デーヴィッド・キャメロン











































































イギリスの旗 イギリスの政治家
デイヴィッド・キャメロン
David Cameron


David Cameron official.jpg

生年月日
(1966-10-09) 1966年10月9日(52歳)
出生地
イギリスの旗 イギリス ロンドン
出身校
オックスフォード大学
所属政党
保守党
配偶者
サマンサ・シェフィールド
公式サイト
Conservative Party website




イギリスの旗 第75代 英国首相

内閣
第1次キャメロン内閣
第1次キャメロン第1次改造内閣
第1次キャメロン第2次改造内閣
第2次キャメロン内閣
在任期間
2010年5月11日 - 2016年7月13日
女王
エリザベス2世




イギリスの旗 第26代 保守党党首

在任期間
2005年12月6日 - 2016年7月11日




イギリスの旗 イギリス影の首相

在任期間
2005年12月6日 - 2010年5月11日




イギリスの旗 影の教育・技能大臣

在任期間
2005年5月6日 - 2005年12月6日




イギリスの旗 庶民院議員

選挙区
ウィットニー選挙区
当選回数
4回
在任期間
2001年6月7日 - 現職
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デイヴィッド・ウィリアム・ドナルド・キャメロンDavid William Donald Cameron、1966年10月9日 ‐ )は、イギリスの政治家。イギリス首相(第75代)、保守党党首(第26代)、庶民院議員(4期)。デービッド・キャメロン[1]、デイビッド・キャメロンになっている場合もある[2]




目次






  • 1 来歴


    • 1.1 政治家になるまで


    • 1.2 保守党党首


    • 1.3 英国首相


    • 1.4 議員辞職




  • 2 政策


    • 2.1 内政


    • 2.2 外交


    • 2.3 EU離脱の是非を問う国民投票と退陣表明


    • 2.4 経済政策




  • 3 評価


  • 4 家族


  • 5 スキャンダル


  • 6 発言


    • 6.1 私のことが嫌いでも、私は永遠に首相ではない


    • 6.2 私が隠れた離脱支持者だったことは決してない




  • 7 関連項目


  • 8 脚注


  • 9 外部リンク





来歴



政治家になるまで


ロンドン生まれ。イートン校を卒業後、ブレーズノーズ・カレッジ (オックスフォード大学) で哲学・政治学・経済学を学び、一級優等学位(first class honours)を得て卒業。1988年より保守党調査部に勤務し、サッチャーとメージャー両政権下で政策資料の作成に従事する。また、メージャー政権の財務大臣であったノーマン・ラモントのスピーチライターを務めた[3]。その後、1994年から2001年までイギリスの大手メディアであるカールトンに勤務した。2001年の庶民院議員総選挙では、オックスフォードシャーのウィットニー選挙区に保守党から出馬し、初当選。2005年の庶民院議員総選挙で再選。



保守党党首


庶民院議員再選後は影の内閣の教育・技能相を務めていたが、2005年12月の保守党党首選挙に「若手による改革」を唱えて出馬する。当初、キャメロンの当選は有力視されていなかったが、人気歌手だったニール・セダカを彷彿とさせる39歳の若さや爽やかな弁舌が支持を集め、党内の実力者で影の内務大臣だったデイヴィッド・デイヴィスを破り、第26代保守党党首に選出される。ウィリアム・ピット(小ピット)以来の最も議員経験の少ない党首であった。就任後は右寄りに傾きつつあった保守党を中道寄りに修正し、長期政権への倦怠感から不人気に陥ったブラウン労働党政権を上回る支持率を獲得。補欠選挙や地方選挙で快進撃を続け、保守党の党勢回復に成功する。2010年5月の庶民院議員総選挙では、労働党を上回る議席を獲得し、第一党の座を奪還するも過半数は獲得できなかったため、第3極の自由民主党に対し、連立政権の樹立を呼びかける。5月11日、ゴードン・ブラウン首相の退陣を受け、保守・自由民主両党による連立政権の樹立に合意した上で、首相に任命された[4][5]。首相就任時の年齢は43歳7ヶ月であり、1812年の第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソン以来、最も若い首相である。就任後、連立政権のパートナーである自由民主党のニック・クレッグを副首相及び枢密院議長に起用し、5月12日に戦後初の連立内閣[6]である第1次キャメロン内閣を発足させた。



英国首相


内閣発足直後の5月29日、財務省首席担当官のデイヴィッド・ローズが交際相手の男性(同性愛者)が所有する住宅を間借りし、賃料4万ポンド(約530万円)以上を議員経費の名目で不正に受け取っていた責任を取り辞任するスキャンダルに見舞われた。6月15日、北アイルランドで1972年に発生した血の日曜日事件について、1998年以来イギリス政府が続けてきた調査(サビール調査)報告書の提出を受け、イギリス政府の非を認め謝罪[7]。10月、財政赤字解消のため第二次世界大戦後最大規模の歳出削減案を発表。実行された場合、公務員49万人が失業し、軍事費の大幅な削減が見込まれる。専門家によれば、この軍事費の削減により今後イラク戦争規模の軍事行動参加は不可能になる見通し[8]


2012年4月10日には日本を訪問。野田佳彦内閣総理大臣と会談し、日英で防衛装備品の共同開発を進める方向で合意した。


2013年2月にインドを訪問した際には、イギリスがインドを植民地下においていた1919年4月にイギリス植民地軍が起こしたアムリットサルにおける虐殺について「遺憾の意」を表したが、明確に謝罪しなかったために世界中から批判を受けた。


2014年9月13日、イスラム教スンナ派の過激派組織ISILが、英国籍の男性を殺害する映像をインターネット上で公開。自身のTwitterで「悪魔の所業だ。殺害犯を追い詰め、裁判を受けさせるために全力を挙げる」と書き込み、怒りをあらわにした[9]



2015年に行われた総選挙では、保守党と労働党の支持率は拮抗し、地域政党や右翼政党なども一定の支持を得るなどしていたため、二大政党のどちらかによる単独政権は困難との予想が大半だったが、予想外にも保守党が単独過半数を獲得し、首相を続投することになった。選挙戦では、首相に再任された場合、EU離脱の是非を問う国民投票を行うことを公約していた。


2016年6月23日に執行された『イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票』に於いて、欧州連合離脱支持票が半数を超えた結果を受けて「明確な結果が出た以上、私が指導者であることは適切でない」として、イギリス首相を辞する意思を表明[10]。後任の党首にテリーザ・メイが選出されたことを受け、7月13日に首相を退任した[11]



議員辞職


キャメロンは9月12日、下院議員を辞職し政界を引退すると発表した[12]。前首相が居続けることで、「政権の邪魔になってはいけない」と辞職の理由を語っている[12]



政策



内政



  • 保守党所属の政治家ではあるが、アメリカのジョージ・W・ブッシュと同じ思いやりのある保守主義を掲げており[13][14][15][16]、従来の保守党のサッチャリズムや労働党の第三の道とも距離を置き、自由民主党と協力する「リベラルな保守」を自称し[17][18][19]、多文化主義は失敗したとして筋肉質な自由主義を主張している[20]。2007年の金融危機の際、政府による金融機関のコントロールが機能しなかった要因について、1997年に実施された金融機関の監督権限の財務省、イングランド銀行(中央銀行)、金融サービス機構(FSA)への分離を挙げ、財務大臣時代にこれを実行した当時の首相、ゴードン・ブラウンの責任を追及し、FSAを廃止して中央銀行の監督権限を回復させる政策を主張した[3]


  • 警察官や兵士、教師の人員を10%(1割)削減する方針を掲げており、労働党からは「ミスター10%」と揶揄されている。



外交


日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを支持している[21]



EU離脱の是非を問う国民投票と退陣表明


2013年、英国がEUに留まることを国民に説得するために、キャメロンは欧州連合(EU)から譲歩を引き出し、英国のEUにおける新たな地位を確保すると発表した[22]。2015年には保守党の選挙公約として、2017年の終わりまでにEU離脱の是非を問う国民投票を行うことを掲げた[23]。2016年2月20日にEUと新たな合意に至ったのを受けて、同年6月23日に英国のEU離脱の是非を問う国民投票が行われることが決定した[23]


実はキャメロンは国民投票が行われる数日前に、ドイツ首相アンゲラ・メルケルに対して、たとえEU離脱派が敗北したとしても英国へのEU移民を制限するよう要請していた。EU側も英国に対して移民問題で譲歩する姿勢を示す計画であったが、その計画は実行されなかった。移民問題についてのEU側の譲歩がEU残留派の弱点だと思われることを恐れたためである[24]


国民投票の結果は僅差による「EU残留派(Remain)」の敗北・「EU離脱派(Leave)」の勝利であった[25]政権の基幹政策が国民投票によって否定されたことを重く見たキャメロン[要出典]は、翌24日、10月に開かれる保守党党大会で退陣することを明らかにした[25]。しかし党首選挙で決選投票に残ったアンドレア・レッドサムが7月11日に選挙からの撤退を表明し、テリーザ・メイ内務大臣(キャメロン内閣)の当選・次期首相就任が確定したため、予定より早い7月13日に保守党党首および英国首相職を退任した[11][26]



経済政策


2016年に公表された国連(UN)のレポートでは、社会保障費削減で若年層、女性、障害者、民族的マイノリティー(社会的少数者)が他と比べて大きく影響を受けていることに懸念が示されていた。その国連のレポートによれば最低賃金時給7.20ポンドでも十分ではないのであり、英国政府はパートタイムワーク(非常勤)や0時間契約を減らすように努めるべきであるという[27]
国連の経済的、社会的及び文化的権利委員会(CESCR)は、キャメロン政権の6年にわたる緊縮財政で英国の所得格差(経済的不平等)が上昇していることに懸念を示した。委員会は、bedroom taxやUniversal creditのような逆進性のある政策は人権についての国際法に違反していると述べ、また付加価値税増税と法人税・相続税の減税で貧困層が富裕層よりも税負担が大きくなっている事実にも言及し、英国政府はより社会的に公正な税制にするよう勧告した[27]



評価


厳しい緊縮財政を批判されながらも、リーマン・ショック後の不景気からは比較的早い回復を果たし、「グレート・ブリテン」解体の危機と言われた2014年スコットランド独立住民投票も辛うじて乗り切り、2015年の総選挙では予想外の勝利で保守党単独政権に導くなど、保守党の首相としては一定の評価を得つつあった。しかしその評価は、自ら招いた2016年のEU離脱国民投票とその敗北で地に落ちることになった。英国戦後史を専攻する82人の研究者の評価では、キャメロンは戦後の英国の首相の中では、スエズ危機で退任したアンソニー・イーデン、短命でさしたる成果のないまま終わったダグラス・ヒュームに次ぐ低い評価となった[28]



家族



  • 家族は妻(サマンサ・シェフィールド夫人)、3子。第一子は脳性麻痺及び大田原症候群に罹患し、2009年2月に夭折した。自らも幼子を失った経験のあるゴードン・ブラウンも追悼の意を表した[29]


  • ウィリアム4世の愛妾であったドロシー・ジョーダンの庶子10人のうちの三女エリザベス・フィッツクラレンスの子孫であり[30]、エリザベス2世の遠縁にあたる。また、ロシアのエカチェリーナ2世も遠縁にあたる。

  • キャメロンの先祖には近代英国の金融界で重きをなした人物が多く、父・イアンに至るまで代々投資銀行パンミュア・ゴードンの経営に携わっている。パンミュアの仲買人であったアーサー・レヴィータ、香港上海銀行のロンドン支店長であったユーウェン・キャメロンはいずれも当時の日本銀行副総裁、高橋是清によるロスチャイルド家からの日露戦争の戦費調達にあたり、大きく貢献した。



スキャンダル




  • 2007年1月、出版予定のキャメロンの伝記の中で高校・大学時代の大麻吸引に言及がなされていることが判明し、本人も大麻吸引の事実を認めた。この疑惑は保守党党首に選出された2005年頃から存在したが、本人は否定も肯定もしていなかった。


  • 2013年10月、キャメロンが食パン一斤の価格を知らないことが報道された。イギリスのメディアはしばしば政治家に食品や生活用品の価格を問い、適切な回答ができなければ揚げ足取りのように扱われる場合が多く、食パン価格の報道もその一環である。なおキャメロンは食パンの価格を知らない理由について「出身地の小麦粉を使って自らパンを焼いているため」としている[31]




パナマ文書を巡り、キャメロンに引責辞任を求める人々(2016年4月9日)



  • パナマの法律事務所、モサック・フォンセカ(Mossack Fonseca)によって作成された、租税回避行為に関する一連の機密文書、パナマ文書が2016年4月3日に公開され、キャメロンの亡き父親の名前が挙がった。キャメロンとその周辺はパナマのオフショアファンドの所有を否認してきたが、後になって首相就任前に一時保有していたことを認めた。キャメロンは適切な税務処理を行ったとして所得税は支払ったものの、キャピタル・ゲイン税は発生しなかったため、払っていないと釈明した。また、亡父から相続した遺産30万ポンドの中にオフショアのファンドが含まれているか認識していなかったと述べた[32]

過去には、キャメロンが「租税回避地を使った脱税は許さない」と発言していたことから、言動不一致のキャメロンの人気は急落し、政党支持率も労働党党首ジェレミー・コービンを下回った。イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票を巡る議論でも、「EU残留派」であるキャメロンの求心力が弱まったことで、当時のロンドン市長ボリス・ジョンソン率いる「EU離脱派」の勢いが強まった[33]



発言



私のことが嫌いでも、私は永遠に首相ではない


2014年9月18日、スコットランド独立の住民投票が行われたが、英国政府側が自治権拡大を約束[34]したことなどが奏功し結果的に独立は否決された。しかし、一時は賛否が拮抗した状態となり祖国分裂への危機感が高まっていたため[35]、キャメロンは9月15日にスコットランドを訪問し、次のような感情的な演説を行った[36](スコットランドは保守党の支持者が少なく、労働党やスコットランド国民党支持者が多数)。





If you don't like me– I won't be here forever.
(もしみなさんが私のことが嫌いだとしても、私は永遠にこの地位にいることはありません)


If you don't like this government– it won't last forever.
(もし皆さんが我が政権を嫌いでも、永遠に続くことはありません)


But if you leave the UK– that will be forever.
(しかしスコットランドが連合王国から離脱すれば、それは永遠の別れとなるのです。)


— デーヴィッド・キャメロン

しかし、分裂回避の直後の演説でキャメロンは、権限を委譲するもののそれは英国全体で中央から地方に権限を委譲するということであり、スコットランドだけを特別扱いしないという趣旨の演説を行い[37]、スコットランド住民からは「独立を阻止するために行われた約束だから守られないのでは」といった声があがった[38]



私が隠れた離脱支持者だったことは決してない


2016年6月23日、イギリスの欧州連合離脱をめぐる国民投票は、政府目標であった移民10万人の水準を大幅に上回る、33万3千人の移民が2015年中に流入していたことが明らかになった事で[39]、キャメロンの思惑とは異なり、欧州連合残留派は優位を失っていった[40]


2016年5月27日の伊勢志摩サミットにおいても、キャメロンはこの話題に神経をとがらせており[41]、元側近が「首相は密かに離脱を支持している」などと語ったことについて、G7後の記者会見で「私が隠れた離脱支持者だったことは決してない」と否定した[42]



関連項目



  • イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票

  • パナマ文書



脚注





  1. ^ 「政争の具」で王国に深い傷 英保守党、国民投票の誤算朝日新聞


  2. ^ 【パナマ文書】キャメロン英首相、父のオフショア信託の株保有認めるBBC

  3. ^ ab「それでもサッチャー主義は敬遠」 ブルームバーグ、2009年9月28日。


  4. ^ “英保守党13年ぶり政権、連立の行方不透明”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月12日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100512-OYT1T00126.htm 2010年5月12日閲覧。 


  5. ^ “英ブラウン首相、辞意を正式表明”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月12日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100512-OYT1T00145.htm 2010年5月12日閲覧。 


  6. ^ “保守党キャメロン氏が首相就任、第2次大戦以来の連立政権”. AFP. (2010年5月12日). http://www.afpbb.com/article/politics/2725448/5741877 2010年5月15日閲覧。 


  7. ^ “英首相、北アイルランド「血の日曜日事件」謝罪” ((日本語)). 読売新聞. (2010年6月16日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100616-OYT1T00939.htm 2010年6月16日閲覧。 


  8. ^ Strategic defence review means end of Iraq-scale military interventionsguardian.co.uk Tuesday 19 October 2010 21.03 BST


  9. ^ “悪魔の所業だと英首相…イスラム国の英国人殺害”. 読売新聞. (2014年9月14日). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140914-00050071-yom-int 2014年9月14日閲覧。 


  10. ^ “キャメロン首相が辞意表明 離脱派勝利で”. 産経新聞. (2016年6月24日). http://www.sankei.com/world/news/160624/wor1606240039-n1.html 2014年6月24日閲覧。 

  11. ^ ab“メイ氏、英首相就任”. ロイター (ロイター). (2016年7月14日). http://jp.reuters.com/article/idJP2016071301001937 2016年7月14日閲覧。 

  12. ^ ab日本経済新聞 (=2016-09-13). “キャメロン前英首相が議員を辞職”. 2016年9月13日閲覧。


  13. ^ David Cameron: Tory party is 'modern and compassionate' | Politics | The Guardian


  14. ^ 英保守党キャメロン党首、次期首相の座を射止めるか? 国際ニュース:AFPBB News


  15. ^ BBC NEWS | Programmes | How Euro Are You | Compassionate conservatism


  16. ^ 〔情報BOX〕英保守党を率いるキャメロン党首の横顔 | 国内株式 | Reuters


  17. ^ Cameron, David. "I am a Liberal Conservative". BBC. Retrieved 18 August 2012.


  18. ^ "Full text of David Cameron's speech to the Conservative Party conference", BBC, October 2006


  19. ^ 貴族首相が変える世界とイギリス | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト


  20. ^ "State multiculturalism has failed, says David Cameron". BBC News. 5 February 2011.


  21. ^ “日本の常任理入り支持=菅首相と会談-英首相”. 時事ドットコム(時事通信社). (2010年6月27日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010062700045 2010年6月28日閲覧。 


  22. ^ EU deal: What David Cameron asked for... and what he actually gotP. Foster, The Daily Telegraph, 20 Feb 2016

  23. ^ abDavid Cameron accused of risking national security by helping fund Turkey's EU bidS. Swinford, The Daily Telegraph, 27 Apr 2016


  24. ^ Cameron made last ditch appeal to Merkel to limit EU migration on eve of Brexit vote The Daily Telegraph, 23 Jul 2016

  25. ^ ab“EU referendum: UK votes to leave in historic referendum - BBC News” (英語). 2016年6月24日閲覧。


  26. ^ “保守党党首選、レッドソム氏が撤退 「メイ内相が最善」と表明”. 産経新聞. (2016年7月11日). http://www.sankei.com/world/news/160711/wor1607110038-n1.html 2016年7月14日閲覧。 

  27. ^ abGovernment austerity policy a breach of international human rights, says UN report C. Mortimer, The Independent, 29 Jun 2016


  28. ^ David Cameron rated third worst Prime Minister since end of World War Two Independent 2016年10月12日


  29. ^ 「キャメロン保守党党首に悲報―6歳の長男、急逝」 Japan Journals、2009年2月25日。


  30. ^ エリザベス・フィッツクラレンス(第18代エロル伯爵ウィリアム・ヘイ夫人)⇒次女アグネス・ヘイ(第5代ファイフ伯爵ジェイムズ・ダフ夫人)⇒四女アグネス・ダフ(アルフレッド・クーパー(英語版)夫人⇒長女ステファニー・クーパー(アーサー・レヴィータ夫人)⇒次女エニド・レヴィータ⇒長男イーアン・キャメロン⇒次男デーヴィッド・キャメロン)


  31. ^ “食パンの値段を知らない英首相、「パンは自分で焼く」”. AFPBBNews (フランス通信). (2013年10月4日). http://www.afpbb.com/articles/-/3000749 2013年10月5日閲覧。 


  32. ^ “新たな難題でキャメロン英政権窮地か 野党攻勢”. http://www.sankei.com/world/news/160409/wor1604090005-n1.html 2016年5月14日閲覧。 


  33. ^ “キャメロン首相の「パナマ文書」が残留にも影 勢い増す離脱派 予断許さぬ国民投票”. http://www.sankei.com/world/news/160415/wor1604150064-n1.html 2016年5月14日閲覧。 


  34. ^ 英からの独立、賛否割れ接戦佐賀新聞 2014年9月17日


  35. ^ 独立めぐり揺れるスコットランド日刊スポーツ 2014年9月19日


  36. ^ Scotland will face 'painful divorce', says David Cameron in emotional speechguadian 2014年9月15日


  37. ^ 英首相、全国で地方分権推進を約束AFP 2014年9月19日


  38. ^ 英スコットランド 中央政府へ不信の声もNHK 2014年9月19日


  39. ^ キャメロン英首相、数字だけでブレグジット阻止果たせるかWSJ 2016年6月6日


  40. ^ 英国民投票 世論調査 「EU離脱」が僅かに上回るNHK 2016年6月7日


  41. ^ EU離脱、サミットでも議題 神経とがらす英首相東京新聞 2016年5月31日


  42. ^ 英国がEU離脱すれば経済に悪影響=キャメロン首相ロイター 2016年5月27日




外部リンク








  • David Cameron MP(公式サイト)


  • デーヴィッド・キャメロン (@David_Cameron) - Twitter


  • DavidCameron - Facebook









































公職
先代:
ゴードン・ブラウン

イギリスの旗 イギリス首相
第75代:2010年 - 2016年
次代:
テリーザ・メイ
先代:
ゴードン・ブラウン

イギリスの旗 イギリス行政機構担当大臣
2010年 - 2016年
次代:
テリーザ・メイ
先代:
ゴードン・ブラウン

イギリスの旗 イギリス第一大蔵卿
第79代:2010年 - 2016年
次代:
テリーザ・メイ
先代:
ティム・コリンズ(en)

イギリスの旗 影の教育・技能大臣
2005年
次代:
デイヴィッド・ウィレッツ(en)
先代:
マイケル・ハワード

イギリスの旗 イギリス影の首相
2005年 - 2010年
次代:
ハリエット・ハーマン
(代行)
議会
先代:
ショーン・ウッドワード

イギリスの旗 ウィットニー選挙区選出議員
2001年 -
次代:
(現職)
党職
先代:
マイケル・ハワード

イギリスの旗 保守党党首
第26代:2005年 - 2016年
次代:
テリーザ・メイ









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