三段目




三段目(さんだんめ)は、大相撲の番付の階級。幕下の下、序二段の上。




目次






  • 1 概要


    • 1.1 幕下昇進の目安




  • 2 記録


  • 3 脚注


  • 4 関連項目





概要


呼称の由来は、番付表の上から「三段目」にその位の力士の四股名が書かれることに由来している。15日間で7番の相撲を取る。


現在の定員は東西100人ずつの計200人である(1984年1月場所以降)。ただし三段目最下位格付出の力士はこれに含めない。


前相撲から最速3場所で昇進することが可能である。三段目力士ともなれば、いわゆる「お相撲さん」らしいしっかりした体格になり入門当初と比べても見違えるほどであるが[1]、三段目から上を目指すには体格や素質だけでなく、優れた運動能力や技量がさらに要求されるため、部屋での稽古も激しく、より実戦的なものになる。その意味でも、三段目で優れた成績を挙げ続けられるかを、将来関取に昇進できる可能性があるかの見極めに用いる部屋が多い[2]


三段目の地位から雪駄を履くことが許される。また、最高位三段目以上かつ日本相撲協会在籍5年以上の実績を満たした満20歳以上の者には、「相撲指導適格者」の取得要件が与えられる。


優勝賞金は30万円。大相撲本場所の幕下以下の取組ではスイス式トーナメントを導入している関係上[3]、三段目の定員が200人と定められて以降すべての場所で7戦全勝の力士が現れており、全勝力士が2人現れて、千秋楽に全勝同士の優勝決定戦が行われる場所もしばしばである。三段目で全勝力士が不在となり、6勝1敗同士の優勝決定戦が発生したケースは、幕下以下の本割が1場所7番と定められた1960年7月場所以降、3例(1964年9月場所の若北海・1970年11月場所の青葉山・1974年1月場所の弘乃海)しかない。


2015年5月に三段目最下位格付出制度が新設され、翌年3月場所に2人の力士が初土俵を踏んだ。



幕下昇進の目安


三段目に限らず、「番付は生き物」と俗称されるように、成績と翌場所の地位との関係は一定ではない。平成以降の番付編成の傾向をみると、以下の成績を上げれば翌場所の幕下昇進は確実とされる。



  • 10枚目以内で4勝以上。

  • 25枚目以内で5勝以上。

  • 50枚目以内で6勝以上。

  • 51枚目以下で7勝(優勝の有無を問わず、無条件で昇進)。



記録


いずれも、2019年3月場所時点の記録である。



  • 三段目優勝の回数は3回が最多であり、若ノ城宗彦(1993年3月場所・2001年9月場所・2002年11月場所)が記録した。但し、優勝を伴わない7戦全勝も含めると、高砂部屋の川口由貴(1994年9月場所・1995年5月場所で決定戦敗退、2002年5月場所で優勝[4])・玉ノ井部屋の唐津海誠二(2011年9月場所で優勝、2016年3月場所で決定戦敗退[5]、2018年5月場所で優勝)

  • 三段目まで陥落した元三役(大関・関脇・小結)の力士は、元大関照ノ富士・元関脇出羽ヶ嶽・元小結大豊・元関脇栃赤城[6]・元小結巴富士[7]・元小結千代天山・元小結時天空[7]・元小結常幸龍[8]・元小結千代鳳の9名。なお、照ノ富士は2018年11月場所で大関経験者として(江戸時代の看板大関などのケースを除けば)史上初めて三段目(西27枚目)に陥落し、自己の持つ大関陥落後の番付降下記録をさらに更新し、さらに全休が続いたため2019年3月場所では序二段にまで陥落した。

  • 三段目に在位した場所数が最も多い力士は、富士ノ風真弘と剛力山太郎で96場所在位した。

  • 序二段から三段目に昇進した回数が最も多い力士は、田子ノ浦部屋(旧・鳴戸部屋)の輝の里一輝で20回記録した。



脚注





  1. ^ 相撲診療所の医師である林盈六は、著書『相撲診療所医師が診た力士たちの心・技・体 』(法研、1996年12月)の中で、「幕内から序ノ口までの力士の中で、最も体脂肪率が高いのが三段目力士である」と明らかにした。


  2. ^ 中島隆信『大相撲の経済学』(東洋経済新報社、2003年9月)では、前掲の林医師のデータを分析し、「三段目が出世の分かれ目」と説く。三段目は将来関取に昇進できる見込みの少ない力士が滞留する地位であるとしている。


  3. ^ 同部屋・力士間の親族関係など、厳密な規定を無視すると、スイス式トーナメントでは出場力士128名中1名が必然的に7連勝となる。


  4. ^ 川口は当場所直後(番付編成会議の期間中)に引退したため、番付に在位した最終場所を各段優勝という、非常に珍しい経歴を残した。


  5. ^ 決定戦の対戦相手は当場所三段目格付出で初土俵を踏み、後に豊山の四股名で幕内に在位する小柳亮太だった。


  6. ^ 栃赤城は三段目に陥落した場所前に引退し、番付に掲載されたのみで出場はしなかった。

  7. ^ ab巴富士及び時天空は三段目陥落後2場所連続で全休してそのまま引退。実際に三段目の土俵には上がらなかった。


  8. ^ 常幸龍はその後三段目まで陥落した元三役としては史上初めて関取復帰を果たした。




関連項目



  • 力士養成員

  • 相撲用語一覧


  • 藤田川藤介 明治時代の力士で最高位が三段目、引退後は世話人を務めた。力士としての実績は皆無で相撲にも無気力であったが比類なき吝嗇家で知られ、「とうすけ」という隠語が相撲用語として現在残っている。







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