ゲルマニア・インフェリオル
ゲルマニア・インフェリオル(ラテン語: Germania Inferior)は、ローマ帝国の属州のひとつである。日本語では下ゲルマニア、低地ゲルマニア、遠ゲルマニアなどと訳される。南にガリア・ベルギカ、南東にゲルマニア・スペリオルの各属州に面していた。
ライン川の左岸に位置し、その領域は、現在のオランダ南西部、ベルギー、ルクセンブルク、フランス北東部、およびドイツ西部にあたる。州都はコロニア・アグリッピネンシス(Colonia Agrippinensis)で、現在のケルンにあたる。
目次
1 歴史
2 主な植民都市
3 参考資料
4 外部リンク
歴史
ローマ軍が初めてこの地方に侵攻したのは、ガイウス・ユリウス・カエサルによるガリア戦争のときである。カエサルの侵攻は紀元前57年に行われ、その後3年間に、エブロネス族やメナピィ族など現地のベルガエ人を制圧した。
ゲルマニア・インフェリオルは、紀元前50年頃はまだガリア・ベルギカの一部であり、この頃からローマ人の植民地が築かれ始めた。90年にゲルマニア・インフェリオルはローマ帝国の属州となり、その後にローマ皇帝が直轄する皇帝属州となった。隣り合うゲルマニア・スペリオル属州と合わせてゲルマニアを構成する。
ゲルマニア・インフェリオルにはいくつかのローマ軍団が駐留し、EX.GER.INF(Exercitus Germania Inferior)の略称で表された。その中でも、第1軍団ミネルウィアや第30軍団ウルピア・ウィクトリクスは長く当地に駐留し続けた。また、ローマ海軍もカストラ・ウェテラ(現:クサンテン)やアグリッピネンシスに駐留し、ライン川や北海沿岸の警備を勤めた。
主な植民都市
- コロニア・アグリッピネンシス (Colonia Agrippinensis、州都、現ケルン)
- カストラ・ウェテラ (Castra Vetera、現クサンテン近く)
- コロニア・ウルピア・トライアナ (Colonia Ulpia Traiana、現クサンテン近く)
- ウルピア・ノウィオマグス・バタウォルム (Ulpia Noviomagus Batavorum、現ナイメーヘン)
- トライェクトゥム・アド・レヌム (Trajectum ad Rhenum、現ユトレヒト)
- アトゥトゥカ・トゥングロルム (Atuatuca Tungrorum、現トンヘレン)
- トルナクム (Tornacum、現トゥルネー)
- ボナ (Bona、現ボン)
参考資料
- Jona Lendering, De randen van de aarde. De Romeinen tussen Schelde en Maas, (2000 Amsterdam)
外部リンク
http://www.livius.org/ga-gh/germania/inferior.htm (英語)
http://www.library.ucla.edu/yrl/reference/maps/blaeu/germania-inferior-nt.htm#qvarta_branbantiae Blaeu Atlas Germania Inferior (英語)
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