ヨギ・ベラ






































































ヨギ・ベラ
Yogi Berra

1953 Bowman Yogi Berra.jpg
1953年発売のベースボールカードより

基本情報
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
ミズーリ州セントルイス
生年月日
1925年5月12日
没年月日
(2015-09-22) 2015年9月22日(90歳没)
身長
体重

5' 8" =約172.7 cm
194 lb =約88 kg
選手情報
投球・打席
右投左打
ポジション
捕手
プロ入り
1943年 (ドラフト制度なし)
初出場
1946年9月22日
最終出場
1965年5月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴





  • ニューヨーク・ヤンキース (1946 - 1963)


  • ニューヨーク・メッツ (1965)




監督・コーチ歴




  • ニューヨーク・ヤンキース (1964)

  • ニューヨーク・メッツ (1965 - 1975)

  • ニューヨーク・ヤンキース (1976 - 1985)


  • ヒューストン・アストロズ (1986 - 1989)




アメリカ野球殿堂


Empty Star.svgEmpty Star.svgEmpty Star.svg殿堂表彰者Empty Star.svgEmpty Star.svgEmpty Star.svg

選出年
1972年
得票率
85.61%
選出方法
BBWAA投票による選出




アメリカ野球殿堂博物館に飾られているヨギ・ベラのプラーク




ベラの背番号「8」。
ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番に1972年指定。




ニューヨーク・メッツコーチ時代(1969年)




2009年


ローレンス・ピーター・ベラ(Lawrence Peter "Yogi" Berra, 1925年5月12日 - 2015年9月22日)は、MLBのプロ野球選手(捕手)。右投左打。引退後は監督を務めた。アメリカ合衆国・ミズーリ州セントルイス出身。背番号8は、ビル・ディッキーと共にニューヨーク・ヤンキースの永久欠番。




目次






  • 1 経歴


  • 2 ヨギイズム


    • 2.1




  • 3 詳細情報


    • 3.1 年度別打撃成績


    • 3.2 獲得タイトル・表彰・記録




  • 4 脚注


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





経歴


はじめマイナーリーグでプレーした後、1946年にニューヨーク・ヤンキースと契約、最初はキャッチャーとしては今一つだったためヨギの前にヤンキースの正捕手を務めていたビル・ディッキーに1年間、徹底的に仕込まれた逸話がある。


本名はローレンス・ピーター・ベラだが、子供の頃に友人のボビー・ホフマン(英語版)(後のニューヨーク・ジャイアンツでプレー)が映画で見たインドの蛇使いに歩き方がそっくりだったことから、同じインドのつながりで「ヨギ」と呼ぶようになったのが始まりという。彼の発言は独特の言い回しから、ヨギイズムと呼ばれた(下記参照)。「メジャーリーグ屈指のバッドボールヒッター(悪球打ち)」と呼ばれていたほどで、日米野球では金田正一が投じた頭の上の高さの悪球をバットを立てて大根切りで右翼スタンドへ叩き込んでいる[1]


ヨギの現役時代のヤンキースは主力にジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルらの強力スラッガー、エースにはホワイティ・フォードを擁しており、正に黄金時代であった。自身も巧打者として活躍し、「ヘリコプター・スイング」と呼ばれた独特の打撃スタイルから引退までに打った358本塁打は、当時キャッチャーとして最多の本塁打だった。またヨギは14回ワールドシリーズ出場を果たしワールドシリーズ優勝の証であるチャンピオンリングを10個獲得しているが、これはメジャー史上最多である[2]。アメリカンリーグMVPも3度受賞した。また主にメジャー定着当初の1947年と1948年、そして現役後半、後輩のエルストン・ハワードにポジションを譲る形で1958年から1962年のシーズンを中心に外野手(主にレフトとライト)としても260試合の出場経験がある。


引退後はヤンキースのコーチ・監督のほか、ニューヨーク・メッツのコーチ・監督などを歴任。監督として、ヤンキースでは1964年に、メッツでは1973年にワールドシリーズ進出を果たした(いずれも敗退)。1985年シーズン途中にヤンキースのオーナーであるジョージ・スタインブレナーと大ゲンカを起こし、監督を退任。「もう二度とヤンキー・スタジアムには来ない」と長らくヤンキースから身を引いたが、ディマジオらの尽力で1998年にスタインブレナーと和解。1999年にディマジオが没した後、彼が務めていたヤンキー・スタジアムでの始球式をヨギが引き継いだ。2004年のヤンキース日本開幕戦にも来日し、読売ジャイアンツとのオープン戦での始球式では金田正一[3]の球を受けるキャッチャーも務めた。晩年、アメリカで放映されていた保険会社・Aflacの広告で、ヨギイズムを披露していた("They give you cash, which is just as good as money"など)。


1972年にアメリカ野球殿堂入り。背番号8は殿堂入りを記念して古巣ヤンキースの永久欠番に同年、先輩であり前に「8」をつけていたディッキーとともに指定された。また、2人連名の永久欠番は史上初だった。


息子のデール・ベラ(英語版)もメジャーリーガー(内野手)で[4]、1977年 - 1987年にわたってピッツバーグ・パイレーツ(1977年 - 1984年)、ヤンキース(1985年 - 1986年)、ヒューストン・アストロズ(1987年)でプレイし通算853試合に出場し、打率.236、本塁打49を記録。1985年にはヨギが監督をつとめていたヤンキースに移籍したが、開幕から16試合でヨギが解任(前述)。親子が同一チームにいたのはわずかな期間のみであった。


2015年9月22日、90歳で逝去[5]。逝去時ではヤンキースの永久欠番選手の中でもっとも長く生きた人物だった(現在は同じチームメイトであるホワイティ・フォードが最年長である)。



ヨギイズム



ヨギは奇妙な発言をすることで有名で、それらの言葉(と彼独特の思想)はYogiisms (ヨギイズム)と呼ばれている。一見諺のようなウイットに富んだ言葉が多いが、よく考えれば意味をなさないものや単に同じ事を繰り返し述べているだけのものが多い。ユーモアがあるそれらの発言は野球に興味のない人々にも親しまれている。


息子のデール・ベラが小学校に入り、「エンサイクロペディア(百科事典)を買ってよ」とせがまれた時に「何だ、そのサイクル、サイクルに何とかいうのは。自転車のニューモデルか」と言ったり[1]、文豪のアーネスト・ヘミングウェイを紹介された時には「いつも読ませていただいています。ところでお宅はどの新聞に書いていらっしゃるんでしたっけ?」と言った[6]とかいう逸話が数多く残っている。漫画本を好み、移動中の車中でもよくコミック雑誌を読みふけっていた[1]。有名な漫画『ヨギ・ベア』はベラの名にならって、のちに名付けられた(1958年)。






  • 野球に関する概評として「野球は90%はメンタル、残りの半分はフィジカルだ」[7]

  • セントルイスにあるレストラン"Ruggeri's"に行かなくなった理由について。「もう誰もあそこにはいかないよ。混み過ぎなんだもの」[7]

  • 「(試合は)終わるまで終わりじゃない」1973年7月にはメッツはナショナルリーグ東地区において、9 12ゲーム差で首位のシカゴ・カブスを追いかけていた。メッツは最後の公式戦のホームゲームで地区優勝を決め、カブスを8ゲーム上回りシーズンを終えた[7]


  • ジョー・ガラジオーラ・シニア(英語版)にニュージャージー州の自宅への道順を教える時に。到達可能な経路が2つあった。「分かれ道に来たらとにかく進め」[7]

  • 1960年代前半のヤンキースでミッキー・マントルとロジャー・マリスが続けて本塁打を放つのを見て言った。「デジャヴの繰り返しだ」[7]

  • 「じっと見ることで、たくさん観察できる」[7]

  • 「他の人の葬式には必ず出ないとね。そうしないと彼らが自分の葬式に来てくれないから」[7](「彼らが」の部分が「誰も」であれば普通の処世訓だが、代名詞の「彼ら」が「先に死んだ他の人」のことを指すため、意味のおかしな文となっている)

  • 「私は言ったことの全部を言ったわけじゃない」[8]



詳細情報



年度別打撃成績

























































































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1946

NYY
7 23 22 3 8 1 0 2 15 4 0 0 0 -- 1 -- 0 1 0 .364 .391 .682 1.073

1947
83 306 293 41 82 15 3 11 136 54 0 1 0 -- 13 -- 0 12 7 .280 .310 .464 .775

1948
125 497 469 70 143 24 10 14 229 98 3 3 2 -- 25 -- 1 24 9 .305 .341 .488 .830

1949
116 443 415 59 115 20 2 20 199 91 2 1 0 -- 22 -- 6 25 6 .277 .323 .480 .802

1950
151 656 597 116 192 30 6 28 318 124 4 2 0 -- 55 -- 4 12 11 .322 .383 .533 .915

1951
141 594 547 92 161 19 4 27 269 88 5 4 0 -- 44 -- 3 20 16 .294 .350 .492 .842

1952
142 605 534 97 146 17 1 30 255 98 2 3 1 -- 66 -- 4 24 8 .273 .358 .478 .835

1953
137 557 503 80 149 23 5 27 263 108 0 3 1 -- 50 -- 3 32 7 .296 .363 .523 .886

1954
151 652 584 88 179 28 6 22 136 125 0 1 1 7 56 -- 4 29 9 .307 .367 .488 .855

1955
147 615 541 84 147 20 3 27 254 108 1 0 2 5 60 6 7 20 13 .272 .349 .470 .819

1956
140 597 521 93 155 29 2 30 278 105 3 2 1 5 65 7 5 29 8 .298 .378 .534 .911

1957
134 545 482 74 121 14 2 24 211 82 1 2 1 4 57 10 1 24 11 .251 .329 .438 .767

1958
122 476 433 60 115 17 3 22 204 90 3 0 0 6 35 5 2 35 6 .266 .319 .471 .790

1959
131 521 472 64 134 25 1 19 218 69 1 2 0 2 43 5 4 38 6 .284 .347 .462 .809

1960
120 404 359 46 99 14 1 15 160 62 2 1 0 4 38 6 3 23 11 .276 .347 .446 .792

1961
119 437 395 62 107 11 0 22 184 61 2 0 0 5 35 4 2 28 7 .271 .330 .466 .795

1962
86 263 232 25 52 8 0 10 90 35 0 1 0 5 24 4 2 18 7 .224 .297 .388 .685

1963
64 164 147 20 43 6 0 8 73 28 1 0 0 1 15 2 1 17 4 .293 .360 .497 .856

1965

NYM
4 9 9 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 2 .222 .222 .222 .444

MLB:19年
2120 8364 7555 1175 2150 321 49 358 3643 1430 30 26 9 *44 704 *49 52 414 146 .285 .348 .482 .830


  • 「-」は記録なし

  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す



獲得タイトル・表彰・記録




  • アメリカ野球殿堂表彰:1972年


  • 永久欠番:8(ニューヨーク・ヤンキース)


  • アメリカンリーグ・MVP:3回、1951年、1954年、1955年


  • MLBオールスターゲーム選出:15回、1948年-1962年


  • ワールドシリーズ優勝:10回(歴代1位)[2]



脚注


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  1. ^ abc伊東一雄 『メジャー・リーグ紳士録』 ベースボール・マガジン社、1997年、38-39頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 4583034113。


  2. ^ ab“The Yankees’ World Series Ring Leaders” (英語). ニューヨーク・タイムズ (2009年10月29日). 2018年7月28日閲覧。


  3. ^ 前述の1955年の日米野球での縁から、金田はベラとも親交があった。


  4. ^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。


  5. ^ “元ヤンキースのヨギ・ベラ氏が死去”. デイリースポーツonline. (2015年9月23日). http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2015/09/23/0008421956.shtml 2015年9月23日閲覧。 


  6. ^ 伊東一雄 『メジャーリーグこそ我が人生 パンチョ伊東の全仕事』 産経新聞ニュースサービス、2003年、270頁。
    ISBN 4594041175。


  7. ^ abcdefgBerra, Yogi (1998). The Yogi Book. New York: Workman Publishing. p. 9. ISBN 0-7611-1090-9. 


  8. ^ “I really didn't say everything I said”. Fox News. 2015年9月24日閲覧。




関連項目



  • 親子メジャーリーガー一覧


  • ヨギ・ベア - 名前の類似について、ベラは制作会社を告訴したが取り下げた(現在はベラが由来であったことが判明している)。



外部リンク














  • Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介



  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube





  • 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com




















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