週刊金曜日
週刊金曜日 | |
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刊行頻度 | 週刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | 株式会社金曜日 |
刊行期間 | 1993年 - 現在 |
ウェブサイト | http://www.kinyobi.co.jp/ |
『金曜日』(きんようび、通称週刊金曜日)は[1]、株式会社金曜日が発行する主に政治・社会・環境問題を扱う週刊誌。
「スポンサーや広告主に阿らずに市民の立場から主張できるジャーナリズム、権力を監視し物申せるジャーナリズム」を目指し、また、休刊した『朝日ジャーナル』の思潮を受け継ぐものとして創刊[2]。「日本で唯一の、タブーなき硬派な総合週刊誌」を標榜しており、反戦・人権・環境問題など市民運動・市民活動の支援、体制批判を主に扱っている。最近の特集としては、テレビ・新聞業界のタブーに迫った「電通の正体」、メーカータブーに迫る「トヨタの正体」など。憲法改正論議では、一貫して護憲の立場を取っている。誌名の名付け親は久野収。戦前(1936年 - 1937年)に久野と中井正一らが発行した週刊『土曜日』と、フランス人民戦線の雑誌『Vendredi(金曜日)』にちなむ[3]。
目次
1 内容
2 論調
3 販売方法
4 沿革
5 編集委員
5.1 現任編集委員
5.2 過去の編集委員
6 歴代編集長
7 備考
7.1 天皇についての扱い
7.2 盗用・無断転載
8 関連項目
9 注釈
10 出典
11 外部リンク
内容
投書欄のスペースが広いのも特徴で、毎号8通前後の投書が掲載されている(読者が出資して創刊したという経緯もあり、創刊からしばらくは投書欄が雑誌の巻頭にあった)。他に、市民運動や読者会(読んだ感想を話し合う)の紹介などを投稿できるコーナーもある。毎号、全体のおよそ3分の1が特集記事や単発記事で、残りの誌面は連載記事や投書欄にあてられている。ただし、掲載される連載記事の種類は多いが、多くは毎号連載されるわけではなく(不定期連載・隔週連載・月1回連載)、複数の執筆者が交代で執筆する連載も多い(たとえば政治コラムは毎号掲載されるが、国会議員秘書・ジャーナリスト・大学教授・新聞記者の4者が交代で執筆している)。このため、毎号必ずお気に入りの執筆者の文章が読めるとは限らず、このことが定期購読を躊躇して書店買いをする読者を増やす遠因にもなっている[要出典]。
創刊当初5万3千部だった定期購読部数は、現在1万3千部。
論調
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」(ジョン・アクトンの言葉)という前提にたち、「だから監視が必要であり、そのためにジャーナリズムは存在する」と主張している雑誌である。
したがって、与党(自公連立政権であろうが非自民政権であろうが関係ない)や政府や財界など体制を批判する記事が多い。近隣諸国の中では日本の政界・財界と深い関係を持つアメリカ合衆国を批判する記事が目立つが、チェチェン紛争などに絡むロシアの人権問題や覇権主義、「人体の不思議展」の疑惑など中国の人権問題、中国共産党の独裁と腐敗に言及した記事もある。
社民党を中心に左派政党や市民団体関係者がしばしば寄稿し、また日本や韓国の左派勢力に対しては好意的な論評が比較的多い。また、日本共産党などを批判する記事も少なからずあり、週刊金曜日16周年記念号の看板ルポで「創価学会の失われた一〇年」として、公明党と創価学会の問題点を取り上げるなど、互いに非難合戦に陥りがちな共産党と創価学会陣営の両方に批判的な論調である。民主党に対する批判も以前から散見され、また民主党の後継政党である民進党はあくまで保守政党という立場を取ってきたが、民主党政権発足後は批判しつつも、自民党政権に比べ相対的に評価し政策提言を行う記事が増えていた。2017年に結成された立憲民主党に対しては概ね肯定的であるが、2018年京都府知事選挙をめぐる同党の対応には批判的であった[4]。
先述の通り護憲の立場を取るため改憲問題には批判的で、北朝鮮への経済制裁についても批判的記事が多い。
左派色が薄い、あるいは市民運動と距離を置いている人物に記事を書かせたり対談などに登場させたりすると、少なからず読者から批判が寄せられるという(特に亀井静香、城内実などの保守系とされる人物)。最近では反米左派と反米保守の共闘として、西部邁や小林よしのりらが誌上に登場することもあった。2005年の第44回総選挙での野党大敗後は、民主党などを含む保守勢力との共闘を肯定する記事も増えている。
2008年の創刊15周年集会では、ポスターにドラクロワの「民衆を導く自由の女神」のトリコロールを日の丸に置き換えたパロディを用いたが、この際日の丸を肯定的に用いたことに強い批判が寄せられた。また、天皇制廃止論の立場からの論説がしばしばみられ、保守派だけでなく天皇に好意的な左派、あるいは天皇や皇族自身の言動も批判対象にしばしばされる。
2009年4月8日、「貧困とテロ、クーデター」と題する『月刊日本』との共同講演会を開催した[5]。派遣切りなどの貧困労働者問題を中心に論じたものである。
販売方法
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創刊当初は、日本の大都市中心のごく一部の書店売りを別にすれば、1年分や2年分の雑誌料金を前納する購読方法しか選択肢はなかった。環境問題への配慮から、郵送する雑誌は包装せずに、表紙と裏表紙を接着剤で張り合わせた“袋とじ”状態のまま投函されるため、表紙には耐水紙を採用している。現在のように店頭で扱う書店が増えたのは1990年代の終わりごろからである(書店に並ぶ雑誌は袋とじではない)。ただし、増えたとはいえ扱いのある書店は一部である。また、前納制の定期購読の場合、中途解約しても返金には応じない方針が不評だったため、購読料を月単位で指定口座から自動引き落としにする定期購読コースも新設された(この場合の購読料金は定価となる)。
このほか、部数が低迷しているのは知名度が低いからであるとして、多くの人に読んでもらうことを目的に、公立図書館に定期購読してもらうよう読者に呼びかけ始めたのは2000年代に入ってからである。ただ、利用者が少ないことを理由に購読をやめる図書館も散見される(予算削減で購読続行出来ないのをこれに託けた館もあり)。この現状に対し、図書館が所蔵する『週刊金曜日』をもっと借りるよう読者に促す意見が投書欄に掲載されたりもした。
沿革
1993年、編集委員が中心となり、読者から出資を募る形で創刊された。これは、経営者の(広告主への配慮という)編集方針により原稿をボツにされることが度々あった本多をはじめとするジャーナリストの経験を踏まえ、「広告に依存しない自由なメディアを作りたい」という動機によるものである[注 1]。そのため誌面に広告が少ない(思想傾向を同じくする出版社の広告がほとんど)、週刊誌にしては価格がやや割高である。創刊当初には、部数が増えたら価格の引き下げを検討するとのことだったが、今日まで価格は500円のまま一度も変わらない[注 2]。
- 1993年7月-10月、創刊準備号として『月刊金曜日』という名称の月刊誌を発行。編集委員は石牟礼道子、井上ひさし、久野収、筑紫哲也、本多勝一。『月刊金曜日』は、7月号から10月号まで計4号発行される。初代編集長・発行人は和多田進。
- 1993年11月、創刊。創刊号より椎名誠が編集委員に参加。
- 1994年-1995年、社内不祥事による和多田の急な辞任により、編集長・発行人は本多が引き継ぐ。この後、石牟礼と井上が編集委員を辞任。本多の編集後記のよると、石牟礼はもともと金曜日創刊の最初の段階だけ手伝うという約束で編集委員を引き受けていたという。これに対し井上は、(路線の対立かどうかは定かではないが)本多が編集長に就任して以降、誌上に登場することはほとんどなくなっていた。その後、佐高信と落合恵子が編集委員に参加。
- 1995年-1997年、編集長は本多
- 1996年、副編集長(デスク)として松尾信之が入社
- 1997-2001年、編集長は松尾信之
- 2001年、編集長は松尾からデスクの黒川宣之に交代。発行人は本多から黒川に交代。
- 1999年、久野収死去。
- 2000年、辛淑玉が編集委員に参加。
- 2000年-2002年、編集長が朝日新聞OBの岡田幹治に交代。同性愛者に関する掲載記事の表現が誌上で論争となり、辛が編集委員を辞任。
- 2004年、編集長が岡田から元『サンデー毎日』編集長の北村肇に交代。
- 2005年、石坂啓が編集委員に参加。また外部のライターが時事通信と共同通信の配信記事を盗用していた件で同年10月4日に両社に文書で謝罪した。黒川、2期6年の任期満了で発行人を退任(再々任を認めない社の方針に従う)。後任に佐高。
- 2007年12月、椎名誠が編集委員を辞任。雨宮処凛が編集委員に参加。
- 2008年11月、筑紫哲也死去。
- 2009年1月、宇都宮健児、中島岳志、田中優子が編集委員に参加。
- 2010年10月、佐高が発行人を退任し、北村が新発行人に就任。編集長には前副編集長の平井康嗣が2016年10月まで就任。
- 2016年11月、小林和子が編集長に就任。(発行人は北村のまま)
- 2018年9月、植村隆が代表取締役社長兼発行人に就任。(北村は任期満了で退任)
編集委員
現任編集委員
- 本多勝一
- 佐高信
- 落合恵子
- 石坂啓
- 雨宮処凛
- 宇都宮健児
- 田中優子
- 中島岳志
過去の編集委員
- 石牟礼道子
- 井上ひさし
- 久野収
- 椎名誠
- 筑紫哲也
- 辛淑玉
歴代編集長
和多田進(発行人も兼任・晩聲社創立者)
本多勝一(発行人も兼任・元朝日新聞社会部員のジャーナリスト)
黒川宣之(元朝日新聞経済部員) 先代発行人
松尾信之(元『日刊ゲンダイ』ニュース部長・元『日刊アスカ』編集長)
岡田幹治(元朝日新聞経済部員)
北村肇(新聞労連兼毎日労組元委員長・元『サンデー毎日』編集長)
平井康嗣(初の生え抜き編集長) 前編集長- 小林和子 現編集長
備考
天皇についての扱い
週刊金曜日の1997年11月14日号の天野恵一の投稿「『天皇行事』のオリンピック 象徴天皇は〝国家元首〟か?『長野五輪は誰のため』」の掲載に際して、貝原浩のイラスト「オリンピックの『お言葉』で先祖還りを世界に宣する元首アキヒト『ファシズムは繰り返す』」[注 3]を掲載しようとしたところ、
- 今の天皇は平和主義者と右翼は言っていてあまり重きを置いていないが、前天皇については右翼も重きを置いている
- 天皇にもプライバシーがある。それを侵害してはいけない。今回はそのケースではないが、侮辱もあってはいけない。今回はその侮辱にあたる
- 今回の企画は、天皇を正面から攻撃したものではない。面倒になることを避けたい。
などを理由に掲載を拒否した[6]。
盗用・無断転載
誤報検証サイト「GoHoo」を運営する日本報道検証機構が「金曜日」側に週刊金曜日の特集記事と単行本で産経新聞の報道を批判するために自社記事の盗用されたことを抗議しため、2017年11月17日発売の同日号で「お詫び」を掲載した。 日本報道機構は22日午後に(1)盗用の原因と再発防止策の不明確(2)盗用指摘3か月経過後も初版本販売(3)執筆者は謝罪せずに「金曜日」の常連執筆者の継続など問題三点を談話で指摘して、「これらの対応をみるとメディアとしての責任を果たしたとは到底言えず、誠に遺憾であります」と批判した。J-CASTニュース編集部は他メディア批判記事で盗用が発覚するのは極めて異例だと報じ、入手した単行本の初版には出典明記さえされていなかったことを明かした。週刊金曜日は2005年にも自社と配信契約の無い共同通信と時事通信の記事の無断使用に謝罪記事を掲載していた[7]。
関連項目
- 紙の爆弾
- 買ってはいけない
- 噂の眞相
解放出版社 - 部落解放同盟傘下の出版社。東京営業所の所在地が株式会社金曜日と同じである。
注釈
^ 「タブーなき硬派な総合週刊誌」の「タブーなき」という言葉はこれに由来する。
^ ただし、前納に対する購読期間の拡大により、相対的な価格引き下げを行ったことはある。
^ 左に日の丸を持った昭和天皇、右にヒトラー。太刀持ちに従えて明仁天皇が五輪マークの上に土俵入りしているカットになっている。
出典
^ 国立国会図書館では『金曜日』の題名で登録されている。
^ 初代編集長・和多田進の言
^ 「金曜日から」 2004年6月25日号
^ 立憲民主党の失格幹事長、福山哲郎へ
^ 月刊日本 週刊金曜日 共同講演会 貧困とテロ、クーデター
^ 「編集者からの手紙」/山中登志子/2002年1月、現代人文社より
^ 産経記事の「捏造」「誤報」批判で「盗用」J-CASTニュース 2017年11月22日
外部リンク
- 公式ウェブサイト
週刊金曜日 (@syukan_kinyobi) - Twitter(編集部などが発信している)