アメリカ合衆国国務長官
アメリカ合衆国国務長官 | |
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国務省紋章 | |
現職者: マイク・ポンペオ 就任日: 2018年4月26日 | |
初代 | トーマス・ジェファーソン |
設置日 | 1789年4月6日 |
大統領権限 継承順位 | 第4位 |
公式サイト | www.state.gov |
アメリカ合衆国国務長官(アメリカがっしゅうこくこくむちょうかん、英: Secretary of State of the United States)は、アメリカ合衆国の外交を担当する閣僚。日本の外務大臣に相当する。
大統領が指名し、上院指名承認公聴会での質疑応答を経た後、上院本会議にて出席議員の過半数以上の賛成多数をもって就任が承認される。
初代国務長官はトーマス・ジェファーソン、2018年現在の国務長官はマイク・ポンペオである。
目次
1 概要
2 歴代国務長官
2.1 国務長官
2.2 国務長官代理
3 注釈
4 外部リンク
概要
アメリカ合衆国国務長官は国務省の長であり、閣僚の一員であるが、諸外国における外相よりも強力な権限を持ち、ときには外交のみならず通商や国家行事なども統括することがある。
またアメリカ合衆国政府の首席閣僚であり、憲法の第2条第1節の6の規定に基づき制定された大統領権限継承法の定めるところにより、大統領が欠けた場合の継承順位で副大統領(アメリカ合衆国上院議長を兼務)、下院議長、上院仮議長に次いで第4位に位置付けられており、非国会議員(立法と行政を厳格に分離する大統領制のもとでは、閣僚が議員を兼ねることはない)のなかでは最上位である。
このため国務長官の地位は、実務的には大統領に次ぐ事実上の行政府ナンバー2に近い扱いである。これによって政権の支持率までもが左右されることもあるため、当ポストは政権の最重要人事の一つとなっている。1973年、ニクソン大統領はベトナム和平交渉を主導し各界から信望を得ていたヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官を国務長官に任命、政権の浮揚を計っている。キッシンジャーはこの直後にノーベル平和賞を受賞したためこの人事は大成功と思われたが、ニクソンは翌年ウォーターゲート事件によって辞任を余儀なくされる。このとき大統領が辞表を提出したのもキッシンジャーに対してであった。
歴代国務長官
国務長官
代 | 国務長官 | 在任期間 | 大統領 | |
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就任 | 退任 | |||
1 | トーマス・ジェファーソン | 1790年3月22日 | 1793年12月31日 | ジョージ・ワシントン |
2 | エドムンド・ランドルフ | 1794年1月2日 | 1795年8月20日 | |
3 | ティモシー・ピカリング | 1795年12月10日 | 1800年5月12日 | ジョージ・ワシントン ジョン・アダムズ |
4 | ジョン・マーシャル | 1800年6月6日 | 1801年2月4日 | ジョン・アダムズ |
5 | ジェームズ・マディソン | 1801年5月2日 | 1809年3月3日 | トーマス・ジェファーソン |
6 | ロバート・スミス | 1809年3月6日 | 1811年4月1日 | ジェームズ・マディソン |
7 | ジェームズ・モンロー | 1811年4月6日 | 1814年9月30日 | ジェームズ・マディソン |
1815年2月28日 | 1817年3月3日 | |||
8 | ジョン・クィンシー・アダムズ | 1817年9月22日 | 1825年3月3日 | ジェームズ・モンロー |
9 | ヘンリー・クレイ | 1825年3月7日 | 1829年3月3日 | ジョン・クィンシー・アダムズ |
10 | マーティン・ヴァンビューレン | 1829年3月28日 | 1831年3月23日 | アンドリュー・ジャクソン |
11 | エドワード・リヴィングストン | 1831年5月24日 | 1833年5月29日 | |
12 | ルイス・マクレーン | 1833年5月29日 | 1834年6月30日 | |
13 | ジョン・フォーサイス | 1834年7月1日 | 1841年3月3日 | アンドリュー・ジャクソン マーティン・ヴァンビューレン |
14 | ダニエル・ウェブスター | 1841年3月6日 | 1843年5月8日 | ウィリアム・ハリソン ジョン・タイラー |
15 | エイベル・アップシャー | 1843年7月24日 | 1844年2月28日 | ジョン・タイラー |
16 | ジョン・カルフーン[1] | 1844年4月1日 | 1845年3月10日 | |
17 | ジェームズ・ブキャナン[1] | 1845年3月10日 | 1849年3月7日 | ジェームズ・ポーク |
18 | ジョン・クレイトン | 1849年3月8日 | 1850年7月22日 | ザカリー・テイラー ミラード・フィルモア |
19 | ダニエル・ウェブスター | 1850年7月23日 | 1852年10月24日 | ミラード・フィルモア |
20 | エドワード・エヴァレット | 1852年11月6日 | 1853年3月3日 | ミラード・フィルモア |
21 | ウィリアム・マーシー[1] | 1853年3月7日 | 1857年3月6日 | フランクリン・ピアース |
22 | ルイス・カス | 1857年3月6日 | 1860年12月14日 | ジェームズ・ブキャナン |
23 | ジェレマイア・ブラック[1] | 1860年12月17日 | 1861年3月5日 | ジェームズ・ブキャナン |
24 | ウィリアム・スワード | 1861年3月6日 | 1869年3月4日 | エイブラハム・リンカーン アンドリュー・ジョンソン |
25 | エリフー・ウォッシュバーン | 1869年3月5日 | 1869年3月16日 | ユリシーズ・グラント |
26 | ハミルトン・フィッシュ[1] | 1869年3月17日 | 1877年3月12日 | ユリシーズ・グラント |
27 | ウィリアム・エヴァーツ[1] | 1877年3月12日 | 1881年3月7日 | ラザフォード・ヘイズ |
28 | ジェームズ・ブレイン | 1881年3月7日 | 1881年12月19日 | ジェームズ・ガーフィールド チェスター・アーサー |
29 | フレデリック・フリリングハイゼン[1] | 1881年12月19日 | 1885年3月6日 | チェスター・アーサー |
30 | トーマス・ベイヤード[1] | 1885年3月7日 | 1889年3月6日 | グロバー・クリーブランド |
31 | ジェームズ・ブレイン | 1889年3月7日 | 1892年6月4日 | ベンジャミン・ハリソン |
32 | ジョン・フォスター | 1892年6月29日 | 1893年2月23日 | ベンジャミン・ハリソン |
33 | ウォルター・グレシャム | 1893年3月7日 | 1895年5月28日 | グロバー・クリーブランド |
34 | リチャード・オルニー[1] | 1895年6月10日 | 1897年3月5日 | グロバー・クリーブランド |
35 | ジョン・シャーマン | 1897年3月6日 | 1898年4月27日 | ウィリアム・マッキンリー |
36 | ウィリアム・デイ | 1898年4月28日 | 1898年9月16日 | ウィリアム・マッキンリー |
37 | ジョン・ヘイ | 1898年9月30日 | 1905年7月1日 | ウィリアム・マッキンリー セオドア・ルーズベルト |
38 | エリフ・ルート | 1905年7月19日 | 1909年1月27日 | セオドア・ルーズベルト |
39 | ロバート・ベイコン[1] | 1909年1月27日 | 1909年3月5日 | セオドア・ルーズベルト |
40 | フィランダー・ノックス[1] | 1909年3月6日 | 1913年3月5日 | ウィリアム・タフト |
41 | ウィリアム・ブライアン | 1913年3月5日 | 1915年6月9日 | ウッドロウ・ウィルソン |
42 | ロバート・ランシング | 1915年6月24日 | 1920年2月13日 | ウッドロウ・ウィルソン |
43 | ベインブリッジ・コルビー | 1920年3月23日 | 1921年3月4日 | ウッドロウ・ウィルソン |
44 | チャールズ・ヒューズ | 1921年3月5日 | 1925年3月4日 | ウォレン・ハーディング カルビン・クーリッジ |
45 | フランク・ケロッグ | 1925年3月5日 | 1929年3月28日 | カルビン・クーリッジ ハーバート・フーヴァー |
46 | ヘンリー・スティムソン | 1929年3月28日 | 1933年3月4日 | ハーバート・フーヴァー |
47 | コーデル・ハル | 1933年3月4日 | 1944年11月30日 | フランクリン・ルーズベルト |
48 | エドワード・ステティニアス | 1944年12月1日 | 1945年6月27日 | フランクリン・ルーズベルト ハリー・トルーマン |
49 | ジェームズ・バーンズ | 1945年7月3日 | 1947年1月21日 | ハリー・トルーマン |
50 | ジョージ・マーシャル | 1947年1月21日 | 1949年1月20日 | |
51 | ディーン・アチソン | 1949年1月21日 | 1953年1月20日 | |
52 | ジョン・ダレス | 1953年1月21日 | 1959年4月22日 | ドワイト・アイゼンハワー |
53 | クリスチャン・ハーター | 1959年4月22日 | 1961年1月20日 | |
54 | ディーン・ラスク | 1961年1月21日 | 1969年1月20日 | ジョン・ケネディ リンドン・ジョンソン |
55 | ウィリアム・P・ロジャーズ | 1969年1月22日 | 1973年9月3日 | リチャード・ニクソン |
56 | ヘンリー・キッシンジャー | 1973年9月22日 | 1977年1月20日 | リチャード・ニクソン ジェラルド・フォード |
57 | サイラス・ヴァンス | 1977年1月23日 | 1980年4月28日 | ジミー・カーター |
58 | エドマンド・マスキー | 1980年5月8日 | 1981年1月18日 | |
59 | アレクサンダー・ヘイグ | 1981年1月22日 | 1982年7月5日 | ロナルド・レーガン |
60 | ジョージ・シュルツ | 1982年7月16日 | 1989年1月20日 | |
61 | ジェイムズ・ベイカー | 1989年1月25日 | 1992年8月23日 | ジョージ・H・W・ブッシュ |
62 | ローレンス・イーグルバーガー | 1992年12月8日 | 1993年1月20日 | |
63 | ウォレン・クリストファー | 1993年1月20日 | 1997年1月17日 | ビル・クリントン |
64 | マデレーン・オルブライト | 1997年1月23日 | 2001年1月20日 | |
65 | コリン・パウエル | 2001年1月20日 | 2005年1月26日 | ジョージ・W・ブッシュ |
66 | コンドリーザ・ライス | 2005年1月26日 | 2009年1月20日 | |
67 | ヒラリー・クリントン | 2009年1月21日 | 2013年2月1日 | バラク・オバマ |
68 | ジョン・ケリー | 2013年2月1日 | 2017年1月20日 | |
69 | レックス・ティラーソン | 2017年2月1日 | 2018年3月31日 | ドナルド・トランプ |
70 | マイク・ポンペオ | 2018年4月26日 | (現職) |
国務長官代理
国務長官に限らず、上院における新閣僚の承認の手続きには、公聴会や委員会採決、本会議採決などに少なくとも数日から一週間の期間を要する。大統領選挙後の新政権発足時には通常新大統領がすべての閣僚を新たに指名するので、上院はその承認手続きで大忙しとなる。このため新大統領の就任までに新しい国務長官の承認が間に合わず、国務長官が短期間不在になることが多い。こうした事態を極力避けるため、今日では大統領当選者が就任前にあらかじめ新閣僚の指名を行い、上院はそれにもとづいて承認手続きをかなり早い時点で開始することが通例となっている[2]。
また国務長官が死去したり職務不能になった場合や(ただしこれまでにそうした例はない)、国務長官が他のポストに転出したり、やむなき理由により直ちに辞任した場合にも、国務長官が一時的に不在になることがある。こうした場合は、大統領が指名した後任の者を上院が承認するまでの間、他の公職にある者が国務長官の職務を兼任というかたちで代理する。今日では国務省の次官級の役職にある者がこの代理をつとめることが多いが、かつては他省の長官や最高裁長官などがこれを兼任することもあった。
以下表中の「代」は代理者が引き継いだ国務長官の歴代数に対応。同じ数字が続くところは代理が代理を引き継いでいるためである。「本官」は代理者の本来の公職。
代 | 国務長官代理 | 在任期間 | 本官 | |
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兼任 | 退任 | |||
2 | ティモシー・ピカリング | 1795年8月20日 | 1795年12月9日 | 陸軍長官 |
3 | チャールズ・リー | 1800年5月13日 | 1800年6月5日 | 司法長官 |
4 | ジョン・マーシャル | 1801年2月4日 | 1801年3月4日 | 最高裁判所長官[3] |
4 | リーヴァイ・リンカーン | 1801年3月5日 | 1801年5月1日 | 司法長官 |
7 | ジェームズ・モンロー | 1814年10月1日 | 1815年2月28日 | 陸軍長官[4] |
7 | ジョン・グラハム | 1817年3月4日 | 1817年3月9日 | 国務省首席事務官 |
7 | リチャード・ラッシュ | 1817年3月10日 | 1817年9月22日 | 司法長官 |
8 | ダニエル・ブレント | 1825年3月4日 | 1825年3月7日 | 国務省首席事務官 |
9 | ジェイムズ・ハミルトン | 1829年3月4日 | 1829年3月27日 | (民間人[5]) |
13 | ジェイコブ・マーティン | 1841年3月4日 | 1841年3月5日 | 国務省首席事務官 |
14 | ヒュー・レグリー | 1843年5月9日 | 1843年6月20日 | 司法長官 |
14 | ウィリアム・デリック | 1843年6月21日 | 1843年6月23日 | 国務省首席事務官 |
14 | エイベル・アップシャー | 1843年6月24日 | 1843年7月23日 | 海軍長官 |
15 | ジョン・ネルソン | 1844年2月29日 | 1844年3月31日 | 司法長官 |
19 | チャールズ・コンラッド | 1852年10月25日 | 1852年11月5日 | 陸軍長官 |
20 | ウィリアム・ハンター | 1853年3月4日 | 1853年3月7日 | 国務省首席事務官 |
22 | ウィリアム・ハンター | 1860年12月15日 | 1860年12月16日 | 国務省首席事務官 |
31 | ウィリアム・ウォートン | 1892年6月4日 | 1892年6月29日 | 国務次官補 |
32 | ウィリアム・ウォートン | 1893年2月24日 | 1893年3月6日 | 国務次官補 |
33 | エドウィン・ウール | 1895年5月28日 | 1895年6月9日 | 国務次官補 |
36 | アルヴィー・エイディー | 1898年9月17日 | 1898年9月29日 | 第二国務次官補 |
37 | フランシス・ルーミス | 1905年7月1日 | 1905年7月18日 | 国務次官補 |
41 | ロバート・ランシング | 1915年6月9日 | 1915年6月23日 | 国務省参事官 |
42 | フランク・ポーク | 1920年2月14日 | 1920年3月12日 | 国務次官 |
48 | ジョーゼフ・グルー | 1945年6月28日 | 1945年7月3日 | 国務次官 |
51 | フリーマン・マシューズ | 1953年1月20日 | 1953年1月21日 | 国務副次官 |
53 | リヴィングストン・マーチャント | 1961年1月20日 | 1961年1月21日 | 国務次官(政治担当) |
54 | チャールズ・E・ボーレン | 1969年1月20日 | 1969年1月22日 | 国務副次官(政治担当) |
55 | ケネス・ラッシュ | 1973年9月3日 | 1973年9月22日 | 国務副長官 |
56 | フィリップ・ハビブ | 1977年1月20日 | 1977年1月23日 | 国務次官(政治担当) |
57 | ウォレン・クリストファー | 1980年4月28日 | 1980年5月2日 | 国務副長官 |
57 | デイヴィッド・D・ニューサム | 1980年5月2日 | 1980年5月3日 | 国務次官(政治担当) |
57 | リチャード・クーパー | 1980年5月3日 | 1980年5月3日 | 国務次官(経済担当) |
57 | ディヴィッド・ニューサム | 1980年5月3日 | 1980年5月4日 | 国務次官(政治担当) |
57 | ウォレン・クリストファー | 1980年5月4日 | 1980年5月8日 | 国務副長官 |
59 | ウォルター・ストーセル | 1982年7月5日 | 1982年7月16日 | 国務副長官 |
60 | マイケル・アマコスト | 1989年1月20日 | 1989年1月25日 | 国務次官(政治担当) |
61 | ローレンス・イーグルバーガー | 1992年8月23日 | 1992年12月8日 | 国務副長官 |
62 | アーノルド・カンター | 1993年1月20日 | 1993年1月20日 | 国務次官(政治担当) |
62 | フランク・ウィズナー | 1993年1月20日 | 1993年1月20日 | 国務次官(国際安全保障担当) |
66 | ウィリアム・バーンズ | 2009年1月20日 | 2009年1月21日 | 国務次官(政治担当) |
67 | トーマス・A・シャノン・ジュニア | 2017年1月20日 | 2017年2月1日 | 国務次官(政治担当) |
69 | ジョン・J・サリバン | 2018年4月1日 | 2018年4月26日 | 国務副長官 |
注釈
- ^ abcdefghijk後任の国務長官が指名承認されるまで、次の大統領の下で短期間(8日以内)在任。
^ 例えばオバマ大統領の第一期目の内閣で国務長官をつとめたヒラリー・クリントンの場合、その指名・承認の経緯は以下の通りだったが、これだけ前もって手続きを始めても承認が新大統領の就任式に間に合わず、結果的に1月20日正午から21日午後までの1日間国務長官が不在となり、代理をおいたことがわかる。
- 2008年11月 4日 大統領選挙でオバマ候補の勝利が確定。
- 2008年11月中旬 オバマ次期大統領がクリントン上院議員に次期国務長官就任を打診。
- 2008年11月21日 クリントン上院議員が次期国務長官就任を受諾。
- 2008年12月 1日 オバマ次期大統領がクリントン上院議員を次期国務長官に正式に指名。
- 2009年 1月 3日 第111議会が開会。
- 2009年 1月 8日 大統領選挙人団による投票でオバマ次期大統領を正式に選出。
- 2009年 1月13日 上院外交委員会がクリントン上院議員を召還し公聴会を開始。
- 2009年 1月15日 上院外交委員会が賛成16反対1でクリントン次期国務長官を承認。
- 2009年 1月20日 正午をもってオバマ大統領が就任。
- 2009年 1月21日 上院本会議が賛成94反対2でクリントン次期国務長官を承認、同日午後クリントン第67代国務長官が就任。
^ 国務長官が最高裁長官に転出したことに伴い、前任者本人が後任者承認までの期間を兼任。
^ 国務長官が陸軍長官に一時転出したことに伴い、前任者本人が国務長官に復職するまでの期間を兼任。
^ 弁護士。初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンの三男。ジャクソン大統領との個人的な親交により、任命者承認までの期間を特例として代理。
外部リンク
歴代アメリカ合衆国国務長官(米国国務省公式ページ)
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