ガイ・ロジャース
殿堂 No.25, 5 | |
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ポジション | ポイントガード |
背番号 | 25, 5 |
身長 | 183cm (6 ft 0 in) |
体重 | 84kg (185 lb) |
基本情報 | |
本名 | Guy William Rodgers Jr. |
ラテン文字 | Guy Rodgers |
誕生日 | (1935-09-01) 1935年9月1日 |
国 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州フィラデルフィア |
ドラフト | 1958年 地域指名 |
選手経歴 | |
1958-1966 1966-1967 1967-1968 1968-1970 | テンプル大学 フィラデルフィア・ウォリアーズ シカゴ・ブルズ シンシナティ・ロイヤルズ ミルウォーキー・バックス |
ガイ・ロジャース(Guy Rodgers, 1935年9月1日 - 2001年2月19日)はアメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。NBAではフィラデルフィア/フランシスコ・ウォリアーズでキャリアの大半を過ごし、2度のアシスト王に輝いた経歴を持つ。
来歴
テンプル大学時代に2度のオールアメリカに選ばれたロジャーズは、1958年のNBAドラフトでフィラデルフィア・ウォリアーズから地域指名(地元選手を指名できる制度)を受けてNBA入りし、ルーキーイヤーからチームの司令塔としてプレイし、このシーズンは10.7得点5.8アシストを記録した。2年目の1959-60シーズンにはウィルト・チェンバレンが加入。リーグ史上でも一、二を争う得点能力を持つチェンバレンをフィニッシャーに迎えたロジャーズのアシスト数は飛躍的に伸び、このシーズンは7.1、翌シーズンは8.7アシストを記録する。チームもイーストを代表する強豪チームとなったが、プレーオフでは宿敵ボストン・セルティックスの前に涙を呑むシーズンが続いた。さらにセルティックスにはボブ・クージーが所属しており、ロジャーズはアシスト王レースでクージーに後一歩及ばず、毎シーズンアシスト王ランキング2位の成績に終わっていた。
ウォリアーズがフィラデルフィアからサンフランシスコに拠点を移した1962-63シーズン、ロジャーズは13.9得点10.4アシストと初めてアシストアベレージが二桁を突破し、通算825アシストはリーグ1位となり、ようやくクージーを抑えて初のアシスト王に輝いた。またこのシーズンの3月14日に行われたセントルイス・ホークス戦では当時クージーが保持していたNBAの1試合最多アシスト数に並ぶ28アシストを記録した。しかし1963年にはオスカー・ロバートソンが登場し、今度はアシスト王レースでロバートソンの後塵を拝するようになった。1964年にチェンバレンがウォリアーズを去り、チームはリック・バリー、ネイト・サーモンドら若手選手中心にシフトしたため、ロジャーズは1965-66シーズンにキャリアハイとなる18.6得点10.7アシストを記録しながらも8シーズン過ごしたウォリアーズから去ることになった。
1966年のエクスパンションにより、ロジャースはエクスパンション・ドラフトに掛けられ、新しく誕生したシカゴ・ブルズに移籍することになった。新規チームでは唯一30歳を超すベテラン選手だったロジャースはチームを牽引する中心選手として活躍し、18.0得点11.2アシストを記録してロバートソンを抑えて2度目のアシスト王に輝いた。シーズン通算908アシストは当時のNBAの新記録であり、またブルズのフランチャイズ記録として2008年現在も破られていない。チームも創部1年目にしてプレーオフに進出し、ロジャースは新天地で好スタートを切ったかに見えたが、翌シーズンには開幕4試合でロバートソンが所属するシンシナティ・ロイヤルズにトレードされた。
ロイヤルズにはロバートソンが居るため同じポジションのロジャースには出場時間が割かれず、このシーズンはキャリア最低の5.1得点4.8アシストに終わった。オフにはロイヤルズを去り、ミルウォーキー・バックスに移籍。ここでロジャースはキャリアを復活させたが、バックスでの2年目となる1968-69シーズンに34歳となったロジャースは、このシーズンを最後に現役から引退した。
NBA通算成績は12シーズン892試合の出場で、10,415得点6,917アシスト、平均11.7得点7.8アシストだった。
- 主な業績
オールスター 1963年, 1964年, 1966年, 1967年- アシスト王 1963年, 1967年
脚注
外部リンク
- Basketball-Reference.com
- Hoopedia
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^ basketball-reference.com