太陽がいっぱい (映画)
| 太陽がいっぱい | |
|---|---|
Plein soleil | |
| 監督 | ルネ・クレマン |
| 脚本 | ポール・ジェゴフ ルネ・クレマン |
| 原作 | パトリシア・ハイスミス |
| 製作 | ロベール・アキム レイモン・アキム |
| 出演者 | アラン・ドロン マリー・ラフォレ モーリス・ロネ |
| 音楽 | ニーノ・ロータ |
| 撮影 | アンリ・ドカエ |
| 編集 | フランソワーズ・ジャヴェ |
| 製作会社 | ロベール・エ・レイモン・アキム パリタリア 他 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 118分 |
| 製作国 | |
| 言語 | フランス語 イタリア語 英語 |
| 配給収入 | 1億2441万円[1] |
『太陽がいっぱい』(たいようがいっぱい、原題:Plein soleil[注 1] )は、1960年のフランスとイタリアの合作映画。主演:アラン・ドロン、監督:ルネ・クレマン。
目次
1 概要
2 ストーリー
3 キャスト
4 エピソード
5 映像ソフト
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
7 外部リンク
概要
パトリシア・ハイスミスの小説 The Talented Mr. Ripley (才人リプリー君)(日本語版の題名は『太陽がいっぱい』、『リプリー』)を原作とした、ピカレスク・サスペンス。ルネ・クレマン監督の代表作と言われている。音楽はニーノ・ロータで主題曲も当時ヒットした。出演はアラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ。当作はアラン・ドロンが広く知られ、俳優のキャリアを駆け上ってゆくきっかけとなった作品である[2]。
ストーリー
ローマの街角のオープンカフェで話をする青年が二人。アメリカから来た大富豪の息子フィリップと貧しく孤独な青年トム・リプリー[注 2]。
フィリップには交際相手で婚約者のパリ娘マルジュがおり、イタリアではナポリに近い漁村モンジベッロにマルジュと過ごすための愛の巣を所有し、その近くのマリーナには立派なセーリング・クルーザー(船内泊もできるセーリング・ヨット)も所有し、それに「マルジュ(号)」[注 3]と名づけてもいる。マルジュは画家フラ・アンジェリコについての記事を執筆中である。フィリップはマルジュの傍にいるためにイタリアで遊んで過ごしている、というわけであった。そして自由奔放なフィリップは、今回はマルジュをほったらかしにして、トムと二人きりで飛行艇に乗りローマに遊びに来たのだった。たとえばフィリップとトムは、街頭で視覚障害者と出くわすと「その白い杖(視覚障害者用の杖)をオレに売れ。帰りのタクシー代があれば杖はいらないだろう」などと傲慢なことを言って、2万リラも払ってそれを買い取ってしまったり、たまたま出会った歩行者の中年女性を盲人のふりをして誘惑し一緒に馬車でローマの街を乗りまわしてその途中でその女性にキスしまくったり、と自由奔放な行動をして楽しむ。
フィリップはトムを見下している。フィリップの父親からフィリップをアメリカに連れ戻すよう依頼を受け、うまく連れ戻せば報酬として5000ドルもらえる約束でアメリカから来たトムではあったが、当のフィリップのほうは(自身の銀行口座にたんまりある金を定期的に引き出しては)イタリアで自由奔放な暮らしを続けようとするばかりで、全然帰国する気はなく、父親から謝礼金を受けることが出来ないままのトムは、やがて手持ちの金がなくなってしまい、その結果 フィリップが日々 湯水のように使う金のおこぼれをあてにして彼と行動を共にせざるを得なくなり、フィリップに言われれば買い物や調理やハガキの代筆をするなど、まるで都合の良い「使い走り」のように扱われるようになってしまっており、「資産を持つ者と持たざる者」の境遇のあまりの相違を見せつけられるばかりで、実は内心 嫉妬心や怒りにさいなまれている。
ローマで遊んだフィリップとトムは、マルジュに会いにモンジベッロの家に戻った。マルジュは以前から、フィリップが自分を大切にしていない、馬鹿にしている、と感じ、苛立ちを感じるようになっていた。放置され電話すらしてもらえなかったマルジュは、突然戻った二人をふくれ顔で迎えるが、フィリップときたら「ローマに行って 一杯飲んできただけだ! 何が不満だ!」などと傲慢なことを言い、強引にソファに抑え込むようにしてマルジュを抱きしめ、口づけすることでマルジュの言葉を封じこめ、さらに(トムの目の前で)マルジュの身体への愛撫まで始めて、自分の行動や態度については一切謝りもせず うやむやにするばかり。トム自身だけでなく婚約者マルジュに対してまで表す傍若無人な態度に、トムの怒りと嫉妬はいや増すばかりだった。フィリップとマルジュが男女の情を交わしている間、自分の居場所が無いように感じたトムは、隣室のウォークイン・クローゼットに入り込み、戯れにフィリップの(金持ちらしい、いかにも高価そうな)衣類を身につけ、もうすっかり耳が覚えてしまったフィリップの口調の真似をしてみる。トムは、フィリップのモノマネをうまくすればするほど、才能に溢れマルジュのことも評価し理解できるこの自分でなく、ただ親譲りの資産を持っているだけのフィリップのほうがマルジュの婚約者でいる、というこの社会の理不尽さをあらためて感じる。もしこのフィリップでなく、自分のほうがフィリップの資産を持っていさえすれば... あの資産を自分が持つためには...と空想せずにはいられない。どれほどの時間がたったのか、フィリップはマルジュとの情事の後、トムがいるクローゼットに入ってきて、トムが自分の衣類を身につけ見事なまでに自分のモノマネをして空想に浸っているのを目撃し、表情をこわばらせた。
翌日、フィリップはマルジュの気晴らしのためにタオルミナに行こうと誘い、3人はフィリップのヨットに乗り込み、沖合に出る。ヨットでもフィリップの傍若無人ぶりは変わらない。フィリップは自分の所有するヨットで、当然のようにキャプテン(艇長)として偉そうに振る舞い、トムをただのクルー(乗組員)のように見下す。おまけに貧乏育ちのトムは、そもそもヨットというものに不慣れで、乗船時には通常の靴は脱ぐことが望ましいことも知らず、また帆やロープ類の操作も下手で、ヨット上で何かと肩身が狭い思いをする。さらに、マルジュが作ってくれた料理を3人で食べている時も、フィリップは魚のムニエルにレモンを絞り、指を使って小骨を丁寧に取りながら食べるのに対して、トムのほうはカトラリーを使ってトムなりに精一杯 行儀よく魚を食べようとしているのに気づくと、フィリップはわざわざ「上品ぶるのは下品な奴のすることだ。魚にはナイフは使わないものだ。おまけに、お前はそもそもナイフの持ち方すら間違っている。」と言って、トムが食卓マナーも知らない育ちが悪い者だとあえて思い知らせるように言い放ち、見下すようにナイフの持ち方の指導までするありさま。フィリップがトムをあまりに平然と侮辱する態度を見てマルジュも気分が悪くなる。
フィリップはマルジュと二人きりになるために、トムに操舵(=針路、進行方向を保つなどの目的で舵を操作すること)をうながし甲板上に行かせ、船室内でマルジュと二人きりになると、「トムをヨットから追い出して下船させれば、僕らは以前のように二人きりになれる。」とマルジュにささやく(だがそれをトムは船室から甲板へと開く天窓(の隙間から聞いてしまう)。フィリップは、トムをヨット備え付けの上陸用の小ボートに強引に乗せ、それをロープでヨットのはるか後方にひかせることでトムを隔離しようとするが、あいにくとフィリップが船室内に戻った直後にそのロープは切れてしまい、トムは海上に漂うボートに取り残され、フリップとマルジュがそれに気付かず情事に没頭する長い時間、炎天下の海上で(飲み水も全く無く)日干し状態にされるという屈辱を味わう。情事の後、船室から甲板上に出たフィリップは、ロープが切れてしまっておりトムを乗せたボートはどこにも見えなくなっていることに気付き、あわてて舵を切り、来た航程を引き返すが、かなりの時間をかけて戻りやっとボートとその中に横たわるトムを見つけた時には、トムは太陽に焼かれ息も絶え絶えになっていた。マルジュは一応トムのことを親切に介抱するが、トムに「悪くとってほしくないけれど、タオルミナについたら ひとりで帰国して欲しいの。分かるでしょ?」とも言う。(トムは、もしそんな展開になったら、当初期待していた報酬の5000ドルを得ることも、空想するようになったフィリップの財産を奪う計画も不可能になり、無一文のまま放りだされる状況になる、と予見する)。その後もタオルミナに向かうヨットで、フィリップがマルジュを愛撫しつつ甘美な時間をすごしつづける一方で、トムのほうは「のけもの」扱いにされ、陽にさらされる甲板上に独りで置かれる。
フィリップは、ボートを見つけトムを介抱していた時、トムの持ち物の中に、あろうことか フィリップの銀行口座の入出金が分かる明細書がこっそり隠してあることに気付き、実はトムが自分の財産を狙っているのだと気付き、このままでは財産目的で自分は殺されるかも知れない、と推理した。フィリップは自分の推理・直観を確かめるために、あえて普通の会話のように「ボートで死にそうになった時、僕に殺意を抱いただろ?」と訊く。するとトムは「僕はもっと以前から殺意を抱いているよ」とサラリと答える。そして二人はまるで他人事でも語るかのように会話を続ける。「だから僕の口座明細を持っているのか? 僕を殺し、金持ちになるつもりか?」とフィリップ。「その通りさ。へぇ、お見通しなんだね。」とトム。「実現は難しいぞ。露見して逮捕されるぞ。」とフィリップ。「大丈夫。僕は想像力が豊かだからね」とトム。
トムはテオルミナで無一文で放り出されるという窮地に陥ることを避けるべく、フィリップとマルジュの間を裂く、という手を思いつき、以前ローマでひろったイヤリングをフィリップの服のポケットに入れるという小細工を前の晩にしてあった。トムの策略にまんまとはまり、イヤリングに気付いたマルジュはフィリップが特定の女性と交際しはじめていると思いこみ、苛立ち、ささいなきっかけでフィリップと言い争い状態になり、フィリップも感情的になり、マルジュが執筆中の大切な原稿をついつい勢いで海へと放り捨ててしまい、二人は決裂、マルジュは下船を決意。最寄りの漁港でマルジュは降りてしまう。
残されたフィリップとトムの二人はヨットでモンジベッロへの帰路につく。だが、マルジュが下船したということは、周りに基本的に目撃者が全くいない海という場所で二人きり、ということである。こうしてトムによるフィリップ殺害の計画がいよいよ実行段階に入る。
マルジュとフィリップの喧嘩およびマルジュの下船で一旦中断した二人のきわどい会話が再び再開する。フィリップ「二人きりになれたから、落ち着いたな。さっきの話の続きができるな。さて、君は僕を殺すのだとして...その次に 一体どうするんだ?」。トム「君を埋めて、偽サインで金を受け取る。」フィリップ「サインはマネできても手紙の偽造はできないぞ」。トム「(筆跡については)君のタイプライターが(このヨットの中に)あるし[注 4]、文体のほうはマネるのは簡単さ」。それを聞いて焦るフィリップ。
フィリップは殺害計画を思いとどまらせるために、トムにいくらか金を渡すことで彼を追いつめている無銭状態から抜け出させる手を思いつく。そのためにトランプの賭けポーカーをすることをトムに持ちかけ、甲板上のテーブルでそれを始める。やがて、トムが持っている懐中時計が正午(真昼間)をベルの音で告げた[注 5]。フィリップは2500ドル賭け、八百長して(わざと負けて)トムが2500ドル勝ったことにしようとする。だが、トムはその八百長を見抜き、2500ドルなんて「はしたがね」だ、5000ドルでも少ない、あくまで全財産いただく、(だからフィリップの八百長を受け入れるような安易な取引はしない)このトランプゲームは君の勝ちだ、と言ってフィリップが渡そうとする2500ドルを自分から返上する宣言をする。次の瞬間、フィリップの不意をつき、トムは隠し持っていたナイフでフィリップの胸の中心、心臓あたりをグサリと刺す。「マルジュ!」とうめいて絶命し、倒れるフィリップ。トムはすかさずフィリップの死体を帆布で覆い隠す。そして周囲を見回すと、幸いなことに一番近くにいる船も、かなりの距離 離れたところを航行しており人影は全然見えない。つまり、逆に言えば、トムの犯行も誰からも目撃されていない。トムは死体を海に沈めるべく、重石がわりの碇も一緒にして帆布でくるみ、ロープで結わえて海に捨てた。
港に戻った後、トムはあらかじめ練ってあった計画どおり、フィリップになりすまして彼の財産を手に入れるための手を着々と打ち始める。フィリップのパスポートの偽造には、公印の凹凸を粘土で型どりすることでニセの公印を作り、それを自らの写真に押すことで、見事に差し替える。フィリップのサインをそっくり真似るため、スライド映写機を手に入れ彼のパスポートの筆跡を拡大して壁に貼った紙に映写し、筆跡の映像を何度も繰り返しなぞって練習し、見事にフィリップと完全に同一のサインをできるようになる。さらに彼の声色も真似てフィリップになりすまし、電話越しで婚約者のマルジュすら騙すことに成功する。マルジュがフィリップに会いたがれば、フィリップのタイプライターでつれない文面の手紙を作成しマルジュに手渡し、フィリップに女ができたから会いたがらなくなったのだ、と思わせることにも成功する。トムはこの種の才気と才能に溢れているのだ。
トムは船の仲介業者のところに行き、フィリップになりすましてヨットの売却手続きも進めようとする。ところがフィリップの友人で金持ちで遊び人のフレディが、やはり船を所有していて、同一の仲介業者と取引があり、そこでニセのフィリップ(=トム)の最新の滞在先住所を聞き出し、フィリップに会うつもりでトムが潜伏している住居のところへと突然現れる。トムはとっさに機転をきかし、フィリップは旅行中だ、僕は挨拶に寄ったところだ、と言って誤魔化すが、お手伝いの女性がトムの顔を見て「フィリップ」と呼んだことで、トムがフィリップになりすましていることがフレディに露見、追求するために部屋に戻ってきたフレディを、追いつめられたトムはとっさにドア近くのテーブルに置いてあった大きな置物で撲殺してしまう。フィリップ殺害の場合と異なり、このフレディの殺害は事前の計画も何もない。トムは殺人を一件犯した結果、さらにもう一件の別の殺人まで犯すことになってしまったのだ。夜になってからフレディをあたかも泥酔した酔っ払いであるかのように装い、苦労して抱きかかえるようにしてフレディの車へ運び、その死体を捨てにゆく。発覚しやすい場所を選び死体を捨てる際に「君を殺したのはフィリップさ、僕じゃない」と、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやく。このフレディ殺しで警察が動き、トムが滞在中の部屋にも警察が迫るが、きわどいところで機転をきかせ屋根伝いに逃走に成功する。
フィリップが行方不明であるので、警察はフィリップと行動を共にしていたトムの身辺の調査も始めた。トムは、あたかもフィリップがフレディを殺しどこかに潜伏しているかのように見せるための手をさまざま打つ。さまざまな嘘や小細工を用いて、刑事にもそう信じさせる。警察の手先の女が自分に近づいたこともトムは見事に見抜き、あえて偽情報を聞かせて、フィリップがまだ生きていてモンジベッロに戻ったと信じさせる。またかねてからの計画通り、偽造パスポートと偽造サインを用いて、銀行でまんまと1000万リラの預金(実際にはその半額くらいしか預金はなかった)を引き出すことにも成功する。
一方で、トムは着実にマルジュの心を自分に向けさせる手も打っている。こうしてマルジュを自分に取り込んでおいてから、トムはフィリップの母宛で「母さん、僕は死を選びます。すべての財産を愛するマルジュに贈ります。あなたの息子フィリップより。」という文面の手紙(遺言状)を偽造し偽サインもし、ポストに投函した。引き出しておいた現金は(結局マルジュに渡り、さらには自分のものとなるように)モンジベロの部屋に残した。フィリップの遺書とフィリップの口座から引き出された遺産が見つかったことで、それまでトムになにか裏があると疑い周囲をかぎまわっていた刑事も、ついにフィリップこそがフレディ殺害の真犯人で、姿を隠したかあるいは自殺した、と認識を改め、トムを重要な容疑者だとは見なさなくなり、トムがローマから離れることも許可した。
マルジュはフィリップが死んだと思い、心を閉ざし、モンジベッロの部屋の玄関の鍵をかけ、引きこもり、もうかれこれ2週間 誰とも会わずにいた。トムはそれでも巧みに隙を見つけて部屋にもぐりこみ、マルジュの顔を見ると、さっそくマルジュの心を操りはじめ、フィリップは君を愛していなかったと言ってマルジュの心をゆさぶり、さらに、自分もアメリカへ去るかも知れない、とほのめかしつつ、寂しさにつけこみ巧みに口説く。そうしてマルジュと寝た。マルジュはトムに心を許した。
マルジュはトムと日々を重ねるうちに次第に前向きになった。遺言状で贈られたフィリップのヨットも売却することにした。ヨットの仲介業者によってマルジュからヨットの次のオーナーへの引き渡しがおこなわれる日、トムとマルジュはイスキアのビーチで泳ぐ。フィリップの父親と仲介業者も到着して、マルジュはヨットの引き渡しにともなう簡単な検査に立ち会うためにマリーナに向かう。トムは引き渡しの立会はマルジュにまかせ、ビーチに残り、ビーチチェアに手足を伸ばして寝そべり、太陽の光を浴び、まるで自分のまばゆい未来に酔っているかのような表情でまどろむ。客のトムの様子に、売店のウエイトレスが気を使い、近寄り、気分はどう? と語りかけると「気分はいいよ。太陽が照りつけてるからこんな感じなのさ。人生で最高の気分さ。最高の飲み物を持ってきてくれ。最高のを。」と語り、自分が成し遂げた完全犯罪に酔いしれる。トムが人生最高の気分を味わっている最中、マリーナではヨットを簡易検査するために一旦 陸に引き揚げる作業が進み、船体が船台とともに陸上に上がると、それに続いて船尾のスクリューに絡みついた一本のロープに引っ張られるようにして海中から、黒っぽくなった帆布の塊が現れ、帆布のすきまから 腐敗した人の手が飛び出していることにそこにいる人々は気づく。死体に気付いたマルジュの悲痛な叫び声がマリーナに響きわたった。トムはそんなことは露知らず、ビーチで美酒に酔いしれている。やがて厳しい表情をした刑事たちが売店にやってきて、ウェイトレスにトムを呼ぶように言う。「シニョール・リプレー。テレーフォノ!(リプレーさん、お電話ですよ!)」。それを聞いたトムは笑顔で売店へと歩いていった。後には、陽光溢れる浜と青い海が広がるのみだった。
キャスト
| 役名 | 俳優 | 日本語吹替声優 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
TBS版 | フジテレビ版 | 日本テレビ版 | テレビ朝日版 | テレビ東京版 | スター・チャンネル版 | |||
| トム・リプレー | アラン・ドロン | 石立鉄男 | 野沢那智 | 松橋登 | 野沢那智 | 中村悠一 | ||
| フィリップ・グリンリーフ | モーリス・ロネ | 堀勝之祐 | 中尾彬 | 有川博 | 池田秀一 | 鈴村健一 | ||
| マルジュ・デュヴァル | マリー・ラフォレ | 山東昭子 | 上田みゆき | 二宮さよ子 | 榊原良子 | 岡寛恵 | 遠藤綾 | |
| リコルディ刑事 | エルノ・クリサ | 村越伊知郎 | 西山連 | 木村元 | 中田浩二 | 堀内賢雄 | てらそままさき | |
| フレディ・マイルズ | ビル・カーンズ | 加茂喜久 | 村瀬正彦 | 東野英心 | 飯塚昭三 | 谷口節 | 三宅健太 | |
| オブライエン | フランク・ラティモア | 村越伊知郎 | 宮田光 | 平林尚二 | 大塚周夫 | 咲野俊介 | ||
| ボリス | ニコラス・ペトロフ | 仲木隆司 | ||||||
| ポポヴァ夫人 | エルヴィーレ・ポペスコ | 川路夏子 | 寺島信子 | 楠田薫 | 高村章子 | 翠準子 | 久保田民絵 | |
| フレディの連れの女性 | ロミー・シュナイダー (カメオ出演[3]) | 恵比寿まさ子 | ||||||
- TBS版 - 初放映1969年4月4日『金曜ロードショー』
- 『金曜ロードショー』第1回作品。ポニー版の名作洋画劇場と記されたVHSに収録。
- フジテレビ版 - 初放映1972年10月6日『ゴールデン洋画劇場』
- その他声の出演:加藤正之、上田敏也、遠藤晴、島木綿子、清川元夢
- 演出:春日正伸、翻訳:榎あきら、選曲:赤塚不二夫、効果:PAG、調整:桑原邦男、録音:ニュージャパンフィルム、制作:オムニバス・プロモーション
- スペシャル・エディションDVD、4Kリストア版DVD・BDに収録。
- その他声の出演:加藤正之、上田敏也、遠藤晴、島木綿子、清川元夢
- 日本テレビ版 - 初放映1977年1月12日『水曜ロードショー』
- その他声の出演:吉沢久嘉、高橋ひろ子、中村たつ、北川国彦、岸野一彦、仲木隆司、石森達幸、巴菁子、信沢三恵子、原浩
- テレビ朝日版 - 初放映1984年9月2日『日曜洋画劇場』
- 演出:小林守夫、翻訳:森田瑠美、選曲:東上別府精、効果:遠藤尭男、桜井俊哉、調整:前田仁信、録音:TFCスタジオ
- 4Kリストア版DVD・BDに収録。
- テレビ東京版 - 初放映2008年7月20日『夏の名作シネマスペシャル』
- その他声の出演:稲葉実、藤本譲、千田光男、広瀬正志、竹口安芸子、奥田啓人、宗矢樹頼、勝田晶子、植竹香菜
- 演出:小山悟、翻訳:石原千麻、効果:リレーション、調整:重光秀樹、プロデューサー:バブルネック涼・新井正和、制作:HALF H・P STUDIO
- その他声の出演:稲葉実、藤本譲、千田光男、広瀬正志、竹口安芸子、奥田啓人、宗矢樹頼、勝田晶子、植竹香菜
- スター・チャンネル版 - 初放映2016年4月16日 スターチャンネル3[4][5]
- その他声の出演:磯辺万沙子、玉野井直樹、北西純子、中博史、間宮康弘、久行敬子、佐伯美由紀、関雄、田原正治、あべそういち、各務立基、長谷川敦央
- 演出:木村絵理子、翻訳:堀江真理、効果:桜井俊哉、録音・調整:オムニバス・ジャパン、制作:東北新社、プロデュース:スター・チャンネル
- その他声の出演:磯辺万沙子、玉野井直樹、北西純子、中博史、間宮康弘、久行敬子、佐伯美由紀、関雄、田原正治、あべそういち、各務立基、長谷川敦央
エピソード
- ルネ・クレマン監督は『鉄路の闘い』(1945年)で第1回カンヌ国際映画祭・国際審査員賞および監督賞を受賞し、その後『海の牙』(1946年)、『禁じられた遊び』(1952年)、『居酒屋』(1956年)など、社会性の強い作品を撮り続けてきたが、この作品は初めての娯楽映画であり、当初あまり演技の実績の無いアラン・ドロンの起用には気乗りがしなかったと言われる。しかし、この一作だけで一躍世界的スターまで彼が登りつめて以後は、『生きる歓び』(1961年)や『危険がいっぱい』(1964年)でもドロンを主役に起用している[6]。
- 1999年にマット・デイモン主演で、映画『リプリー』が公開された。これは『太陽がいっぱい』の再映画化だが、原作により忠実に映画化されている。しかし後半の展開が微妙に違っている[7]。
- 本作で作曲を担当したニーノ・ロータは、この作品に携わった事に強い不満を残している。フェデリコ・フェリーニの常連作曲家であった彼は、フェリーニのようにお互いに話し合いながら音楽を練っていく方法を是としていた。しかし、本作の監督であるルネ・クレマンは居丈高にロータにフィルムを一方的に送りつけ、これに似合う音楽を作れと命令したため、クレマンの態度にロータは立腹したという。
- 全編を流れる主題曲は当時話題になったが、サウンドトラック盤は発売されず、日本ではフィルム・シンフォニック・オーケストラが演奏した盤が発売されてヒットした。後にテレビ放映で日本語版を作る時に、オープニングクレジット部分をフィルム・シンフォニック・オーケストラ盤に差替えた為、サウンドトラック盤と間違われやすいが、実際の映画で使われる演奏は違う。
- 映画評論家荻昌弘は、父親からの多額の謝礼を当てにしてやってきたトムとその彼を見下し軽蔑するフィリップ、普通の青年二人が金を挟んで出会うことになった、ただそれだけのことでのっぴきならない形で犯罪を生み出す構図でこの二人をピタッと設定したことがこの映画の成功であった、と評している。そしてルネ・クレマン監督が全編イタリアを舞台にして画面を明るくきらびやかにして熱く輝かせ、逆に人間の心の奥の深淵に潜む暗さを対比させ、「白昼の明るさの中での黒い恐怖」というモチーフが「太陽がいっぱい」を支配していると述べている。原作にあるアメリカでトムが父親の大富豪から依頼を受ける話が省略されているのはこのためである。[8]
- ロケ地はオールイタリアロケである。盲目の男性とのシーンはローマ市街。海岸のシーンはイスキア島である。魚市場のさまよいのシーンはナポリ市街で撮影されている。
- 劇中イタリア語で会話するシーンがある。盲目の男性と、タクシーの運転手とトムが、銀行員とトムが、そして最後のイスキアの海岸シーンでウエイトレスとトムがそれぞれイタリア語で会話している。
淀川長治は吉行淳之介 との『恐怖対談』(新潮社 1980年)で「あの映画はホモセクシャル映画の第1号なんですよね」と発言していた。
映像ソフト
- VHS
- 名作洋画劇場 太陽がいっぱい(ポニー)
- 太陽がいっぱい(1995年8月25日、バンダイビジュアル BES-1220)
- レーザーディスク
- 太陽がいっぱい(1995年8月25日、バンダイビジュアル BELL-793)
- DVD
- 太陽がいっぱい(1997年7月25日、バンダイビジュアル BCBF-5)
- 太陽がいっぱい(2002年10月25日 パイオニアLDC PIBF-1480)
- 太陽がいっぱい スペシャル・エディション(2008年9月26日、発売元:「太陽がいっぱいSE」発売委員会、販売元:ジェネオンエンタテインメント GNBF-7480)
- 太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版(2011年5月28日、発売元:マーメイドフィルム、販売元:紀伊國屋書店 KKDS-623)
- 太陽がいっぱい 4Kリストア版(2017年12月22日、発売・販売元:KADOKAWA / 角川書店 DABA-5286 / フジテレビ版とテレビ朝日版の吹替を収録〈吹替音声のない部分はフランス語音声・日本語字幕で対応〉)
- Blu-ray Disc
- 太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版(2011年5月28日、発売元:マーメイドフィルム、販売元:紀伊國屋書店 KKBS-4)
- 太陽がいっぱい 4Kリストア版(2017年12月22日、発売・販売元:KADOKAWA / 角川書店 DAXA-5286 / フジテレビ版とテレビ朝日版の吹替を収録〈吹替音声のない部分はフランス語音声・日本語字幕で対応〉)
脚注
注釈
^ フランス語のタイトル「plein soleil プラン ソレイユ」はフランス語の文章中では「en plein soleil」という成句でしばしば用いられ、これは「太陽が照らす下で」「青空のもと(屋外で)」「真昼間に」などといった意味が基本的にあり、さらに フランス語のネイティブ話者にとっては「太陽(お天道様、神様)は全部見てるよ(悪事を隠すことなんてできないよ)」といった意味がほのめかされているように感じられる表現でもある。そして観客は、このタイトルが物語の結末や教訓を暗示していたことに、映画観賞後になって気づくことになるわけである。(なお、昭和期の日本人翻訳者はつい「太陽がいっぱい」と訳してしまったが、これを「太陽がいっぱい」と訳してしまっては、誤訳ぎみである。)
^ トム・リプリーはふとしたきっかけで富豪グリンリーフ氏に自分が氏の息子フィリップの友人であると信じ込ませ、イタリアから帰らず放蕩三昧のフィリップをアメリカに連れ戻すよう依頼を受ける、と原作にあり、後に同じ原作で再映画化された映画「リプリー」ではリプリーが父親に会う場面が冒頭に描かれているが、この「太陽がいっぱい」ではすべて省略され、最初からイタリアを舞台に青年二人が出会ってからの話として展開させている。
^ ヨット乗りは、ヨットに自分が愛する子供や愛する女性の名をつけることも多い。
^ 欧米では、手動式のタイプライターが普及していた時代(PCのワープロが登場する以前の時代)、タイプライターの印字(活字)の微妙な個体差(アルファベットや記号の一文字一文字のすり減り方の違い、傷の程度、文字の斜め具合 等々等々)によって、誰が打った文章なのか見分ける、ということが広く行われていた。頻繁にタイプ打ちの手紙を交換しあう家族や親友などでは、タイプの活字の個体差も意識しており、かなり容易に本人かニセ者か見分けることも可能だった。ちょうど、手書きの文字をその筆跡によって、誰によって書かれたか見分ける、ということが現在でも行われているのと似たようなことである。当時、筆跡鑑定をする仕事をする人は、タイプライターの同一/非同一の鑑定も行うものだった。したがってタイプライターがさかんに使われていた当時、ある人物の手紙を偽造するには、その人が不在時に家に忍び込んでそのタイプライターで打ったり、あるいはその人物のタイプライターを盗んでしまう、ということ基本的に行われた。
^ 殺害が行われたのが「昼の12時」だと強調することで、「真昼間」ということ、そして「plein soleil」というタイトルを観客に再度意識させている。
出典
^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)171頁
^ たとえば監督ルキノ・ヴィスコンティもこの『太陽がいっぱい』に出演したアラン・ドロンを観てひどく気に入り、自作の俳優にアラン・ドロンを指名することになった。
^ “Plein soleil (1960) - Full cast and crew” (英語). IMDb. 2012年4月16日閲覧。
^ スターチャンネル・オリジナル吹替プロジェクト「太陽がいっぱい」
^ “オリジナル吹替プロジェクト第3弾! 『太陽がいっぱい』新録完全吹替版”. スター・チャンネル. 2016年2月15日閲覧。
^ 第2回新・午前10時の映画祭プログラム 20P・21P 「太陽がいっぱい」参照。
^ 第2回新・午前10時の映画祭プログラム 21P 「太陽がいっぱい」参照。
^ 「次世代に残したい名作映画96」110~113P 参照 雑誌《スクリーン》1960年7月号から 近代映画社 2013年8月発行。
外部リンク
太陽がいっぱい - allcinema
太陽がいっぱい - KINENOTE
Plein soleil - オールムービー(英語)
Plein soleil - インターネット・ムービー・データベース(英語)
Plein soleil (Purple Noon) (Blazing Sun) (Full Sun) (Lust for Evil) - Rotten Tomatoes(英語)
