吉野郡
吉野郡(よしのぐん)は、奈良県(大和国)の郡。
人口38,373人、面積2,054.9km²、人口密度18.7人/km²。(2018年11月1日、推計人口)
以下の3町8村を含む。
吉野町(よしのちょう)
大淀町(おおよどちょう)
下市町(しもいちちょう)
黒滝村(くろたきむら)
天川村(てんかわむら)
野迫川村(のせがわむら)
十津川村(とつかわむら)
下北山村(しもきたやまむら)
上北山村(かみきたやまむら)
川上村(かわかみむら)
東吉野村(ひがしよしのむら)
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 古代
2.1.1 式内社
2.2 近世
2.3 近代
2.3.1 町村制以前
2.3.2 町村制以降
2.3.3 変遷表
3 町村議長会公費コンパニオン宴会問題
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
郡域
1880年(明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町8村から大淀町の一部(佐名伝)を除き、下記を加えた区域にあたる。
五條市の一部(西吉野町各町・大塔町各町)
宇陀市の一部(大宇陀大熊・大宇陀牧・大宇陀栗野・大宇陀田原・大宇陀東平尾・大宇陀上片岡・大宇陀下片岡)
畿内では最大の面積を持つ郡であった。
歴史
古代
詳細は「吉野」を参照
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
吉野郡 10座(大5座・小5座) | |||||||
吉野水分神社 | ヨシノノミコモリノ -ミクマリ | 大 | 月次新嘗 | 吉野水分神社 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山字子守 | [1] | |
吉野山口神社 | ヨシノノヤマクチノ | 大 | 月次新嘗 | 吉野山口神社 | 奈良県吉野郡吉野町山口 | [2] | |
(参)勝手神社 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山 | ||||||
大名持神社 | オホナモチノ | 名神大 | 月次相嘗新嘗 | 大名持神社 | 奈良県吉野郡吉野町河原屋 | [3] | |
丹生川上神社 | ニフノカハカミノ | 名神大 | 月次新嘗 | 丹生川上神社(中社) | 奈良県吉野郡東吉野村小 | [4] | |
(参)丹生川上神社上社 | 奈良県吉野郡川上村迫 | ||||||
(参)丹生川上神社下社 | 奈良県吉野郡下市町長谷 | ||||||
金峯神社 | カネノミタケノ カナ- | 名神大 | 月次相嘗新嘗 | 金峯神社 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山青根ヶ嶺 | [5] | |
高桙神社 | タカホコノ | 小 | 鍬 | 高桙神社 | 奈良県吉野郡吉野町山口 | ||
川上鹿塩神社 | カハカミカシホノ | 小 | 鍬 | (論)式内川上鹿塩神社 | 奈良県吉野郡吉野町樫尾 | ||
(論)大蔵神社 | 奈良県吉野郡吉野町南国栖 奈良県吉野郡川上村東川 | ||||||
伊波多神社 | イハタノ | 小 | 伊波多神社 | 奈良県吉野郡天川村和田 | |||
波宝神社 | ハホノ | 小 | 鍬 | 波宝神社 | 奈良県五條市西吉野町夜中 | [6] | |
波比売神社 | ハヒメノ | 小 | 波比売神社 | 奈良県吉野郡下市町栃原 | [7] | ||
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近世
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は五條代官所が管轄。○は村内に寺社除地[1]が存在。(315村)
幕末の知行
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 297村 | 大滝領村[2]、塩谷村(現・川上村)、寺尾村、高原村、○人知村、井戸村、碇村、○下多古村、○中奥村、○神之谷村、上多古村、上谷村、○入之波村、大野村(現・吉野町南大野)、窪垣内村、○西河村、○南国栖村、○越部村[3]、日裏村(現・東吉野村)、伊豆尾村、萩原村、○洞川村、五色村、○平原村、下淵村、下片岡村、○平尾村(現・宇陀市)[4]、○下市村、今木村、○奥谷村、大堀村[5]、○夜中村、新子村(現・吉野町)、新子村(現・五條市)[6]、吉野山村、小栗栖村、○小路村、土田村、鷲家村、○四村、●椎原村、●杣谷村、●鹿場村、●汗入村、●○鳥住村、●長瀬村、●堂原村、●○梨子堂村、●尼ヶ生村、●八ッ川村、●屋那瀬村、●黒淵村、●津越村、●○百谷村、●平沼田村、●神野村、○広橋村、谷村、○栃本村[7]、○立石村、丹生村、●小古田村、南山村、貝原村、黒木村、西山村、長谷村、笠木村、○桂原村、粟飯谷村、○槙尾村、脇川村、寺戸村、御吉野村、○中戸村、赤滝村、石堂谷村、唐戸村、野々口村、○飯貝村、○橋屋村、○丹治村、○左曽村、六田村、上市村、左室村、喜佐谷村、○小村、○御園村、菜摘村、樫尾村、○大滝村、迫村(現・川上村)、白屋村、○和田村(現・川上村)、柏木村、大迫村、伯母谷村、南楢井村、北楢井村、宮滝村、○河原屋村、○鉾立村、○山口村、○大岩村、○東川村、武木村、白川渡村、佐々羅村、○畑屋村、檜垣本村、善城村、北曽木村、○和田村(現・五條市)、○立川渡村、永谷村、○城戸村、本谷村、川岸村、○茄子原村[8]、○阪巻村、宗川野村、船ノ川村(中峰村、中井傍示村、惣谷村、篠原村)、三津村、新野村、○中増村[9]、東千股村、○西千股村、北六田村、馬佐村、増口村、老野村、○大日川村、西野村(現・上北山村)[10]、大峯村、○平尾村(現・五條市)[11]、檜川迫村、○川股村、日裏村(現・五條市)[12]、迫村(現・五條市)[13]、○阿知賀村[14]、○陰地村、○田原村、○栗野村、牧村、大野村(現・吉野町三茶屋)、色生村、津風呂村、入野村、上片岡村、○新住村、○栃原村、○湯川村、湯川村之内・赤松村、○湯塩村、滝村(現・五條市)、○江出村、○向加名生村、芦原村、木津村、滝村(現・東吉野村)[15]、杉谷村、谷尻村、平野村、麦谷村、大豆生村、木津川村、鷲家口村、大熊村、三尾村、狭戸村、中黒村、○小瀬村、橡本村[16]、○河合村、○白川村、○西野村(現・五條市)、上池原村[17]、下池原村[17]、○池峯村、○寺垣内村、浦向村、佐田村、上桑原村、下桑原村、大瀬村、北角村[18]、九尾村[18]、栃尾村[18]、和田村(現・天川村)[18]、○日裏村(現・天川村)[18]、籠山村[18]、○庵住村[18]、○山西村[18]、○広瀬村[18]、滝尾村[18]、塩野村[18]、○塩谷村(現・天川村)[19]、中谷村[18]、●○沢原村[20]、○坪内村[20]、中越村[20]、沖金村[20]、○川合村[20]、小原村(現・天川村)[20]、沢谷村[20]、南角村[20]、辰巳屋新田[20]、十二村ノ内・一郷組(簾村、小代村、坂本村、中原村、今井村、唐笠村)、十二村ノ内・野長瀬組(閉君村、宇井村、清水村、引土村、飛養曽村、堂平村、猿谷村、辻堂村、殿野村)、十二村ノ内・川波組(中津川村、立里村、紫園村、池津川村)、十二村ノ内・野川組(平川村、柞原村、中村[現・野迫川村]、上村)、十二村ノ内・迫組(北股村、平村、今西村[現・野迫川村]、檜木股村、弓手原村)、長殿村[21]、谷瀬村、山手村(現・十津川村山天)、杉野瀬村、内原村、湯之原村、武蔵村、沼田原村、上野地村、内野村、川津村、野尻村、小井村、大野村(現・十津川村)、小川村(現・十津川村旭)、林村、五百瀬村、風屋村、山崎村、小原村(現・十津川村)、上葛川村、宇宮原村、高津村、三浦村、滝川村、池穴村、小森村、中村(現・十津川村東中)、下葛川村、山手谷村、七色村、谷垣内村、猿飼村、長井村、今西村(現・十津川村)、上湯川村、神山村、折立村、込ノ上村、那知合村、垣内村、玉垣内村、小山手村、大谷村、小川村(現・十津川村小川)、玉井川村、樫原村、桑畑村、樫尾崎村、出谷村、小坪瀬村、清之原村、高滝村、竹筒村、山手村(現・十津川村山手)、垣平村、田良原村、中村(現・十津川村西中)、迫西川村 |
旗本領 | 16村 | 持尾村[22]、○西増村、岩壺村、矢治村、香束村、平尾村(現・東吉野村)、柳村、西谷村(現・吉野町)、西谷村(現・下市町)[23]、○比曽村、峯寺村、矢走村、○滝畑村、志賀村、立野村、小名村 | |
藩領 | 大和高取藩 | 1村 | 薬水村 |
その他 | 寺社領 | 1村 | 前鬼村[24] |
近代
町村制以前
慶応4年
2月5日(1868年2月27日)[25] - 十津川郷を除く幕府領が奈良府の管轄となる。
5月21日(1868年7月10日) - 寺社領・旗本領が奈良府の管轄となる。
7月29日(1868年9月15日) - 奈良府が改称して奈良県(第1次)となる。
- 明治2年
3月6日(1869年4月17日) - 十津川郷が奈良府の管轄となる。- 6月 - 十津川郷が兵部省軍務官の管轄となる。
- 明治3年
2月27日(1870年3月28日) - 十津川郷・高取藩領を除く全域が五條県の管轄となる。
5月19日(1870年6月17日) - 十津川郷が五條県の管轄となる。
- 明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が高取県の管轄となる。
11月22日(1872年1月2日) - 第2次府県統合により、全域が奈良県の管轄となる。
- 明治6年(1873年) - 垣内村・垣平村が合併して平谷村となる。(314村)
- 明治7年(1874年)(312村)
- 杉野瀬村・清之原村が合併して杉清村となる。
- 樫尾崎村・田良原村が合併して重里村となる。
- 明治8年(1875年)(309村)
- 小瀬村・橡本村が合併して小橡村となる。
- 大堀村が奥谷村に、左室村が飯貝村にそれぞれ合併。
- 小川村(現・十津川村旭)が改称して旭村となる。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により堺県の管轄となる。
- 明治11年 - 椎原村・杣谷村が合併して原谷村となる。(308村)
- 明治12年(1879年) - 東千股村・西千股村が合併して千股村となる。(307村)
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての吉野郡が発足。宇智郡五條村に「五條郡役所」が設置され、同郡とともに管轄したが、まもなく「宇智吉野郡役所」に改称。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治15年(1882年)
- 塩谷村(現・川上村)が北塩谷村、新子村(現・五條市)が西新子村、迫村(現・五條市)が勢井村(現・五條市)、西野村(現・上北山村)が西原村、滝村(現・東吉野村)が滝野村、小原村(現・天川村)が北小原村、今西村(現・野迫川村)が北今西村、山手村(現・十津川村山天)が山天村、西谷村(現・下市町)が才谷村にそれぞれ改称。
- 3ヶ所存在した大野村のうち2ヶ所が改称して南大野村(現・吉野町南大野)、北大野村(現・吉野町三茶屋)となる。
- 3ヶ所存在した日裏村のうち2ヶ所が改称して西日裏村(現・五條市)、南日裏村(現・天川村)となる。
- 3ヶ所存在した平尾村のうち2ヶ所が改称して東平尾村(現・宇陀市)、平雄村(現・五條市)となる。
- 3ヶ所存在した和田村のうち1ヶ所(現・川上村)が改称して北和田村となる。
- 3ヶ所存在した中村のうち2ヶ所が改称して東中村(現・十津川村東中)、西中村(現・十津川村西中)となる。
- 明治17年(1884年) - 下葛川村・神山村が合併して神下村となる。(306村)
- 明治20年(1887年)11月4日 - 奈良県(第2次)の管轄となる。
町村制以降
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町25村)
上市町 ← 上市村、立野村(現・吉野町)
吉野村 ← 吉野山村、丹治村、飯貝村、橋屋村、左曽村、六田村(現・吉野町)
大淀村 ← 檜垣本村、土田村、越部村、畑屋村、芦原村、持尾村、矢走村、岩壺村、鉾立村、下淵村、今木村、薬水村、大岩村、増口村、北六田村、新野村、馬佐村、比曽村、西増村、中増村(現・大淀町)
下市村 ← 下市村、阿知賀村、小路村、新住村、栃原村、平原村、梨子堂村、原谷村、石堂谷村、栃本村、善城村(現・下市町)
秋野村 ← 四村、立石村、広橋村(現・下市町)
南芳野村 ← 赤滝村、中戸村、寺戸村、脇川村、槙尾村、鳥住村、粟飯谷村、堂原村、御吉野村、長瀬村、桂原村、笠木村(現・黒滝村)、才谷村、丹生村、長谷村、谷村、西山村、貝原村、黒木村(現・下市町)
白銀村 ← 汗入村、鹿場村、小古田村、南山村、八ツ川村、尼ヶ生村、唐戸村、奥谷村、夜中村、西新子村、平沼田村、百谷村、赤松村、湯川村(現・五條市)
賀名生村 ← 和田村、屋那瀬村、向加名生村、大日川村、黒淵村、湯塩村、滝村、老野村、江出村、神野村、北曽木村(現・五條市)
宗檜村 ← 勢井村、西日裏村、川股村、平雄村、茄子原村、本谷村、永谷村、立川渡村、宗川野村、西野村、阪巻村、城戸村、川岸村、陰地村、津越村、大峯村、檜川迫村(現・五條市)
天川村 ← 洞川村、北角村、南角村、中越村、川合村、沖金村、沢谷村、中谷村、沢原村、北小原村、南日裏村、坪内村、五色村、九尾村、栃尾村、和田村、籠山村、庵住村、山西村、広瀬村、滝尾村、塩野村、辰巳屋新田、塩谷村(現存)
野迫川村 ← 今井村、平川村、柞原村、中村、上村、池津川村、紫園村、中津川村、立里村、北股村、檜木股村、北今西村、弓手原村、平村(現存)
大塔村 ← 辻堂村、殿野村、閉君村、宇井村、猿谷村、堂平村、飛養曽村、引土村、清水村、中峰村、中井傍示村、惣谷村、篠原村、坂本村、簾村、小代村、中原村、唐笠村(現・五條市)
北十津川村 ← 長殿村、沼田原村、旭村、宇宮原村、谷瀬村、上野地村、林村、高津村、内野村、山天村、三浦村、五百瀬村、杉清村(現・十津川村)
十津川花園村 ← 川津村、風屋村、滝川村、内原村、野尻村、山崎村、池穴村(現・十津川村)
中十津川村 ← 武蔵村、大野村、小原村、湯之原村、小井村、小森村(現・十津川村)
西十津川村 ← 重里村、長井村、玉垣内村、今西村、大谷村、西中村、小山手村、小坪瀬村、迫西川村、上湯川村、出谷村(現・十津川村)
南十津川村 ← 平谷村、樫原村、込ノ上村、猿飼村、桑畑村、七色村、山手村、谷垣内村、那知合村(現・十津川村)
東十津川村 ← 折立村、高滝村、小川村、上葛川村、東中村、神下村、玉井川村、竹筒村、山手谷村(現・十津川村)
下北山村 ← 上池原村、下池原村、池峯村、寺垣内村、浦向村、佐田村、上桑原村、下桑原村、大瀬村、前鬼村(現存)
上北山村 ← 西原村、小橡村、河合村、白川村(現存)
川上村 ← 東川村、西河村、大滝村、寺尾村、北塩谷村、迫村、高原村、人知村、白屋村、井戸村、武木村、下多古村、上多古村、神之谷村、柏木村、北和田村、中奥村、上谷村、大迫村、伯母谷村、入之波村、白川渡村、碇村(現存)
国樔村 ← 野々口村、南国栖村、新子村、窪垣内村、入野村、南大野村、矢治村、樫尾村、菜摘村、宮滝村、喜佐谷村、御園村、南楢井村、北楢井村(現・吉野町)
小川村 ← 鷲家口村、小村、木津川村、小栗栖村、中黒村(現・東吉野村)
四郷村 ← 三尾村、狭戸村、大豆生村、麦谷村(現・東吉野村)
高見村 ← 鷲家村、萩原村、日裏村、伊豆尾村、木津村、杉谷村、平野村、滝野村、谷尻村(現・東吉野村)
龍門村 ← 佐々羅村、峯寺村、河原屋村、千股村、志賀村、滝畑村、三津村、西谷村、平尾村、津風呂村、山口村、香束村、柳村、色生村、小名村、北大野村(現・吉野町)、大熊村、牧村、栗野村、田原村、東平尾村、上片岡村、下片岡村(現・宇陀市)
- 明治23年(1890年)
- 4月1日 - 下市村が町制施行して下市町となる。(2町24村)
6月19日 - 十津川花園村・西十津川村・北十津川村・南十津川村・東十津川村・中十津川村が合併して十津川村が発足。(2町19村)
- 明治23年(1890年)9月29日 - 龍門村の一部(大熊・牧・栗野・田原・東平尾・上片岡・下片岡)が分立して上龍門村が、一部(香束・柳・色生・小名・北大野)が分立して中龍門村がそれぞれ発足。(2町21村)
- 明治27年(1894年)6月14日 - 国樔村の一部(矢治・樫尾・菜摘・宮滝・喜佐谷・御園・南楢井・北楢井)が分立して中荘村が発足。(2町22村)
- 明治30年(1897年)8月1日 - 郡制を施行。郡役所が上市町に設置。
- 明治45年(1912年)7月1日 - 南芳野村が分割され、一部(丹生・長谷・谷・西山・貝原・黒木)に丹生村が、残部(赤滝・中戸・寺戸・脇川・槇尾・鳥住・才谷・粟飯谷・堂原・御吉野・長瀬・桂原・笠木)に黒滝村がそれぞれ発足。(2町23村)
大正10年(1921年)2月11日 - 大淀村が町制施行して大淀町となる。(3町22村)- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和3年(1928年)4月29日 - 吉野村が町制施行して吉野町となる。(4町21村)- 昭和17年(1942年)2月11日 - 上龍門村が宇陀郡松山町・神戸村・政始村と合併して宇陀郡大宇陀町が発足。(4町20村)
- 昭和24年(1949年)
1月1日 - 高見村の一部(鷲家)が小川村に編入。
5月3日 - 黒滝村の一部(才谷)が秋野村に編入。
- 昭和27年(1952年)7月1日 - 大淀町が宇智郡大阿太村の一部(佐名伝)を編入。
- 昭和31年(1956年)
- 1月1日 - 秋野村が下市町に編入。(4町19村)
- 5月3日 - 上市町・吉野町・中荘村・国樔村・中龍門村・龍門村が合併し、改めて吉野町が発足。(3町15村)
9月30日 - 丹生村が下市町に編入。(3町14村)
- 昭和33年(1958年)3月1日 - 小川村・四郷村・高見村が合併して東吉野村が発足。(3町12村)
- 昭和34年(1959年)4月1日 - 白銀村・賀名生村・宗檜村が合併して西吉野村が発足。(3町10村)
平成17年(2005年)9月25日 - 西吉野村・大塔村が五條市に編入。(3町8村)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
上市町 | 上市町 | 上市町 | 上市町 | 昭和31年5月3日 吉野町 | 吉野町 | 吉野町 | |
吉野村 | 吉野村 | 昭和3年4月24日 町制 | 吉野町 | ||||
国樔村 | 国樔村 | 国樔村 | 国樔村 | ||||
明治27年6月8日 中荘村 | 中荘村 | 中荘村 | |||||
龍門村 | 龍門村 | 龍門村 | 龍門村 | ||||
明治23年9月23日 中龍門村 | 中龍門村 | 中龍門村 | |||||
明治23年9月23日 上龍門村 | 昭和17年2月11日 宇陀郡 大宇陀町の一部 | 宇陀市 | |||||
大淀村 | 大淀村 | 大正10年2月11日 町制 | 大淀町 | 大淀町 | 大淀町 | 大淀町 | |
宇智郡 大阿太村の一部 | 昭和27年7月1日 宇智郡大阿太村佐名伝を編入 | ||||||
下市村 | 明治23年4月1日 町制 | 下市町 | 下市町 | 下市町 | 下市町 | 下市町 | |
秋野村 | 秋野村 | 秋野村 | 秋野村 | 昭和31年1月1日 下市町に編入 | |||
南芳野村 | 明治45年7月1日 丹生村 | 丹生村 | 丹生村 | 昭和31年9月30日 下市町に編入 | |||
明治45年7月1日 黒滝村 | 黒滝村 | 黒滝村 | 黒滝村 | 黒滝村 | 黒滝村 | ||
天川村 | 天川村 | 天川村 | 天川村 | 天川村 | 天川村 | 天川村 | |
野迫川村 | 野迫川村 | 野迫川村 | 野迫川村 | 野迫川村 | 野迫川村 | 野迫川村 | |
下北山村 | 下北山村 | 下北山村 | 下北山村 | 下北山村 | 下北山村 | 下北山村 | |
上北山村 | 上北山村 | 上北山村 | 上北山村 | 上北山村 | 上北山村 | 上北山村 | |
川上村 | 川上村 | 川上村 | 川上村 | 川上村 | 川上村 | 川上村 | |
北十津川村 | 明治23年6月19日 十津川村 | 十津川村 | 十津川村 | 十津川村 | 十津川村 | 十津川村 | |
十津川花園村 | |||||||
中十津川村 | |||||||
西十津川村 | |||||||
南十津川村 | |||||||
東十津川村 | |||||||
四郷村 | 四郷村 | 四郷村 | 四郷村 | 昭和33年3月1日 東吉野村 | 東吉野村 | 東吉野村 | |
高見村 | 高見村 | 高見村 | 高見村 | ||||
小川村 | 小川村 | 小川村 | 小川村 | ||||
大塔村 | 大塔村 | 大塔村 | 大塔村 | 大塔村 | 平成17年9月25日 五條市に編入 | 五條市 | |
白銀村 | 白銀村 | 白銀村 | 白銀村 | 昭和34年4月1日 西吉野村 | |||
賀名生村 | 賀名生村 | 賀名生村 | 賀名生村 | ||||
宗桧村 | 宗桧村 | 宗桧村 | 宗桧村 |
町村議長会公費コンパニオン宴会問題
2015年2月、吉野郡内11町村のうちの9町村議会の議長でつくる「吉野郡町村議長会」が年2回の懇親会にコンパニオンを呼び、その費用を公費から支払う慣習が長年続いていることが分かった[26]。議長会会長の橋本史郎・東吉野村議会議長は、「例年通りのことであり、コンパニオンによる酌で、会合が円滑に進む」と必要性を強調し、来年度もコンパニオン付き宴会は続く予定だったが[26]、報道で騒がれたことから、後日、今後懇親会は自費で行うことを決定した[27]。
脚注
^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
^ 明治以降は不詳。喜佐谷村の桜木神社付近とみられる。本項では村数に数えない。
^ 一部は後に和歌山県が管轄。
^ 記載は「小川郷・平尾村」。
^ 記載は「奥谷村之内・大堀方村」。
^ 記載は「古田郷・新子村」。
^ ○栃本村・栃本新田に分かれて記載。
^ ○「茄子原村之内・日表方村」・「茄子原村之内・陰地方村」に分かれて記載。
^ ○中増村・「中増村之内・西増村」に分かれて記載。
^ 西野南村・西野北村に分かれて記載。
^ 記載は「宗川郷・平尾村」。
^ 記載は「宗川郷・日裏村」。
^ 記載は「日裏村之内・迫村」。
^ ●野々熊村・○「阿知賀村之内・原野村」・「阿知賀村之内・岡村」・「阿知賀村之内・中村」・「九助方・阿知賀村之内・中村」・「三郎兵衛方・阿知賀村之内・中屋村」・「三郎兵衛方・阿知賀村之内・下市出作」・「三郎兵衛方・阿知賀村之内・上村」・「三郎兵衛方・阿知賀村之内・瀬之上村」・○「三郎兵衛方・阿知賀村之内・岨村」に分かれて記載。
^ 記載は「小川郷・滝村」。
^ 「旧高旧領取調帳」では小瀬村に含む。
- ^ ab池原村1村として記載。
- ^ abcdefghijkl天ノ川郷の冠称付きで記載。
^ 記載は「三名郷・塩谷村」。
- ^ abcdefghi天ノ川組三名郷の冠称付きで記載。
^ 以下59村は十津川郷の冠称付きで記載。
^ 記載は「竜門郷・持尾村」。
^ 記載は「西谷村之内・吉野出作」。
^ 修験道者の領地。無高のため「旧高旧領取調帳」には記載なし。
^ 同年4月27日(1868年5月19日)にかけて移管。
- ^ ab奈良・吉野郡議長会公費でコンパニオン宴会年2回毎日新聞 2015年2月25日
^ <吉野郡町村議長会>コンパニオン宴会廃止…今年度分返還へ毎日新聞 2月27日
参考文献
角川日本地名大辞典 29 奈良県- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 吉野
- 芳野監
- 和州吉野郡群山記
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