ナタリー・ドロン
ナタリー・ドロン Nathalie Delon | |
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本名 | フランシーヌ・カノヴァ(Francine Canovas) |
生年月日 | (1941-08-01) 1941年8月1日(77歳) |
出生地 | ウジダ |
国籍 | ![]() ![]() |
身長 | 164cm |
職業 | 女優(1967 - ) |
著名な家族 | アラン・ドロン(元夫) アントニー・ドロン(息子) |
主な作品 | |
個人教授 | |
ナタリー・ドロン(Nathalie Delon、1941年8月1日 - )は、モロッコ・ウジダ出身の女優・監督。
目次
1 来歴
2 フィルモグラフィー
3 脚注・出典
4 外部リンク
来歴
本名はフランシーヌ・カノヴァ。
幼少期は母親の度重なる離婚で不遇な少女時代を送る。
10代後半からモデルとして活躍するが、1960年に保険代理業者の男性ギー・バルテルミーと結婚、カサブランカに戻り一女を儲けるも、程なく別居。別居後はモデル時代の芸名ナタリー・バルテルミーでモデル兼カメラマンとして活動する。1963年、離婚。娘の親権はバルテルミーが持った。
1963年に『黒いチューリップ』を撮影中のアラン・ドロンと出会い、恋に落ちる。
両者は子供時代の境遇が酷似しており、強く惹かれあったとされる。
ナタリーをアランに紹介したのは、アランの証言では「貴族階級出身の知人」だった[1]が、実際はアランのボディーガードだったステファン・マルコヴィッチだったとされている[2]。マルコヴィッチはナタリーの愛人で、アランとの結婚後も関係は続いた[2]。他に夫妻のハリウッド滞在中にはエリザベス・テイラーと離婚したばかりのエディ・フィッシャーとも浮名を流す[3]。
1964年に結婚。アランとの間に息子のアントワーヌを儲ける。
1967年にアランが主演したサスペンス『サムライ』で映画デビュー。日本では翌年に出演した『個人教授』で大ブレイクする。
1968年、女優業を続けたい彼女の願いに反対だったアランと徐々に対立するようになり、別居。
1968年10月、マルコヴィッチが殺害され、遺体が発見される。ドロン夫妻は重要参考人として召喚され(ナタリーはイタリアでの映画撮影中を理由に拒否)、特にアランは容疑者として何度も取調べを受けているが、結局真犯人不明のまま、事件は迷宮入りに。この「マルコヴィッチ事件」は大きなスキャンダルとなり、アランのマフィアとの癒着、ドロン夫妻とマルコヴィッチの「三角関係同居」、マルコヴィッチが上流階級相手に「社交場」を経営しており、その常連客がジョルジュ・ポンピドゥー大統領夫妻だったなどが連日報じられることとなった[2]。
このスキャンダルの渦中の1969年に離婚。
離婚後はロベルト・マレノッティ監督、スーザン・ストラスバーグと共演した『姉妹』を皮切りに積極的に映画に出演。1971年には『もういちど愛して』で離婚後唯一となるアラン・ドロンとの共演を果たす。1972年のエリザベス・テイラーの夫リチャード・バートンとの共演作『青ひげ』は、米国では作品よりもバートンとナタリーの関係及び、それがバートン/テイラーの離婚話を本格化させたというゴシップ絡みで注目された[4]。他の代表作に1976年のロジェ・ヴァディム監督、シルビア・クリステル主演の『華麗な関係』などがあるが、徐々に脇役が多くなる。
1983年の短編映画以降は女優業からは遠ざかっていたが、2008年の「Nuit de chien」で久々に女優復帰を果たす。
1982年には「Ils appellent ça un accident」で監督業にも進出。1988年には監督2作目となる『スウィート・ライズ』を監督した。
アラン・ドロンとの間に儲けた息子のアントワーヌは後に、アントニー・ドロンの芸名で俳優となった。
フィルモグラフィー
製作年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
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1967 | サムライ Le samouraï |
ジェーン・ラグランジュ | 映画デビュー |
1968 | 個人教授 La leçon particulière |
フレデリク | |
1969 | 姉妹 Le sorelle |
ディアナ | |
1971 | 八点鐘が鳴るとき When Eight Bells Toll |
シャルロット | |
もういちど愛して Doucement les basses |
リタ | ||
1972 | フランコ・ネロとナタリー・ドロンのサタンの誘惑 Le moine |
マティルド | |
青ひげ Bluebeard |
エリカ | ビデオ題『リチャード・バートンの青ひげ』 |
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1973 | 新・個人教授 Vous intéressez-vous à la chose? |
リセ | |
1975 | タンカー・ジャック Docteur Justice |
カリン | |
愛と哀しみのエリザベス The Romantic Englishwoman |
ミランダ | ||
1976 | 暗闇のささやき Un sussurro nel buio |
カミーラ | |
華麗な関係 Une femme fidèle |
フローラ | ||
1979 | 星になった少年 Gli ultimi angeli |
エリザベッタ |
監督
製作年 | 邦題 原題 |
備考 |
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1988 | スウィート・ライズ Sweet Lies |
脚注・出典
^ UNKNOWN INFORMATION FOR NATHALIE DELON
- ^ abcAn Affair Markovic
^ Elizabeth Taylor: The Lady, The Lover, The Legend - 1932-2011
^ How Richard Burton vowed never to betray Elizabeth Taylor...then, days later, seduced his co-star
外部リンク
Nathalie Delon - インターネット・ムービー・データベース(英語)
ナタリー・ドロン - allcinema
UNKNOWN INFORMATION FOR NATHALIE DELON- マルコヴィッチ事件