトランザムを結成した。
まるで六文銭のように
2000年10月、及川恒平、小室等、四角佳子の3人で「六文銭」時代の曲を歌ったことをきっかけに活動がはじまる。
六文銭'09
2009年4月22日、こむろゆいが加入。「六文銭'09」にユニット名を改め、アルバム『おとのば』を発売。
六文銭
2018年11月7日、アルバム「自由」をリリースと同時にユニット名を元々の「六文銭」に戻した[4]。
脚注
^ NHKラジオ第1放送「今日も元気でわくわくラジオ」2007年12月24日放送分
^ 吉田拓郎#CBS(オデッセイレーベル)所属期の項目参照。
^ 地球音楽ライブラリー 吉田拓郎、TOKYO FM出版、p8]
^ 「正座して聴け! 六文銭のプロテストソング集が持つ50年の重み」AREA dot. 2018年11月16日
関連項目
- 小室等
- まるで六文銭のように
- ベルウッド・レコード
- 吉田拓郎
外部リンク
- オフィス・キーズ オフィシャルサイト
- ベルウッド・レコード - 六文銭
