アゼルバイジャン







アゼルバイジャン共和国

Azərbaycan Respublikası











アゼルバイジャンの国旗 アゼルバイジャンの国章
(国旗) (国章)


国の標語:なし


国歌:Azərbaycan Respublikasının Dövlət Himni(アゼルバイジャン語)
アゼルバイジャン共和国国歌


アゼルバイジャンの位置









































公用語

アゼルバイジャン語

首都

バクー
最大の都市
バクー

政府












大統領

イルハム・アリエフ

首相

ノヴルス・マンマドフ(英語版)


面積











総計

86,600km2(113位)
水面積率
0.6%


人口











総計(2016年)

9,872,765人(83位)[1]

人口密度
108人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2015年) 543億[2]アゼルバイジャン・マナト


GDP (MER)





合計(2015年) 573億[2]ドル(N/A位)


GDP (PPP)











合計(2015年)
1,697億[2]ドル(N/A位)
1人あたり 18,030[2]ドル



独立
宣言

ソビエト連邦より
1991年8月30日

通貨

アゼルバイジャン・マナト (AZM)

時間帯

UTC +4(DST:なし)

ISO 3166-1
AZ / AZE

ccTLD

.az

国際電話番号
994



事実上独立状態にあるナゴルノ・カラバフ共和国を除いた数値は、面積75,100km2、人口9,44,100人(2015年[3])。


アゼルバイジャン共和国(アゼルバイジャンきょうわこく、アゼルバイジャン語: Azərbaycan Respublikası)、通称アゼルバイジャン は、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。北はロシア、北西はジョージア(グルジア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。アルメニアをまたいで西南方に飛地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接している。首都はバクー。アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっている。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


  • 3 政治


  • 4 軍事


  • 5 地方行政区分


  • 6 地理


    • 6.1 紛争




  • 7 経済


  • 8 国民


    • 8.1 民族


    • 8.2 言語


    • 8.3 宗教


    • 8.4 教育


    • 8.5 婚姻




  • 9 文化


    • 9.1 音楽


    • 9.2 文学


    • 9.3 食文化


    • 9.4 映画


    • 9.5 スポーツ


    • 9.6 世界遺産


    • 9.7 祝祭日




  • 10 著名な出身者


    • 10.1 音楽


    • 10.2 美術


    • 10.3 文学


    • 10.4 スポーツ


    • 10.5 学問


    • 10.6 ジャーナリズム


    • 10.7 政府関係者




  • 11 脚注


  • 12 関連項目


  • 13 外部リンク





国名


正式名称はアゼルバイジャン語で Azərbaycan Respublikası。カタカナの大まかな発音は、(アゼルバイジャン・リェスプブリカス)。


日本語の表記はアゼルバイジャン共和国。通称アゼルバイジャン。英語表記ではRepublic of Azerbaijan


その語源はアケメネス朝ペルシアのメディア総督(サトラップ)のアトロパテスに由来する説と、ペルシャ語で火を意味する「Azar」と土地を意味する単語に由来する説がある。



歴史



紀元前後には、アゼルバイジャン人の祖先と見られるアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)が作られていた。


歴史的には、イランの東アーザルバーイジャーン州、西アーザルバーイジャーン州とともにイラン高原を支配する政権の統治下にあることが多かった。もともとはイラン系の人々が住んでおり、南のイラン高原側と同じくゾロアスター教の拝火壇などの宗教施設が多数建立されていた。


7世紀にアラブの支配下に入ったのちも住民はゾロアスター教徒が多く、シーア派の信徒たちも含めてイスラム教への改宗は緩やかだったようである。イスラム時代以降この地域は、バクーより北側の地域をシルヴァーン地方、バクー周辺をグシュタースフィー地方、アラス川北岸の内陸部をアッラーン地方、クラ川とアラス川が合流する低地一帯をムーガーン地方と呼んでいた。





11世紀から12世紀に建てられたバクー旧市街の乙女の塔


セルジューク朝の時代にオグズ・テュルク系遊牧民(テュルクメン)が進出してテュルク化・イスラム化が進んだ。特にイルハン朝時代は、ムーガーン地方周辺が南方のバグダードと並んでイルハン朝君主たちの冬営地に定められた地域でもあった。またイルハン朝滅亡後はカラコユンル朝やジョチ・ウルス系の諸政権の支配が及ばなかった集団の出入が激しく、これらテュルク・モンゴル系の遊牧勢力の浸透によって、これらの地域の住民のテュルク化・イスラム化はさらに進展した。一時ティムール朝の支配下にあったものの、イルハン朝滅亡後はこれらの地域を統括できる政治勢力は久しく現れなかった。


17世紀にこの地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸地域一帯の多くのテュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていった。アラス川以北の現アゼルバイジャン共和国領は、元来イラン高原に属しウルーミーエ湖周辺のタブリーズやマラーゲを中心とするアーザルバーイジャーン地方とは別個の地域であって、アゼルバイジャンとは呼ばれていなかったが、南の東西アーザルバーイジャーン州との民族的共通性から次第にアゼルバイジャンという地名で呼ばれるようになった。アルダビール州からカスピ海沿岸部にかけてはタリシュ人のタリシュ・ハン国(英語版)(1747年-1813年)が自治していた。


1804年に始まった第一次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・
ゴレスターン条約(1813年)でアゼルバイジャンの大部分がロシア帝国領に編入された。1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマーンチャーイ条約(1828年)で、ガージャール朝ペルシアのアラス川北岸地域もロシア帝国に割譲された。


やがてロシアの統治下でアゼリー人の民族意識が高まった。
1918年、この地域のアゼリー人民族主義者たちは十月革命後の混乱を縫ってアゼルバイジャン民主共和国を打ち立てることに成功したが、イギリス軍によって占領され、これに反応した赤軍がバクーに侵攻、ソビエト政権が成立した。1922年末、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の一部となり、同連邦の解体にともない1936年よりアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国として直接にソビエト連邦を構成する共和国の一つになった。


1989年10月5日、共和国主権宣言。1991年2月5日、「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。1991年8月30日、共和国独立宣言。


1991年12月21日、独立国家共同体 (CIS) に参加。同年12月25日付でソ連邦は解体・消滅。これによりアゼルバイジャンは晴れて独立国家となった。



政治




第4代大統領イルハム・アリエフ




1993年以来、元アゼルバイジャン共産党書記長のヘイダル・アリエフが大統領として政権を掌握し、強権的な政治を引いてきた。2003年にアリエフは健康不安から引退を余儀なくされたが長男のイルハム・アリエフが後継者に指名されて大統領選挙に勝利し、権力の世襲委譲が果たされた。


大統領は、直接選挙で選出され、任期は5年。政府閣僚は、大統領が任命する。


大統領附属機関としてアゼルバイジャン共和国大統領附属安全保障会議がある。


立法府の名称は、国民議会(ミリー・メジリス)で、一院制で任期5年、議席数は125議席。


複数の政党が存在するが、事実上はイルハム・アリエフが党首である「新アゼルバイジャン党」による一党独裁制である。


なお、脱ロシア志向のウクライナなどと1997年にGUAMを結成し、創立時より参加を続けている。


2016年、国民投票により大統領の任期が5年から7年に延長されたほか、大統領就任に必要な年齢制限を撤廃、副大統領職の新設などの制度改正が行われた。2017年、新設された副大統領(英語版)職にイルハム・アリエフ大統領の妻、メフリバン・アリエヴァ(英語版、アゼルバイジャン語版)が任命されている[4]




軍事



陸軍、海軍、空軍の三軍がある。このほか、アゼルバイジャン沿岸警備隊や国境警備隊を有する。海軍や沿岸警備隊はカスピ海に展開している。



地方行政区分



アゼルバイジャンの地方行政区画は、59の県 (rayon)、県と同レベルの11市 (sahar)、および1つの自治共和国 (muxtar respublika) で構成される。




  • ナヒチェヴァン自治共和国 (Naxçivan Muxtar Respublikası)


  • ナゴルノ・カラバフ (Nagorno-Karabakh) - 事実上、独立状態



地理




アゼルバイジャンの地図




地形図





停戦後の境界。「ナゴルノ・カラバフ共和国」はアゼルバイジャンの領土の約9%を実効支配しており、旧自治州の領域を越えてアルメニアと境界を接している。




最高峰バザルドュズ山


カスピ海の西岸に位置し、北はロシア、南はイランに挟まれる。北緯38度〜42度、東経44度〜55度。南北400km、東西500kmに及ぶ。地形上、カスピ海・大コーカサス山脈・中央平原に3区分できる。すべての河川がカスピ海に注ぎ、最長はKur川の1515kmである。最高地点はバザルドュズ山 (海抜4466m) である。南にアゼルバイジャンの飛地である自治共和国ナヒチェヴァン自治共和国がある。領土内にアゼリー人居住地に囲まれているもののアルメニア人人口の多いナゴルノ・カラバフ地方がある。



紛争


ナゴルノ・カラバフ地方ではアルメニア人の人口が多く、同地域のアルメニアへの帰属変更を掲げたことでアゼルバイジャンと分裂状態となり、ソビエト解体から1994年に停戦合意をするまで紛争地域となっていた。停戦合意後も2014年に衝突が起き不安定な状態を抱えていたが、2016年4月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州でアゼルバイジャンとアルメニア軍による軍事衝突が発生している[5][6]。戦闘は翌3日も続き、双方で兵士が死亡している[5]。この戦闘でアゼルバイジャンは初めて勝利し「八つの丘を含む200ヘクタール」を奪還した。[7]





経済






バクー油田


IMFの統計によると、2015年のアゼルバイジャンのGDPは540億ドルである。一人当たりのGDPは5,739ドル[2]。通貨マナトが対米ドルで急落しており[8]、年を追うごとに数値は低くなっている。


バクー油田など豊富な天然資源があり、ソ連崩壊やアルメニアとの紛争で落ち込んだ経済を支えている。天然資源の存在は第二次世界大戦やチェチェン問題とアゼルバイジャンの関係とも大きくかかわっている。


2006年にはアゼルバイジャンの首都バクー、ジョージアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCパイプラインが開通した。同パイプラインはBPなどの日欧米企業が出資、輸送能力日量100万バレルの原油パイプラインである。これはロシアに対抗する欧州向け原油輸出パイプラインとして期待され、カザフスタン原油の輸出も計画されている。カスピ海では油田のほかにガス田も生産を始めている。こういった欧米の直接投資と原油高に伴う多額の収入が国内の経済を急速な勢いで成長させているが、一方で激しいインフレと失業率に悩まされている。また、環境汚染も深刻である。


国内の労働市場は経済状況に比べれば不安定でIDP(国内避難民)も多く抱える同国の国民生活は決して経済成長率を反映しているとは受け取れない。




国民
































民族構成(アゼルバイジャン)

アゼルバイジャン人
  
91.6%
ロシア人
  
1.3%
アルメニア人
  
1.3%
その他
  
3%




民族



住民は、民族的にはテュルク系のアゼルバイジャン人(アゼリー人)が人口の91.6%を占め、圧倒的に多い。アゼリー人の外、レズギン人(英語版)(2.0%)、ロシア人(1.3%)[9]、アルメニア人、タート人(英語版)、山岳ユダヤ人が居住している。また、ソ連時代の名残りから人名はロシア語風の姓が多く見受けられる。



言語



国語は、アゼルバイジャン語だが、日常的にはロシア語も使用される。タート語、ユダヤ・タート語。



宗教



宗教的にはアゼリー人を含めたムスリム(イスラム教徒)が95%(シーア派85%、スンニー派15%)と圧倒的に優勢で、キリスト教正教会、ユダヤ教会、キリスト教アルメニア教会が少数派として存在する。



教育








婚姻


結婚する者はそれまでの姓をそのまま用いる権利を持つ(夫婦別姓)。どちらかの姓に統一することも、複合姓とすることも可能である[10]



文化





アゼルバイジャン料理の軽食



音楽








文学








食文化



アゼルバイジャンはワインの有名な産地であり、コーカサス有数の上質なワインで知られる。ロシア国内ではジョージア産のワインはよく見かけるが、アゼルバイジャン産のワインを見つけることはあまりできない。しかし、コストやクオリティなどを考えればロシアで人気のグルジアワインに劣らないだけではなく、フランスワインよりも一部の人々には好まれている。庶民が好んで飲むイワノフカは低価格で飲みやすくおいしい。また世界遺産に登録されている乙女の塔の名をとったワインもある。



映画







 



スポーツ




  • サッカーリーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードのスポンサーになった。

  • 2016年、バクー市街地コースでF1ヨーロッパグランプリを開催。2017年からはアゼルバイジャングランプリと名称を変更して開催される[11]



世界遺産




ゴブスタン国立保護区


アゼルバイジャン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。2000年に登録された「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」(危機遺産)および、2007年に登録された「ゴブスタンの岩絵の文化的景観」である。



祝祭日
































































































祝祭日
日付
日本語表記
現地語表記
備考

1月1日

元日



3月8日

国際婦人デー



3月21日前後
春分の日
Novruz Bayram
移動祝日。アゼルバイジャンでは新年を祝う日。

5月9日
勝利の日


第二次世界大戦の退役軍人を祝う日。

5月28日
共和国記念日


1918年の共和国独立を祝う日。

6月15日
国家救済の日


アリエフ大統領が共和国の指導者となった日(1993年)。

10月18日

独立記念日



11月12日

憲法記念日

共和国憲法が採択された日(1991年)。

11月17日
復興記念日



12月31日
全アゼルバイジャン人連帯の日


イスラム暦による

ラマダーン


イスラム暦による
断食明け大祭


イスラム暦による

犠牲祭


イスラム暦による
イスラムの新年




著名な出身者




音楽




  • アイセル・テイムルザデ - R&B歌手


  • ウゼイル・ハジベヨフ - 作曲家。同国の国歌を作曲したことで知られる。


  • エルダル・ガスモフ - 歌手。曽祖父に俳優のアッバス・ミルザ・シャリフザデ(Abbas Mirza Sharifzadeh)、曾祖母に女優のマルズィイヤ・ダヴドヴァ(アゼルバイジャン語版、英語版)(Marziyya Davudova)を持つ。


  • カラ・カラーエフ - 作曲家。弟子(教え子)に同国の作曲家でピアニストのフランギス・アリ=ザデーがいる。


  • サビナ・ババイェヴァ - 歌手


  • サフラ・アリザデ - 歌手


  • サミル・ジャヴァドザデ - 歌手


  • ディララ・カズモヴァ - 歌手 兼 女優


  • ニガル・ジャマル - 歌手


  • ヴァギフ・ムスタファ・ザデ - ジャズピアニストであり作曲家。ジャズに同国の民族音楽であるムガムを融合させて新しいカテゴリーを創ったことで知られる。娘にピアニストで作曲家のアジザ・ムスタファ・ザデ、クラシカルピアニストのララ・ムスタファ・ザデがいる。


  • ファラドシュ・カラーエフ - 作曲家。カラ・カラーエフとは親子関係にある。


  • ファリド・マンマドフ - 歌手



美術



  • サキット・ママドブ - アゼルバイジャン共和国名誉アーティスト、ユネスコ芸術家協会会員。


文学



  • ニザーミー - 12〜13世紀、ペルシア語文学古典時代の詩人。ギャンジャにニザーミー廟がある。


スポーツ




  • アイシャン・アブドゥラジモワ - バレーボール選手


  • エルマール・ガシモフ - 柔道選手


  • エルヌル・ママドリ - 柔道家。2014年引退。


  • エレーナ・パルホメンコ - バレーボール選手


  • オクサナ・パルホメンコ - バレーボール選手


  • オクサナ・キセリョワ - バレーボール選手


  • ナターワン・ガシモワ - バレーボール選手


  • ヴァギフ・ジャヴァドフ - サッカー選手



学問




  • アッバースグリー・バキハノフ(アゼルバイジャン語版)(Abbasqulu ağa Bakıxanov)- 科学者。生涯を地理・歴史・自然科学の知識普及に努めている。作家でもあり、多くの著書を遺している。


  • メソード・エフェンディエフ - 科学者。ザカタラ出身。


  • レフ・ランダウ - 理論物理学者。ユダヤ人の母の元に生まれた。バクー出身。


  • ロトフィ・ザデー - 数学者であり科学者。ファジィ集合の提唱者として知られている。また 電気工学や計算機科学に長け、人工知能学者でもある。



ジャーナリズム



  • ハサン・ベイ・ザルバディ(Hasan bey Zardabi) - 19世紀のジャーナリスト。R&B歌手であるアイセル・テイムルザデの先祖に当たる。


政府関係者




  • エルダル・マフムドフ - 同国の政治家で内務省出身。


  • ガルリ・カスパロフ - 政治家。ユダヤ人の父、アルメニア人の母を持つ。元チェス選手。


  • スルタン・メジド・エフェンディエフ - アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国政治家でヒンメト創設者の一人。元は医師であった。


  • ラミル・サファロフ - アゼルバイジャン陸軍少佐



脚注


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  1. ^ “The World Factbook - Azerbaijan” (英語). CIA (2017年1月12日). 2016年1月19日閲覧。

  2. ^ abcde“World Economic Outlook Database, October 2016” (英語). IMF (2016年10月). 2017年1月19日閲覧。


  3. ^ 割合だと面積13%・人口1.5%。https://citypopulation.de/Azerbaijan.html


  4. ^ アゼルバイジャン大統領、妻を副大統領に-一族支配強化 CNN(2017年2月25日)2017年2月25日閲覧

  5. ^ abアゼルバイジャン領で武力衝突、兵士30人死亡[リンク切れ] 読売新聞 2016年4月3日


  6. ^ アゼルバイジャン領ナゴルノ・カラバフ自治州での紛争の再開 iran Japanese Radio 2016年4月3日


  7. ^ 望郷の念強める難民=ナゴルノカラバフ紛争から25年-アゼルバイジャン


  8. ^ http://www.xe.com/ja/currencycharts/?from=AZN&to=USD&view=5Y


  9. ^ “アゼルバイジャン基礎データ”. 外務省. 2019年2月16日閲覧。


  10. ^ Family Code Of Azerbaijan Republic, Azerbaijan Gender Information Center.


  11. ^ “バクー、F1アゼルバイジャンGPへの名称変更の理由を説明”. F1-Gate.com (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。




関連項目



  • アゼルバイジャン関係記事の一覧

  • アゼルバイジャン人の一覧


  • 小松空港-独立後に設立されたアゼルバイジャンの貨物航空会社がB747-8F型機で定期乗り入れ中である日本の空港。



外部リンク








  • アゼルバイジャン大統領府 (アゼルバイジャン語)(英語)


  • 日本外務省 - アゼルバイジャン (日本語)


  • 在アゼルバイジャン日本国大使館 (日本語)


  • 駐日アゼルバイジャン共和国大使館 (日本語)


  • アゼルバイジャン観光局 (英語)















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