二所ノ関部屋 (1911-2013)
二所ノ関部屋(にしょのせきべや)は、かつて日本相撲協会に所属した相撲部屋。
目次
1 歴史
2 分家独立騒動
2.1 片男波部屋の分家独立騒動
2.2 押尾川部屋の分家独立騒動(押尾川の乱)
3 部屋の最終所在地
4 師匠
5 力士
5.1 横綱・大関
5.1.1 横綱
5.1.2 大関
5.2 幕内
5.2.1 関脇
5.2.2 小結
5.2.3 前頭
5.3 幕下以下
6 関連項目
7 脚注
8 外部リンク
歴史
1909年(明治40年)1月に二枚鑑札で5代二所ノ関を襲名した関脇・海山は、1911年1月場所限りで現役を引退して以降は年寄専任となり、同時に友綱部屋に預けてあった内弟子を連れて二所ノ関部屋を創設した。5代は玉錦を大関にまで育て上げたものの、玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前となる1931年6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた[1]。
1935年1月に横綱・玉錦は二枚鑑札で6代二所ノ関を襲名して部屋を継承(事実上一時預かりからの再興)した。当時の二所ノ関部屋は稽古場さえ持たないほどの弱小な部屋だったが、玉錦は猛稽古により一代で部屋を大きくし、継承から5、6年程度で先代弟子だった玉ノ海を三役にあげ、直弟子の佐賀ノ花を関取に育て上げた。しかし、勧進元も務めてこれからという1938年12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した[1]。
6代(玉錦)が亡くなった後、関脇・玉ノ海が1939年1月に26歳の若さで二枚鑑札で7代二所ノ関を襲名して部屋を継承した。7代は先代の弟子から関脇・神風、幕内・大ノ海、幕内・十勝岩、直弟子から関脇・力道山などといった関取を育て上げた。戦争中は食糧確保のために部屋単独で勤労奉仕を行ったが、これにより7代は戦犯容疑で逮捕された。その際の日本相撲協会の冷遇が要因となり、7代は弟弟子である大関・佐賀ノ花に二所ノ関部屋を譲り、1951年5月に38歳の若さで廃業した後、同年9月に佐賀ノ花が二枚鑑札で8代二所ノ関を襲名して部屋を継承した[1]。
8代は、1952年1月に引退して以降は年寄専任となり、横綱・大鵬や大関・大麒麟などといった数多くの関取を育て上げた。当時の部屋では、7代が掲げた「分家独立を推奨する」という方針の下で、大ノ海(後に花籠部屋を創設)、琴錦(後に佐渡ヶ嶽部屋を創設)、玉乃海(後に片男波部屋を創設)らが分家独立を目指して自分たちの内弟子を抱えていた。いわゆる分家「阿佐ヶ谷系」が順当に枝分かれが進んだ一方で、本家「両国系」の分家独立に際しては混乱が相次いだ。8代は二所ノ関一門の総帥となるまでに部屋を大きくしたものの、1975年3月に急性白血病で死去した[1]。
その後は、8代の通夜の晩に後継の名乗りを上げた大鵬(元横綱・大鵬)が一代年寄を返上して9代二所ノ関を襲名して部屋を継承するか、部屋付き親方である17代押尾川(元大関・大麒麟)が後継として9代二所ノ関を襲名すると目されていた。正式に後継者が決定するまで、6代の弟子で二所ノ関一門の最長老であった10代湊川(元幕内・十勝岩)が暫定的に部屋を引き継ぐ形で9代二所ノ関を襲名したが、その期間は実に1年4ヶ月にも及んだ[1]。
部屋の相続争いに嫌気が差した大鵬は後継争いから降り(大鵬は現役中の1966年の春に8代から縁談を持ち掛けられ、その際に「もし、その娘との結婚を承諾すれば、将来は二所ノ関部屋の後継者として考えても良い」と暗に漏らされていながら、その縁談を断ったといういきさつを自著[2]で明かしている)、対する17代押尾川の後継は大おかみ(8代未亡人)が拒否して、混乱は長期間に及んだ。結局、部屋に所属する幕内力士の金剛が8代の次女と婚約して娘婿になることで年寄・10代二所ノ関を襲名することに決定し、金剛は1976年9月に27歳で現役を引退して部屋を継承した。10代が部屋の師匠に就任して以降は、8代の時代に入門してきた鳳凰が関脇へ、大徹が小結まで昇進したものの、10代の直弟子からは小結・大善しか関取を育てられず、平成時代に入ってからは急速に部屋の勢力が衰えた[1]。
2012年秋に10代が脳梗塞で倒れて入院し、病気療養が長引いて部屋経営が困難となったことを理由として、2013年1月場所後の同年1月28日付で10代と部屋付き親方である19代北陣(元関脇・麒麟児)と13代湊川(元小結・大徹)および行司1人と床山1人の計5人は同じ二所ノ関一門の松ヶ根部屋へ、部屋付き親方である9代富士ヶ根(元小結・大善)は出羽海一門の春日野部屋へ移籍し、同時に所属力士3人は全て引退することが発表されて、正式に二所ノ関部屋は閉鎖された[3]。
その後、松ヶ根部屋の師匠・9代松ヶ根(元大関・若嶋津)が、2014年11月24日に松ヶ根部屋の部屋付き親方である11代二所ノ関(元幕内・玉力道)と名跡交換を行い、12代二所ノ関を襲名すると同時に、同日付で部屋名を二所ノ関部屋に改称、再興した[1]。
分家独立騒動
片男波部屋の分家独立騒動
1961年(昭和36年)1月場所限りで引退して、以降は二所ノ関部屋の部屋付き親方となっていた年寄・12代片男波(元関脇・玉乃海)は、同年5月に当時の師匠である8代二所ノ関に対して内弟子たちを連れての分家独立を申し入れた。しかし、8代が12代片男波の内弟子たちの移籍に関しては1年待ってほしいと主張したため、とりあえず内弟子の移籍は保留したままの状況で、12代片男波は片男波部屋を創設した。
しかし、1年経っても内弟子たちの移籍が実現しなかったため、12代片男波は1962年5月場所前に内弟子の十両・玉響(元幕内)、十両・玉嵐、幕下・玉乃島(後の横綱・玉の海)たちの移籍届を日本相撲協会へ提出した。これに対抗して8代は、関取2人と幕下・玉乃島および玉兜と未成年者以外の力士全員の廃業届を提出したため、廃業届を出された力士たちは1962年5月場所に出場することができなかった。そこで、先代の師匠である7代二所ノ関が調停に入り、廃業届の取り下げと幕下以下の力士の翌7月場所からの移籍を認めることで両者は合意した。しかし、この時期に既に関取だった玉嵐の移籍は1年後になり、新川(玉響)は移籍することなく廃業した。
押尾川部屋の分家独立騒動(押尾川の乱)
二所ノ関部屋の相続争いに敗れた17代押尾川は、1975年9月3日に自分を慕う小結・青葉城や幕内・天龍など16人の力士を連れて8代二所ノ関の墓所である東京都台東区谷中の瑞輪寺に立てこもり、分家独立を申し入れた。これに対し8代未亡人側は、17代押尾川の要望を一切認めなかった。
そこで、二所ノ関一門の実力者である11代花籠(元幕内・大ノ海)が調停に入り、1975年9月場所後に押尾川部屋の分家独立を認めること、16人中6人(青葉城ほか幕下力士)だけの移籍を認めることで合意した。この際に移籍が認められなかった幕内・天龍(天龍源一郎)は、翌年9月場所を最後に26歳で廃業して全日本プロレスに入門し、プロレスラーへと転身した。
部屋の最終所在地
- 東京都墨田区両国4-17-1
師匠
- 5代:二所ノ関軍右衛門(にしょのせき ぐんうえもん、関脇・海山、高知)(二枚鑑札)
- 6代:二所ノ関三右衛門(にしょのせき さんえもん、横綱・玉錦、高知)(二枚鑑札)
- 7代:二所ノ関梅吉(にしょのせき うめきち、関脇・玉ノ海、長崎)(二枚鑑札)
- 8代:二所ノ関勝巳(にしょのせき かつみ、大関・佐賀ノ花、佐賀)(二枚鑑札)
- 9代:二所ノ関豊(にしょのせき ゆたか、前1・十勝岩、北海道)
- 10代:二所ノ関正裕(にしょのせき まさひろ、関脇・金剛、北海道)
力士
横綱・大関
横綱
- 玉錦三右エ門 現役中に死去(32代・高知)
- 大鵬幸喜(48代・北海道)
大関
- 佐賀ノ花勝巳(佐賀)
琴ヶ濱貞雄(香川):濱は正しくは「濵」、佐渡ヶ嶽部屋に移籍(正式な移籍は大関昇進後だが、実質的には最初から佐渡ヶ嶽の弟子)- 大麒麟將能(佐賀)
幕内
関脇
- 神風正一(香川)
麒麟児和春(千葉)- 金剛正裕(北海道)
- 玉ノ海梅吉(長崎)
- 玉乃海太三郎(大分)
鳳凰倶往(愛知)- 力道山光浩(長崎):廃業後プロレスラーとして日本プロレスを創立
小結
- 青葉城幸雄(宮城):押尾川部屋に移籍して後に関脇
- 琴錦登(香川)
- 大善尊太(大阪)
大徹忠晃(福井)
前頭
天津灘福一(佐賀)
大ノ海久光(秋田)- 海光山大五郎(徳島)
3代海山太郎(佐賀)
甲斐錦勝(山梨):プロレスラー・ジャンボ鶴田の叔父、入幕時に紅葉川孝市の松ヶ根部屋より移籍
神生山清(香川)
神若順三(千葉)
黒獅子勇蔵(大阪)
大文字研二(京都):三段目の時に中村部屋より移籍
大龍志郎(北海道)
玉櫻八郎(熊本)
天龍源一郎(福井):後にプロレスラーへ転向
十勝岩豊(北海道)
藤錦千代吉(北海道)
宮柱義雄(佐賀)
宮ノ花秀輝(愛媛)
若乃花幹士(青森):平幕時代に花籠部屋に移籍して後に横綱へ昇進
幕下以下
玉の海正洋(愛知):幕下時代に片男波部屋に移籍して後に横綱、現役中に死去
若ノ海周治(秋田):幕下時代に花籠部屋に移籍して後に小結
巨砲丈士(三重):序二段時代に大鵬部屋に移籍して後に関脇
関連項目
- 二所ノ関
脚注
- ^ abcdefgベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p8-13
^ 大鵬幸喜『大鵬自伝』(ベースボールマガジン社、1972年)、P179。なお、娘の詳細については「実現に至らなかったので詳しく書くことははばかる」としている。
^ 二所ノ関部屋が閉鎖 親方移籍 力士は引退 スポーツニッポン 2013年1月28日
外部リンク
- 二所ノ関部屋
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