甚目寺町
じもくじちょう 甚目寺町 | |||
|---|---|---|---|
甚目寺観音 | |||
| |||
| 廃止日 | 2010年3月22日 | ||
| 廃止理由 | 新設合併 七宝町、美和町、甚目寺町→あま市 | ||
| 現在の自治体 | あま市 | ||
| 廃止時点のデータ | |||
| 国 | |||
| 地方 | 中部地方、東海地方 | ||
| 都道府県 | 愛知県 | ||
| 郡 | 海部郡 | ||
| 団体コード | 23423-1 | ||
| 面積 | 9.34km2 | ||
| 総人口 | 39,779人 (推計人口、2010年3月1日) | ||
| 隣接自治体 | 名古屋市、清須市、稲沢市 美和町、七宝町、大治町 | ||
| 町の木 | クスノキ | ||
| 町の花 | キク | ||
| 甚目寺町役場 | |||
| 所在地 | 〒490-1198 愛知県海部郡甚目寺町大字甚目寺字二伴田76番地 | ||
| 外部リンク | 甚目寺町 | ||
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村 | |||
| ウィキプロジェクト | |||
甚目寺町(じもくじちょう)は、かつて愛知県中西部の海部郡にあった町。2010年3月22日に同郡美和町、七宝町と合併してあま市となり消滅した。町名は尾張四観音の一つの甚目寺観音が由来で、地名になったのは鎌倉時代からといわれている。名古屋市の西に隣接しており、ベッドタウンとして発展してきた。人口は約4万人であり、合併前までは日本で5番目に人口密度が高い町であった。市外局番は052である(以前は0560であった)
目次
1 地理
1.1 隣接している自治体・行政区
1.2 地名
2 歴史
2.1 沿革
3 行政
3.1 町長
3.2 行政機関
3.2.1 警察
3.2.2 消防
3.2.3 その他の機関
4 公共施設
4.1 医療
4.2 文化・体育施設
4.3 郵便局
5 経済
5.1 特産品
5.2 企業
5.3 商業
6 教育
6.1 高等学校
6.2 中学校
6.3 小学校
6.4 自動車学校
7 姉妹都市・提携都市
7.1 海外
8 交通
8.1 鉄道路線
8.2 道路
8.2.1 高速道路
8.2.2 一般国道
8.2.3 主要地方道
8.2.4 一般県道
9 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
9.1 寺社
9.2 史跡
9.3 その他の名所
9.4 祭事・イベント
10 出身有名人
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク
地理
- 河川: 新川、五条川、庄内川
隣接している自治体・行政区
名古屋市(中村区)- 清須市
- 稲沢市
海部郡:美和町、七宝町、大治町
地名
甚目寺(じもくじ)- 坂牧(さかまき)
- 本郷(ほんごう)
上萱津(かみかやづ)
中萱津(なかかやづ)
下萱津(しもかやづ)- 森(もり)
- 方領(ほうりょう)
- 石作(いしつくり)
- 小路(しょうじ)
新居屋(にいや)- 栄(さかえ)
西今宿(にしいまじゅく)
歴史
甚目寺の始まりは推古天皇5年(597年)。地名になったのは鎌倉時代からと言われている。
『海道記』に萱津とある。
渡りはつれば尾張の國に移りぬ。(中略)萱津の宿に泊りぬ。
沿革
1552年9月4日 - 萱津の戦いが起こる。
1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、甚目寺村、坂巻村、本郷村が合併し、甚目寺村が発足。
1906年(明治39年)7月1日 -甚目寺村、萱津村、春富村、白鷹村、森村、新居屋村、東今宿村が合併し、甚目寺村発足
1919年(大正8年)10月 - 廻間地区を清洲町に編入する。
1933年(昭和8年)8月1日 - 町制施行をし甚目寺町となる。
1943年(昭和18年)1月1日 - 土田・上条地区を清洲町に編入する。
2008年(平成20年)[1]- 5月1日 - 美和町、七宝町、大治町との間に、東部四町合併研究会設置。
- 11月5日 - 大治町の離脱により研究会を解散、七宝・美和・甚目寺町合併研究会設置。
2009年(平成21年)
- 2月 - 住民に対して合併に関するアンケートを実施。甚目寺町では「賛成」が41.5%、「どちらかといえば賛成」が23.9%であった[2]。
- 4月 - アンケート結果を受け、七宝・美和・甚目寺町合併協議会を設置[3]。
- 7月24日 - 新設される市名として公募多数と委員会選出の計6つを候補とし、協議会での投票の結果「あま市」と決定された。同時に美和町役場を市役所の本庁舎とし、七宝と甚目寺の各町役場を分庁舎とすることが決定された[4]。
2010年(平成22年)3月22日 - 同郡美和町、七宝町と合併しあま市誕生。同日甚目寺町は廃止。
行政
町長
村上浩司(2006年12月24日 - 2010年3月21日)[5]
行政機関
警察
津島警察署
- 甚目寺幹部交番
- 甚目寺南交番
消防
海部東部消防組合北分署
海部東部消防組合北分署
その他の機関
- 名古屋市環境局 五条川工場
名古屋法務局甚目寺出張所
公共施設
医療
公立尾陽病院
文化・体育施設
甚目寺町中央公民館 - 大ホール 収容人員805人(固定席802席、車イス用席3席)。- 甚目寺町総合体育館
- 甚目寺総合福祉会館
- 甚目寺産業会館
郵便局
甚目寺郵便局(集配局)- 甚目寺西今宿郵便局
- 甚目寺本郷郵便局
経済
特産品
刷毛 - 昭和48年、刷毛生産量は全国の7割を占め、国内生産量は同48年以降を守り続けている。
方領大根 - 尾張大根- 小松菜
企業
- 愛知刷毛刷子商工業協同組合
- セントラルヨシダ株式会社
- 株式会社河村産業所
日本リーテック株式会社中部支社
日本電話施設株式会社 電設事業本部
株式会社日本デリカフレッシュ 名古屋工場
鎌倉ハム
- 甚目寺工場
- 事務所
- 本部営業所
- タンゲ化学工業株式会社 甚目寺工場
高岳製作所
- 中部支社
- 名古屋センター
アイカ工業株式会社 甚目寺工場
商業
ヨシヅヤ
- 甚目寺店
- 呉服館
- 電気館(リニューアル後は西松屋甚目寺店)
アオキスーパー甚目寺店
ピアゴ甚目寺店(旧ユーストア)
コンツネ甚目寺店(旧ハローフーヅ)
夢屋書店甚目寺店
セリア
- ピアゴ甚目寺店
- 甚目寺店(所在地は大治町)
- ニッケタウン甚目寺
教育
高等学校
- 愛知県立五条高等学校
中学校
- 甚目寺町立甚目寺中学校
- 甚目寺町立南中学校
小学校
- 甚目寺町立甚目寺小学校
- 甚目寺町立東小学校
- 甚目寺町立南小学校
- 甚目寺町立西小学校
自動車学校
- 名古屋西自動車学校(2004年に廃校)
姉妹都市・提携都市
海外
- フレンドシップ相手国
2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く。)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた[6]。
マリ共和国
交通
鉄道路線
名古屋鉄道
津島線:甚目寺駅
廃止駅
- 新居屋駅
甚目寺駅と七宝駅との間にあった駅。1944年に休止し、1969年に廃止された。
道路
甚目寺村道路元標
高速道路
東名阪自動車道(現・名古屋第二環状自動車道):甚目寺南IC - 甚目寺北IC
一般国道
- 国道302号
主要地方道
- 愛知県道59号名古屋第二環状線
- 愛知県道79号甚目寺佐織線
一般県道
- 愛知県道124号西条清洲線
- 愛知県道126号給父西枇杷島線
- 愛知県道128号給父清洲線
- 愛知県道139号須成七宝稲沢線
- 愛知県道200号名古屋甚目寺線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
甚目寺観音
寺社
甚目寺観音 - 尾張四観音の一つ- 實成寺
- 法性寺
- 漆部神社
- 萱津神社
史跡
- 阿弥陀寺遺跡
- 森南遺跡
- 大渕遺跡
- 甚目寺遺跡
- 法性寺跡
- 清林寺遺跡
- 萱津古戦場跡
その他の名所
- 上街道(津島街道)
- 鎌倉街道
- 小町塚 - 小野小町が関東へ向かう途中、新居屋で亡くなったという伝説がある。
清洲飛行場(通称:甚目寺飛行場) - 町内に当時の壕などが残る。甚目寺公民館の敷地内に開拓記念碑が建てられている。1995年に甚目寺町教育委員会が「甚目寺飛行場」という冊子を作成した。- 甚目寺歴史民俗資料館
祭事・イベント
- 甚目寺観音節分会(2月)
- 町民まつり(8月)
- 甚目寺観音桃十日祭(8月)
- 萱津神社香の物祭(8月)
出身有名人
赤林孫七郎(武将)
小笠原登(医学者、名誉町民)
大槻快尊(心理学者)
加藤あい(女優)
丹波史紀(福島大学行政政策学類准教授)
佐藤順一(アニメーション監督)
加藤拓也(歌手)
足土貴英(歌手)
山口賢貴(俳優、タレント)
山口恵莉花(歌手)
桐原いづみ(漫画家)
甚目裕夫(ピアニスト)
丹波正史(政治家)
脚注
^ 七宝・美和・甚目寺町合併研究会
^ 第1回協議会資料(PDF)
^ 七宝・美和・甚目寺町合併協議会
^ 中日新聞 (2009年7月25日). “新市名は「あま市」に 七宝・美和・甚目寺合併協 (愛知県)”. 2009年9月15日閲覧。
^ 市町村選挙情報(平成18年度) | 愛知県
^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
参考文献
- 甚目寺町史編纂委員会『甚目寺町史』 甚目寺町、1975年。
関連項目
- 愛知県の廃止市町村一覧
外部リンク
- 甚目寺町役場
