津田信栄
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凡例 津田信栄 | |
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時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝永3年(1706年) |
死没 | 宝暦11年7月28日(1761年8月28日) |
改名 | 吉原半外、吉原左平、新十郎 |
主君 | 徳川宗春→宗勝→宗睦 |
藩 | 尾張藩士(尾張衆) |
氏族 | 吉原氏→津田氏 |
父母 | 父:吉原甚太夫仲治、母:津田信明娘 養父:津田信綜 |
子 | 養子:信澄 |
津田 信栄(つだ のぶえい?)は、江戸時代中期の尾張藩士。吉原仲治の子。家紋は織田木瓜。
略歴
吉原仲治の次男として誕生。母は津田信明の娘。
岩倉織田氏の系統津田信綜に嫡子がなく、妹の子である信栄が養嗣子となり改姓、家督相続する(500石、寄合)。
御鉄砲頭、黒御門足軽頭、御書院番頭格により徳川宗睦附属となる。嫡子がなく、志水中梁の七男(末子)友吉を養子に迎える。
宝暦11年(1761年)7月28日、病没。享年56。
脚注
参考文献
- 『士林泝洄』
- 『藩士名寄』