横河電機サッカー部
横河電機サッカー部 | |||
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原語表記 | 横河電機サッカー部(1939 - 1982) 横河北辰電機サッカー部(1983 - 1986) 横河電機サッカー部(1986 - 2002) 横河武蔵野フットボールクラブ(2003 - 2015) |
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呼称 | 横河電機(1939 - 2002) 横河武蔵野FC(2003 - 2015) |
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クラブカラー | 青、 黄 |
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創設年 | 1939年 |
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解散年 | 2015年 |
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ホームタウン | 東京都武蔵野市 |
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ホームスタジアム | 武蔵野市立武蔵野陸上競技場 |
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運営法人 | - |
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
横河電機サッカー部(よこがわでんきサッカーぶ)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。横河電機のサッカー部として1939年に創部した。東京武蔵野シティFCの前身となったクラブである。
目次
1 概要
1.1 創設
1.2 1970年代
1.3 1980年代
1.4 1990年代
1.5 2000年代
1.6 2010年代
2 年度別成績・歴代監督
2.1 横河電機サッカー部
2.2 横河武蔵野FC
3 主な結果・タイトル
3.1 リーグ戦
3.2 カップ戦
3.3 その他
3.4 個人
4 スタジアム・練習場
4.1 スタジアム
4.2 練習場
4.3 年度別入場者数
5 アカデミー
6 ユニフォーム
6.1 チームカラー
6.2 ユニフォームサプライの遍歴
6.3 歴代ユニフォームスポンサー年表
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
概要
創設

文献から確認できる最初の公式戦(1941年2月、三菱倶楽部戦)の開催会場となった東京帝国大学
1939年に横河電機製作所の社内のサッカー同好会として創設され[1]、横河電機製作所が本社工場を置く東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺(現在の東京都武蔵野市)を拠点として活動を始めた[2]。
1941年、関東蹴球協会主催の第10回関東実業団蹴球大会に出場して1回戦(2月2日)で三菱倶楽部(現:三菱養和)に0-1で敗北したが、この試合が文献から確認できる最初の公式戦である[3]。
1941年4月16日に関東実業団蹴球連盟(現:関東サッカー協会)への加盟が承認され、関東実業団蹴球の6部(他に三菱倶楽部や東京海上など)に所属することが決定した[4]。
太平洋戦争後の活動についてははっきりしないが、全日本実業団サッカー選手権大会や全国都市対抗サッカー選手権大会の出場経験は無い。
1970年代
1976年に東京都社会人サッカーリーグ1部へ昇格し、初優勝も果たした。翌1977年は都リーグ1部で2年連続優勝。また、関東社会人サッカー大会で優勝した。
1978年、関東サッカーリーグに昇格。関東リーグは優勝した東邦チタニウムと勝点11差の勝点44(11勝(3PK勝)7敗(3PK負))で3位の成績。
1979年、関東リーグは優勝した埼玉教員と勝点6差の勝点47(12勝(1PK勝)6敗(1PK負))で3位の成績ながら、2年連続で上位2チームに認められていた全国地域サッカーリーグ決勝大会への出場はならなかった。
1980年代
1980年、関東リーグは5勝2分11敗の勝点12で9位に終わり、翌年度からの都リーグ1部への降格が決まった。また、全国社会人サッカー選手権大会に初めて出場。初戦(1回戦)で三菱重工神戸を破り、全社初勝利を記録した。2回戦はマルヤス工業に敗れた。
1983年、合併により商号が変更したことに伴って横河北辰電機サッカー部へ名称を変更した。
1984年、都リーグ1部の優勝は成らなかった(東京ガスが優勝)が、関東社会人大会で7年ぶりに優勝した。
1985年、関東リーグに5年ぶりに昇格(復帰)したが、リーグ戦は2勝4分12敗の成績で最下位に終わり、1年での都リーグ1部への降格が決まった。5年ぶりに出場した全社は1回戦で三菱自工京都に敗れた。
1986年、商号変更に伴って横河電機サッカー部へ名称を変更した。
1988年、3年ぶりに全社へ出場したが1回戦で京都府警に敗れた。
1990年代
1991年、横河電機副社長(当時)の美川英二の肝煎りでチームの強化が始まり、ブラジル人のマルコス・ボカットが監督に就任し、またブラジル人選手3人と契約した[5][6]。
1992年、都リーグ1部は3位の成績であったが関東社会人大会で準優勝した。4年ぶりに全社に出場したが1回戦で京セラ川内に敗れた。
1993年、関東リーグに3度目の昇格(復帰)。リーグ戦は9勝3分6敗の成績で優勝チームと勝ち点9差の3位の成績。2年連続で出場した全社は1回戦でNTT九州(現在のロアッソ熊本の母体)、準決勝で東北電力(現:ベガルタ仙台)などを破り、決勝でYKK(現在のカターレ富山の母体)に勝利して同大会で初めて優勝した。
1994年、会社としてジャパンフットボールリーグへの昇格を目指す意向を表明した[7]。関東リーグは10勝6分2敗の成績で2位に勝ち点4差をつけて初優勝。全社は準々決勝で北陸電力(現在のカターレ富山の母体)に敗れた。初めて出場した全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)は1次ラウンドを2戦2勝の首位で通過、決勝ラウンドは1勝2敗で4チーム中3位の成績でジャパンフットボールリーグへの昇格は成らなかった。
1995年、関東リーグは9勝4分5敗の成績で優勝したプリマハムFC土浦(現:水戸ホーリーホック)に勝ち点14差の2位。全社は1回戦で日立清水に敗退。地決は1次ラウンドを2戦2勝(1PK勝)の首位で通過、大分FC(現:大分トリニータ)やYKKなどと同組となった決勝ラウンドは1勝2敗(1PK負)で4チーム中3位の成績で2年連続の敗退。
1996年、関東リーグは8勝2分8敗の成績で優勝したホンダルミノッソ狭山に勝ち点17差の4位に終わり、3年連続の地決出場は成らなかった。全社は1回戦で同大会で優勝した教育研究社FCに敗れた。
1997年、元湘南ベルマーレのエジソン・アパレシード・デ・ソウザが加入。関東リーグは14勝4分(無敗)の成績で2位に勝ち点10差を付けて3年ぶり2度目の優勝。全社は佐川急便SCなどを破って決勝に進出。決勝はホンダルミノッソ狭山に勝ち4年ぶりに優勝した(2度目)。地決は1次ラウンドを2戦2勝の首位で通過、ソニー仙台FCやアルビレックス新潟などと同組となった決勝ラウンドは1勝2敗(1PK負)で4チーム中3位の成績で敗退した。
1998年、関東リーグは15勝1分2敗の成績で2位に勝ち点9差を付けて2年連続3度目の優勝。地決は1次ラウンドを2戦2勝の首位で通過、愛媛FCやNTT九州などと同組となった決勝ラウンドは3戦3勝(1PK勝)の成績で優勝した。また、1999年度より創設される日本フットボールリーグ(JFL)参加を2月までに申請し[8])、10月に日本サッカー協会によってJFLへの参加が承認された[9] (第7回JFLも参照)。
1999年、森井申一が監督に就任。第35回全国社会人サッカー選手権大会に出場して栃木SCや水戸ホーリーホックなどを破ってベスト4に入った(準決勝でソニー仙台FCに敗北)。
2000年代
2000年、藤原義三が監督に就任。この年の東京都サッカートーナメント決勝で早稲田大学を破り大会初優勝。天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場したが、1回戦で阪南大学に敗れた。
2003年、社内組織から離れるとともにチーム名称を横河武蔵野フットボールクラブ(呼称:横河武蔵野FC)へ改称[10]。また、古矢武士が監督に就任した。
2007年2月に特定非営利活動法人武蔵野スポーツクラブが設立され、トップチームの運営を同法人へ移管した(ユース及びスクール事業は#アカデミーを参照)[1][11]。また、同年より依田博樹が監督に就任した。
2009年、JFLリーグ戦で17勝9分8敗の成績を収めて過去最高の2位に入った(優勝したSAGAWA SHIGA FCに勝点6差)。また、金守貴紀および太田康介がベストイレブンに選出された。なお、第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場し、初戦(2回戦)で大分トリニータにPK戦で敗退。
2010年代
2012年、第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦でJ1のFC東京に勝利し[10]、ベスト16に入った。2013年より吉田康弘が監督に就任した。
2015年11月26日、Jリーグ加盟を目指す方針を表明した。「Jリーグ入会の条件が緩和されたこと」、「主力選手がJリーグ入会を目指すチームに相次いで移籍したこと」を理由として挙げている[1]。2016年1月1日付で、チーム名を「東京武蔵野シティフットボールクラブ」(呼称は「東京武蔵野シティFC」)に変更した[12]。以降については東京武蔵野シティFCの項目を参照のこと。
年度別成績・歴代監督
横河電機サッカー部
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
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1975 | 東京都2部 |
地区予選 敗退 |
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1976 | 東京都1部 | 優勝 | ||||||||||
1977 | 優勝 | |||||||||||
1978 | 関東 | 3位 | 41 | 18 | 11 (PK3) |
- | 7 (PK3) |
41 | 20 | +21 |
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1979 | 3位 | 47 | 18 | 12 (PK1) |
- | 6 (PK1) |
44 | 20 | +24 |
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1980 | 9位 | 12 | 18 | 5 | 2 | 11 | 27 | 43 | -16 |
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1981 | 東京都1部 | |||||||||||
1982 | ||||||||||||
1983 | ||||||||||||
1984 | ||||||||||||
1985 | 関東 | 10位 | 8 | 18 | 2 | 4 | 12 | 20 | 64 | -44 |
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1986 | 東京都 | |||||||||||
1987 | ||||||||||||
1988 | ||||||||||||
1989 | ||||||||||||
1990 | ||||||||||||
1991 | ![]() |
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1992 | 東京都1部 | 3位 | ||||||||||
1993 | 関東 | 3位 | 21 | 18 | 9 | 3 | 6 | 32 | 29 | +3 |
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1994 | 優勝 | 26 | 18 | 10 | 6 | 2 | 41 | 19 | +22 |
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1995 | 2位 | 31 | 18 | 9 | 4 | 5 | 31 | 21 | +10 | |||
1996 | 4位 | 26 | 18 | 8 | 2 | 8 | 31 | 24 | +7 | 都予選敗退 | ||
1997 | 優勝 | 46 | 18 | 14 | 4 | 0 | 37 | 8 | +29 | |||
1998 | 優勝 | 46 | 18 | 15 | 1 | 2 | 49 | 12 | +37 | ![]() |
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1999 | JFL | 8位 | 20 | 24 | 7 | 0 | 17 | 26 | 43 | -17 | ![]() |
|
2000 | 12位 | 9 | 22 | 2 | 3 | 17 | 21 | 41 | -20 | 1回戦敗退 | ![]() |
|
2001 | 7位 | 41 | 30 | 12 | 5 | 13 | 37 | 54 | -17 | 都予選敗退 | ![]() |
|
2002 | 7位 | 28 | 17 | 8 | 4 | 5 | 21 | 26 | -5 | ![]() |
横河武蔵野FC
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
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2003 | JFL | 13位 | 29 | 30 | 9 | 2 | 19 | 32 | 65 | -33 | 都予選敗退 | ![]() |
2004 | 13位 | 32 | 30 | 8 | 8 | 14 | 41 | 51 | -10 |
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2005 | 9位 | 48 | 30 | 14 | 6 | 10 | 37 | 29 | +8 |
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2006 | 6位 | 60 | 34 | 17 | 9 | 8 | 58 | 38 | +20 |
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2007 | 7位 | 54 | 34 | 16 | 6 | 12 | 50 | 44 | +6 | ![]() |
||
2008 | 7位 | 54 | 34 | 15 | 9 | 10 | 43 | 34 | +9 |
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2009 | 2位 | 60 | 34 | 17 | 9 | 8 | 48 | 34 | +14 | 3回戦敗退 |
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2010 | 12位 | 44 | 34 | 12 | 8 | 14 | 34 | 38 | -4 | 都予選敗退 |
||
2011 | 15位 | 36 | 33 | 9 | 9 | 15 | 33 | 37 | -4 |
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2012 | 10位 | 41 | 32 | 11 | 8 | 13 | 35 | 50 | -15 | ベスト16 |
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2013 | 10位 | 49 | 34 | 13 | 10 | 11 | 36 | 36 | 0 | 2回戦敗退 | ![]() |
|
2014 | 6位 | 35 | 26 | 9 | 8 | 9 | 31 | 31 | 0 | 都予選敗退 |
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2015 | 12位 | 30 | 30 | 8 | 6 | 16 | 31 | 40 | -9 |
- 出典
関東サッカーリーグ・過去の記録(2016年2月2日閲覧)
東京武蔵野シティFC・沿革(2016年2月2日閲覧)
主な結果・タイトル
リーグ戦
日本フットボールリーグ
- 準優勝(1回):2009
関東サッカーリーグ
- 優勝(3回):1994, 1997, 1998
- 準優勝(1回):1995
- 3位(3回):1978年, 1979, 1993
東京都社会人サッカーリーグ1部
- 優勝(-回):1976, 1977
カップ戦
全国地域サッカーリーグ決勝大会
- 優勝(1回):1998
- 3位(3回):1994, 1995, 1997
全国社会人サッカー選手権大会
- 優勝(2回):1993, 1997
- 3位(-回):1999
東京都サッカートーナメント(兼天皇杯東京都予選)
- 優勝(3回):2000, 2012, 2013
- 準優勝(8回):1997, 2001, 2003, 2004, 2005, 2008, 2010, 2014
その他
日本フットボールリーグ
- 2002年 - 努力賞
- 2013年 - フェアプレー賞
- 2014年 - 特別賞
個人
日本フットボールリーグ
- ベストイレブン 2009年 - 金守貴紀、太田康介
- ベストイレブン 2009年 - 金守貴紀、太田康介
スタジアム・練習場
武蔵野市立武蔵野陸上競技場
スタジアム
武蔵野市立武蔵野陸上競技場(ホームスタジアム)[10]
- その他の主催試合開催スタジアムは下表を参照
練習場
- 練習場:横河電機グラウンド[10]
年度別入場者数
- 略記について
- 入場者数の太字は、歴代最多および最少
- 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
- 出典:日本フットボールリーグ・過去の全記録(2016年2月1日閲覧)
年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 |
試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム |
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入場者数 | 相手 | 会場 | 入場者数 | 相手 | 会場 |
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1999 | JFL | 7,194 | 1,556 | 横浜FC | 駒沢 | 268 | 本田技研 | 駒沢 | 599 | 12 | 駒沢3、西が丘3、多摩2、武蔵野1、夢の島1、町田1、川越1 |
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2000 | 7,736 | 2,744 | 横浜FC | 武蔵野 | 265 | デンソー | 西が丘 | 703 | 11 | 西が丘5、武蔵野4、夢の島1、多摩1 |
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2001 | 7,334 | 1,198 | 静産大 | 東京ス | 240 | ジヤトコ | 富士北麓 | 489 | 15 | 西が丘5、武蔵野2、多摩2、駒沢2、東京ス1、江戸川1、夢の島1、富士北麓1 |
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2002 | 4,770 | 1,057 | 佐川大阪 | 252 | アローズ | 夢の島 | 530 | 9 | 武蔵野4、西が丘2、夢の島2、東京ス1 |
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2003 | 6,610 | 777 | 愛媛FC | アミノV | 215 | 佐川印刷 | 441 | 15 | 武蔵野5、西が丘2、アミノV2、多摩2、味スタ1、夢の島1、江戸川1、駒沢1 |
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2004 | 8,645 | 988 | SC鳥取 | 味スタ | 350 | 大塚製薬 | アミノV | 576 | 15 | 武蔵野9、アミノV2、西が丘2、味スタ1、夢の島1 |
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2005 | 10,201 | 1,123 | ホリコシ | 武蔵野 | 448 | 佐川印刷 | 西が丘 | 680 | 15 | 武蔵野10、江戸川2、西が丘2、駒沢1、味スタ1、多摩1 |
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2006 | 11,697 | 1,194 | Honda | 403 | 流経大 | 688 | 17 | 武蔵野10、西が丘3、味スタ1、駒沢1、江戸川1、夢の島1 |
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2007 | 11,437 | 1,405 | 栃木SC | 317 | ソニー | 西が丘 | 673 | 17 | 武蔵野7、西が丘4、駒沢3、味スタ1、夢の島1、江戸川1 |
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2008 | 17,087 | 4,101 | A高崎 | 国立 | 384 | FC刈谷 | 多摩 | 1,005 | 17 | 武蔵野12、西が丘2、国立1、多摩1、夢の島1 |
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2009 | 12,950 | 1,326 | 町田 | 武蔵野 | 281 | SAGAWA | 武蔵野 | 762 | 17 | 武蔵野13、駒沢2、西が丘1、上柚木1、夢の島1 |
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2010 | 13,196 | 1,212 | 鳥取 | 西が丘 | 440 | SAGAWA | 776 | 17 | 武蔵野11、西が丘6 |
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2011 | 12,179 | 1,648 | 松本 | 229 | 秋田 | 西が丘 | 716 | 17 | 武蔵野8、西が丘5、夢の島2、江戸川1、駒沢1 |
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2012 | 11,445 | 1,312 | 長野 | 武蔵野 | 316 | 佐川印刷 | 夢の島 | 715 | 16 | 武蔵野9、夢の島3、味フィ西2、駒沢1、味スタ西1 |
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2013 | 13,085 | 2,257 | 町田 | 298 | 金沢 | 味フィ西 | 770 | 17 | 武蔵野10、夢の島3、味フィ西3、江戸川1 |
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2014 | 9,613 | 1,227 | 鹿児島 | 335 | 岡山N | 739 | 13 | 武蔵野9、味フィ西3、夢の島1 |
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2015 | 12,255 | 2,305 | マルヤス | 438 | FC大阪 | 武蔵野 | 817 | 15 | 武蔵野13、味フィ西2 |
アカデミー
トップチームは2007年2月に設立された特定非営利活動法人武蔵野スポーツクラブが運営していたが、ユース・ジュニアユースやスクール事業については横河パイオニックス株式会社が手掛けていた[11]。
2014年11月には横河武蔵野FCジュニアがダノンネーションズカップで優勝した[13]。
ユニフォーム
チームカラー
青、 黄
ユニフォームサプライの遍歴
- 2003年 FILA
- 2004年 - 2005年 Admiral
- 2006年 - 2015年 UMBRO
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 背中 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2006 | 横河パイオニックス | - | 東京車人 | ナカノフドー建設 | UMBRO |
2007 | |||||
2008 | YOKOGAWA |
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2009 | |||||
2010 | ING |
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2011 | |||||
2012 | |||||
2013 | ナカノフドー建設 | - |
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2014 | |||||
2015 |
脚注
- ^ abc「横河武蔵野、J目指す 都内4番目、「17年にJ3」」、朝日新聞むさしの版、2015年11月26日
^ “YOKOGAWA HISTORY”. 横河電機. 2016年2月1日閲覧。
^ 「関東実業団蹴球第1日」朝日新聞東京、1941年2月3日、2016年2月16日閲覧
^ 「実業団蹴球の加盟チーム」朝日新聞東京、1941年4月18日、2016年2月16日閲覧
^ 「横河電機サッカーチーム監督のM・ボカットさん」、朝日新聞、1993年12月06日
^ 「Jリーグ加盟、視野に 外国選手迎え強化 横河電機サッカー部」、毎日新聞、1994年1月12日
^ 「横河電機のJFL入り、美川社長が正式表明」毎日新聞、1994年1月25日、2015年2月16日閲覧
^ 朝日新聞、1998年2月13日
^ 朝日新聞、1998年10月10日
- ^ abcd「横河武蔵野FC、奮闘中 サッカー天皇杯、王者FC東京破る大金星」、朝日新聞むさしの版、2012年9月22日
- ^ ab“サッカースクール”. 横河パイオニックス. 2016年2月1日閲覧。
^ “新年のご挨拶”. 東京武蔵野シティFC (2016年1月1日). 2016年2月1日閲覧。
^ “横河武蔵野FCジュニアがジュニアサッカーの世界大会「ダノンネーションズカップ2014」で優勝” (プレスリリース), 横河パイオニックス, (2014年11月18日), http://www.yokogawa.co.jp/cp/topics/2014/pr-topics-2014-1118-ja.htm 2016年2月1日閲覧。
関連項目
- Category:横河電機サッカー部の選手
- 横河パイオニックス
- 横河武蔵野アトラスターズ
- 横河電機ワイルドブルー
- 南北多摩合戦
外部リンク
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