アルテ高崎
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アルテ高崎 | |
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原語表記 | アルテ高崎 |
呼称 | アルテ高崎 |
クラブカラー | 赤、 白、 黒 |
創設年 | 1996年 |
解散年 | 2011年 |
ホームタウン | 群馬県高崎市 |
ホームスタジアム | 高崎市浜川陸上競技場他 |
運営法人 | 株式会社J・S |
代表者 | 堀越哲二 |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
アルテ高崎(アルテたかさき、Arte Takasaki)は、かつて存在した日本の社会人サッカーチーム。群馬県高崎市に本拠地を置いていた。
目次
1 概要
2 歴史
3 チーム成績・歴代監督
4 主な結果・タイトル
4.1 リーグ戦
4.2 カップ戦
5 年度別入場者数
6 ユニフォーム
6.1 クラブカラー
6.2 スポンサー
6.3 ユニフォームサプライの遍歴
7 歴代所属選手
7.1 背番号変遷 (2000年-2009年)
7.2 背番号変遷 (2010年-2011年)
8 永久欠番
9 チーム名変遷
10 脚注
11 外部リンク
概要
群馬県の学校法人堀越学園(学校法人堀越学園 (東京都)とは別の法人)の関連会社である株式会社J・Sが運営していた。クラブ名のアルテ(ARTE)はスペイン語で芸術の意味である[1]
また、堀越学園傘下の創造学園大学のサッカー部と連携し、同チームに指導者を派遣して選手育成するなど、人材交流を展開していた。
歴史
母体チームは1996年に結成された「マッキーFC」。その後、群馬FCフォルトゥナとなり2000年に群馬県社会人サッカーリーグ2部で全勝、2001年より群馬FCホリコシとなり群馬県1部で全勝優勝。関東社会人サッカー大会でも優勝し、2002年より関東サッカーリーグに昇格。2003年に関東1部で優勝。全国地域リーグ決勝大会で準優勝し、FC京都BAMB1993との入れ替え戦に勝利(第5回日本フットボールリーグ#入れ替え戦を参照)。
2004年、日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格。第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会4回戦で柏レイソルに1-0で勝利した。
- 2005年
1月、FCホリコシへチーム名を変更した。9月29日に群馬県立敷島公園県営陸上競技場をホームスタジアム、高崎市をホームタウンとして、Jリーグ事務局へ日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟申請書類を郵送した[2] が、10月18日にJリーグ理事会は「(経営内容について)意見書を出しても全く改善されていない」ことを理由として加盟を見送った[3]。
12月、FCホリコシは高崎を必ず名前に入れることを条件にチーム名を公募。
- 2006年
1月にチーム名を「アルテ高崎」とすることを発表した。
同年は成績不振になったこともあり監督がめまぐるしく代わった。またシーズン中及びシーズン終了後に資金難を理由に監督兼任だったアマラオはじめ、主力選手が大量退団した。結局主力選手の退団で選手層が薄くなったこともあり、シーズン通して安定した戦いができず、順位も10位に落とした。
- 2007年
アルゼンチン人のピボを監督に招聘して臨んだが、選手層の薄さもあって、開幕戦に勝利以後は33試合で勝利を挙げられず、シーズン途中でピポが監督を辞任、勝ち点はJFL最低記録の7に留まり年間最下位となった。年間総得点17も2回戦総当たりではリーグ最低記録となった。
本来なら全国地域リーグ決勝大会の上位チームと入れ替え戦を行い、地域リーグに降格する可能性もあったが、この年はロッソ熊本、FC岐阜のJ2参入とアローズ北陸とYKK APサッカー部の統合によるJFLのチーム数減少のため入れ替え戦は行われず、JFL残留が決まった。
- 2008年
開幕から勝利を挙げることができず、このため渡辺克之が前期第12節で監督を辞任し、新たに幸谷秀巳を監督に迎えた。前期第14節(6月1日)にソニー仙台FC戦で約1年2ヶ月ぶりに勝利をあげた。ちなみに、2007年前期第2節から2008年前期第13節までのリーグ戦46試合連続未勝利記録はJFLのワースト記録となった。また、最終節(11月30日)のHonda FC戦では一試合11失点のJFLワーストタイ記録となってしまった(アルテ高崎も1得点しており一試合で合計12得点はJFL記録となった)。また、年間失点数が107となり、これもJFL最低記録となってしまった。順位も地域リーグ降格圏内の17位になってしまったが、栃木SC、カターレ富山、ファジアーノ岡山FCの3チームがJリーグに昇格したため、前年に続いてJFLに残留することになった。
- 2009年
幸谷に代わって横浜FCユース監督の後藤義一を新監督に招聘。前期は上位に食い込む健闘をみせたが後期に失速し、14位に終わった。それでも前年の失点数が107だったのを46まで減らし、自力残留も果たした。
- 2010年
前期こそ11位で折り返したものの、リーグ最低の得点力だったこともあり、後期はわずかに1勝しか挙げられず(後期の順位は18位)後期第10節から最終節まで8連敗を喫した。特に最終節の佐川印刷戦は引き分けでも残留が決まる状況だったにもかかわらず、ロスタイムに勝ち越されて17位だったジェフリザーブズが勝利し、勝ち点で上回ってしまったためアルテが17位に転落、入れ替え戦に回った(本来、17位は地域リーグへ自動降格となってしまうがガイナーレ鳥取がJ2昇格の4位以内を確定したため、17位は入れ替え戦回りとなった)。そして入れ替え戦は三洋電機洲本との対戦となったが、2試合合計で1勝1分でJFL残留が決まった。JFL所属チームが入れ替え戦でJFL残留を決めたのは2002年のジヤトコサッカー部以来8年ぶり2チーム目となった。
- 2011年
JAPANサッカーカレッジから土井良太が加入するなど、9人が加入した。得点力は土井がチーム得点王となる9点を獲得したが、勝ち点を落とす試合も多く、結果16位で本来なら前年と同じく入れ替え戦回りとなるが、FC町田ゼルビア、松本山雅FCがJリーグに昇格、ジェフリザーブズのチーム解散に伴うJFL脱退によりJFL残留することになった。
12月、2012年以降の活動が困難であることからチーム移管をしたい旨の要望があり、 同月16日に開催された2011年度第5回JFL理事会にてこの旨を報告し、2012年1月早々に再度審議を行った。 その後、移管について準備してきたが、移管先団体より法人の運営も含め不安定な要素が多く、法人を設立し健全なチーム運営を行っていくには厳しい状況である事を理由に、2012年1月13日午前に移管を辞退する旨の申し出が 文書にて提出され、移管が不成立に終わった。そのため、JFL理事会において、前記の結果を受けアルテ高崎の今後のJFLでの活動は困難と判断し、その後、運営団体である株式会社J・SからもJFLから退会したい旨の文書が提出され、JFLでの活動は 2011年度をもって終了した[4]。
トップチームは消滅し、母体である堀越学園も破産(2013年)したが、育成組織は2012年3月に創設された高崎エヴォリスタFCに承継された[5]。
チーム成績・歴代監督
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失 | 天皇杯 | 監督 |
1996 | 群馬県2部A | 優勝 | 県予選3位 | |||||||||
1997 | 群馬県1部 | 7位 | 県予選敗退 | |||||||||
1998 | 群馬県2部A | 11 | ||||||||||
1999 | 2位 | 11 | ||||||||||
2000 | 優勝 | 0 | 0 | 1回戦敗退 | 鈴木隣 |
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2001 | 群馬県1部 | 優勝 | 36 | 12 | 12 | 0 | 0 | 2回戦敗退 | 山出邦男 |
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2002 | 関東 | 2位 | 22 | 9 | 6(1) | - | 3(0) | 20 | 16 | 4 | 2回戦敗退 |
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2003 | 関東1部 | 優勝 | 35 | 14 | 11 | 2 | 1 | 49 | 13 | 36 | 県予選準優勝 | 池田司信 |
2004 | JFL | 8位 | 41 | 30 | 11 | 8 | 11 | 48 | 47 | 1 | 5回戦敗退 |
|
2005 | 8位 | 48 | 30 | 15 | 3 | 12 | 53 | 40 | 13 | 3回戦敗退 | 三輪和幸/小見幸隆 |
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2006 | 10位 | 37 | 34 | 10 | 7 | 17 | 36 | 62 | -26 | 2回戦敗退 | 金光浩/浜口和義/ アマラオ (選手兼任) |
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2007 | 18位 | 7 | 34 | 1 | 4 | 29 | 17 | 71 | -54 | 県予選敗退 | ピポ/渡辺克之 |
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2008 | 17位 | 20 | 34 | 5 | 5 | 24 | 40 | 107 | -67 | 1回戦敗退 | 渡辺克之/幸谷秀巳 |
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2009 | 14位 | 40 | 34 | 9 | 13 | 12 | 34 | 46 | -12 | 2回戦敗退 | 後藤義一 |
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2010 | 17位 | 29 | 34 | 7 | 8 | 19 | 28 | 51 | -23 | 2回戦敗退 |
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2011 | 16位 | 34 | 33 | 9 | 7 | 17 | 39 | 55 | -16 | 2回戦敗退 |
- ( )内の数字は、PK戦
主な結果・タイトル
リーグ戦
関東サッカーリーグ1部
- 優勝(1回):2003
- 準優勝(1回):2002
群馬県社会人サッカーリーグ1部
- 優勝(1回):2001
カップ戦
全国地域リーグ決勝大会
- 準優勝(1回):2003
関東社会人サッカー大会
- 優勝(1回):2001
群馬県サッカー協会長杯サッカー大会(兼天皇杯群馬県予選)
- 優勝(10回):2000, 2001, 2002, 2004, 2005, 2006, 2008, 2009, 2010, 2011
- 準優勝(2回):2003, 2007
年度別入場者数
- 入場者数の太字は歴代最多。
- 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 |
試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム |
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入場者数 | 相手 | 会場 | 入場者数 | 相手 | 会場 |
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2004 | JFL | 9,103 | 3,003 | 草津 | 群馬サ | 289 | SC鳥取 | 西が丘 | 607 | 15 | 群馬サ4、群馬陸2、伊勢崎 2、太田1、熊谷1、西が丘1 |
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2005 | 10,868 | 2,108 | 横河 | 浜川 | 246 | 流経大 | 鴻巣 | 725 | 15 | 群馬サ8、浜川3、熊谷2、鴻巣2 |
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2006 | 8,197 | 876 | 流経大 | 208 | 佐川大阪 | 浜川 | 483 | 17 | 浜川8、群馬サ7、太田1、鴻巣1 |
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2007 | 6,966 | 1,015 | FC岐阜 | 177 | ソニー | 熊谷 | 410 | 17 | 浜川9、群馬サ6、熊谷2 |
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2008 | 5,104 | 854 | 栃木SC | 144 | ソニー | 浜川 | 301 | 17 | 浜川11、群馬サ6 |
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2009 | 7,166 | 1,121 | NW北九州 | 202 | MIO | 群馬サ | 422 | 17 | 浜川11、群馬サ6 |
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2010 | 7,318 | 1,021 | 松本 | 186 | SAGAWA | 浜川 | 431 | 17 | 浜川13、群馬サ4 |
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2011 | 7,775 | 1,727 | 松本 | 群馬サ | 212 | 佐川印刷 | 群馬サ | 458 | 17 | 浜川11、群馬サ6 |
高崎市浜川陸上競技場
群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場
熊谷スポーツ文化公園陸上競技場
ユニフォーム
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クラブカラー
赤、 白、 黒
スポンサー
創造学園大学(胸)
ユニフォームサプライの遍歴
- 2004 - 2006年 PENALTY
- 2006 - 2008年 A-LINE
- 2009年 - 2010年 LOHAS
- 2011年 goleador
歴代所属選手
背番号変遷 (2000年-2009年)
No. | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 |
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監督 | 鈴木隣 | 山出邦男 | 池田司信 | 三輪和幸 小見幸隆 |
金光浩 浜口和義 アマラオ |
ピポ 渡辺克之 |
渡辺克之 幸谷秀巳 |
後藤義一 |
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1 | 蓮寛正俊 | 井坂進一 | 鏑木豪 | 和田翔太 | 斯波薫 |
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2 | 竹内泰孝 | 山村泰弘 | 小澤慶二郎 | 高木成太 | 田尾知己 | 小柴翔太 | 小島直希 |
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3 | 近賀健太郎 | 小川大介 | 三本菅崇 | - | - | - | 岩澤徹 |
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4 | 高橋勇菊 | 神田文之 | 神田文之 梁英二 |
貞富信宏 | 松本三四郎 | 西村陽毅 | 井上恭平 |
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5 | 生井洋祐 | 深田慶太 | 白山貴俊 | ファブリシオ 大谷昌司 |
小川裕史 |
|||||
6 | 島崎寛之 | 木村哲昌 | 瀬田元吾 | 山田正道 高畑浩二 |
山田正道 | 今井雅貴 | 秋葉勇志 |
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7 | 飯塚勝大 | 菅野賢一 | アマラオ | 川股要佑 | 山田裕也 |
|||||
8 | 清水幸司 | 清水武士 | 大谷武大 | 大谷武大 サントス |
冨田晋矢 小川雄司 |
小川雄司 | 河村勝 | 川勾邦明 |
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9 | 福島謙二 | 藏川洋平 | 磯山和司 | 田中靖大 | 久保田圭一 |
|||||
10 | 越智稔 | 北原健二 | 森陽一 | 斉藤紀由 | 高須洋平 | 里見仁義 | 大谷昌司 |
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11 | 苫米地健一 | 村田教生 | 森陽一 | 奈良安剛 | アマラオ | アマラオ 山本朝陽 |
杉山琢也 | 田中翔太 |
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12 | 井坂進一 | 道本大三郎 | サポーターズナンバー | 野尻衛 | サポーターズナンバー |
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13 | 石田裕彦 | 井上賢治 | 山田智也 | 杉山琢也 | 石沢泰羅 | 亘崇詞 吉澤正悟 |
||||
14 | 石川裕介 | 高山洋平 | 羽山拓巳 | 細貝聡 | 細貝聡 田中靖大 |
亘崇詞 | 石沢泰羅 |
|||
15 | 青木康真 | 水戸大輔 | 三本菅崇 | 平間智和 | 松本三四郎 | タファエル ラウール |
阿久澤剛 | 山藤健太 |
||
16 | 北村豪 | 浜岡寛 | エヴァンドロ | 町田多聞 | 樋口昌俊 | 梁英二 | 岩間雄大 |
|||
17 | 浜岡寛 | 高平和樹 | ダニロ | 照井篤 | - | - | - | 飯室綾太 |
||
18 | 桜井勇介 | 清水幸司 | 小松原学 | 浅野大地 | 森陽一 安田和弘 |
安田和弘 ボナフィナ |
- | 杉山琢也 |
||
19 | 大石篤人 | 生井洋祐 | 奈良紳太郎 | 笵偉 | 阿部巧也 | チアゴ | チアゴ 内田一平 |
- |
||
20 | 渡邉順平 | 上田高志 | 小山大樹 | 川勾邦明 | 蒲原直樹 |
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21 | 八重樫豊 | 蓮寛正俊 | - | 加藤康祐 | 宮本英俊 | 高須洋平 | 高橋竜太 | 津本貴啓 |
||
22 | 浅倉丈太郎 | 北村豪 | 水戸大輔 | 生方育大 川股要佑 |
川股要佑 | 浜岡寛 |
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23 | 斉藤尚人 | 川口健一 | 浜岡寛 | 金久保勝仁 | 片山弘之 | 高尚徳 | 石川貢 | 小川裕史 | 白山貴俊 |
|
24 | 江原昇 | 佐藤篤 | 兼松直紀 | 川勾邦明 | 大野寿久 | 大井逸都 | 田中翔太 | 大越崇司 |
||
25 | 糸井洋平 | 小野田伸悟 | 谷奥智 | 正野豊 | 奈良安剛 | 今井雅貴 | 水野和樹 | 白山貴俊 | 内田一平 植松俊行 |
|
26 | - | - | - | - | 細川功 | 矢部次郎 | 神谷恭平 |
|||
27 | - | - | - | - | 小野貴裕 チュウミ |
チュウミ | 河村勝 | - | 増田清一 |
|
28 | - | - | - | - | 大野寿久 | 小松原学 | 山本朝陽 | 石沢泰羅 | 床井伸太朗 | 正木秀俊 |
29 | - | - | - | - | - | 斉藤紀由 | ベット | - | - | 田代主水 |
30 | 長井秀樹 | - | - | - | 中西功 | ※加藤康祐 |
※永久欠番 |
|||
31 | シュナイダー | - | - | - | 宮本英俊 | 鏑木豪 | 堀之内健介 | 岩舘直 | 津本貴啓 | 岩舘直 |
32 | - | - | - | - | - | 大澤一俊 | 秋元崇 | 工藤光俊 | 森慶太 |
|
33 | - | - | - | - | - | 片桐淳至 | 黄永宗 | 村木伸二 | 久保田圭一 | 田中賢治 |
34 | - | - | - | - | - | - | 浅野大地 | 秋葉勇志 | - |
|
35 | - | - | - | - | - | 岡田大 |
||||
37 | 木野雅之 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
背番号変遷 (2010年-2011年)
No. | 2010 | 2011 |
---|---|---|
監督 | 後藤義一 |
|
1 | 安藤淳也 |
|
2 | 小島直希 |
|
3 | 岩澤徹 |
|
4 | 長谷川務 |
|
5 | 小川裕史 | 小林亮太 |
6 | 秋葉勇志 | 川里光太郎 |
7 | 山田裕也 |
|
8 | 森慶太 | 島優也 |
9 | - | 伊藤和基 |
10 | 石沢泰羅 |
|
11 | 伊藤和基 | 小林定人 |
12 | サポーターズナンバー |
|
13 | 一柳穣 | 佐藤大樹 |
14 | 飯室綾太 | 益子義浩 |
15 | 山藤健太 |
|
16 | 岩間雄大 | 田中舜 |
17 | 松尾昇悟 |
|
18 | 植松俊行 | 布施有太 |
19 | - | 土井良太 |
20 | 益子義浩 | 望月大地 |
21 | 津本貴啓 | 土田健太 |
22 | 田代主水 |
|
23 | 白山貴俊 | 安間ム月 |
24 | 川里光太郎 | 竹越夏基 |
25 | 関根真 |
|
26 | 神谷恭平 |
|
27 | 増田清一 |
|
28 | 吉田明生 | - |
29 | 塚本一希 |
|
30 | ※永久欠番 |
|
31 | 岩舘直 |
|
32 | 佐藤大樹 | - |
34 | 小柴翔太 | 白山貴俊 |
35 | 岡田大 |
永久欠番
30 加藤康祐 - 2005年2月6日、練習中に心室細動を起こし死去。2005年に永久欠番に指定。
チーム名変遷
1996年 - 1999年 マッキーFC関東
2000年 - 2002年 群馬FCフォルトゥナ
2002年 - 2004年 群馬FCホリコシ
2005年 FCホリコシ
2006年 - 2011年 アルテ高崎
脚注
^ “第17回 JFL アルテ高崎”. ゲキサカ (2007年5月1日). 2017年12月19日閲覧。
^ 「FCホリコシがJリーグ入り申請」読売新聞 (2005年9月30日) 2017年12月20日閲覧
^ 「JFLのFCホリコシがJ2加盟見送り」読売新聞 (2005年10月19日) 2017年12月20日閲覧
^ “アルテ高崎、JFLからの退会について”. 日本フットボールリーグ (2012年1月13日). 2012年1月15日閲覧。
^ “クラブ概要”. 高崎エヴォリスタFC. 2017年12月19日閲覧。
外部リンク
アルテ高崎 オフィシャルサイト at the Wayback Machine (archived 2012-05-26)
高崎エヴォリスタ - アルテ高崎の育成組織の後継チーム