リヴァプールFC

























































リヴァプールFC
原語表記
Liverpool Football Club
愛称
The Reds(レッズ)
クラブカラー
    赤(レッド)
創設年
1892年
所属リーグ
プレミアリーグ
ホームタウン
リヴァプール
ホームスタジアム
Panorama of Anfield with new main stand (29676137824).jpgアンフィールド
収容人数
54,074
運営法人
フェンウェイ・スポーツ・グループ
代表者
アメリカ合衆国の旗 トム・ワーナー
監督
ドイツの旗 ユルゲン・クロップ
公式サイト
公式サイト



















ホームカラー














アウェイカラー














サードカラー



■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

リヴァプール・フットボール・クラブLiverpool Football Club)は、イングランド・リヴァプールをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。愛称は「レッズReds)」。


イングランド・マージーサイド州リヴァプール市、アンフィールドをホームとするクラブ。ホームスタジアムであるアンフィールドとライバルクラブのエヴァートンの関係から1892年に創設された。プレミアリーグ(当時はFAプレミアリーグ)発足に参加した22クラブのひとつ。


1960年代半ばから1980年代にかけて、3連覇(1981-82・1982-83・1983-84)達成を含むリーグ優勝13回、4回のUEFAチャンピオンズカップなど、40以上のタイトルを獲得したイングランドの古豪。特に、イングランドだけでなく欧州の舞台でも活躍した、1970年代以降の約20年については『黄金期』と称される一方、『ヘイゼルの悲劇』、『ヒルズボロの悲劇』という2つの悲劇を経験した、暗い過去を持つ(後述)。


2005年には通算5回目となるUEFAチャンピオンズリーグ(UEFAチャンピオンズカップを含む)制覇を果たし、ビッグ・イヤーの永久保持が認められた。


旧フットボールリーグ・ディヴィジョン1において、最多18回の優勝を誇る[1]。イングランドのトップリーグにおける最多優勝回数記録を長年にわたり保持していたが、2010-11のリーグ戦を制したマンチェスター・ユナイテッドFCに抜かれ、現在はそれに次ぐ優勝回数となっている[1]。なお、国内タイトルでは唯一、プレミアリーグ優勝の経験が未だない。


2012年には創設120周年を迎えた。クラブ史上、監督を務めたのは18人[2]。現在の監督は2015年10月に就任したユルゲン・クロップである[2]


サポーターソング「You'll never walk alone」を最初に合唱したサッカークラブである。


2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』の調査によると、2012-13シーズンのクラブ収入は2億4060万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では12位である[3]




目次






  • 1 歴史


    • 1.1 黎明期


    • 1.2 第二次世界大戦後


    • 1.3 シャンクリーによる改革


    • 1.4 絶頂期と2つの悲劇


    • 1.5 2000年代


    • 1.6 2010年代




  • 2 成績


  • 3 タイトル


    • 3.1 国内タイトル


    • 3.2 国際タイトル




  • 4 ダービーマッチ


  • 5 エンブレム


  • 6 スタジアム


  • 7 サポーター


  • 8 スポンサー


  • 9 現所属メンバー


    • 9.1 ローン移籍




  • 10 歴代所属選手


    • 10.1 出場試合数


    • 10.2 得点




  • 11 脚注


    • 11.1 注釈


    • 11.2 出典




  • 12 関連項目


    • 12.1 参考文献




  • 13 外部リンク





歴史



黎明期


1891年、アンフィールドのオーナーであったジョン・ホールディング(英語版)は、当時アンフィールドを本拠地として使用していたエヴァートンに対して施設使用料の値上げを要求したが、これを拒否したエヴァートンは現在のグディソン・パークへ移転した[4]。ホールディングはアンフィールドに新たなサッカークラブを設立することを決めた[5]。ホールディングは当初新たなクラブの名前をエヴァートンFC・アンド・アスレティック・グラウンズ・リミテッド(Everton E.C. and Athletic Grounds Ltd. 、略称:エヴァートン・アスレティック Everton Athletic)と定めたが、後に考えを改め、1892年3月15日にリヴァプールFCという全く新しい名前のクラブを創立した。そして同年9月1日に行われたロザラム・タウンFC(英語版)(後のロザラム・ユナイテッドFCの前身チームの一つとなった1899年設立の同名のクラブとは全く別のクラブである)との親善試合がリヴァプールFCとしての初めての試合となった[6]


1936年6月には、ジョージ・ケイが前任者ジョージ・パターソンに代わり、監督に就任した。サウサンプトンからの就任であった。就任後の12試合では3勝4分という成績であった。そして最初の1936-37シーズンは18位で終えた。次シーズンは開幕戦の相手の本拠地であるスタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦にて1-6で敗れた。そして1937-38シーズンは11位で終えた。


1938-39シーズン前に、ケイはボブ・ペイズリーをBishop Auckland F.C.から移籍金をかけずに獲得。また、ビリー・リッデルも獲得する。しかし、第二次世界大戦へと突入し、活動の停止を余儀なくされる。



第二次世界大戦後


第二次世界大戦後、アメリカ合衆国とカナダへの遠征を計画。この計画はケイの、気候などが全く異なる北米でプレーすることは選手に有益であるという考えに沿ったものであった。そして、1946-47シーズンに10試合の北米遠征が行われた。


1949-50シーズンにはFAカップで決勝に進出したが、アーセナルに敗れ[7]、初のFAカップ制覇を逃した。1951年にはジョージ・ケイが引退し、ドン・ウェルシュに引き継がれた。



シャンクリーによる改革




アンフィールド前に建つビル・シャンクリーの像


クラブが大きな変革の時を迎えたのは1950年代に入ってからになる。1954年に2部に降格し、数年にわたり2部で低迷していたが、1959年にビル・シャンクリーが監督として就任[8][9]。シャンクリーは監督に就任すると、低迷した空気を払拭すべく大きな改革に乗り出した。まず、ロジャー・ハントやイアン・キャラハンという、後にクラブ史を背負って立つことになる若手選手をデビューさせたほか[10][11]、ブートルームの改修などを行った。就任初年度での昇格は逃したものの、翌シーズンにはケビン・ルイス、ゴードン・ミルンを獲得しチーム力増強を図る。なかでもルイスはシーズン32得点を挙げる活躍を見せたがこのシーズンでも昇格を逃してしまう。翌1961-62シーズン、シャンクリーはクラブ史上最高額の移籍金でロン・イェーツ、イアン・セント・ジョンの2人を獲得[12]。就任3年目にしてようやく2部リーグを制し、昇格を決めた。久々の1部リーグとなった1962-63シーズンは出だしこそつまづくものの、途中13戦無敗などを記録し[13]、最終的には8位でシーズンを終えた。また、シーズン途中にウィリー・スティーブンソンを獲得している。翌シーズンに向けてクラブは夏にプレストン・ノース・エンドからピーター・トンプソンを獲得[14]。迎えた1963-64シーズンは、序盤は取りこぼしが目立ったが、10月頃から成績が安定し始め、1964年3月20日のボルトン戦から7連勝を飾り、本拠地アンフィールドにて1946-47シーズン以来となるトップリーグ優勝を果たし、クラブ史上初となるヨーロピアンカップへの出場権を手にする。ヨーロピアンカップでもクラブの躍進は止まらず、準決勝まで進んだ。準決勝では前年度覇者のインテルに敗れたものの、FAカップでは決勝でリーズを破って、クラブ史上初のFAカップ制覇を果たす。続く1965-66シーズンでは、前年度のFAカップ優勝で出場権を得たカップウィナーズカップへ出場し、準優勝。さらに再び国内リーグ戦を優勝する。そこから数シーズンはタイトルから離れるものの、その間にレイ・クレメンス、エムリン・ヒューズ、アレク・リンゼイ、ラリー・ロイド、スティーブ・ハイウェイ、ケビン・キーガン、ジョン・トシャックらを獲得し、チームの世代交代を果たす。それが実り、1972-73シーズンにはリーグ戦とUEFAカップの2冠を達成。翌73-74シーズンもリーグ戦こそ2位止まりとなったが、再びFAカップを優勝した。そして、このシーズン限りでビル・シャンクリーはクラブの監督を辞任することを発表した[15]



絶頂期と2つの悲劇



Kenny Dalglish in a white shirt, wearing sunglasses.


ケニー・ダルグリッシュは1978年のUEFAチャンピオンズカップ決勝戦にて決勝ゴールを挙げるなど選手して活躍したほか、監督としても活躍した。


1974年にシャンクリーが辞任すると、後任にはアシスタントコーチを務めていたボブ・ペイズリーが就任した。シャンクリーからチームを引き継いだペイズリーのもと、リヴァプールは国内、ヨーロッパを席巻し、絶頂期を迎える。ペイズリー体制下初めて迎えた1974-75シーズン、テリー・マクダーモットとフィル・ニールを獲得、国内リーグは2位、カップウィナーズカップは2回戦敗退で、初年度は無冠に終わったが、翌75-76シーズンはリーグ戦とUEFAカップの2冠を達成、さらに翌76-77シーズンは国内リーグ戦を連覇したほか、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズカップ制覇を達成。しかしこのシーズン限りでエースのケビン・キーガンが退団してしまう。クラブはキーガンの後釜にスコットランドのセルティックからケニー・ダルグリッシュを獲得した。1977-78シーズンはリーグ戦は2位止まりも、UEFAチャンピオンズカップ連覇を達成。また、1978年1月にはグレアム・スーネスを獲得している。翌78-79シーズン、アラン・ケネディを獲得し、再び国内リーグを優勝した。続く79-80シーズンは再びリーグ戦連覇を達成。オフシーズンにイアン・ラッシュを獲得し、迎えた80-81シーズンには3度目となるUEFAチャンピオンズカップ制覇を達成したほか、リーグカップを優勝し、カップ戦2冠を達成。また、シーズン中にブルース・グロベラーを獲得している。翌81-82シーズン、マーク・ローレンソン、スティーブ・ニコルを獲得し、リーグ戦を優勝し、リーグカップ連覇を達成。なお、1978年から1981年までの3年間、ホームスタジアムであるアンフィールドにて全てのリーグ戦・カップ戦含めて85試合連続で無敗だった。85試合中63試合はリーグ戦であり、63試合連続リーグ戦ホーム無敗記録を樹立した(このリーグ戦ホーム無敗記録は2007年にチェルシーによって破られている)。82-83シーズンにもリーグ戦とリーグカップを連覇したが、これを置き土産にボブ・ペイズリーは監督を辞任することを発表した。後任にはアシスタントコーチを務めていたジョー・フェイガンが就任。リーグ連覇中の絶頂期のチームを引き継いだフェイガンだったが、フェイガン体制でもリヴァプールの強さが揺らぐことはなく1983-84シーズンもリーグ戦とリーグカップの連覇を達成し、リーグ戦はクラブ史上初となる3連覇、リーグカップは4連覇となっていた。しかし、1984-85シーズンでのチャンピオンズカップの決勝ユヴェントス戦で『ヘイゼルの悲劇』[16](1985年) が起きる。これによりイングランドのクラブは国際試合から無期限に締め出され(後にリヴァプールは7年、他クラブは5年となる)、リーグの力の相対的な地盤沈下をもたらした。この事件の責任を感じたフェイガンは監督を辞任、後任には選手兼任監督としてケニー・ダルグリッシュが急遽後を引き継いだ。ダルグリッシュ体制でも3度のリーグ優勝、2度のFAカップ優勝を果たしたとはいえ、1988-89シーズンに起きた『ヒルズボロの悲劇』[17] (1989年) によってリヴァプールの勢いは大きく落ち込むこととなった。90年代に入るとやや低迷した。処分が解けた後も国際タイトルには手が届かずリーグでは依然として上位の常連であり続けたが、優勝から遠ざかった。現在に至るまで1989-90シーズンのディヴィジョン1制覇が最後のリーグ制覇であり、プレミアリーグ移行後は優勝経験がない。



2000年代


新世紀以降は、国際試合での活躍が目立ち、「ヘイゼルの悲劇」の後遺症は完全に過去のものとなった。しかし、依然としてプレミアリーグでは優勝していない。


2000-01シーズンにはFAカップ、リーグカップ、UEFAカップを制して3冠を達成した[18]。なお、1983-84シーズンにもリーグ、リーグカップ、UEFAチャンピオンズカップの組み合わせで3冠を達成している。


2004-05シーズン

シーズン開幕前にラファエル・ベニテスが監督に就任すると、ルイス・ガルシア、シャビ・アロンソなどリーガ・エスパニョーラの選手を獲得し、積極的に登用し始める。一方、エースのマイケル・オーウェンをレアル・マドリードへ放出した[19]。チャンピオンズリーグではユヴェントス、チェルシーらの強豪を破り、決勝進出を果たす。決勝のACミラン戦において、前半終了時0-3のビハインドから、後半の6分間にジェラード、スミチェル、アロンソが立て続けに得点し、同点に持ち込んだ。そして、PK戦でACミランを下し、21年ぶりの欧州一の称号を手にした[20][注 1]。この試合はイスタンブールの奇跡と呼ばれるようになる。また、UEFAチャンピオンズカップとUEFAチャンピオンズリーグの合計優勝回数が5回となり、5チーム目となる優勝カップの永久保持が認められたクラブとなった。


2005-06シーズン

2005-06シーズンの夏、前シーズンがプレミアリーグ5位であったため[注 2]、チャンピオンズリーグの出場権は逃していたが、タイトル防衛の機会が与えられるべきという意見から特例で予備予選1回戦からの出場が認められた[注 3]。2006-07シーズン以降は、前大会優勝チームはグループリーグにシード出場できるというルールが設けられた。


2005年12月、新設されたFIFAクラブ世界選手権2005出場のため来日。12月15日に行われた準決勝で北中米・カリブ海王者デポルティーボ・サプリサに3-0で勝利し決勝戦進出。12月18日の決勝戦では、南米王者サンパウロFCと戦い、接戦の末0-1で敗れ準優勝[21]


2006年のFAカップ決勝戦では、ウェストハムと対戦。三度先攻を許すも、後半終了間際のジェラードのミドルシュートが決まるなど、三度追いついた。その後の延長戦でも決着がつかず、PK戦の末、同大会で5年ぶりの優勝を決めた[22]


2006-07シーズン

2006-07シーズンはチャンピオンズリーグで決勝進出を果たした。対戦相手は2004-05シーズンと同じACミランであったが、この時ばがりは奇跡は起きず試合は1-2で敗れ、ACミランに2年前の雪辱を許す形になった[23]


2007-08シーズン

2007-08シーズンは夏期移籍期間にフェルナンド・トーレスを獲得[24]。シーズン開幕前には懐疑的な意見も聞かれたが、ルート・ファン・ニステルローイが保持していたプレミアリーグ初年度の得点記録を塗り替えた。チャンピオンズリーグはここ数シーズンと同様に、準決勝まで進出した。準決勝でチェルシーに2戦合計3-4で敗れ、敗退した[25]


2008-09シーズン

夏の移籍市場ではトッテナムから2030万ポンド (約41億円) でロビー・キーンを獲得[26]。また、在籍年数の長かったヨン・アルネ・リーセやスティーヴ・フィナン、ピーター・クラウチ、ハリー・キューウェルなどを放出し[27][28][29][30]、チームの顔ぶれを刷新した。マンチェスター・ユナイテッドと熾烈な優勝争いを演じるも、2位に終わった。


2009-10シーズン

中心選手であったシャビ・アロンソ、アルバロ・アルベロアを放出した。
中盤で攻撃を組み立てていたアロンソを放出したため、中盤の展開力不足、ジェラードとフェルナンド・トーレスへの依存度が更に高まるなどチームが機能せず最終的に7位で終了した。この結果BIG4時代が終焉した。
シーズン終了後、成績不振を理由に双方の合意の元ベニテス監督との契約を解除した。後任は同シーズンフラムをUEFAヨーロッパリーグ準優勝に導いたロイ・ホジソンとなった。イングランド人監督が就任したことやプレミアリーグの規定変更などもあり、チームはイングランド化が進んだ。



2010年代


2010年4月16日(現地日時)、共にアメリカ人で共同オーナーを務めるジョージ・ジレットとトム・ヒックスは新会長の就任発表と同時にクラブを売りに出したことを発表した。ジレットとヒックスは2007年にクラブを買収したが経営に失敗し資金繰りが悪化、英メディアによれば負債は売却発表時点で2億3700ポンド(発表時点で約335億円)に上る。これまでも中東の富豪との売却交渉などが報じられていたが、売却に向けての初めての正式発表となった。発表によれば、新会長マーティン・ブロートン(ブリティッシュ・エアウェイズ会長)がバークレイズ・キャピタルの支援を受け売却交渉を主導する。[31]
なかなか売却交渉に進展がなかったが、10月15日の負債返済期限を前にしてヒックス、ジレットの両人による反発に遭い裁判にもつれながらもNESV(ニューイングランド・スポーツ・ベンチャーズ)によって約3億£で買収された。11月にはフロント改革の一環としてトッテナム元SDのダミアン・コモリをFD(フットボールディレクター)として招聘した。


2010-11シーズン

ハビエル・マスチェラーノやヨッシ・ベナユン、アルベルト・リエラ、ジエゴ・カバリエリらを放出したが、資金不足によりラウル・メイレレス(FCポルト)やジョー・コール(チェルシー)、クリスティアン・ポウルセン(ユベントス)、ミラン・ヨヴァノヴィッチ(スタンダール・リエージュ)、ジョンジョ・シェルヴェイ(チャールトン)、ダニー・ウィルソン(レンジャーズ)、ポール・コンチェスキー(フラム)、ブラッドリー・ジョーンズ(ミドルズブラFC)などの獲得に留まり満足な補強ができず一時は降格圏にまで転落するなど低迷、上記買収後も調子が上がらずホジソンは解任された。
後任には暫定監督としてクラブのレジェンド、ケニー・ダルグリッシュが就任。フェルナンド・トーレスをチェルシーに英国史上最高額推定5000万£で放出し、アンディ・キャロルをトーレスの移籍金に次ぐ3500万£、ルイス・スアレスを2280万£で獲得するなどチームを立て直し、最終的に6位で終えた。しかし、他のリーグであれば6位の場合はUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられるが、5位のトッテナムと共に出場権を獲得したのがFAカップ決勝に進み準優勝だったストーク[32]、プレミアリーグがフェアプレーランキングで上位に入った事による恩恵を受けたフルハム。カーリングカップの決勝に進んだアーセナルが4位でフィニッシュしており、アーセナルが優勝すればヨーロッパリーグの出場権を獲得出来たが、そのアーセナルがバーミンガム・シティに敗れ、18位で降格したにも関わらずバーミンガム・シティがヨーロッパリーグの出場権を獲得し、1999-2000シーズン以来12年ぶりにヨーロッパカップ戦の出場を逃した。


2011-12シーズン

ポール・コンチェスキーをレスター・シティ、ミラン・ヨヴァノヴィッチをRSCアンデルレヒト、クリスティアン・ポウルセンをエヴィアン・トノン・ガイヤールFC、ラウル・メイレレスをチェルシーFC、ナビル・エル・ザールをレバンテUD、エミリアーノ・インスアをスポルティング・リスボン、ダビド・ヌゴグをボルトン・ワンダラーズFC、ソティリオス・キルギアコスをVfLヴォルフスブルクへと完全移籍で放出し、ジョー・コールをLOSCリール・メトロポール、アルベルト・アクィラーニをACミラン、ダニエル・パチェコをアトレティコ・マドリードへレンタルで放出するなどした。夏の移籍市場では積極的な投資が行われ、ホセ・エンリケ、ドニ、セバスティアン・コアテスを獲得しただけでなく、ジョーダン・ヘンダーソン、チャーリー・アダム、スチュワート・ダウニング、クレイグ・ベラミーといった英国人も多く獲得し、総額5500万£を投じた。カーリングカップでは準決勝でマンチェスター・シティを下し決勝進出。決勝ではカーディフをPK戦の末に破り2005-06のFAカップ以来となるタイトル獲得となった。FAカップでも決勝進出を果たすなど、カップ戦では結果を残したが、リーグ戦ではアンフィールドでクラブ史上2番目に悪い6勝止まり[33]と(9分け4敗)得意である筈のホームで勝てず、8位と大規模投資(1億£)にあった結果とは言えず、シーズン終了後にダルグリッシュは契約解消という形で退任した。2012年6月、スウォンジー監督のブレンダン・ロジャースの就任を発表[2]


2012-13シーズン

夏の移籍市場ではアルベルト・アクィラーニをフィオレンティーナ、チャーリー・アダムをストーク、クレイグ・ベラミーをカーディフ、マキシ・ロドリゲスをニューウェルズ、ディルク・カイトをフェネルバフチェSK、ファビオ・アウレリオをグレミオへと完全移籍で放出し、アンディ・キャロルをウェストハム・ユナイテッドへとローンで放出した。補強面ではレアル・マドリーからヌリ・シャヒンをローンで獲得し、ASローマからファビオ・ボリーニ、ヘーレンフェーンからウサマ・アサイディ、スウォンジ・シティからロジャースのかつての教え子であるジョー・アレンらを獲得するも、カップ戦で無冠、前年のリーグカップ優勝によって出場したUEFAヨーロッパリーグもゼニト・サンクトペテルブルクにアウェーゴール差で敗れベスト32で姿を消した。リーグでは冬にはジョー・コールをウェストハム・ユナイテッドへ完全移籍で放出し、チェルシーからダニエル・スターリッジや、インテルからフィリペ・コウチーニョを獲得し、31節から最終節まで8戦連続無敗で巻き返したものの、上位6チーム(マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナル、トッテナム、エヴァートン)相手に1勝しか挙げられず[34]、7位に終わった。ジェイミー・キャラガーがこのシーズンを持っての引退を表明した。


2013-14シーズン

2011-12以来となるヨーロッパカップ戦出場を逃したシーズン。移籍市場ではFWアンディ・キャロルとMFスチュワート・ダウニングをウェストハム・ユナイテッド、MFジョンジョ・シェルヴェイをスウォンジ・シティ、MFジェイ・スピアリングをボルトン・ワンダラーズFC、MF、FWダニエル・パチェコをADアルコルコン、DFダニー・ウィルソンをハーツへと放出し、GKホセ・マヌエル・レイナ、MFスソ、FWファビオ・ボリーニ、MFウサマ・アサイディらをレンタルで放出した一方、サンダーランドからシモン・ミニョレ、マンチェスター・シティからコロ・トゥーレ、PSGからママドゥ・サコー、バレンシアCFからアリ・シソコ、チェルシーからビクター・モーゼス、セルタからイアゴ・アスパス、セビージャからルイス・アルベルト、スポルティングCPからチアゴ・イロリを獲得。リーグ戦では31ゴールを決めた得点王スアレスとそれに次ぐ21ゴールをあげたスターリッジの2トップ(SASコンビ)が2人だけで52ゴールを奪い、ジェラードがロジャースによってアンカーのポジションにコンバートされ、アレンとヘンダーソンとの3ボランチコンビを形成した。2014年4月13日のマンチェスター・シティをホームで破った試合も含めて11連勝を飾り、終盤戦まで優勝争いをしたが12連勝目を目指したチェルシー戦を落とし、クリスタルパレス戦では後半10分までに3-0としながらも34分から9分間で3失点を喫し、引き分けに持ち込まれドロー。結局最後の3試合は勝ち点4しか稼げず惜しくも2位に終わった。2009-10シーズン以来4シーズンぶりにチャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、トップ4(シティ、チェルシー、アーセナル)の中では最も多い50失点を喫し、最少失点だったチェルシー(27失点)より倍近く失点を喫したり、トップ4に入った3チームのアウェーゲームを全て落とす等詰めの甘さも露呈した[35]。FAカップは優勝したアーセナルに5回戦で、キャピタル・ワン・カップはマンチェスター・ユナイテッドに3回戦で敗退。無冠でシーズンを終えた。


2014-15シーズン



17年間チームの中心選手であったジェラードが退団した。


昨シーズンの得点王であったルイス・スアレスがFCバルセロナに移籍した。他にもイアゴ・アスパス、ルイス・アルベルト、チアゴ・イロリ、セバスティアン・コアテスら余剰戦力をレンタルで移籍させ、ホセ・マヌエル・レイナをFCバイエルン・ミュンヘン、マーティン・ケリーをクリスタル・パレスFC、ダニエル・アッガーをブレンビーIFへと完全移籍で放出した。ビクター・モーゼス、アリ・シソコはレンタルバックした。それらの移籍金も使い、サウサンプトンからデヤン・ロヴレンとアダム・ララーナ、リッキー・ランバート、ACミランからマリオ・バロテッリ、バイヤー・レヴァークーゼンからエムレ・ジャン、SLベンフィカからラザル・マルコヴィッチ、セビージャFCからアルベルト・モレノ、アトレティコ・マドリードからハビエル・マンキージョと計8人を獲得し合計1億1700万£を投じたが、スアレスの穴を埋めることはできず、リーグ戦では前年21ゴールを挙げたスターリッジの故障で攻撃陣が振るわず前半戦は8位で折り返した。冬の移籍市場ではウサマ・アサイディとスソを放出した。2015年1月2日、これまでリヴァプール一筋でプレーし、2003年からキャプテンも務めて数々のタイトルを獲得してきたスティーヴン・ジェラードが、2014-15シーズン終了後に退団する事を発表。17節のアーセナル戦から29節のスウォンジー戦まで13戦無敗を記録するも、30節以降の9試合は勝ち点を8しか稼げず、18勝8分12敗の6位でシーズンを終えた。5年ぶりに参戦したUEFAチャンピオンズリーグは前回王者のレアル・マドリードに2連敗を喫する等、初戦のルドゴレツ戦(アンフィールド)以外は勝ち点3を取れず、グループリーグを3位で終え敗退し、続くUEFAヨーロッパリーグもベシクタシュJKと対戦し、1st legこそバロテッリのPKを守りきり勝利したものの、2nd legを0-1で落とし結局PK戦で敗れ、ベスト32で姿を消した。フットボールリーグカップとFAカップ2つのカップ戦で準決勝に進むが、共に決勝進出はならなかった。


2015-16シーズン

マンチェスター・シティにMFのラヒーム・スターリングを当時の英国人の移籍金史上2位となる4900万£で売却した。[36]他にもFWリッキー・ランバートをウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC[37]、DFグレン・ジョンソンをストーク・シティFC[38]、FWファビオ・ボリーニをサンダーランドAFC[39]、DFセバスティアン・コアテスをサンダーランドAFC[40]、FWイアゴ・アスパスをセビージャFCに完全移籍で放出し[41]、FWマリオ・バロテッリやFWラザル・マルコヴィッチをローンで放出した。[42][43]その移籍金も使いながら補強面ではマンチェスター・シティからジェイムズ・ミルナー[44]、サウサンプトンからナサニエル・クライン[45]、バーンリーからダニー・イングス[46]、チャールトンからジョー・ゴメス[47]、ボルトンからボグダーン・アーダーム[48]、ホッフェンハイムからロベルト・フィルミーノ[49]、アストン・ヴィラFCからクリスティアン・ベンテケ[50]、そして前年度にすでに加入が決まっていたディヴォック・オリジをLOSCリール・メトロポールから獲得する[51]など計8人を補強。しかし、第8節を終えた時点で3勝3敗2分の10位と苦戦し、10月3日に2012年から指揮を執っていたブレンダン・ロジャーズ監督を解任。10月8日に、ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントで一時代を築いたユルゲン・クロップを新監督に招聘した。クロップ監督の戦術の代名詞とも言える「ゲーゲンプレス」がチームに染み渡ったこともあり、初陣となったトッテナム・ホットスパー戦ではスプリント回数614回、走行距離116kmとらしさを発揮した。[52]リーグカップのAFCボーンマス戦で新体制初勝利を飾り、リーグ戦第11節のチェルシー戦ではコウチーニョの2ゴールもありリーグ戦初勝利を飾った。その後もマンチェスター・シティやレスター・シティなどの上位チームには勝利を挙げるものの、クリスタル・パレスやニューカッスルなど下位のチームに敗戦し苦しめられた。[53]冬の移籍市場では既存DFの身長の低さに不満を訴えていたクロップ監督の意向によりスティーヴン・コーカーを獲得。FCジロンダン・ボルドーらを抑えグループ首位通過したUEFAヨーロッパリーグにおいてはマンチェスター・ユナイテッドをベスト16で下し、さらにクロップ監督の古巣であるボルシア・ドルトムントとのベスト8の対戦では、後半12分にマルコ・ロイスにゴールを許し2戦合計1-3とされるもそこからコウチーニョ、サコー、ロヴレンが立て続けにゴールを挙げ2戦合計4-3で逆転勝利を飾った。[54]ベスト4でもビジャレアルCFを2戦合計3-1で下し決勝へ駒を進めた。[55]決勝ではダニエル・スターリッジが先制ゴールを挙げるも、後半に3点を奪われ1-3でセビージャFCに敗れ準優勝に終わった。[56]フットボールリーグカップにおいてもマンチェスター・シティに敗れ準優勝に終わった。リーグ戦では8位でシーズンを終え、ヨーロッパカップ戦への出場を逃した。


2016-17シーズン

クロップ体制2年目。マルティン・シュクルテルをフェネルバフチェSK、ジョーダン・アイブをAFCボーンマス、ホセ・エンリケをレアル・サラゴサ、クリスティアン・ベンテケをクリスタル・パレスFC、ジョー・アレンをストーク・シティFC、マリオ・バロテッリをOGCニース、コロ・トゥーレをセルティックFC、ルイス・アルベルトをSSラツィオへと放出し、クロップ監督の元で出場機会をあまり得られなかった選手およびローン生活を繰り返していた選手達を整理した他、ジョーダン・ロシターやブラッド・スミスやジョアン・カルロス・テイシェイラ、ジェローム・シンクレアといったアカデミーの選手も完全移籍で放出した。[57][58][59][60][61][62][63][64][65][66][67]またラザル・マルコヴィッチやダニー・ウォード、ジョン・フラナガンらをローンで放出している。[68][69][70]補強面ではサウサンプトンFCからセネガル代表であるサディオ・マネ、ニューカッスル・ユナイテッドFCからオランダ代表のジョルジニオ・ワイナルドゥム、シャルケ04からジョエル・マティプ、マインツからロリス・カリウス、アウクスブルクからラグナル・クラヴァンとアレクサンダー・マニンガーを獲得。[71][72][73][74][75][76]ベンテケやアレン、アイブの移籍金が高かったこともあり売却額が補強額を上回った。開幕戦でアーセナルをアウェイで下すと、第5節にはチェルシーもアウェイで撃破。第11節終了時には首位に躍り出る。その後も好調を継続し、前半戦を13勝4分2敗の2位で終える。しかし、1月にアフリカネイションズカップの影響でマネが離脱。得点王を欠いたチームは失速してしまい、リーグ戦でスウォンジー、フットボールリーグカップでサウサンプトン、FAカップではウルヴァーハンプトンにアンフィールドで2012年10月以来の3連敗。すべてのタイトルの可能性が消滅、1月を1勝4分4敗の成績で終えた。第26節終了時には一時チャンピオンズリーグ圏外となる5位まで順位を落とすが、第27節にアンフィールドでアーセナルを下しシーズンダブルを達成するなど3位に再浮上。シーズン終盤にアーセナルに追い上げられるが、第37節では公式戦5試合勝ちなしと苦手にしていたウェストハムをコウチーニョの2G1Aの活躍などでアウェイで下す。最終節のミドルズブラFC戦も3-0で勝利。4位でシーズンを終え、チャンピオンズリーグ出場権を獲得した。またGKであるマニンガーがこのシーズン限りでの引退を発表した。


2017-18シーズン

クロップ体制3年目。移籍市場ではチェルシーからU-20イングランド代表FWのドミニク・ソランケ、ASローマからエジプト代表FWであるモハメド・サラー、ハル・シティからスコットランド代表DFアンドリュー・ロバートソン、アーセナルからイングランド代表MFのアレックス・オックスレイド=チェンバレンを獲得。
[77][78][79][80]一方で10年間チームに在籍したMFルーカス・レイヴァがラツィオに移籍した。[81]他にもアンドレ・ウィズダムをダービー・カウンティ[82]、ケビン・スチュワートをハル・シティに[83]、ママドゥ・サコーをクリスタル・パレスFCにそれぞれ完全移籍で放出し[84]、ディヴォック・オリジをVfLヴォルフスブルクにレンタル移籍させた[85]。開幕戦をワトフォードFC相手に3失点で引き分け、その後も第4節マンチェスター・シティ戦で0-5、第9節トッテナム・ホットスパー戦で1-4で敗れると9位に転落。随所で守備の脆さを露呈した。冬の移籍マーケットでFCバルセロナにエースのコウチーニョを移籍金約218億円で放出し[86]、サウサンプトンFCからフィルジル・ファン・ダイクをDF史上最高額の約114億円で獲得[87]すると徐々に守備が安定した。コウチーニョはそれまで3トップの一角を担っていたが、サラーの獲得によりポジションを1つ下げて出場する試合が増え、それが守備力低下の一因のなっていた面もあった。シーズン序盤からサディオ・マネ、ロベルト・フィルミーノ、モハメド・サラーで形成してきた3トップも、試合を重ねるごとに成熟度を増し、オフェンス面はカウンター攻撃、ディフェンス面ではゲーゲンプレスで相手の脅威となった。これらの要因でシーズン中盤からは盛り返し、23節終了時に3位まで浮上したが、シーズン終盤で怪我人や過密日程によるターンオーバーも影響して勝ち点の取りこぼしが増え、最終的には4位でフィニッシュした。サラーが32得点で得点王となり、1995-1996シーズンにアラン・シアラーが31得点で樹立したプレミアリーグの1シーズンの得点記録を22年ぶりに更新した。チャンピオンズリーグでは8月に行われたプレーオフで1899ホッフェンハイムを2戦合計6-3で破ると、本選はグループEに入りセビージャFC、スパルタク・モスクワ、NKマリボルと対峙、第3節ではマリボルをに7-0で大勝するなどして3勝3分で危なげなく首位突破した。チャンピオンズリーグにて決勝トーナメントに進出したのは2008-2009シーズン以来9年ぶり。その後FCポルトを2戦合計5-0、マンチェスター・シティを5-1、ASローマを7-6で順に破り、2006-2007シーズン以来11年ぶりの決勝進出を果たす。決勝ではレアル・マドリードとビッグイヤーを賭けて対戦するが、好調だったアレックス・オックスレイド=チェンバレンを怪我で欠いた上にエースのサラーが前半で負傷交代、ロリス・カリウスの後半の2つのミスなどで1-3で敗れ準優勝となる。リーグカップは3回戦でレスター・シティに、FAカップは4回戦でWBAに敗れ、シーズン無冠に終わる。


2018-19シーズン

プレミアリーグの規定変更により、このシーズンは選手の獲得が開幕前の8月9日で締め切られることになったが、リヴァプールはRBライプツィヒより前年に獲得が決まっていたMFナビ・ケイタ[88]、ASモナコからはMFファビーニョ[89]、2部降格のストーク・シティFCからMFジェルダン・シャチリ[90]、ASローマからGKアリソン・ベッカー[91]の4名を移籍金合計約250億円で獲得し、大型補強を敢行した[92]。更に1月にWBAへレンタル移籍していたダニエル・スタリッジ、同じくVfLヴォルフスブルクへのレンタル移籍からディヴォック・オリジの2名が戻り、プレシーズンマッチからチームに復帰した。一方でエムレ・ジャンは6月に退団後フリーでユヴェントスへ移籍[93]。ジョン・フラナガンをスティーブン・ジェラードが新監督を務めるレンジャーズFCへ[94]、ジョーダン・ウィリアムスはロッチデールAFC[95]、ダニー・ウォードはレスター・シティ[96]、ラグナル・クラヴァンをカリアリ[97]へそれぞれ完全移籍で放出した。ダニー・イングスは当該シーズンはレンタル移籍の契約だが、その後2019年7月に完全移籍に切り替わる契約でサウサンプトンFCへ移籍した[98]。さらに前シーズン途中から正GKを務めたロリス・カリウスもベシクタシュJKへ2年間のローン移籍が決定[99]。懸案だったGKを補強したチームは守備が安定し、序盤は得点力不足に陥ったものの無敗かつ失点は7という好成績でリーグ戦を折り返した。



成績




タイトル



国内タイトル



  • リーグ:18回Premier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.png
    • 1900-1901, 1905-1906, 1921-1922, 1922-1923, 1946-1947, 1963-1964, 1965-1966, 1972-1973, 1975-1976, 1976-1977, 1978-1979, 1979-1980, 1981-1982, 1982-1983, 1983-1984, 1985-1986, 1987-1988, 1989-1990



  • FAカップ:7回FA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.png
    • 1964-1965, 1973-1974, 1985-1986, 1988-1989, 1991-1992, 2000-2001, 2005-2006



  • リーグカップ:8回Carling.pngCarling.pngCarling.pngCarling.pngCarling.pngCarling.pngCarling.pngCarling.png
    • 1980-1981, 1981-1982, 1982-1983, 1983-1984, 1994-1995, 2000-2001, 2002-2003, 2011-2012



  • コミュニティーシールド:15回CommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.png
    • 1964*, 1965*, 1966, 1974, 1976, 1977*, 1979, 1980, 1982, 1986*, 1988, 1989, 1990*, 2001, 2006 (*印はタイトル共有)



  • スーパーカップ:1回
    • 1986



国際タイトル


2008年10月5日現在[100]



  • UEFAチャンピオンズリーグ[注 4]:5回 Coppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.png
    • 1976-1977, 1977-1978, 1980-1981, 1983-1984, 2004-2005



  • UEFAカップ:3回 UEFA Cup (adjusted).pngUEFA Cup (adjusted).pngUEFA Cup (adjusted).png
    • 1972-1973, 1975-1976, 2000-2001



  • UEFAスーパーカップ:3回UEFA - Super Cup.pngUEFA - Super Cup.pngUEFA - Super Cup.png
    • 1977, 2001, 2005



ダービーマッチ


同じリヴァプールに本拠を置くエヴァートンFCとはライバル関係にある。両クラブの試合は『マージーサイド・ダービー』と呼ばれ、マンチェスター・ダービー、ノース・ロンドン・ダービー、タイン・ウェア・ダービーなどと並びイングランドでも最も盛り上がるダービーマッチの一つである。


また、マンチェスター・ユナイテッドFCとは昔からライバル関係にあり、ノースウェスト・ダービーやイングランド・ダービーと呼ばれる「伝統の一戦」として毎回白熱した試合を繰り広げる。
イングランドサッカーを引っ張るチーム同士の対戦なので、サポーターは試合前から相手チームを罵る歌を歌い、士気を高めている。
選手同士もこの試合に関してはとても熱く、過去にはリオ・ファーディナンドとピーター・クラウチの乱闘寸前劇や、ガリー・ネヴィルのリヴァプールファンへの挑発などが見られた。また、リヴァプール出身でライバルのエヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したウェイン・ルーニーへのブーイングなども見られ、毎回好ゲームが多い。


2004年にラファエル・ベニテスが監督に就任してのち、リーグ戦でマンチェスター・ユナイテッドに勝利を挙げたことがなかったが[101]、2008-2009シーズン第4節ではホームで逆転勝利を挙げ[102]アウェイでも快勝した。



エンブレム




ロイヤル・リヴァー・ビルディング時計台


リヴァプールFCのエンブレム[103]には、アンフィールドのシャンクリー・ゲートの門飾りや、サポーターのアンセムともなっている"You'll never walk alone"の文字、リヴァプール市の象徴ともなっている鳥「ライヴァー・バード」(Liver Bird)などが用いられている[104]


ライヴァー・バードの左右にある炎は、サッカー史に残る惨事と言われる『ヒルズボロの悲劇』への追悼の意を表している。片方の炎は[105]『ヘイゼルの悲劇』への追悼の意を表していると誤認識されることがあるが実際は異なる。また、ライヴァー・バードはリヴァプール市内のピア・ヘッドに位置するロイヤル・リヴァー・ビルディングの二つの時計台上部にある鳥をモチーフにしている。このライヴァー・バードはリヴァプールの船乗り達の守り神である。



スタジアム







アンフィールドのグラウンド


リヴァプールFCはアンフィールドというホームスタジアムを持つ。前述の通り、元々はエヴァートンFCのホームスタジアムであった。


アンフィールドは、アーチボルド・リーチ(Archibald Leitch)という建築技師によって設計された[106]


リヴァプールのウエスト・ダービーと呼ばれる地区に建つメルウッドは、リヴァプールFCのトレーニンググラウンドである[107]。同じリヴァプールのカービーに建つリヴァプールFCアカデミーとは異なる。メルウッドは1950年代からウエスト・ダービーに建つ。



サポーター





コップスタンド




シャンクリー・ゲート


リヴァプールFCは多くのサポーターを持つ。サポーターはアンフィールドの"Kop"と呼ばれるスタンドで応援し、自身をKopitesと呼ぶ。


サポーターは、試合開始前や試合終了直前に「You'll Never Walk Alone」(君は決して一人ではない。チームに関わる者、サポーターの我々は決して一人ではない、共に歩もう)という曲を歌う。この曲は元々リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世がミュージカル『回転木馬』の為に書いた曲であるが、1960年代初頭に「マージービート」と呼ばれた一連のポップ音楽の系譜に連なるバンド・ジェリー&ザ・ペースメーカーズが録音し、イギリス・ヒットチャートの1位を獲得することになった。その直後からこの曲はリヴァプールサポーターの愛唱曲となり、現在に至っている。その後この曲はセルティック、アイルランド代表、イプスウィッチ・タウン、SKラピード・ウィーン、フェイエノールト、アヤックス、ベンフィカ、ドルトムント、FC東京などのサポーターにも歌われるようになった。また、2011年に発生した東日本大震災直後に行われたリヴァプールの試合では、被災地である日本に向けて、「You'll Never Walk Alone」とスローガンを掲げて歌いメッセージを送った。


著名人のサポーターには、ビートルズのメンバーのうち、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの3人(なお、ポール・マッカートニーはエヴァートンファンである)、ダニエル・クレイグ(映画俳優、6代目ジェームス・ボンド役)、キャロライン・ウォズニアッキ(テニス選手)、ダレン・ティル(格闘家)、ミリー・ボビー・ブラウン(女優)、アダム・ウッドイヤット(俳優)、アンジェリーナ・ジョリー(女優)、ブラッド・ピット(俳優)、クライヴ・オーウェン(俳優)、ドクター・ドレー(ラッパー/音楽プロデューサー)、ゲイリー・バーロウ(歌手)、ジョン・ビショップ(コメディアン)、キム・キャトラル(女優)、ラナ・デル・レイ(歌手)、レブロン・ジェームズ(バスケットボール選手)、リーアム・ニーソン(俳優)、メラニー・チズム(歌手)、マイク・マイヤーズ(俳優)、レベッカ・ファーガソン(歌手)、スティーヴン・グレアム(俳優)[108]、Suchmosボーカルの河西洋介(YONCE)などがいる[109]



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メインスポンサー






































企業名
本社所在地
使用開始シーズン
使用終了シーズン

日立

日本の旗 東京
1972-1973
1981-1982
Crown Paints

イングランドの旗 ランカシャー州ダーウェン
1982-1983
1987-1988

Candy

イタリアの旗 ブルゲーリオ
1988-1989
1991-1992

Carlsberg

デンマークの旗 コペンハーゲン
1992-1993
2009-2010

Standard Chartered Bank

イングランドの旗 ロンドン
2010-2011



現所属メンバー


2018-19シーズン 開幕戦フォーメーション


Soccer Field Transparant.svg


アリソン
# 13

アーノルド
# 66

ゴメス
# 12

ファン・ダイク
# 4

ロバートソン
# 26

ワイナルドゥム
# 5

ミルナー
# 7

ナビ・ケイタ
# 8

マネ
# 10

サラー
# 11

フィルミーノ
# 9


2018年8月31日現在




















































































































No.

Pos.
選手名
2

イングランドの旗

DF

ナサニエル・クライン
3

ブラジルの旗

MF

ファビーニョ ★
4

オランダの旗

DF

フィルジル・ファン・ダイク (Flag of Suriname.svg)
5

オランダの旗

MF

ジョルジニオ・ワイナルドゥム (Flag of Suriname.svg)
6

クロアチアの旗

DF

デヤン・ロヴレン
7

イングランドの旗

MF

ジェイムズ・ミルナー (副主将)
8

ギニアの旗

MF

ナビ・ケイタ ★
9

ブラジルの旗

FW

ロベルト・フィルミーノ ★
10

セネガルの旗

FW

サディオ・マネ ★
11

エジプトの旗

FW

モハメド・サラー ★
12

イングランドの旗

DF

ジョー・ゴメス (Flag of The Gambia.svg)
13

ブラジルの旗

GK

アリソン・ベッカー (Flag of Germany.svg)
14

イングランドの旗

MF

ジョーダン・ヘンダーソン (Captain sports.svg)
15

イングランドの旗

FW

ダニエル・スタリッジ
18

スペインの旗

DF

アルベルト・モレノ
20

イングランドの旗

MF

アダム・ララーナ
21

イングランドの旗

MF

アレックス・オックスレイド=チェンバレン










































































































No.

Pos.
選手名
22

ベルギーの旗

GK

シモン・ミニョレ
23

スイスの旗

MF

ジェルダン・シャチリ (Flag of Kosovo.svg)(Flag of Albania.svg)
24

イングランドの旗

FW

リアン・ブリュースター
26

スコットランドの旗

DF

アンドリュー・ロバートソン
27

ベルギーの旗

FW

ディヴォック・オリジ (Flag of Kenya.svg)
29

イングランドの旗

FW

ドミニク・ソランケ (Flag of Nigeria.svg)
32

カメルーンの旗

DF

ジョエル・マティプ (Flag of Germany.svg)
47

イングランドの旗

DF

ナサニエル・フィリップス
48

イングランドの旗

MF

カーティス・ジョーンズ
50

セルビアの旗

MF

ラザル・マルコヴィッチ ★
53

イングランドの旗

MF

オビエ・エジャリア (Flag of Nigeria.svg)
62

アイルランドの旗

GK

クィービーン・ケレハー
64

ポルトガルの旗

MF

ラファエウ・カマーチョ
66

イングランドの旗

DF

トレント・アレクサンダー=アーノルド
68

スペインの旗

MF

ペドロ・チリベジャ (Flag of Germany.svg)
73

ポーランドの旗

GK

カミル・グラバラ


※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。


監督


  • ドイツの旗 ユルゲン・クロップ


ローン移籍


out























































No.

Pos.
選手名
1

ドイツの旗

GK

ロリス・カリウス (ベシクタシュJK)
16

セルビアの旗

MF

マルコ・グルイッチ (ヘルタ・ベルリン)
28

イングランドの旗

FW

ダニー・イングス (サウサンプトンFC)
34

ハンガリーの旗

GK

アダム・ボグダーン (ハイバーニアンFC)
40

イングランドの旗

MF

ライアン・ケント (レンジャーズFC)
54

イングランドの旗

MF

セイ・オジョ (スタッド・ランス)
56

イングランドの旗

DF

コナー・ランドール (ロッチデールAFC)














































No.

Pos.
選手名
58

ウェールズの旗

FW

ベン・ウッドバーン (シェフィールド・ユナイテッドFC)
59

ウェールズの旗

MF

ハリー・ウィルソン (ダービー・カウンティFC)
--

イングランドの旗

GK

シャマル・ジョージ (トレンメア・ローヴァーズFC)
--

コロンビアの旗

DF

アンデルソン・アローヨ (KAAヘント)
--

ブラジルの旗

MF

アラン (アイントラハト・フランクフルト)
--

ナイジェリアの旗

FW

タイウォ・アウォニイ (KAAヘント)



歴代所属選手




出場試合数


公式戦に限る[110]
[111]

















































































































#
名前
期間

リーグ[注 5]

FAカップ

リーグカップ
その他[注 6]
合計
1
イングランドの旗 イアン・キャラハン
1960–1978 640 (4) 79 (2) 42 (7) 96 (1)
857   (14)
2
イングランドの旗 ジェイミー・キャラガー
1996–2013 508 (24) 40 (1) 35 (7) 152 (3)
737   (35)
3
イングランドの旗 スティーヴン・ジェラード
1998– 472 (34) 39 (5) 27 (5) 124 (14)
666   (58)
4=
イングランドの旗 レイ・クレメンス
1967–1981 470 (0) 54 (0) 55 (0) 86 (0)
665   (0)
4=
イングランドの旗 エムリン・ヒューズ
1967–1979 474 (0) 62 (0) 46 (0) 83 (0)
665   (0)
6
ウェールズの旗 イアン・ラッシュ
1980–1987
1988–1996
469 (22) 61 (5) 78 (0) 45 (3)
660   (30)
7
イングランドの旗 フィル・ニール
1974–1985 455 (2) 45 (0) 66 (0) 81 (0)
650   (2)
8
イングランドの旗 トミー・スミス
1962–1978 467 (0) 52 (0) 30 (0) 89 (1)
638   (1)
9
ジンバブエの旗 ブルース・グロベラー
1980–1994 440 (0) 62 (0) 70 (0) 46 (0)
628   (0)
10
スコットランドの旗 アラン・ハンセン
1977–1991 434 (0) 58 (1) 68 (0) 53 (1)
620   (2)


得点


公式戦に限る[110][112]

















































































































#
名前
期間
リーグ[注 5]

FAカップ

リーグカップ
その他[注 6]
合計
1
ウェールズの旗 イアン・ラッシュ
1980–1987
1988–1996
229 (469)
39 (61)
48 (78)
23 (45)

346 (660)
2
イングランドの旗 ロジャー・ハント
1958–1969 245 (404)
18 (44)
05 (10)
18 (34)

286 (492)
3
イングランドの旗 ゴードン・ホジソン
1925–1936 233 (358)
08 (19)
0 (0)
0 (0)

241 (377)
4
スコットランドの旗 ビリー・リッデル
1938–1961 215 (492)
13 (42)
0 (0)
0 (0)

228 (534)
5
イングランドの旗 ロビー・ファウラー
1993–2001
2006–2007
128 (266)
12 (24)
29 (35)
14 (44)

183 (369)
6
スコットランドの旗 ケニー・ダルグリッシュ
1977–1990 118 (355)
13 (37)
27 (59)
12 (58)

172 (515)
7
イングランドの旗 マイケル・オーウェン
1996–2004 118 (216)
08 (15)
09 (14)
23 (52)

158 (297)
8
イングランドの旗 ハリー・キャンバース
1915–1928 135 (315)
16 (28)
0 (0)
0 (1)

151 (339)
9
イングランドの旗 ジャック・パーキンソン
1903–1914 125 (200)
05 (19)
0 (0)
0 (1)

130 (220)
10
イングランドの旗 サム・レイボード
1900–1907 119 (211)
09 (14)
0 (0)
0 (1)

128 (226)



脚注



注釈


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  1. ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝も参照


  2. ^ プレミアリーグの場合、前シーズンの最終成績が4位以上のクラブにUEFAチャンピオンズリーグの出場権が与えられる。5位のクラブにはUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられる。


  3. ^ その後の大会の詳細についてはUEFAチャンピオンズリーグ 2005-06を参照


  4. ^ 前身のUEFAチャンピオンズカップも含む

  5. ^ abFootball Alliance、フットボールリーグ、プレミアリーグを含む

  6. ^ abUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップ、コミュニティーシールド、インターコンチネンタルカップを含む




出典


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関連項目



  • リヴァプールFCの選手一覧

  • マージーサイド・ダービー

  • ノースウェスト・ダービー

  • ヘイゼルの悲劇

  • ヒルズボロの悲劇



参考文献



  • Simon Inglis著 「Engineering Archie」 English Heritage、2005年3月21日発行、ISBN 978-1-85074-918-9



外部リンク






公式



  • Liverpoolfc.com: Official Web Site (英語)


  • Premier League.com - Liverpool (英語)


  • uefa.com - Liverpool (英語)


  • Liverpool F.C. - 公式YouTubeチャンネル (英語)


  • Liverpool F.C. - Facebook (英語)


  • Liverpool FC (@LFC) - Twitter (英語)


ニュース



  • BBC Sport - Liverpool(英語)


  • Sky Sports - Liverpool(英語)


その他



  • Historical Football Kit - Liverpool - 各時代のユニフォーム(英語)


  • The Liverpool Shirts Museum - 1964年から2013年のユニフォーム(英語)


  • The Liverpool Shirts Museum Facebook Fanpage - FACEBOOKの1964年から2013年のユニフォーム(英語)


  • リヴァプールFCのユニフォーム大全集 - リヴァプールFCのユニフォーム大全集(英語)


  • LFChistory.net - リヴァプールFCの歴史(英語)









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