武装中立同盟
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武装中立同盟(ぶそうちゅうりつどうめい、League of Armed Neutrality)は、アメリカ独立戦争中の1780年から1783年にかけて、ロシア帝国のエカチェリーナ2世主導で結成された、ヨーロッパ各国の同盟。
目次
1 エカチェリーナ2世による武装中立同盟
2 その他の武装中立同盟
3 関連事項
4 出典
5 脚注
エカチェリーナ2世による武装中立同盟
イギリスの対米海上封鎖(中立国船舶捕獲宣言)を行った事に対して、1778年に中立国のスウェーデンが中立国船舶の保護を訴えた。翌1779年、イギリスの政策に対抗してロシアの女帝エカチェリーナ2世が中立国船舶の航行の自由と禁制品以外の物資輸送の自由を宣言をした。この提唱による参加国は北欧を中心にロシア・スウェーデン・デンマーク・プロイセン・ポルトガルの5か国。植民地政策でのイギリスとの対立や、当時盛んになった啓蒙思想に共鳴したことが同盟参加の鍵となった。この同盟の結成により、アメリカ独立戦争は国際化し、フランス・スペイン・オランダからも宣戦布告されていたイギリスは孤立する結果となり、アメリカの独立を間接的に支援する結果となった。また、アメリカ合衆国の独立に際し、ヨーロッパの中立国の中でスウェーデンは最初にアメリカを国家承認した国となった[1](ただしスウェーデン人義勇兵は、両方の陣営に加わっていた[2])。
その他の武装中立同盟
1800年から1801年にかけても、イギリスのマルタ島占領問題を契機として二度目の武装中立同盟が結成された。この際の参加国はロシア、デンマーク、スウェーデン、プロイセンである。イギリスとデンマークは、これが元で対立し、コペンハーゲンの海戦に至った。これは当時、フランスのナポレオン・ボナパルト将軍が起こしたエジプト遠征に端を発した、フランスによるイギリス牽制の意味も込められていた。イギリスのデンマーク攻撃によって、同盟は破綻したが、この時、イギリスとフランスとが徹底的に対立したことがナポレオン戦争の本格化に繋がり、この武装中立同盟もその伏線となった。
関連事項
- 中立
- 武装中立
- 非武装中立
- フランス革命戦争
出典
- 『北欧史 (世界各国史)』百瀬宏、熊野聰、村井誠人 山川出版社、1998年8月25日初版第1刷
- 『近世スウェーデンの貿易と商人』レオス・ミュラー 著、玉木俊明、根本聡、入江幸二 訳 嵯峨野書院、2006年3月31日初版第1刷
脚注
^ 『近世スウェーデンの貿易と商人』p132,この著書では、主に通商関係をメインに描写されており、はっきりと国家の承認と明記されている訳ではない。
^ 『北欧史 (世界各国史)』 p182,この著書によれば、スウェーデン政府は1778年に中立国船舶の保護を訴えている。