久米仙人
久米仙人(くめ の せんにん)は、久米寺(奈良県橿原市)の開祖という伝説上の人物。
『久米寺流記』には名を毛堅仙と記されている。久米仙人に関する話は、『七大寺巡礼私記』『久米寺流記』『元亨釈書』『扶桑略記』などの仏教関係の諸書、あるいは『今昔物語集』『徒然草』『発心集』その他の説話・随筆など、多くの書に記述がある。
天平年間に大和国吉野郡龍門寺の堀に住まって、飛行の術をおこなっていたが、久米川[要曖昧さ回避]の辺で洗濯する若い女性の白い脛(はぎ)に見惚れて、神通力を失い、墜落し、その女性を妻とした。
高市郡に遷都されたとき、久米仙人もまた俗人として夫役につき材木を運搬していたが、仙人であることを知った行事官の揶揄に発憤し、七日七夜の修行ののち、ついに神通力を得て、巨材を空運させた。
時の天皇がこれを聞き、免田30町をたまわり、久米仙人はそこに寺を建立した。これが久米寺であるという。すなわち久米寺の縁起である(『今昔物語集』巻11)。
なお『七大寺巡礼私記』や『久米寺流記』などでは、遷都の工事ではなく、聖武天皇の東大寺造営のときの話とする。