日比谷入江
日比谷入江(ひびやいりえ)は、現在の東京都千代田区東部に江戸時代初頭まであった入り江である。
入り江は江戸湾(東京湾)北西奥に、新橋付近を湾口として北に伸び、北端は現在の大手町にまで達した。そのやや南に、現在の丸の内1丁目から皇居外苑に入る和田倉門があったが、「和田」とは「ワダ(海)」を意味し、海に面した倉庫があったことに由来する。徳川家康の関東入国までは平川(現神田川)の河口であった(平川橋などにその名が残る。平川はのちに東回りに流路を変え日本橋川や外濠川となっていく)。
西は武蔵野台地の東端である本丸台地(江戸城)に、東は武蔵野台地が北から回りこんだ本郷台地からさらに南方に(現在の山手線沿いに)延びる半島である江戸前島に囲まれていた。北からは平川が流れ込み低湿地となっていた。
江戸時代初頭には軍港として利用された(商港の江戸湊は江戸前島の反対側の東海岸に建てられた)。1620年代になると建設残土などを使った天下普請による埋め立てが進行し、大名屋敷となった。これに伴い、漁民は京橋と芝口に移住した[1]。
現在
現在も江戸前島と比べて地形が低くなっており、かつての位置を判別できる。日比谷濠や馬場先濠は日比谷入江の名残と言える。また、白鳥濠付近には汐見坂があり、日比谷入江を指す。
脚注
^ 国史大辞典(吉川弘文館)