エアボーン







演習において落下傘降下を行うアメリカ軍


エアボーン(英: Airborne)は、兵員を高速で長距離移動させたり、敵の背後に部隊を展開させることを目的として、飛行中の輸送機から兵員が落下傘降下すること。グライダーを利用することもある。


日本語では日本陸軍の造語である「空中挺進(くうちゅうていしん)」または「空輸挺進(くうゆていしん)」を略した「空挺(くうてい)」と称され、陸上自衛隊では「空挺」と言う語をそのまま用いている。「挺進」を「挺身」と書く場合があるが、挺身には「身を捨てる」という意味があり、危険を顧みず自身の身を捨てて敵陣中に降下する姿を形容した語である。


これとは別に航空機が離陸した状態のこと。転じて離陸タイミング、離陸した瞬間を指す場合もある。




目次






  • 1 概要


  • 2 利点および欠点


  • 3 歴史


    • 3.1 黎明期


    • 3.2 第二次世界大戦時


    • 3.3 第二次世界大戦後




  • 4 各国の部隊


  • 5 その他の意味・用法


  • 6 脚注


  • 7 関連項目





概要



空挺では、輸送機に兵員が分乗し、戦闘機や攻撃機、COIN機の護衛を受けながら戦線の後方へと侵攻し、パラシュート降下またはグライダーの強行着陸によって部隊を展開することができる。ヘリコプターで展開地に降りるヘリボーンとは区別される。


地上に降りた後は通常の陸上部隊と同じように行動する。敵陣地や障害となる地形の影響を受けずに高速で戦略機動し、戦闘展開が可能であるところに特徴がある。


第二次世界大戦中、輸送機の発達と共に大きく発展した。第二次大戦のほか、朝鮮戦争や第一次インドシナ戦争、第二次中東戦争でも用いられた。



利点および欠点


ヘリボーンと比較して、以下のような利点を持つ。




  1. ヘリコプターより固定翼輸送機のほうが航続距離が圧倒的に長く、また、搭載量も多いため長距離および重量物を用いた作戦を行うことができる。

  2. ヘリコプターのように爆音を出さずに大部隊を迅速に展開できる。

  3. 敵軍の後方や防衛の空白地、空港や橋など戦略上重要な拠点に奇襲降下することができ、あるいは各種破壊工作を実施できる。


欠点としては、以下が挙げられる。




  1. 天候や地勢の制約を受けることが上げられる。雨天や濃霧、強風下で降下作戦は実施できない。礫地や湿性地、森林地帯、あるいは集落など建造物密集地への直接降下は大変危険であり、大規模なエアボーンを実施する際には啓開し地勢の比較的安定した降下地点が必要である。こういった場所の防衛は困難であり、降下地点が格好の攻撃対象となりやすい。

  2. 地上連絡線を無視して降下する場合、部隊の撤退は非常に困難である。

  3. 輸送機が対空攻撃に弱く、敵が対空兵器を多数準備した場合には、輸送機が撃墜されて作戦が失敗することもある。ただし、このことはヘリボーンと共通であり、実際、敵軍の防空網が健在な状態で大規模なエアボーンやヘリボーンが行われることは稀である。

  4. 降下する兵員はパラシュート降下操作を習得した者である必要があるため、養成に時間がかかる。また、落下傘の性質上兵員・物資の降下範囲が散らばり、風や地形のために兵員や物資が失われやすい。

  5. 基本的には軽歩兵であって、重装備の地上部隊と正面から戦闘するには不利である。

  6. パラシュートや輸送機などの機材を必要とするため、ヘリコプターと兵員があれば実施できるヘリボーンと違って、準備に時間がかかるため即応性がやや低い。

  7. 落下傘兵自身は装備が貧弱な軽歩兵に過ぎず、しかるのち地上部隊の増援と合流することが原則となる。増援部隊との合流に失敗するとマーケット・ガーデン作戦やクレタ島強襲のように敵地上部隊の反撃で大損害を受けてしまうことが多い。


  8. 義号作戦のように初めから増援を行わない作戦は生還を前提とできないため、特別攻撃隊の一種とみなされる。



歴史



黎明期


航空機により部隊を高速移動させるという構想は、ある程度現実的なものとしては1910年代から存在していた。パラシュートは、飛行機からの脱出方法として実用化されていたが、これを兵員輸送手段としても利用することが考えられた。例えば、第一次世界大戦中の1917年には、イギリスのウィンストン・チャーチルが、塹壕戦の膠着状態を打開する手段として、敵陣後方へのパラシュート降下の研究を指示していた[1]


実戦でパラシュート降下による兵員輸送が最初に実施されたのは、1916年10月のことである[2]。ドイツ軍の中尉と特務曹長がパラシュートを使い、鉄道破壊の任務で潜入作戦を成功させた。より明確な戦略的意義を帯びたものとしては、フランスのエブラール空軍少佐が部下1名とともに行った空挺侵入と、物資の空中投下による継続的な後方撹乱作戦が挙げられる。第一次大戦末期には、アメリカ陸軍航空隊のルイス・H・ブレリートン(英語版)少佐とウィリアム・ミッチェル准将らが、第1歩兵師団の一部をメスの敵陣後方へとパラシュート降下させる計画を提案した。ミッチェルらは1919年2月の実行を計画したが、そのような投機的な作戦を実施する必要がある戦況ではなくなり、中止された。


本格的な空挺部隊を最初に編成したのは、ソ連軍である。ソ連にはナップサックパラシュートの先駆者グレープ・コテルニコフがいた。ソ連は、1927年の冬季大演習で8人の工兵を空挺降下させ、その破壊工作が成功と判定されたことをきっかけに本格的なエアボーンの研究を始めた[2]。ソ連は、全土にパラシュートクラブを創設してパラシュート熟練者を集め、有事の空挺兵資源の養成を図った。1931年に現在のロシア空挺軍の起源となる最初の空挺部隊を創設した。また、空挺戦車などの研究も行っていた。1935年9月にはキエフで数百人規模の空挺部隊の降下演習を行い、翌年にはミンスク付近で火砲18門や自動車を伴う1,200人による空挺演習を成功させた。この演習は、アーチボルド・ウェーヴェルら各国の駐在武官も見学しており、驚く者が多かったが、実際に空挺部隊の創設に動き出した国は一部であった。1930年代後半には世界最大のエアボーンを誇っていた。


ドイツ軍がエアボーンの研究を本格的に始めたのは、1936年だった。ドイツはソ連と異なり、秘密裏に研究を進めた。



第二次世界大戦時





パレンバン空挺作戦における空挺降下(陸軍落下傘部隊)





1944年9月、マーケット・ガーデン作戦における空挺降下


第二次世界大戦においてはパラシュート降下のほか、グライダーによる強行着陸によるエアボーンが行われた。ヘリコプターは大戦末期にようやく実用化されたが、輸送能力が低すぎたためヘリボーンは行われなかった。


大戦中の1940年4月、ドイツ軍がデンマーク占領のためにオールボグルへ降下したのが最初の空挺作戦である。同年5月、ベルギーのエバン・エマール要塞攻略の際にもおよそ70人の空挺部隊が用いられ、ドイツ軍はグライダーで要塞上に降下した。この戦いでベルギーの守備隊1,200人が不意打ちに合い、ドイツに降伏した。ドイツ軍空挺部隊は1941年に行われたクレタ島の戦いにおいて島を占領する戦果を挙げたが、兵士と輸送機の損害が非常に大きかったため、これ以降は大規模な空挺作戦は行われなかった。しかし、初期のドイツ軍エアボーン作戦の成功は、各国に衝撃を与えた。


日本軍によるものでは、1942年(昭和17年)1月に海軍落下傘部隊によるセレベス島メナドへの、同年2月の陸軍落下傘部隊(挺進部隊)によるパレンバンへの降下作戦(パレンバン空挺作戦)などがある。特に太平洋戦争の最重要攻略目標であるパレンバン油田および飛行場を瞬く間に制圧した陸軍落下傘部隊の活躍は目覚しく、作戦に参加した兵員は後に「空の神兵」と呼ばれた。


大戦後半には、連合国側がクレタ島の戦いのドイツ軍を評価してわずか50人の実験的な空挺師団を整備運用し、ジョージア州フォートベニングで最初の活動を開始。その潜在能力をいち早く気付いたのが、隊長のウィリアム・リー少将であった。まさに、アメリカの空挺部隊の基盤を造った人物であり、『空挺の父』と呼ばれた。また、大戦中には2つの空挺師団が訓練を行っていた。「オール・アメリカン」こと第82空挺師団と、「スクリーミング・イーグル」こと第101空挺師団である。1943年のシチリア島上陸作戦のほか、ノルマンディー上陸作戦、マーケット・ガーデン作戦で用いている。特に、マーケット・ガーデン作戦は3個師団半が空挺降下するという大規模な作戦であった。このほか、空挺部隊生みの親であるソ連軍もキエフ奪回作戦時に空挺降下を行っている。


イギリス軍はビルマの戦いで、ウィンゲートがグライダーを使って後方への侵入を度々行った。ここでは、グライダーによる降下だけでなく、回収までもが行われた。


なお、きわめて特異なエアボーンの例として、1942年2月末にソ連軍が行ったパラシュート無しでの降下作戦がある。現在のカルーガ州ユーフノフ西方のドイツ軍補給路付近に、超低空飛行中の輸送機から約1,000名のソ連兵が飛び降りた。積雪による安全な着地を期待したものであるが、約半数が負傷し、ドイツ軍の反撃も受けて失敗に終わった[3]



第二次世界大戦後


その後の朝鮮戦争の粛川・順川の戦いや第一次インドシナ戦争のディエンビエンフーの戦い、第二次中東戦争のポートサイドの戦いでも用いられている。しかし、その後はヘリコプターの性能が向上し、大規模なヘリボーンが可能となったため、投機性・危険性のあるパラシュート降下作戦の実施は減少した。


ベトナム戦争では、偵察や秘密任務[4]のために北ベトナムやラオス、カンボジアに向けて小規模な空挺作戦が行われたが、補助的なものであって大規模なものは行われなかった。


それでも1983年のグレナダ侵攻作戦では、アメリカ陸軍第75レンジャー連隊がポイント・サリネスにパラシュート降下作戦を実施。1989年のパナマ侵攻作戦(Operation Just Cause)ではアメリカ第82空挺師団第504パラシュート歩兵連隊を基幹とする第82空挺師団第1旅団がトリジョス国際空港において大規模なパラシュート降下作戦を実施した。この作戦の時は空挺戦車部隊1個中隊(M551 シェリダン空挺戦車10輌装備)をパラシュート降下させている。


アメリカのアフガニスタン侵攻において、アメリカのレンジャー部隊が半ば広報目的で夜間降下作戦を行っている。イラク戦争ではアメリカ第173空挺旅団がイラク北部のバシュール飛行場に対する空挺降下(ノーザン・ディレイ作戦)を実施している。



各国の部隊




  • 第1空挺団 - 陸上自衛隊唯一の空挺部隊。


  • 挺進部隊(挺進団・挺進連隊・滑空歩兵連隊等) - 日本陸軍の空挺部隊。

    • 第1挺進集団 - 末期に編成された日本陸軍の空挺師団。



  • 横須賀鎮守府第一、第三特別陸戦隊 - 日本海軍の空挺部隊。海軍陸戦隊の一部として編成。


  • 第82空挺師団/第101空挺師団/第173空挺旅団 - アメリカ軍の空挺部隊。


  • 第16空中強襲旅団 (イギリス軍)(英語版) - イギリス軍の空挺部隊。
    • 落下傘連隊 (イギリス陸軍)



  • 第11落下傘旅団 - フランス陸軍の空挺部隊。

    • 第2外人落下傘連隊 - フランス外人部隊の空挺部隊。



  • ドイツ降下猟兵 - ドイツの空挺部隊。第二次世界大戦時のドイツ国防軍では空軍が管轄し、大戦後のドイツ連邦軍では陸軍が、国家人民軍では地上軍が管轄した。


    • 特殊作戦師団 - ドイツ連邦陸軍の空挺部隊。


    • 第40航空突撃連隊 - 国家人民軍地上軍の空挺部隊。




  • ロシア空挺軍 - ロシア連邦軍の空挺部隊。


  • カザフスタン空中機動軍 - カザフスタン陸軍の空挺部隊。


  • 第25独立空挺旅団 - ウクライナ陸軍の空挺部隊。


  • 第15空挺軍 - 中国空軍の空挺部隊。


  • フォルゴーレ空挺旅団 - イタリア陸軍の空挺部隊。


  • 第25猟兵大隊 (オーストリア陸軍)(ドイツ語版) - オーストリア陸軍の空挺部隊。



その他の意味・用法


モータースポーツの世界では、車両が浮上するクラッシュを指す。これは、後方車が前方車のタイヤに乗り上げたり、車体下部に突然多くの空気が流れこむことで起こるものである。



脚注





  1. ^ Reproduced in Blunt, Victor, The User of Air Power. Military Service Publishing Company; Harrisburg, 1943: pp.v-ix.

  2. ^ ab徳永悦太郎「日本陸海軍空挺部隊かく戦えり」『丸』エキストラ版41集、潮書房、1975年、226頁以下


  3. ^ 高橋慶史『続ラスト・オブ・カンプフグルッペ』大日本絵画、2005年、8~9頁


  4. ^ このほかに、冷戦中にCIAが東欧諸国へスパイや破壊工作員を投入するために、(現在のHALOに相当する)ごく小規模な空挺作戦を行っていた




関連項目



  • 空中機動作戦

  • ヘリボーン


  • 高高度降下低高度開傘(HALO)


  • ジェロニモ - 米軍の兵士が飛行機から飛び降りるときの掛け声




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