岩手郡







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岩手県岩手郡の範囲(1.雫石町 2.葛巻町 3.岩手町 薄緑・水色:他郡から編入した区域)


岩手郡(いわてぐん)は、岩手県(陸奥国・陸中国)の郡。


人口35,043人、面積1,404.24km²、人口密度25人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の3町を含む。




  • 雫石町(しずくいしちょう)


  • 葛巻町(くずまきまち)


  • 岩手町(いわてまち)


盛岡都市圏の北部を占める。




目次






  • 1 郡域


    • 1.1 岩手郡(第1次)


    • 1.2 岩手郡(第2次)




  • 2 歴史


    • 2.1 古代


    • 2.2 岩手郡(第1次)


    • 2.3 岩手郡(第2次)


    • 2.4 変遷表




  • 3 行政


  • 4 脚注


  • 5 参考資料


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





郡域



岩手郡(第1次)


1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。




  • 滝沢市の全域


  • 盛岡市の一部(上飯岡、下飯岡、飯岡新田、津志田、津志田西、津志田町、三本柳、東見前以南を除く)


  • 八幡平市の一部(西根寺田、荒木田、平舘、松尾以南)

  • 雫石町の全域

  • 岩手町の全域



岩手郡(第2次)


1897年(明治30年)に行政区画として発足した当時の郡域は、第1次岩手郡と同じ区域にあたる。



歴史



古代


郡名は「岩出の森」に由来するという説がある。文献に表れるのは、平城天皇の御代に陸奥国磐手の郡から献上された鷹を愛で、帝がつけた名前「磐手(いはて)」(大和物語第152段)が最初という。大納言はこの鷹を取り逃がしてしまい、奏じるのを躊躇っていたがついに口にすると、これを嘆いた帝は何も言わなかった。なぜ何もおっしゃらないのかと問うと、「いはて思ふぞ言ふにまされる」(言わないことこそが言うことよりも思いは勝るのだ/言わぬ程に磐手を深く思っている)と鷹の名に掛けて詠じたという。この歌は、古今和歌集の本歌取りで、源氏物語でも引用されている。同音である「岩手=言わで」「口無し=梔子」の連想から、「言いたくても言えない切なさ」を表す歌枕となり、平安文学の世界では、梔子染めの山吹色が「岩手の里」の情景を示す言葉となった。



  • 心には 下行く水のわきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる - 古今和歌集六帖

  • くちなしの 色とぞみゆる 陸奥の いはての里の 山吹の花 - 夫木和歌抄



岩手郡(第1次)


所属町村の変遷は南岩手郡#郡発足までの沿革、北岩手郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照


  • 「旧高旧領取調帳」の記載によると、幕末時点では陸奥国に所属し、盛岡藩領であった。(1町85村)

  • 明治元年


    • 12月7日(1869年1月19日)

      • 陸奥国が分割され、本郡は陸中国の所属となる。

      • 盛岡藩が戊辰戦争後の処分により、領地を没収される。信濃松代藩取締地となり、盛岡県(第1次)を称する[1]




    • 12月24日(1869年2月5日) - 旧・盛岡藩が磐城白石藩に転封される。



  • 明治2年7月22日(1869年8月29日) - 白石藩が旧領に復帰して盛岡藩が復活し、再び盛岡藩の管轄となる。

  • 明治4年


    • 7月10日(1871年8月15日)- 盛岡藩が廃藩。盛岡県(第2次)が発足し、旧・盛岡藩領を管轄。


    • 11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により盛岡県(第3次)の管轄となる。



  • 明治4年

    • 中野村が東中野村に改称。


    • 盛岡城の廃城により、城内が内丸に改称して仁王村に編入。盛岡城下各町が仁王村、志家村、仙北町村、東中野村、新庄村、加賀野村、山岸村、三割村、上田村に字地として編入。(85村)



  • 明治5年1月8日(1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。

  • 明治11年(1878年)11月26日


    • 郡区町村編制法の岩手県での施行により、行政区画としての岩手郡が発足。


    • 紫波郡砂子沢村・根田茂村の所属郡が本郡に変更。(87村)



  • 明治12年(1879年)1月4日 - 分割され、仁王村ほか48村の区域をもって南岩手郡が、大更村ほか37村の区域をもって北岩手郡がぞれぞれ発足。同日岩手郡(第1次)廃止。



岩手郡(第2次)



1.藪川村 2.玉山村 3.米内村 4.浅岸村 5.簗川村 6.中野村 7.本宮村 8.太田村 9.御所村 10.御明神村 11.西山村 12.雫石村 13.滝沢村 14.厨川村 21.沼宮内町 22.川口村 23.巻堀村 24.渋民村 25.大更村 26.田頭村 27.松尾村 28.平舘村 29.寺田村 30.一方井村 31.御堂村 41.葛巻村 42.江刈村 *は発足時の盛岡市(紫:盛岡市 赤:八幡平市 青:滝沢市 桃:雫石町 橙:岩手町 黄:葛巻町)



  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、南岩手郡・北岩手郡の区域をもって岩手郡(第2次)が発足。郡役所が盛岡市内丸に設置。以下の町村が所属。(1町24村)

    • 旧・南岩手郡(14村) - 藪川村玉山村米内村浅岸村簗川村中野村本宮村太田村(現・盛岡市)、御所村(現・盛岡市、雫石町)、御明神村西山村雫石村(現・雫石町)、滝沢村(現・滝沢市)、厨川村(現・盛岡市)

    • 旧・北岩手郡(1町10村) - 沼宮内町川口村(現・岩手町)、巻堀村渋民村(現・盛岡市)、大更村田頭村松尾村平舘村寺田村(現・八幡平市)、一方井村御堂村(現・岩手町)




  • 大正2年(1913年)6月10日 - 厨川村の一部(盛岡駅周辺と陸羽街道沿い[2])が盛岡市に編入。

  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和3年(1928年)4月1日 - 米内村が盛岡市に編入。(1町23村)

  • 昭和15年(1940年)

    • 1月1日 - 厨川村が盛岡市に編入。(1町22村)

    • 12月23日 - 雫石村が町制施行して雫石町となる。(2町21村)



  • 昭和16年(1941年)4月10日 - 浅岸村・中野村・本宮村が盛岡市に編入。(2町18村)

  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「岩手紫波地方事務所」が盛岡市に設置され、紫波郡とともに管轄。

  • 昭和23年(1948年)7月1日 - 九戸郡葛巻町江刈村の所属郡が本郡に変更。(3町19村)

  • 昭和29年(1954年)4月1日 - 玉山村・渋民村・藪川村が合併し、改めて玉山村が発足。(3町17村)

  • 昭和30年(1955年)

    • 2月1日 - 簗川村および玉山村の一部、滝沢村の一部(滝沢字穴口の一部)が盛岡市に編入。(3町16村)

    • 4月1日(3町12村)

      • 太田村が盛岡市に編入。

      • 雫石町・御明神村・御所村・西山村が合併し、改めて雫石町が発足。



    • 6月1日 - 巻堀村が玉山村に編入。(3町11村)

    • 7月15日 - 葛巻町が江刈村および二戸郡田部村と合併し、改めて葛巻町が発足。(3町10村)

    • 7月21日 - 沼宮内町・一方井村・川口村・御堂村が合併して岩手町が発足。(3町7村)

    • 10月 - 雫石町の一部(繋のうち繋温泉周辺)が盛岡市に編入。



  • 昭和31年(1956年)9月30日 - 大更村・平舘村・田頭村・寺田村が合併して西根村が発足。(3町4村)

  • 昭和36年(1961年)11月1日 - 西根村が町制施行して西根町となる。(4町3村)


  • 平成14年(2002年)4月1日 - 二戸郡安代町を岩手郡に編入。(5町3村)

  • 平成17年(2005年)9月1日 - 安代町・西根町・松尾村が合併して八幡平市が発足し、郡より離脱。(3町2村)

  • 平成18年(2006年)1月10日 - 玉山村が盛岡市に編入。(3町1村)

  • 平成26年(2014年)1月1日 - 滝沢村が市制施行して滝沢市となり、郡より離脱。(3町)



変遷表




行政


岩手郡長(第1次)
















氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)11月26日 明治12年(1879年)1月4日 分割により岩手郡廃止

岩手郡長(第2次)























氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治30年(1897年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官


脚注





  1. ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。


  2. ^ 下厨川のうち字木伏、平戸、片原、下田、三十軒、中川原、三ツ家、館坂、馬頭、長畑、小屋、塚頭、狐森、権現坂、宿田、宿田後、境田川原、寺ノ下、畑中など。




参考資料




  • 角川日本地名大辞典 3 岩手県

  • 旧高旧領取調帳データベース



関連項目



  • 奥六郡

  • 岩手山



外部リンク



  • オープンアクセス『岩手郡誌』 (岩手県教育会岩手郡部会, 1941) - 国立国会図書館デジタルコレクション












先代:
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行政区の変遷
- 1879年 (第1次)
次代:
南岩手郡・北岩手郡
先代:
南岩手郡・北岩手郡

行政区の変遷
1897年 - (第2次)
次代:
(現存)










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