クレディ・スイス
種類 | Aktiengesellschaft |
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市場情報 | NYSE CS SIX CSGN |
本社所在地 | スイス チューリッヒ、パラデプラッツ8番地 北緯47度22分11.7秒 東経8度32分19.1秒 / 北緯47.369917度 東経8.538639度 / 47.369917; 8.538639 |
設立 | 1856年 |
業種 | 銀行業 |
法人番号 | 1700150005958 |
事業内容 | 持株会社 |
代表者 | ティージャン・ティアム (最高経営責任者) マーティン・キーブル (在日代表兼最高経営責任者) |
従業員数 | 約47,400人(2009年9月末日現在) |
決算期 | 12月31日 |
外部リンク | www.credit-suisse.com(英語) jp.credit-suisse.com(日本語) |
クレディ・スイスはチューリッヒに本社を置くユニバーサル・バンクあるいは世界最大規模の金融コングロマリット。
グローバルに大規模な事業展開をする欧州系投資銀行の一角を成している。
目次
1 概要
2 沿革
3 世界での事業
4 日本での事業
5 職位・給与水準
6 日本での行政処分および不祥事
7 外部リンク
8 脚注
概要
プライベート・バンキング、インベストメント・バンキング、アセット・マネジメントの3部門から成り立ち、証券・投資銀行業務、富裕層向け資産管理業務、資産運用業務などを行う。
クレディ・スイス・グループAGはスイス及びニューヨークで上場。
日本では他の外資系投資銀行と同様の法人向けインベストメント・バンキングサービスを提供するほか、運用資産10億円以上を対象とする超富裕層向けプライベート・バンキングサービスを提供する。
UBS・ドイツ銀行・バークレイズ・BNPパリバなどとともにグローバルに大規模な事業展開をする欧州系投資銀行の一角を成しているほか、米大手投資銀行ファースト・ボストンやドナルドソン・ラフキン&ジェンレットの買収を経て米国での地位も確固たるものとしている[1]。ファースト・ボストン重役だったジョン・リデル準男爵は、イングランド銀行総裁ゴードン・リチャードソンの娘サラと結婚した。
沿革
※1988年のファースト・ボストン買収まで、クレディ・スイス史は左列、ファースト・ボストン史は右列。
1856年 - クレディ・スイスがチューリッヒで設立。
1869年 - チューリッヒ保険の原点、スイス運送保険会社の設立を主導した[2]。- 1910年前後 - AEG・ドイツ銀行・ベルリン商事(Berliner Handels-Gesellschaft)と合弁の電力事業銀行(Bank für elektrische Unternehmungen)を設立[3]。
1940年 - 初の国外支店をニューヨークに設置。
1944年 - バランスシートの1/3がスイス連邦債となる。
1967年 - スイスの貴金属精錬会社(Valcambi)を買収。
1971年 - クリフォード・アービング、エディス・アービング夫妻の訴訟事件をめぐり、マグロウヒル社の訴えにより裁判所より口座情報の開示を求められる[4]。
1977年 - クレディ・スイス銀行東京支店を設置。スイス国内ではイタリアのコモで国境を接するキアッソ(Chiasso)の支店で、店長エルンスト・クールマイヤーがイタリア人顧客と通じ、巨額の保証をつけリヒテンシュタインの金融専門会社テクソン(1861年創業)へ融資[5]。これをテクソンがイタリア系の企業群に転貸し焦げつかせた[6]。すぐにスイス国立銀行などが30億フランをベイルアウト。しかしかえって信用不安を煽りスイスフランは下落した。
1932年 - チェース銀行とファースト・ナショナル・バンク・オブ・ボストンがグラス・スティーガル法を適用され、投資部門のファースト・ボストン・コーポレーションを独立させた。本体はバンクボストンと称した。3年後にSCE(Southern California Edison)へ巨額融資。
1946年 - メロン・フィナンシャルの子会社メロン証券を吸収。承継した事業と顧客がファースト・ボストンにオファーをもたらした。世界銀行とイドロ・ケベック仲介の公債発行と、ガルフ・オイルの株引受である。
1959年 - ファースト・ボストン・コーポレーションが日本戦後初の外債を引受ける。
1970年 - ボストンのホワイト・ウェルド商会(White Weld & Co.)と提携しユーロ債発行市場を牽引してきた結果、バルジ・ブラケットに数えられる。モルガン・グレンフェル(Morgan Grenfell)、クラインワート、パリバ、ソジェンなどと英仏海峡トンネルのコンソーシアムに参加[7]。
1978年 - ホワイト・ウェルドがメリルリンチに買収されてしまい、代わりにクレディ・スイスと提携するようになった。JPモルガンとともにユーロ債取引をリード。
1987年 - ブラックマンデー
1988年 - 米大手投資銀行ザ・ファースト・ボストン・コーポレーションを買収(#世界での事業)。ブラックロック創業。
1989年 - ジャンク債市場崩壊。マイケル・ミルケンが起訴される。- 1990年以降 - 傘下においた米証券会社BEAアソシエーツと公式に提携。
1997年 - 200家族で有名なオタンゲル銀行のフランス事業を買収。バークレイズのBZW(Barclays de Zoete Wedd)市場調査部門に参加したり、ヴィンタートゥール保険(Winterthur Insurance)を95億ドルほどで買収したりした[8]。
1998年 - ロングターム・キャピタル・マネジメントの救済融資に参加。
1999年 - フリートバンクがバンクボストンを買収してフリート・ボストンとなる。クレディ・スイスは同年にウォーバーグ・ピンカス(Warburg Pincus)の投信部門を買収して、BEAと併せ自行の投信部門に統合した。
2000年 - ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットを買収し、投信部門へ統合した。
2003年 - ヴィンタートゥール傘下のチャーチル保険(Churchill Insurance)がロイヤル・バンク・オブ・スコットランドに売却された。ヴィンタートゥールのイタリア事業もユニポール(Unipol)へ売却。
2006年 - グループ内の銀行部門の完全統合により、新生クレディ・スイスが発足。グレンコアと提携。懸案のヴィンタートゥールをアクサへ売却した。イラン等の中東諸国と闇取引をした嫌疑について5億ドル強でアメリカ当局と和解。
2007年 - バンク・リュー(Bank Leu)を買収。同行バハマ支店は1980年代前半にドレクセル・バーナム・ランバートのデニス・レヴィーン(Dennis Levine)がインサイダー取引に利用していた。- 2007年~2010年 - 連邦準備制度から2620億ドルのベイルアウトを受ける。
2013年 - 12月、ABNアムロ銀行の子会社ベスマンバンクにドイツのプライベート・バンキング事業を売却。
2014年 - 米国人顧客による所得税の脱税をほう助のために共謀した罪で略式起訴される[9]。
2015年 - HSBC 他多数の大金融機関と共に貴金属取引における価格カルテルの疑いで米司法省などに捜査される。また、ブロックチェーン開発コンソーシアムのR3CEV LLC を結成した。
2016年 - スイス銀行のサラジン(J. Safra Sarasin)が、クレディ・スイスのモナコ支店とジブラルタル支店を買収[10]。
2017年 - 危険な住宅ローン証券を証券化・商品化および発行・流通させた責任で米司法省と和解し58億ドルの支払に同意[11]。
世界での事業
クレディ・スイスはヨーロッパ有数の巨大金融機関でありながら、米大手投資銀行ファースト・ボストンを実質的に買収した。
1988年より投資銀行部門の本拠地をニューヨークに構え、他の米大手投資銀行と直に鮮烈な競争を繰り広げ、グローバル投資銀行としての道を着実に歩んだ。
2000年には1990年代後半に「ウォール街で最も成功した証券会社」(Euro Money誌)として注目されたドナルドソン・ラフキン&ジェンレットを買収し、普通株引受額で世界第四位、M&Aアドバイザリーで世界第三位につくなどグローバルでの地位を確立。
資産運用部門を合わせた資本力ではモルガンスタンレー等を上回る規模に成長し、またジャンク債引受では首位の座を手にした[12]。
日本での事業
クレディ・スイスは早くから日本に参入した金融機関。戦後間もなくから国債引受業務など、機関投資家や事業法人向けの証券・投資銀行業務や、オルタナティブ投資などのアセット・マネジメント業務を行なった。
UBS・ドイツ銀行・バークレイズなどとともに、日本で大規模に事業を展開する欧州系投資銀行の一角を成す。
2009年にプライベート・バンキング事業を外資系金融機関として後発で開始したが、2012年にHSBCのプライベート・バンキング事業を買収し事業を拡大。大阪、名古屋にオフィスを開設し関西圏の超富裕層へのアプローチを開始した。
日系を含め国内でプライベート・バンキングサービスを提供する企業としては運用資産額へのハードルが最も高く、原則として10億円以上の運用資産を求めている。現在、住友不動産のフラッグシップタワーとして知られる泉ガーデンタワー(六本木一丁目)に入居する。
なお、これまでに数多く業務停止処分等の行政処分を受けている。
1972年 - ファースト・ボストン東京駐在員事務所開設。
1985年 - ファースト・ボストン証券会社東京支店を設置。
2012年6月11日 - 香港上海銀行の日本国内のプライベートバンキング事業をクレディスイス銀行・証券両社で譲受[13]。
職位・給与水準
※ゴールドマン・サックスの項目を参照。
職位は上から順にマネージング・ディレクター・ディレクター・バイスプレジデント・アソシエイト・アナリストと称され、学士からの新卒採用の場合はアナリスト、MBAなど修士以上かつ専門性の高い学業経験からの採用の場合アソシエイトからのスタートとなる。
アナリストからバイスプレジデントまでは通常3年前後での昇進となり、それ以降は成果に寄る。
新卒一年目でもボーナスを含む年収は1000万円前後とされ、昇給スピードも早い[14]。
日本での行政処分および不祥事
1999年
- 7月 - 金融庁はクレディ・スイス・ファイナンシャル・プロダクツ銀行東京支店に対し、組織的に検査を妨害したとして銀行免許取消の行政処分を行った[15]。
- 11月 - 日本債券信用銀行の不良債権飛ばしに荷担したとし、支店長が銀行法違反(検査忌避)で逮捕[16]。
2005年
- 1月 - 26日、東京地裁で旧五菱会系の松崎敏和に刑事事件判決。クレディ・スイス香港に不正送金された13億円の追徴は、組織犯罪処罰法13条2項が根拠となり、行われなかった。懲役5年および罰金2000万円。
- 4月 - 金融庁はクレディ・スイス信託銀行に対し、コンプライアンス違反があったとして1ヶ月の新規信託業務停止処分を行った[17]。
- 11月 - 17日、東京高裁は1月の地裁判決を破棄し追徴金を課した。梶山進は懲役6年6月、罰金3000万円、追徴金約51億円。松崎敏和は懲役4年6月、罰金2000万円、追徴金約13億円。奥野博勝は懲役4年6月、罰金500万円、追徴金約30億円。
2006年
- 3月 - 東京地裁は五菱会のヤミ金融事件で、組織犯罪処罰法違反罪に問われたクレディ・スイス香港の元行員道伝篤に無罪判決[18]。
2008年
- 11月 - 国税局はクレディ・スイス証券職員・元職員約300人を対象に一斉税務調査を行った。税務調査対象者のほとんどにおいて、海外給与として取得した株式の税務に不備が指摘され、約100人が申告漏れとなったクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件が起こった。
2016年
- インサイダー情報の提供により行政処分[19]。
外部リンク
- クレディ・スイス(日本語版)
- クレディ・スイス(英語版)
脚注
^ “金融機関経営 スイス・ドイツ金融グループの投資銀行業務の展開”. 2013年7月29日閲覧。
^ "Zurich Insurance Group Ltd.", International Directory of Company Histories, Vol.189.
^ Handbook on the History of European Banks, Edward Elgar, 1994, p.1090.
^ ロバート・キンズマン 佐藤隆夫訳 『スイス銀行のすべて』 日本経済新聞社 P18-22
^ 22億スイスフラン
^ C・ビュッヘンバッハ 織田正雄/倉田勝弘訳 『スイス銀行の秘密』 東洋経済新報社 1979年 クレディ・スイス、キアッソ事件
^ Lord Harcourt-J. Barber (MT), 15 July 1970, enclosing letter to Minister of Transport, n.d., and subsequent documentation, MT144/159. PRO.
^ "Credit Suisse Group History", International Directory of Company Histories, Vol.59. St. James Press, 2004.
^ ブルームバーグ クレディS、顧客の脱税ほう助で有罪認定-26億ドル支払いへ 2014/05/20 10:24 JST
^ J. Safra Sarasin, J. Safra Sarasin Group signs agreement to acquire Credit Suisse (Monaco) S.A.M. and Credit Suisse (Gibraltar) Ltd. 22.03.2016
^ Department of Justice, "Credit Suisse Agrees to Pay $5.28 Billion in Connection with its Sale of Residential Mortgage-Backed Securities", Wednesday, January 18, 2017
^ “金融機関経営 スイス・ドイツ金融グループの投資銀行業務の展開”. 2013年7月29日閲覧。
^ “クレディ・スイス HSBCの日本におけるプライベート・バンキング事業を買収 (PDF)”. クレディ・スイスAG (2011年12月21日). 2014年2月20日閲覧。 “クレディ・スイス HSBCの日本におけるプライベート・バンキング事業の買収を完了 (PDF)”. クレディ・スイスAG (2012年6月11日). 2014年2月20日閲覧。 ともにリンク切れ
^ “外資系投資銀行の給与の実態”. 2013年7月29日閲覧。
^ “クレディ・スイス・グループ等に対する行政処分に関連する検査結果について”. 金融監督庁. (1999年7月29日). http://www.fsa.go.jp/p_fsa/news/newsj/f-19990729-1-b.html 2014年2月20日閲覧。
^ 山一證券が1583億円の簿外債務を飛ばすために、クレディ・スイス信託銀行で特定金銭信託口座を開設し2000億円分の日本国債を購入させている。山一はこれを子会社のペーパーカンパニーへ貸し出しつつ買い戻して、これらの子会社へ損失補填用資金を流した。 山一証券社内調査報告書第Ⅰ部第Ⅲ章 および 日経新聞 『日本が震えた日』 1998年
^ “クレディ・スイス信託銀行株式会社に対する行政処分について”. 金融庁. (2005年4月8日). http://www.fsa.go.jp/news/newsj/16/ginkou/f-20050408-1.html 2014年2月20日閲覧。
^ 四国新聞 五菱会のヤミ金融事件判決要旨 2006/03/22 12:31
^ http://www.fsa.go.jp/news/27/syouken/20160425-1.html
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