尚敬王
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尚敬王 | |
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琉球国中山王 | |
尚敬王の御後絵、向元瑚画、1796年 | |
在位 | 1713年 - 1751年 |
全名 | 尚敬 |
名乗 | 朝糸 |
烏帽子親 | 尚祐・豊見城王子朝匡[1] |
出生 | (1700-08-03) 1700年8月3日 |
死去 | 1751年2月24日(1751-02-24)(50歳) |
埋葬 | 1751年 琉球国・首里玉陵 |
王世子 | 尚穆 |
子女 | 別記 |
王家 | 第二尚氏 |
王朝 | 第二尚氏王統 |
父親 | 尚益 |
母親 | 聞得大君加那志 |
尚敬王(しょうけいおう、1700年8月3日(康熙39年6月19日) - 1751年2月24日(乾隆16年1月29日))は琉球第2尚氏王朝第13代国王(在位:1713年 - 1751年)。第12代国王尚益王の子。
蔡温を三司官にして多くの改革を行った。また教育や文化振興に力を入れ、琉球を文化大国へ導くなどその手腕は近世の名君とうたわれた。
1712年(康熙51年)、薩摩藩から許され、琉球国司から琉球国王の王号に復した。
家族表
- 父・尚益王
- 母・聞得大君加那志(号・坤宏)
- 妃・聞得大君加那志(号・仁室。馬氏小禄殿内七世仲里親方良直次女)
- 子女
- 長男・尚穆、中城王子朝康
- 次男・尚和、読谷山王子朝憲(読谷山御殿元祖)
- 長女・津嘉山翁主(号・寛室。蔡氏十二世具志頭親方廷儀(蔡温の長男)へ嫁ぐ)
- 次女・瑞慶覧翁主(号・順成。伊江御殿七世伊江王子朝倚へ嫁ぐ)
- 三女・真嘉戸樽金(安谷屋翁主。享年十三)
脚注
^ 『王代記[リンク切れ]』、41ページ
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