アヤックス・アムステルダム
アヤックス | |||
---|---|---|---|
原語表記 | Amsterdamsche Football Club Ajax | ||
愛称 | Superjoden, Godenzonen, Joden | ||
クラブカラー | 赤と白 | ||
創設年 | 1900年 | ||
所属リーグ | エールディヴィジ | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | アムステルダム | ||
ホームスタジアム | ヨハン・クライフ・アレナ | ||
収容人数 | 53,052 | ||
代表者 | ヘニー・ヘンリフス | ||
監督 | エリック・テン・ハフ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
AFCアヤックス (オランダ語: Amsterdamsche Football Club Ajax) 、略称アヤックス・アムステルダム、アヤックスは、オランダ・北ホラント州・アムステルダムに本拠地を置くサッカークラブ。エールディヴィジに所属。
エールディヴィジ優勝は最多の33回、UEFAチャンピオンズリーグは3連覇を含む4回、インターコンチネンタルカップ2回の優勝をしており、リーグ優勝14回のフェイエノールト、21回のPSVと共に、オランダの強豪クラブと認識されている。オランダで最も人気のあるクラブである[1]。フェイエノールトとの対戦はデ・クラシケルと呼ばれる。
1900年に創立。1971年から1973年にかけUEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成、優勝カップ「ビッグイヤー」の永久保持を認められた。1972年にはエールディヴィジ、KNVBカップ、チャンピオンズカップを制覇してトレブルを達成。また、1972年のインターコンチネンタルカップで優勝。同じ年にリーグ、チャンピオンズカップ、コンチネンタルカップ優勝を果たした3つのクラブの1つ(他にユヴェントス、バイエルン・ミュンヘンが達成している)。
目次
1 歴史
1.1 1900-1950
1.2 1950-2000
1.3 2000-
2 タイトル
2.1 国内タイトル
2.2 国際タイトル
3 過去の成績
4 現所属選手
4.1 フォーメーション
4.2 現在のメンバー
4.3 レンタル移籍
5 スタッフ
6 歴代監督
7 歴代所属選手
7.1 GK
7.2 DF
7.3 MF
7.4 FW
8 その他
8.1 サテライトクラブ
8.2 下部組織
8.3 スタジアム
8.4 永久欠番
8.5 スポンサー
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
歴史
1900-1950
1900年3月18日にアムステルダムの小さなカフェからアヤックスは生まれた。創設者はフロリス・ステンペル。
1902年 クラブ名をFCアイウス (Footh-Ball Club Ajax) と名づける。名前の由来はギリシャ神話に登場するアイアースと言う人物で(Aiasをオランダ語でAjaxと読む)、ステンペル自身この人物をとても尊敬している。
1908年 クラブ名をAFCアヤックス (Amsterdamsche Football Club Ajax) に改名。
1910年 初のコーチとしてジョン・キーワン氏を雇う。とてもフットボールと呼べる状態ではなかったチームを監督の指導によって常勝チームにまで押し上げる。1911年にクラブ史上初の1部昇格を果たす。
1917年 イギリス人監督ジャック・レイノルズの下で初のリーグ優勝とカップタイトルを獲得する。当時の彼のトレーニング方法は現在に至る世界有数の育成プログラムの基礎となっている。28年から40年の間に5度のリーグ優勝へ導き、最初の黄金時代を迎える。しかし、第二次世界大戦の影響で一時クラブは弱体化。約10年間タイトルから遠ざかる低迷期へと続く。戦争中、オランダ人が立て篭もるスタディオン・デ・メールだけは制圧できなかったという逸話もある。
1950-2000
1957年 オランダのプロリーグ化が進む。プロ第一号はピート・カイザーである。
1965年にリヌス・ミケルスが就任。ミケルス監督がトータルフットボールと呼ばれる戦術を作り、ヨハン・クライフ、ピート・カイザー、シャーク・スワルトらがそれを実践し、黄金時代が訪れた。ミケルス就任当時のアヤックスはまだヨーロッパの第一線を行くクラブではなかった。チャンピオンズカップは一度も獲得したことがなく、オランダリーグの代表といえば、フェイエノールトであった。ミケルスの最初の2年間は厳しく、困難なものであった。チームはうまく機能せず、イタリア、スペイン、イングランドの有力クラブのような巨大な経済力は持ち合わせていなかった。生え抜き選手、そしてオランダ人だけという限られた条件の下、最高レベルの試合に挑戦していった。
降格の危機にあったが、ミケルス就任の翌年からリーグ3連覇を成し遂げた。
UEFA主催のリーグにおいてはチャンピオンズカップ1968-69シーズンの決勝でACミランに1-4で敗れたものの、この敗戦が、それから続く全ての栄光の始まりとなる。翌シーズンはクライフの他ヨハン・ニースケンスやアドリアナス・ハーンなどの若手が育ち、1970-71シーズンからチャンピオンズカップ3連覇を果たす。ロンドン(ウェンブリー)でのパナシナイコスとの決勝戦2-0、監督はシュテファン・コヴァチに代わるも、ロッテルダムでの対インテル・ミラノ戦2-0、ベオグラードでの対ユヴェントス戦1-0。アヤックスにとって輝かしい3シーズンであった。これらの成功の多くは選手達を鍛え上げたミケルスの功績にあった。
<4-3-3>、1971年、チャンピオンズカップ制覇時のメンバー
# 1
# 5
# 2
# 3
# 4
# 6
# 8
# 11
# 7
# 14
# 10
1985年にヨハン・クライフがテクニカルディレクターに就任。アヤックス・ユースアカデミー (Ajax Youth Academy) を設立。
1986-87シーズンはフランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステンらを擁し、チームはUEFAカップウィナーズカップを獲得した。
1991-92シーズンはアシスタントコーチからトップチームの監督へと昇格したルイ・ファン・ハールの指揮の下、UEFAカップを獲得した。
チャンピオンズリーグ1994-95シーズン決勝では、エトヴィン・ファン・デル・サール、ミハエル・ライツィハー、ダニー・ブリント、フランク・ライカールト、ロナルド・デ・ブールとフランク・デ・ブールの兄弟、エドガー・ダーヴィッツ、クラレンス・セードルフ、ヤリ・リトマネン、パトリック・クライファート、フィニディ・ジョージ、マルク・オーフェルマルスなどを率いてイタリアのACミランを1-0で下し、4度目の欧州制覇を成し遂げている。またこの年には、トヨタカップでブラジルのグレミオFBPAをPK戦の末辛くも勝利、クラブ世界一のタイトルを手にしている。
1995-96シーズンには、再びチャンピオンズリーグ決勝の舞台に上がったが、ペルッツィ、デル・ピエロなどを擁したユヴェントスにPK戦の末敗れている。なお1994-95シーズンから1995-96シーズンでユヴェントスに敗れるまでチャンピオンズリーグ19戦無敗という記録を打ち立てている。当時ルイ・ファン・ハール監督が「我々は負けることに慣れていない」という名言を残している。
以後は、ボスマン判決の影響を受け、チームの主力や有望な若手を他国の有力クラブから引き抜かれる傾向が強まったこともあり、ファン・ハールが指揮した第二次黄金期の強さを維持しながら世代交代を進めることができず、欧州の大会で好成績を残せていない状況が続いている。
2000-
ボスマン判決以降、ユース育成に「谷間の世代」ができた分を外国籍選手で補った。アヤックスのスカウト網は世界中に及んだ。
そして、獲得してきたのがイブラヒモビッチ(現ロサンゼルス・ギャラクシー)、トラベルスィー、ミドといった選手である。
2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝ACミラン戦の激闘では、ACミランのサポーターが健闘を称え、ロナルド・クーマン率いるアヤックスのイレブンにスタンディングオベーションを送っている。これ以降のシーズンも、2005-06シーズンまでチャンピオンズリーグ本戦に連続出場をし、2005-06シーズンにおいては決勝トーナメント1回戦まで進出した。
しかし、2006-07と2007-08シーズンは、予備戦3回戦にてそれぞれコペンハーゲン、SKスラヴィア・プラハといったクラブに敗れ、チャンピオンズリーグ本戦出場を逃した。特に2007-08シーズンは、チャンピオンズリーグ予備戦3回戦敗退で出場することとなったUEFAカップにおいて、1回戦にてディナモ・ザグレブに敗れる失態を演じた。
2007年にクルゼイロEC、2008年3月にFCバルセロナと業務提携を結んだ。
2009-10シーズンはマルティン・ヨル監督の下、34試合で106ゴールと圧倒的な攻撃力を見せるも、首位のトゥウェンテに惜しくも勝点1届かず、2位に。
2010-11シーズンはチャンピオンズリーグの予備予選とプレーオフを勝ち抜き、5シーズンぶりにチャンピオンズリーグ本戦出場を果たす。
ヨル監督がシーズン途中で辞任するなど、パフォーマンスが安定しない前半戦だったが、後任のフランク・デ・ブール監督がチームに安定性をもたらし、首位決戦となった最終節のFCトゥウェンテ戦で勝利し、劇的な7シーズンぶりのエールディヴィジ制覇を達成。
2011年4月13日、東日本大震災の被災者支援慈善試合としてアヤックス側からJリーグクラブ清水エスパルスを招待し、入場料などの収益と約2週間の募金活動で合計約600万ユーロ(約7億2600万円)が集まり、オランダ赤十字を通して義援金として寄付されることとなった[2]。
2012年5月2日、VVVフェンローを2-0で下し、エールディヴィジ2連覇を達成。連覇は1993年〜1996年以来16年振りの出来事。
2013年5月5日、ヴィレムIIを5-0で下し、エールディヴィジ3連覇達成。
2014年4月27日、ヘラクレス・アルメロ戦で引き分けるも、クラブ史上初となるエールディヴィジ4連覇を達成。
2016年、これまで4年半の間監督を務めていたフランク・デ・ブールが退任。新監督にピーター・ボスが就任。
タイトル
国内タイトル
リーグ:33回
- 1917-18, 1918-19, 1930-31, 1931-32, 1933-34, 1936-37, 1938-39, 1946-47, 1956-57, 1959-60,
1965-66, 1966-67, 1967-68, 1969-70, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1981-82,
1982-83, 1984-85, 1989-90, 1993-94, 1994-95, 1995-96, 1997-98, 2001-02, 2003-04, 2010-11,
2011-12, 2012-13, 2013-14
- 1917-18, 1918-19, 1930-31, 1931-32, 1933-34, 1936-37, 1938-39, 1946-47, 1956-57, 1959-60,
オランダ・カップ:18回
- 1916-17, 1942-43, 1960-61, 1966-67, 1969-70, 1970-71, 1971-72, 1978-79, 1982-83, 1985-86,
1986-87, 1992-93, 1997-98, 1998-99, 2001-02, 2005-06, 2006-07, 2009-10
- 1916-17, 1942-43, 1960-61, 1966-67, 1969-70, 1970-71, 1971-72, 1978-79, 1982-83, 1985-86,
オランダ・スーパーカップ:8回
- 1993, 1994, 1995, 2002, 2005, 2006, 2007, 2013
国際タイトル
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ:4回- 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1994-95
UEFAカップウィナーズカップ:1回- 1986-87
UEFAカップ:1回
- 1991-92
UEFAスーパーカップ:3回
- 1972, 1973, 1995
インターコンチネンタルカップ / トヨタカップ:2回
- 1972, 1995
過去の成績
シーズン | ディビジョン | KNVBカップ | 欧州カップ | その他 | 国内リーグ最多得点者 | ||||||||||||
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リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 選手 | 得点数 | ||||||
1974-75 | エールディヴィジ | 3位 | 34 | 21 | 7 | 6 | 76 | 34 | +42 | 49 | ベスト16 | UEFAカップ | 3回戦敗退 | ルート・ヘールス | 30 | ||
1975-76 | エールディヴィジ | 3位 | 34 | 21 | 8 | 5 | 74 | 38 | +36 | 50 | 準々決勝敗退 | UEFAカップ | 3回戦敗退 | ルート・ヘールス | 29 | ||
1976-77 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 23 | 6 | 5 | 62 | 26 | +36 | 52 | ベスト32 | UEFAカップ | 1回戦敗退 | ルート・ヘールス | 34 | ||
1977-78 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 20 | 9 | 5 | 85 | 36 | +49 | 49 | 準優勝 | UEFAチャンピオンズカップ | 準々決勝敗退 | ルート・ヘールス | 30 | ||
1978-79 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 22 | 6 | 6 | 77 | 41 | +36 | 50 | 優勝 | UEFAカップ | 3回戦敗退 | セーレン・レアビー | 16 | ||
1979-80 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 22 | 6 | 6 | 77 | 41 | +36 | 50 | 準優勝 | UEFAチャンピオンズカップ | 準決勝敗退 | ディック・ショーナケル | 13 | ||
1980-81 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 22 | 4 | 8 | 88 | 54 | +34 | 48 | 準優勝 | UEFAチャンピオンズカップ | 2回戦敗退 | ヴィム・キーフト | 17 | ||
1981-82 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 26 | 4 | 4 | 117 | 42 | +75 | 58 | ベスト16 | カップウィナーズカップ | 1回戦敗退 | ヴィム・キーフト | 32 | ||
1982-83 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 26 | 6 | 2 | 106 | 41 | +65 | 58 | 優勝 | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦敗退 | ヴィム・キーフト | 19 | ||
1983-84 | エールディヴィジ | 3位 | 34 | 22 | 7 | 5 | 100 | 46 | +54 | 51 | ベスト16 | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦敗退 | マルコ・ファン・バステン | 28 | ||
1984-85 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 24 | 6 | 4 | 93 | 46 | +47 | 54 | ベスト16 | UEFAカップ | 2回戦敗退 | マルコ・ファン・バステン | 22 | ||
1985-86 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 25 | 2 | 7 | 120 | 35 | +85 | 52 | 優勝 | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦敗退 | マルコ・ファン・バステン | 37 | ||
1986-87 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 25 | 3 | 6 | 92 | 30 | +62 | 53 | 優勝 | カップウィナーズカップ | 優勝 | マルコ・ファン・バステン | 31 | ||
1987-88 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 23 | 4 | 7 | 78 | 40 | +38 | 50 | ベスト32 | カップウィナーズカップ | 準優勝 | ジョン・ボスマン | 25 | ||
スーパーカップ | 準優勝 | ||||||||||||||||
1988-89 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 22 | 6 | 6 | 74 | 32 | +42 | 50 | 準々決勝敗退 | UEFAカップ | 1回戦敗退 | デニス・ベルカンプ シュテファン・ペテルソン | 13 | ||
1989-90 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 19 | 11 | 4 | 67 | 23 | +44 | 49 | 準決勝敗退 | UEFAカップ | 1回戦敗退 | アーロン・ヴィンター | 10 | ||
1990-91 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 22 | 9 | 3 | 75 | 21 | +54 | 53 | 準々決勝敗退 | UEFAチャンピオンズカップ | 不参加 | デニス・ベルカンプ | 25 | ||
1991-92 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 25 | 5 | 4 | 83 | 24 | +59 | 55 | 準々決勝敗退 | UEFAカップ | 優勝 | デニス・ベルカンプ | 22 | ||
1992-93 | エールディヴィジ | 3位 | 34 | 20 | 9 | 5 | 87 | 30 | +57 | 49 | 優勝 | UEFAカップ | 準々決勝敗退 | デニス・ベルカンプ | 26 | ||
1993-94 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 26 | 2 | 6 | 86 | 26 | +60 | 54 | 準決勝敗退 | カップウィナーズカップ | 準々決勝敗退 | スーパーカップ | 優勝 | ヤリ・リトマネン | 26 |
1994-95 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 27 | 7 | 0 | 106 | 28 | +78 | 61 | 準々決勝敗退 | チャンピオンズリーグ | 優勝 | スーパーカップ | 優勝 | パトリック・クライファート | 18 |
1995-96 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 26 | 5 | 3 | 97 | 24 | +73 | 83 | ベスト16 | UEFAスーパーカップ | 優勝 | スーパーカップ | 優勝 | パトリック・クライファート | 15 |
チャンピオンズリーグ | 準優勝 | インターコンチネンタルカップ | 優勝 | ||||||||||||||
1996-97 | エールディヴィジ | 4位 | 34 | 17 | 10 | 7 | 55 | 31 | +24 | 61 | ベスト32 | チャンピオンズリーグ | 準決勝敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | パトリック・クライファート ヤリ・リトマネン | 6 |
1997-98 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 29 | 2 | 3 | 112 | 22 | +90 | 89 | 優勝 | UEFAカップ | 準々決勝敗退 | ショタ・アルベラーゼ | 25 | ||
1998-99 | エールディヴィジ | 6位 | 34 | 16 | 9 | 9 | 73 | 41 | +32 | 57 | 優勝 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | ヤリ・リトマネン ベニー・マッカーシー | 11 |
1999-00 | エールディヴィジ | 5位 | 34 | 18 | 7 | 9 | 72 | 51 | +21 | 61 | ベスト16 | UEFAカップ | 3回戦敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | リチャード・クノッペル ニコス・マフラス | 10 |
2000-01 | エールディヴィジ | 3位 | 34 | 18 | 7 | 9 | 85 | 43 | +42 | 61 | ベスト16 | UEFAカップ | 2回戦敗退 | ショタ・アルベラーゼ | 17 | ||
2001-02 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 22 | 7 | 5 | 73 | 34 | +39 | 73 | 優勝 | チャンピオンズリーグ | 予選3回戦敗退 | ラファエル・ファン・デル・ファールト | 14 | ||
UEFAカップ | 2回戦敗退 | ||||||||||||||||
2002-03 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 26 | 5 | 3 | 96 | 32 | +64 | 83 | 準決勝敗退 | チャンピオンズリーグ | 準々決勝敗退 | スーパーカップ | 優勝 | ラファエル・ファン・デル・ファールト | 18 |
2003-04 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 25 | 5 | 4 | 79 | 31 | +48 | 80 | ベスト16 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | ズラタン・イブラヒモビッチ | 13 | ||
2004-05 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 24 | 5 | 5 | 74 | 33 | +41 | 77 | 準決勝敗退 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | ライアン・バベル ヴェスレイ・スナイデル | 7 |
UEFAカップ | ベスト32 | ||||||||||||||||
2005-06 | エールディヴィジ | 4位 | 34 | 18 | 6 | 10 | 66 | 41 | +25 | 60 | 優勝 | チャンピオンズリーグ | ベスト16 | スーパーカップ | 優勝 | クラース・ヤン・フンテラール | 16 |
2006-07 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 23 | 6 | 5 | 84 | 35 | +49 | 75 | 優勝 | チャンピオンズリーグ | 予選3回戦敗退 | スーパーカップ | 優勝 | クラース・ヤン・フンテラール | 21 |
UEFAカップ | ベスト32 | ||||||||||||||||
2007-08 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 20 | 9 | 5 | 94 | 45 | +49 | 69 | 4回戦敗退 | チャンピオンズリーグ | 予選3回戦敗退 | スーパーカップ | 優勝 | クラース・ヤン・フンテラール | 33 |
UEFAカップ | 1回戦敗退 | ||||||||||||||||
2008-09 | エールディヴィジ | 3位 | 34 | 21 | 5 | 8 | 74 | 41 | +33 | 68 | 3回戦敗退 | UEFAカップ | ベスト16 | ルイス・スアレス | 22 | ||
2009-10 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 27 | 4 | 3 | 106 | 20 | +86 | 85 | 優勝 | ヨーロッパリーグ | ベスト32 | ルイス・スアレス | 35 | ||
2010-11 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 22 | 7 | 5 | 72 | 30 | +42 | 73 | 準優勝 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | ムニル・エル・ハムダウィ | 13 |
ヨーロッパリーグ | ベスト16 | ||||||||||||||||
2011-12 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 23 | 7 | 4 | 93 | 36 | +57 | 76 | 4回戦敗退 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | シーム・デ・ヨング | 13 |
ヨーロッパリーグ | ベスト32 | ||||||||||||||||
2012-13 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 22 | 10 | 2 | 83 | 31 | +52 | 76 | 準決勝敗退 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | シーム・デ・ヨング | 12 |
ヨーロッパリーグ | ベスト32 | ||||||||||||||||
2013-14 | エールディヴィジ | 1位 | 34 | 20 | 11 | 3 | 69 | 28 | +41 | 71 | 準優勝 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | スーパーカップ | 優勝 | コルベイン・シグソールソン デイヴィ・クラーセン | 10 |
ヨーロッパリーグ | ベスト32 | ||||||||||||||||
2014-15 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 21 | 8 | 5 | 69 | 29 | +40 | 71 | ベスト16 | チャンピオンズリーグ | GS敗退 | スーパーカップ | 準優勝 | アルカディウシュ・ミリク | 11 |
ヨーロッパリーグ | ベスト16 | ||||||||||||||||
2015-16 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 25 | 7 | 2 | 81 | 21 | +60 | 82 | 3回戦敗退 | チャンピオンズリーグ | 予選3回戦敗退 | アルカディウシュ・ミリク | 21 | ||
ヨーロッパリーグ | GS敗退 | ||||||||||||||||
2016-17 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 25 | 6 | 3 | 79 | 23 | +56 | 81 | 3回戦敗退 | チャンピオンズリーグ | プレーオフ敗退 | カスパー・ドルベリ | 15 | ||
ヨーロッパリーグ | 準優勝 | ||||||||||||||||
2017-18 | エールディヴィジ | 2位 | 34 | 25 | 4 | 5 | 89 | 33 | +56 | 79 | ベスト16 | チャンピオンズリーグ | 予選3回戦敗退 | ダヴィド・ネレス | 14 | ||
ヨーロッパリーグ | プレーオフ敗退 | ||||||||||||||||
2018-19 | エールディヴィジ | 位 | 34 | チャンピオンズリーグ |
現所属選手
フォーメーション
- 2018-2019シーズン前半 基本フォーメーション
# 24
# 12
デ・リフト
# 4
# 17
# 31
# 20
# 21
# 7
# 22
# 10
# 9
現在のメンバー
- 2018年9月1日現在
|
|
レンタル移籍
- in
|
|
- out
|
|
スタッフ
2018-2019シーズン体制
- 監督 : エリック・テン・ハフ
- アシスタントコーチ : アーロン・ヴィンター
- アシスタントコーチ : アルフレド・スフルーデル
- アシスタントコーチ : リシャルト・ヴィツヘ
- GKコーチ : カルロ・ラミ
- パフォーマンスコーチ : ビョルン・レーケルホフ
- ユース最高責任者 : サイド・オウアーリ
- チームマネージャー : ヤン・シーメリンク
歴代監督
氏名 | 国籍 | 期間 |
---|---|---|
ジョン・キーワン | 1910-1915 | |
ジャック・レイノルズ | 1915-1925 | |
ハロルド・ローズ | 1925-1926 | |
スタンリー・キャッスル | 1926-1928 | |
ジャック・レイノルズ | 1928-1940 | |
ヴィルモス・ハルパーン | 1940-1941 | |
ドルフ・ファン・コール | 1941-1945 | |
ジャック・レイノルズ | 1945-1947 | |
ロバート・スミス | 1947-1948 | |
ウォルター・クルーク | 1948-1950 | |
ロバート・トムソン | 1950-1953 | |
ウォルター・クルーク | 1953-1954 | |
カール・ヒューメンベルガー | 1954-1959 | |
ビク・バッキンガム | 1959-1961 | |
ケイス・シュプルゲオン | 1961-1962 | |
ペピ・グルーベル | 1962-1963 | |
ジャック・ローレイ | 1963-1964 | |
ヴィック・バッキンガム | 1964-1965 | |
リヌス・ミケルス | オランダ | 1965-1971 |
シュテファン・コヴァチ | ルーマニア | 1971-1973 |
ジョージ・クノベル | 1973-1974 | |
ハンス・クラーイ | 1974-1975 | |
リヌス・ミケルス | オランダ | 1975-1976 |
トミスラヴ・イビッチ | 1976-1978 | |
コル・ブロム | 1978-1979 | |
レオ・ベーンハッカー | オランダ | 1979-1981 |
クルト・リンデル | 1981-1982 | |
ア・デモス | オランダ | 1982-1985 |
ヨハン・クライフ | オランダ | 1985-1988 |
クルト・リンデル | 1988-1989 | |
レオ・ベーンハッカー | オランダ | 1989-1991 |
ルイ・ファン・ハール | オランダ | 1991-1997 |
モアテン・オルセン | デンマーク | 1997-1998 |
ヤン・ボウタース | オランダ | 1998-2000 |
ハンス・ベッセルホフ | オランダ | 2000 |
コー・アドリアーンセ | オランダ | 2000-2001 |
ロナルド・クーマン | オランダ | 2001-2005 |
ダニー・ブリント | オランダ | 2005-2006 |
ヘンク・テン・カテ | オランダ | 2006-2007 |
アドリー・コスター | オランダ | 2007-2008 |
マルコ・ファン・バステン | オランダ | 2008-2009 |
マルティン・ヨル | オランダ | 2009-2010 |
フランク・デ・ブール | オランダ | 2011-2016 |
ピーター・ボス | オランダ | 2016-2017 |
マルセル・カイザー | オランダ | 2017 |
ミハエル・ライツィハー | オランダ | 2017 |
エリック・テン・ハフ | オランダ | 2017- |
歴代所属選手
GK
ハインツ・ストイ
スタンリー・メンゾ
フレッド・フリム
エトヴィン・ファン・デル・サール
ジョーイ・ディドゥリカ
ボグダン・ロボンツ
ハンス・フォンク
マールテン・ステケレンブルフ
イェルーン・フェルフーフェン
ケネト・フェルメール
DF
ヤン・ファン・ディフェンバーク
コー・ファン・デル・ハルト
バリー・フルスホフ
ヴィム・スールビール
ルート・クロル
ロナルド・クーマン
ソニー・シローイ
フランク・フェルラート
ダニー・ブリント
マルシオ・サントス
フランク・デ・ブール
ウィンストン・ボハルデ
ミハエル・ライツィハー
アンドレ・オーイェル
ミシェル・クレーク
マリオ・メルヒオット
オーレ・トビアセン
ティム・デ・クレル
フェルディ・フィエルクラウ
ヤン・ファン・ハルスト
クリスティアン・キヴ
ジョン・オブライエン
アンドレ・ベルグデルモ
ペトリ・パサネン
マクスウェル
ハーテム・トラベルスィー
ヨニー・ハイティンハ
イェーレ・ファン・ダンメ
ジュリアン・エスキュデ
ズデニェク・グリゲラ
トーマス・フェルメーレン
ヤープ・スタム
ウルビー・エマヌエルソン
ユルゲン・コリン
ブルーノ・シルバ
ヤン・フェルトンゲン
グレゴリー・ファン・デル・ヴィール
トビー・アルデルヴァイレルト
ダヴィンソン・サンチェス
ニック・フィールヘーフェル
ミチェル・ダイクス
MF
ヴィム・アドリアンセ
ゲリー・ミューレン
アドリアナス・ハーン
アーノルド・ミューレン
ヨハン・ニースケンス
フランク・アルネセン
セーレン・レアビー
ジェラルド・ファネンブルグ
ヨン・ファント・シップ
ヤン・ボウタース
ロブ・ヴィツヘ
リヒャルト・ヴィツヘ1
フランク・ライカールト
アーロン・ヴィンター
アーノルド・スコルテン
ペーター・ファン・フォッセン
ブライアン・ロイ
ロナルド・デ・ブール
エドガー・ダーヴィッツ
サンデー・オリセー
クラレンス・セードルフ
マーティン・ロイザー
キキ・ムサンパ
デニー・ランツァート
リヒャルド・クノッパー
ラファエル・ファン・デル・ファールト
ジェイソン・クリナ
トマーシュ・ガラーセク
スティーヴン・ピーナール
ナイジェル・デ・ヨング
ヴェスレイ・スナイデル
トム・デ・ムル
ヘドヴィヘス・マドゥロ
ガブリ・ガルシア
ローラン・デロージュ
ケネディ・バキルジョール
ラスムス・リンドグレン
デミー・デ・ゼーウ
ヤン=アリー・ファン・デル・ハイデン
ニコラス・ロデイロ
イスマイル・アイサティ
ロドニー・スナイデル
フルノン・アニータ
テオ・ヤンセン
クリスティアン・エリクセン
クリスティアン・ポウルセン
デイリー・ブリント
デイヴィ・クラーセン
FW
エディー・ハーメル
リヌス・ミケルス
シャーク・スワルト
ピート・カイザー
ヨハン・クライフ
ヨニー・レップ
ルート・ヘールス
ウィリー・ブロカンプ
シモン・ターマタ
ヴィム・キーフト
マルコ・ファン・バステン
ジョン・ボスマン
ステファン・ペテルション
デニス・ベルカンプ
ブライアン・ロイ
ブライアン・ラウドルップ
ヤリ・リトマネン
フィニディ・ジョージ
マルク・オーフェルマルス
ヌワンコ・カヌ
パトリック・クライファート
ノルディン・ウォーテル
ティジャニ・ババンギダ
ダニ
ベネディクト・マッカーシー
ショタ・アルベラーゼ
ワンベルト
ミカエル・ラウドルップ
イェスパー・グレンケア
アンディ・ファン・デル・メイデ
セドリック・ファン・デル・フン
ニコラ・マフラス
ミド
ズラタン・イブラヒモビッチ
ビクトル・シコラ
ダニエル・デ・リッデル
ノルディン・ブカリ
アンゲロス・ハリステアス
ヴェスレイ・ソンク
マルクス・ローセンベリ
マウロ・ロサレス
ライアン・バベル
ヤニス・アナスタシウ
ケネス・ペレス
ミカエル・クローン=デリ
クラース・ヤン・フンテラール
イスマエル・ウルサイス
デニス・ロンメダール
マルコ・パンテリッチ
ルイス・アルベルト・スアレス
石鉉俊
ドミトリ・ブリキン
ムニル・エル・ハムダウィ
ダリオ・ツヴィタニッチ
アラス・オズビリズ
ミラレム・スレイマニ
デルク・ブーリフテル
イサーク・クエンカ
ボージャン・クルキッチ
ダニー・ホーセン
ジョディ・ルコキ
ヴィクトル・フィッシャー
アレク・ミリク
アミン・ユネス
ジャスティン・クライファート
その他
サテライトクラブ
アヤックス・ケープタウンFC
FCバルセロナ
クルゼイロEC
北京国安足球倶楽部
アルメレ・シティFC
ASトレンチーン
アヤックス・ヘラス
HETクラブ
下部組織
ヨング・アヤックス
アヤックス・アカデミー
スタジアム
- 1928- オリンピスフ・スタディオン
- 1934- デ・メールスタジアム
上記2つはアムステルダム・アレナが完成するまで併用
- 1996- ヨハン・クライフ・アレナ
永久欠番
ヨハン・クライフ「14」
スポンサー
- メイン
- 1982 TDK
- 1990 ABNアムロ銀行
- 2008 エイゴン
- 2015 Ziggo
- テクニカル
アディダス
- パートナー
ABNアムロ銀行
ジュピラー
華為技術
- スポンサー
エイゴン
CSU
CST
ウブロ
メルセデス・ベンツ
Oger
Sengled
Verwelius
VriendenLoterij
- 2014-15シーズンスポンサーシップ
脚注
^ “Según una investigación, Boca no es la mitad más uno” (スペイン語) (2008年2月26日). 2013年5月14日閲覧。
^ 清水がオランダで慈善試合 義援金は約7億円 スポーツナビ 2011年4月14日
関連項目
- ギリシャ神話
- トロイア戦争
- 大アイアース
- アヤクシート
- デ・クラシケル
- アムステルダム・トーナメント
ACアジャクシオ (フランス・リーグ・アン所属。同じくアイアスを名称の由来としている。)
外部リンク
- 公式サイト
アヤックス・アムステルダム (@afcajax) - Twitter
アヤックス・アムステルダム - Facebook
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関連項目 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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