剣
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15世紀-16世紀のスイスのロングソード
剣(つるぎ、けん、劍)とは、長い諸刃の剣身を持つ手持ちの武器の1種である。現代の長剣は儀礼用としてのみ使われる。諸刃である点で刀と区別するが、文脈で広義に刀を含むこともある。なお、刃の両側に角度がつけてあり、左右両側から研ぐ刃物(断面がV字状)の刃物も両刃と言われるため、本項では刀身の両側に付けられた刃については「諸刃」と統一する。
目次
1 概要
2 機能と構造
3 剣と戦争
4 剣と刀
5 歴史
6 象徴としての剣
7 フィクションでの扱い
8 主な剣の種類
8.1 短剣
8.2 長剣
8.3 未分類
9 脚注
10 関連項目
概要
ツヴァイヘンダー
樺太の日ソ国境(50度線)を守備する国境警備隊(樺太庁警察部)で使用される着剣済の三八式歩兵銃
剣は武器(ないし武具)として利用するためのもので、機械要素としての刃(狭い範囲に圧力を集中する楔構造)によって対象に損傷を与える。
史実的には刃物としてではなく質量を生かして鈍器として用いられるか刺突の機能に期待されるとの印象が大きいが、現代に伝わる西洋剣術の指南書を見る限り、斬撃用途も十分に考慮されていた[1]。基本的に損耗しやすい刃の研磨加工は重要視されなかったが、両手持ちの大型の剣の場合、あえて鍔元に研磨しない箇所を設けることで剣身を握れるようにし、武器としての用途を増やすなどの工夫がなされることもある(例:ツヴァイヘンダー[2])。また素手で剣身を握り込んで扱う技法も存在したが、剣身の握り方は失伝してしまっている[1]。
一般的に60cm程度より長大なものを指し、より短く軽量のものは刃を研磨され短剣などと呼ばれ区別される。素材に関しては、後述するようにその地域で得られる様々なものが利用された。その発達の歴史では常に最新の素材を利用する傾向も見られる。
ただ、その制作には使用する素材にも拠り一定以上の冶金技術が不可欠であり、また工業が限定的な時代や地域(例えば工芸との区別が曖昧な時代)では量産が難しく、大型のものではコストも高くついたため稀少で、訓練でも相応の時間を費やす必要があるなどの傾向も見出せる。このため各々の剣に対する特別の意味付けがあるものも散見され、歴史的記念物として保存されたものや、象徴として装飾されたものが現代に伝わっている。
今日では、戦争の形態が火器(個人装備では自動小銃・自動拳銃)を用いる形態が主流であるため、剣を使う戦闘も銃剣など補助要素的なものに変化し、その中では中世の銃の登場以前に発達した多種多様な刀剣類を見ることは無い。しかし歴史的に権力(いわゆる力全般)の象徴としてや、なにがしかのシンボルとして剣のモチーフが登場するほか、フィクションの分野でも歴史的な題材のみならずファンタジーからサイエンスフィクションにまで幅広くその類型が見出せる。
なお兵器としての剣はその立場を縮小してはいるものの、剣の扱いに関する武術も剣術と呼ばれ、様々に発展現代ではスポーツの分野で生き残っており、これらはスポーツ全体から見ても無視できない広がりを持つ分野となっている。
機能と構造
剣には対象に対し、斬撃[1]と刺突[1]と打撃[3][4]を行う機能を持つものが多く、重い鎧が流行した中世頃は質量を生かした鈍器[3][5][6]と貫く刺突を兼ね備えた機能[5]を、銃が発達し軽装となった近世以降ではサーベルやレイピアなど斬ることと刺すことが重視された[5]ようである。
諸刃かつ(切りつけるより)貫き通す機能を重視しているため、基本的に剣先からグリップまでが真っ直ぐな形状となっていることが多い。また剣の中には血抜き溝(日本刀でいうところの樋・「血溝」は俗称)が施されているものがある。これは刀身に沿って溝が穿たれ、軽量化に役立った一方で、相手を刺した際に武器が抜けなくなる事を予防するため、血を抜き圧力を下げる一方で引き抜く際に切断面と剣との隙間に空気が入ることで武器を抜きやすくする機能を持つ、この様な構造を持つ物は槍や斧等にも見られる。
ほとんどの中世以降の西洋の剣は、振る際に生じる遠心力による負担と隙を軽減するため、その重心を持ち手の近くに収めることが念頭に置かれている。そのため刀身はできるだけ薄く細く、柄側には刃部全体と釣り合うだけの重量を持たせていることが多い。時に使用者はその特性を利用して柄頭で打撃を加えたり、刃の部分を持って鍔を嘴として攻撃することもある。また、耐久面への配慮として刀身の柔軟性が重視されており、質のいいものは刀身を90度曲げても元に戻る。諸刃で直剣の西洋剣は片刃で曲刀の日本刀とよく比較されるが、前述からも分かる通り用途や製作理念が異なるため安易な比較をするべきではない。
形状も用途も様々で突いたり、払ったりできるため、最も近い原型である斧よりも用途が広く、はっきり分類しにくい面もある。[7]また、短剣よりも長く、
隠し持つのが難しいことから多くの文化圏で名誉ある武器とみなされてきた。[7]刀剣は最も広範囲に使われた武器の一つでもある。[8]
刀剣の利点はサブウェポンの中では斧や打撃武器よりもリーチが長いこと[9][10]、軽装の敵に対して殺傷力が高いこと[11][12][13]、携帯性が高いこと[11][3]、重心が手元に近いため動作が機敏で扱いやすいこと[6][1]、斧や打撃武器に比べると扱うのに腕力と体力を要さないこと[12]があげられる。
逆に欠点を言えば、高価であること[3][6]、鎧に対して効果が低いこと[3][11]、耐久性が低いこと[6]、扱うのに技術を要すること[14]があげられる。
ちなみに斬撃は刺突に比べ、殺傷力が低いがストッピングパワーが高い、
刺突は斬撃に比べ、殺傷力が高いがストッピングパワーが低いという特徴がある。[1][2]
剣や刀は扱いが難しいという説もある。薪を割るには斧や鉈で刃筋を立てる必要があり、ある程度の練習が必要である。動いている敵に刀剣でそれを行うのは格段に難易度が高くなり、多年の修練を必要とし、武器としてのコストパフォーマンスが悪いというわけである。[15]
日本刀と拵え(打刀)
ヨーロッパの剣と剣
剣と戦争

博物館に展示されるグラディウスの刀身とその鞘。紀元前4世紀から紀元後の3世紀

日本の打刀拵えの外装(上段)

大日本帝国海軍の軍刀。鞘には革覆を付している

両刃の剣(レプリカ)、中世ヨーロッパ

インドのタルワール、1806年

19世紀フランス海軍の将校用サーベル
剣による戦闘(白兵戦)では、相手も剣を備えて攻撃に用いるため、これを防ぐ防具としての側面があり、この戦闘で手を守る機能を備える剣も多い。剣は個人対個人が戦う上では、基本的な装備の1つとなる。しかし、刀剣類のうちでも両手剣は扱いに腕力と技術を必要とした。[16]白兵戦のうちでも携帯性に優れた刀剣は主に他の武器の補助として使い[17]、相手に対し距離を置いて対処できる槍や弓矢などが使えず[17]、槍などの長柄武器が壊れた際の護身用[17]や敵味方が入り乱れる長柄武器が使いづらい乱戦で槍などを捨てて利用された[17]。しかし、世界的に見てあまり一般的ではなかったものの刀剣を主武器とする兵科はあった。[17][18]
剣はスクラマサクスなど鉈の様なものならば作業用にも使われるが[5][19]、槍や短剣とは違い、最初から対人戦用に生み出されたものであり、ほぼ無限の思考・行動パターンを持つ人間を相手にできるように攻撃方法に凄まじく応用が利く。[20]
前近代の戦争において槍や弓を主武器とする場合も、刀剣を帯び、乱戦になってそれを抜いて戦うことはよくある光景だった。[21][22][23][24]
古代においては、古王国、中王国時代のエジプト人とギリシア人は剣を完全な補助武器とみなしていたが、ローマ人とケルト人、ダキア人は剣を武器として重要視していた。[25][26][8][19]新王国時代になってからエジプト人は剣と兜と鎧を重視するようになった。[8]サブウェポンとしても、ギリシア人は斧や棍棒といった武器を蛮族視しているのみならず、その後のヨーロッパのファランクスなどの槍を中心とした密集隊形の中ではそれらの武器が使いづらかったことから剣の方が主流であった。[14]ローマ人も斧や棍棒を蛮族視しており、ローマの密集隊形レギオンでは槍や長剣といった長い武器が乱戦で使いづらかったがために小振りな剣であるグラディウスがメインウェポンだった。[27]
白兵戦を好む中世の騎士の戦いにおいては乱戦になる事がほとんどであり、その場合の武器は槍やランスではなく、剣や斧、メイスなどであった。[14][28]
こと中世から近世の戦争で、一般から招集される民兵は補助的武器のものであり、歩兵はまず槍を基本的な戦闘単位として考え、これらの補助として剣を装備していた。ただ人類の歴史で、有史以降いずれの国家でも戦争に対する備えとして平時より生産と保有が行われたことから、弓や斧に比べ扱い易い[6]剣にも一定の信頼性が保たれていたことがうかがえる。
日本では打刀の原型・初見は12世紀初頭から見られ、当時は短く「刺刀(さすが)」とも呼ばれていた。南北朝時代に長大な刀剣が流行するに従い、刺刀も大型化し打刀や脇差になったとされる。[9]
南北朝時代あたりまでは短刀と同じく平造りが主流だったが、それ以降は太刀と同じ鎬造りとなる。刃渡りは室町時代前半までは約40cmから50cmであり、室町時代後半からは60cm以上の長寸のものが現れだした[29]。それと同時に打刀と短めの打刀(脇差)の同時携帯が身分・階層問わず流行し、帯刀が身分不問で成人男子の象徴になっていった[30]。
ただし、戦国時代に代表される乱世の頃の剣と、後世や平時での護身用の剣との間には明確な隔たりが存在する。前者は切れ味よりも耐久性が求められ、ここに前述の鈍器としての剣や、あるいは腰に吊って日常的に持ち歩くことを前提としないことから肉厚で重量のある剣が利用され、また装飾などの意匠性を求められることも少なかった。後世の剣は対人でも一人ないし数人を傷付けひるませたり撃退することができれば用を成したのとは異なる。こういった変化は、日本刀でも戦国時代のものと後世のそれとで明確な差異も見られる。また、西欧でもショートソードのような歩兵装備としての剣や扱いに技能を必要とするツーハンデッドソードなどが戦争に使われた。大半の歩兵用の剣は扱いやすいものだったが両手剣の使用には腕力と技術を要した。[8]しかし鎧や火器の発達と共に戦場での活躍は少なくなってゆき[19]、次第に装飾的、象徴的な用途で扱うのみになっていった。同時に実用的な剣術も多くの指南書を残しながらも人々の記憶から消えていった。[1]中世暗黒時代の間、剣は重要な武器であり、北欧では特にその傾向が強かった。[7]また、剣に対してそれなりの防御力[31][32][4][33]を発揮する鎖帷子の普及率もアングロサクソン人やフランク人やヴァイキングの間では低かった。[8][34]10~15世紀の中世盛期後期ヨーロッパにおいては鎧の発達[14]により、剣や槍ではダメージを与えづらくなり、斧やメイス、ウォーハンマー、フレイルなどの打撃武器の需要が高まっていった。[3][14]それでも10~12世紀の鎖帷子を主な防具とした時代ならば剣で斬れなくとも叩き付けることによりかなりの打撲傷を負わせられたが[4]、13世紀以降は板金鎧の発達により、斧やメイスなどの打撃武器の方が有効な武器となった。[35][1][3]剣は鎧にそれほど効果がないが、携帯性が高く、身分の象徴となるため、予備の武器や飾りとして馬上の騎士に携帯されていた。[3]また、騎士にはそれほど好まれなかったが、安価なファルシオンやメッサーといった鉈も兵士には好まれていた。[1][2]貫通力の高い細長い槍身を持った短槍アールシェピースや同じく貫通力の高いロングソードの一種であるエストックも鎧の隙間を貫くために中世ではかなり一般的だった。[1]中世の剣は重く鈍器に近いものだったとよく言われるが、剣というよりも武器全般が出来る限り軽量に作られていた。それは戦闘で重い武器は態勢が立て直しにくく、不利になり、疲れやすくなるので軽量の武器が好まれ、多く作られた。[1]しかし、それでも中世西欧の直剣は中世の東欧や北アフリカや東洋の湾曲した曲剣よりは重く、敵を鎧もろとも叩き斬ったり、殴って衝撃を与えて降伏させることができ[3]、斧やメイスなどの打撃武器の方が効果的ではあったが、直剣もまた騎士や騎兵に好んで使用される武器の一つではあった。[3][36]それに対し、イスラム教徒などが好んだ直剣よりも軽い曲剣は鎖帷子の騎士より防備の軽い兵士など軽装備の敵を素早く攻撃するのに適していた。[3]インドからアフリカは熱いため、鎧があまり発達しなかった面もあり、切れ味の鋭い曲刀が多い。[37]中東では防具の重装化が速かったために古代から斧とメイスとウォーピックが好まれたが[38][39][40]、中世の中東の兵は騎士の重い鎖帷子よりも軽い鎖帷子で武装した軽装騎兵が中心となっていた。[22][3]中世の騎士や兵士にとって剣は主に補助武器として重要だった。[41]鎖帷子ならばジャストミートすれば剣で断ち切ることはでき、刃こぼれすれば今度は殴り倒すこととなった。[42]
16世紀前半の歩兵と騎兵は火器が多く使われるようになっても部分的な鎧をまだ使用しており、[31]とても重く高価で銃弾にも耐えられる鎧を用意できたのはほとんどが騎兵だった。[31]またこの時期の歩兵にとっての主な脅威は火縄銃ではなく矛と刀剣類であった。[31]16世紀後半になると主な脅威は剣などよりも銃になるが[34]、近世になっても傭兵や騎兵、決闘者にとっては剣は相変わらず重要な武器であった。[8][19]一般の護身用や決闘用ではある程度の携帯性と扱いやすさを持ったものが愛用され、装飾によって携帯者の地位を示すこともできた。中世盛期では十字型の片手剣やファルシオン(しばしばバックラーもセットで持ち歩く)、近世(ルネッサンス)以降では斬るよりも刺すことが重視され始め、より決闘向きのレイピアなどといった刺突系の刀剣が流行した。ちなみに刺すという攻撃は加減も難しく致命傷になり易いため、決闘や喧嘩の死亡率は高まった。[1]そして揉め事の件数が以前より減少した。[1]レイピアはどちらかといえば決闘で多く利用されたが、戦場でも利用された。[8]16~17世紀に火器の発達により防備が軽装化し、動作の機敏なレイピアの様な軽量の刀剣が求められた。[5]
16世紀には刀剣も弓もパイクも初期の火器からその地位を脅かされており、17世紀に弓とクロスボウは戦場から姿を消し、17世紀後半~18世紀初頭には歩兵同士の長柄武器や刀剣による白兵戦は銃剣にほぼとって代わられることになる。[19][43][9][44]
17世紀以降、パイクや銃器による密集方陣に騎兵槍で突撃をしても効果を得られなくなったことや短銃を武器とする騎兵のコストパフォーマンスの良さにより、ヨーロッパではポーランドやハンガリーといった東欧を除いて[7]騎兵が槍を使うことが減り、主に銃器と刀剣類、そして斧や打撃武器を使用するようになっていった。短銃騎兵の射撃で歩兵の戦列に突破口を開け、そこに槍騎兵が突っ込む形で活躍していたにも関わらずである。短銃騎兵が射撃で歩兵の戦列を崩した後に抜剣突撃する光景はヨーロッパ中の戦場で見られるようになり、恐れられた。[45][9][44][24][19]近世末期には斬るのにも刺すのにも効果が高いサーベルが台頭し、18世紀の騎兵の主力武器となり、[9]拳銃が登場して以降も長らく人々の腰に吊られていた。18世紀では騎兵にとって刀剣は攻撃と防御に最も効果的な武器であり、騎兵の銃器は防御用の補助的な武器だった。[19]しかし、ナポレオン戦争において再び騎兵槍が復活し、各種親衛隊騎兵や胸甲騎兵やカラビニエなどの重騎兵にはほとんどの場合は敗北したものの[45]、軽騎兵や竜騎兵などの中騎兵の場合には多くの場合勝利し[45]、歩兵の銃剣よりも長い騎兵槍で方陣をも突き崩す場合があり、槍騎兵は恐ろしい威力を発揮した。[9][24][23]
ナポレオン戦争は胸甲騎兵のサーベルやブロードソードなど刀剣が大規模に活躍した史上最後の戦争である。[46][5]刀剣を振るう、原始的で野蛮な戦いが繰り広げられた。[19][23]ナポレオン戦争の終わりごろ、騎兵は全ての大国の軍隊にとって不可欠な兵科であり、その状況は19世紀を通して変わらなかったが、特に19世紀半ばから後半の火器の発達にともない、戦場における騎兵の重要性は減少していった。[23]それでも騎兵の刀剣は第一次世界大戦までは重要な働きをしており、騎兵槍も流行が第一次世界大戦まで続いた。北米の平原インディアンも馬が渡米してから、槍を使うようになった。[7]
世界的に見て、一般的ではなかった[18][17]が中には刀剣を主力武器とした兵科もある。
弥生時代後期と古墳時代後期の日本の歩兵は盾と日本刀の前身である鉄大刀を主力武器とした。[47]
南北朝時代~室町時代(戦国時代除く)には太刀、大太刀、長巻といった日本刀が騎射技術を失った武士たち(打物騎兵)の
薙刀、槍、鉞、棒、金砕棒と並ぶメインウェポンとして利用された[48][18][49][50][51]平安時代と鎌倉時代すなわち中世前期が弓矢を主体とした戦の時代であり、南北朝時代と室町時代すなわち中世後期が刀剣を主体とした戦の時代である。[52][48][53]南北朝時代に最も多用された白兵武器は大刀、大太刀、長巻、打刀といった日本刀であり、[54]それは室町時代まで変わらなかった。[54]また、戦国時代の始まった応仁の乱の頃でも槍は下卒の武器であり、武士は太刀、打刀、薙刀、大太刀、長巻を利用しており、およそ100年後の永禄ごろになると武士も槍を利用するようになる。[55]もっとも、戦国時代が始まったころには槍は刀よりも効果的に働いていたが。[54]
戦国時代と安土桃山時代には槍が武士や兵士の第一の白兵武器となる[54][56]が、一方で長巻が戦国時代と安土桃山時代に流行し[12][56][54]、大太刀も安土桃山時代には再び流行する。[57][56][12]
中国南部、東南部では山岳や植物が繁茂している地域、湖沼や河川が多く、刀剣が戦闘用としても、伐採用や船上での工具としても重要視された。[11]
中国の春秋戦国時代に主兵科が戦車から歩兵に変わると双手剣という両手剣を用いる兵士が発生した。また、その時代以降、中国の多くの時代で剣と盾、もしくは刀と盾の武術は長柄武器や飛び道具を制する上で重要な役割を果たした。[58]
明軍の歩兵や騎兵の中には倭刀(日本刀、もしくは日本刀様式の中国刀)を鳥銃(火縄銃)など他の武具と併用して主力武器とする兵科もいた。[59][60]騎兵が接近してくれば鳥銃を装備した歩兵は長刀と呼ばれる野太刀タイプの倭刀で馬の足を薙ぎ払った。[61][58]薙刀状の武器や野太刀状の武器は騎兵を相手にするのに効果的とされる。[62][55]
清代には大刀という薙刀状の武器や短兵器の刀の他に両手で用いる朴刀という刀や各種の長刀(野太刀状の武器であり、ものによっては片手でも扱える)が存在した。大刀も短兵器の刀も朴刀も長刀もそれぞれ種類が多く(もっとも、宋代以降は長柄武器も刀剣も打撃武器も多様化していったが)刀は清代において最も重視される白兵武器であった。[58]
海の民の一派であるシェルデン人は歴史上最初の剣と盾による戦いを専門とした部族だった。[25][26]
共和制初期から帝政中期までのローマ軍では投槍ピルムとやや短めの剣グラディウスと大盾スクトゥムを主力である歩兵のメインウェポンとした。[25][26]
ケルト人が第一に頼りとした武器は槍だが、剣も重視した。ケルト人は古代世界では珍しい長剣の使い手であった。その他に斧や棍棒、パチンコも使った。しかし、長剣は裕福なケルト人の武器でもあった。[8][27][46][39][19]カルタゴに傭兵として雇われたケルト人はソリフェレウムという投げ槍を投擲した後にファルカタという片刃の刀剣と大盾で攻撃した。[28]古代ブリテン人も密集隊形に向かない長剣と小型の盾、そして短槍や投げ槍や斧や弓を使ったが、ローマ軍には通用しなかった。[28][26]
ダキア人は剣と投槍、弓で戦ったが、最もローマ軍を苦しめたのは鎌状の両手剣ファルクスだった。[28][26]
ヴァイキングが好んだ武器には斧の他に剣もある。[63]しかし、剣は裕福なヴァイキングの武器でもあり、それはアングロサクソン人とフランク人にとっても同じだった。[19]
中世ヨーロッパの騎士やメンアットアームズは馬上では槍やランスを主な武器としたが[3]、
落馬した際や下馬した際は片手剣と盾、片手半剣と盾、斧と盾、メイスと盾のいずれかで武装した。[28][8][17][4][3][64]
中世後期になり、防具が発達してからは、下馬した際に両手剣や両手斧、ポールアックスやポールハンマー(長柄のウォーハンマー)といった両手持ちの威力の高い武器で武装した。[3][65][64][46][32]
中世ヨーロッパや中世中東の歩兵の中には盾と槍だけではなく、盾と剣や手斧などの短い武器で武装した兵士もいた。[41][3]中世では槍などが合戦の主力武器だったが剣と盾で武装した戦士も多かった。[66]
スイス傭兵やランツクネヒトの倍給兵の中には両手剣で武装するものもいて、敵のパイクやハルバードなどの長柄武器を叩き斬ったり、それを持った兵を直接斬りつけ、時には味方の槍兵に突進してきた重装騎兵を側面から攻め、馬から叩き落とした。[16][17]
スコットランドのハイランド地方とローランド地方ではクレイモアという両手剣が使われた。[2]ハイランダーはクレイモアと両手斧でもって圧倒的な破壊力で敵陣に切り込んだ。[28]クレイモアは敵の騎馬の足を叩き斬って派手に落馬させるのにも使われた。[3]
アイルランドの傭兵ギャロウグラスは両手剣やスパーテアックスといった威力の高い武器を好んだ。[28][2]
近世スペインにはロデレロというレイピアとラウンドシールドを主力武器とする歩兵がいた。パイクが使われるようになってもロデレロは維持され、その仕事は敵味方のパイク兵同士が突き合う中でパイクの下をくぐって敵に近づき刺すことだった。スペイン軍と交戦したフランス軍がロデレロを大いに憎み、罵った他に、南米征服にも導入された。銃と馬と鉄製の剣と槍で武装したスペイン軍に南米の軍隊は蹂躙された[44][67][28][8]
17世紀からナポレオン時代終結にかけての東欧を除くヨーロッパの騎兵は刀剣、特にサーベルを主な武器とした。特にナポレオン時代のフランスの胸甲騎兵はその時代の最強の騎兵として恐れられた。[44][24][23]
剣と刀

Épées. フランス語版より
刀剣のうち、片刃のものを刀と呼び、諸刃のものをさして剣と呼ぶのが中国語の漢字の字義からは正しい。ただし、日本語およびその文化では、広義の「剣」は刀も含めた刀剣類全般を指す言葉として用いられる。これは、日本刀の発明以後、諸刃の剣が完全に廃れてしまい、日本では区別する必要がなくなったためである。
特殊な物を除き一般的な刀剣は、突いたり斬ったりするのに一番重要なのは、切先から10〜30cm辺りである。数打ちと言われるような大量生産された物の中には最低限の刃しか付いていない物もある。
木刀や刃引きされた刀(刃をなくし切れない)に対して、「木剣」や、実際に刃を有する刀を「真剣」と称し、また「刀」を用いる武術・武道のことを、刀術(『本朝武藝小傳』など極少数の文献にのみ使用される)ではなく剣術、剣道と言うことからも「刀」と「剣」という語の関係が透けて見える。これは、日本では、剣から刃先を鋼にする日本刀へ、ほぼ完全に変化した事が大きく影響されていると思われる。
中国では両手に同じ大きさの剣を持つ双剣術と日本刀と同じように1本の剣を持つ単剣術があるが、基本的に片手だけで扱う。両手で扱うものは双手剣として分けられる。
日本で剣と単に呼ぶ場合、剣術・剣の道・剣の技・流派・生き様などを指すことが多く、武器そのものを意味する場合は剣と書いて「つるぎ」と読ませることもある。
歴史

ブロンズ製の剣2本。ネブラ・ディスク(紀元前17世紀)
刀剣の歴史は長いが、旧石器時代以前から道具に用いられてきた斧と狩猟に用いられてきた槍ほどに古いものではない。
新石器時代のアジアやメソアメリカなどは、鋭利に磨かれた黒曜石の刃を木で作った刀身に並べて付けた細石刃を用いた剣などが存在する(マカナ)。同様に、金属の加工や入手が困難だった太平洋地域では、木製の平たい棍棒にサメの歯を並べて植えた剣が作られた。なお、純然たる木製の剣もアフリカ地方には存在している。これらも使いようによっては十分に致命的な威力をもつ武器である。

古代エジプト、紀元前18世紀頃のケペシュ
(ヨルダン川西岸地区のシェチェムで発見)。刀身はエレクトラムの象嵌で装飾されている。
古代エジプトでは紀元前二千年紀から緩やかに彎曲した内側に刃を持つ、内刃のケペシュと呼ばれる武器が使われていた。紀元前7世紀頃からはカルタゴなどのフェニキア人が、鎌のように彎曲する弧を描いた内刃を持つハルペー(ハルパー)と呼ばれる武器を使いだした。
青銅器時代から金属加工技術の冶金技術の発達により、刃の長い武器、すなわち剣が制作可能になった。同時に槍と斧に代わりに携帯しやすい接近戦武器として剣の需要が高まった。材料は銅や青銅が用いられていたが、鉄器時代に入ると鉄が用いられるようになり、やがて鉄を高温の炉で精錬した鋼が用いられるようになった。日本語の鋼の名が刃金(はがね)に由来する通り、鉄の中でも特に硬度の高い鋼は刀剣の製造に好んで用いられた。これは鋼の製造できる技術レベルを持つ文化圏では洋の東西を問わず、日本では玉鋼が刀剣の製造に主に用いられ、またインドで生産されたウーツ鋼は中東に輸出されて主にシリアのダマスカスで刀剣に加工され、ダマスカス鋼と呼ばれて高く評価された[68]。剣の製造に大量の金属素材が必要なために貴重品と思われ、装身具と工芸品としての性質もある。
銃器が発明された頃には、銃が先込め式で一発撃つと再装填に時間がかかるため、外した場合ほとんど無防備になるなど、信頼性を欠くことから、先込め銃と複合させた剣も一時期製造された。
なお、日本の剣の初見は日本書紀の「伊弉諾尊と十握剣」の神話である[69]。
象徴としての剣

剣「ラハイヤン」とアラビア語の信仰告白「アラーの他に神はなし。ムハンマドはアラーの使徒である」が描かれたサウジアラビアの国旗

剣が画かれたシティ・オブ・ロンドンの旗
剣は、神話や伝説中では魔法の力を持つなどとされて、名を残している剣も数多い。アーサー王伝説に登場するエクスカリバーや中世叙事詩『ローランの歌』に登場するデュランダルなどがあるとされている。
ズルフィカール - 正統カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブが使用した剣。イスラム圏では伝説の名剣とされる。
シュチェルビェツ - 「ぎざぎざのある剣」という意味で、ポーランド王国で、国王の戴冠式で使われた剣。
ティソーナ - スペインの英雄エル・シッドの使用した剣。
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ) - 八咫鏡・八尺瓊勾玉と共に、天皇の位を継ぐために必要な三種の神器の1つ。
七星剣 - 北斗七星が意匠された剣。
ラハイヤン - ワッハーブ王朝から現代のサウジアラビアに至るまで長年にわたりサウード家が継承してきた剣でサウジアラビア王国の国宝。国旗にも描かれている。
フィクションでの扱い
コンピュータゲーム、特にファンタジーや中世が舞台のロールプレイングゲームなどでは剣は最も登場頻度の高い武器であり、ゲーム内では最も優秀で一般的な主力近接武器として扱われがちである。実際の戦場ではハルバートなどの長柄武器の方が剣に比べてリーチや機能性といった点で圧倒しているため、決闘でもない限りほとんどの剣はサブウェポンの域を出ない[6](ただし、中世ヨーロッパや中世後期の日本などの治安の悪い地域では、平時あっても強盗や乱闘、護身などの日常の武器としてよく用いられ、貴族・民衆問わず携帯する者が多かった。[70][38][71][52])。ゲームによっては短剣、長剣、刀(日本刀)に分類され、それぞれに特徴的な性質を持たせる。非力な魔法使いは長剣や刀は使えないなど、キャラによっては扱える種類があるなどの設定を加えることもある。
主な剣の種類
ここでは、狭義の剣の種類を述べる。
短剣
日本には脇差という武器が存在したため、普通の刀の半分程度の長さの刀を短剣と呼ぶ。西洋では60cm程度未満の場合に「ナイフ」や「ダガー」と呼称され、短剣と訳されることが多い。
なお、ショートソードという区分も存在するが、これは多くの場合で歩兵が用いた通常の斬撃用の剣を指し、騎兵が馬上からの刺突用に用いた長いロングソードと対比するために後から付けられた名前とされている。つまり、ショートソードとロングソードは用途や形状による長剣の区別であり、そのためショートソードを短剣とするのは誤訳である。ロングソードを徒歩で使用することはなく、大型のショートソードが小型のロングソードよりも長大な刀身を持つこともありうる。短剣は高い携帯性・秘匿性から、おもな用途は護身用やサブウエポンであり、しばしば暗殺の道具としても用いられる。リーチが短いので振りが速く、咄嗟に刃を受け流すのが難しい。それ以外の使い方としては相手の武器を受け流す盾に近い使い方をするなどが挙げられる。
ジャマダハル(カタール)- ソードブレイカー
- ダガー
- マンゴーシュ
- スティレット
- ククリ
- トレンチナイフ
- クリス
- ジャンビーヤ
- カッツバルゲル
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- フランベルジェ
- ブロードソード
- ボアスピアソード
レイピア、エペ、エスパダ・ロペラ- ロングソード
- カンダ
- パタ
未分類
- マノープル
脚注
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^ 松代守弘; 桂令夫. 決定版 世界を変えた兵器・武器100. 学研.
^ 『世界文明における技術の千年史 「生存の技術」との対話に向けて』p137 アーノルド・パーシー 林武監訳、東玲子訳、新評論、2001年6月。ISBN 978-4-7948-0522-5
^ 神社本庁『神社有職故実』1951年7月15日発行全129頁中68頁
^ 長田龍太『中世ヨーロッパの武術』新紀元社、432ページ。
^ 清水克行『喧嘩両成敗の誕生』講談社選メチエ、2006年。
関連項目
鉄、鋼
- 武術 (曖昧さ回避)
- 剣術
- 剣道
銃剣(バヨネット)- 白兵戦