ベナン






ベナン共和国

République du Bénin











ベナンの国旗 ベナンの国章
(国旗) (国章)


国の標語:Fraternité, Justice, Travail
(フランス語: 仲間、正義、労働)


国歌:新しい日の始まり


ベナンの位置









































公用語

フランス語

首都

ポルトノボ、コトヌー1
最大の都市
コトヌー

政府












大統領

パトリス・タロン
首相
なし


面積











総計

112,620km2(99位)
水面積率
1.8%


人口











総計(2013年)

9,877,292人(89位)

人口密度
87.7人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2008年) 2兆9,914億[1]CFAフラン


GDP (MER)





合計(2008年) 69億[1]ドル(128位)


GDP (PPP)











合計(2008年)
130億[1]ドル(138位)
1人あたり 1,605[1]ドル



独立
 - 日付

フランスより
1960年8月1日

通貨

CFAフラン (XOF)

時間帯

UTC (+1)(DST:なし)

ISO 3166-1
BJ / BEN

ccTLD

.bj

国際電話番号
229



註1 : 憲法上の首都はポルトノボだが、政府所在地はコトヌー。


ベナン共和国(ベナンきょうわこく、フランス語: République du Bénin)、通称ベナンは、西アフリカに位置する共和制国家。南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面する。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


    • 2.1 ダホメ王国


    • 2.2 フランス領ダホメ


    • 2.3 ダホメ共和国


    • 2.4 ベナン人民共和国


    • 2.5 ベナン共和国




  • 3 政治


  • 4 軍事


  • 5 地方行政区分


    • 5.1 主要都市




  • 6 地理


  • 7 経済


  • 8 国際関係


    • 8.1 日本との関係




  • 9 国民


    • 9.1 民族


    • 9.2 言語


    • 9.3 宗教


    • 9.4 教育




  • 10 文化


    • 10.1 文学


    • 10.2 音楽


    • 10.3 世界遺産


    • 10.4 祝祭日




  • 11 著名な出身者


    • 11.1 政治家


    • 11.2 文化人




  • 12 脚注


  • 13 関連項目


  • 14 参考文献


  • 15 外部リンク





国名


正式名称はフランス語で、République du Bénin(レピュブリク・デュ・ベナン)。これに因む通称はBénin


公式の英語表記は、Republic of Benin(リパブリック・オブ・ベニン)。これに因む通称はBeninベニン)。


日本語の表記は、ベナン共和国。通称、ベナン。かつては英語発音またはローマ字読みから、ベニンとも表記された。しかし、現在では現地の発音により近いベナンという表記が浸透し、それを受けて例えば日本新聞協会がカナ表記のガイドラインを「ベニン」から「ベナン」に変更するといった動きがあり、このためこの傾向はさらに促進されている。これには、ナイジェリアのベニン王国(Benin)やベニン市と区別するという意識もあると思われる。


1960年のフランスからの独立当初はダホメ共和国。ダホメは国土南部の限られた地域を指す名称であり、北西部のアタコラ県や、北東部のボルグ県を含めるには不適切だったので、ダホメーが面していたベニン湾に因み国名を決め、1975年にベナン人民共和国が成立した。その後、1990年社会主義政策の放棄と共に現在の国名となる。ちなみにベナンの公用語であるフランス語ではhは発音されないため、ダホメー(Dahomey)はダオメに近い発声となる。



歴史





1729年の西アフリカの地図、トーゴとともに奴隷海岸と呼ばれた





ダホメ王国の国旗(1889年)





ダホメ共和国の国章(1958年-1964年)





現在使われていない歴史的な旗?ベナン人民共和国の国旗(1975年-1990年)




ベナン人民共和国の国章(1975年-1990年)



ダホメ王国


フォン人の居住地区であった現在のベナンに相当する地域に、17世紀にダホメ王国が成立した。ダホメ王国はヨーロッパ人の商人との奴隷貿易を主な収入源にして銃火器を輸入し、1730年に現ナイジェリアのオヨ王国によって服属させられたものの、その後も18世紀を通して周辺の国を軍事的に攻撃して繁栄した。ダホメ出身のフォン人の奴隷は、アメリカ大陸のフランス領サン=ドマングの黒人奴隷共同体の中で文化的なヘゲモニーを握り、フォン系のトゥーサン・ルーヴェルチュールがハイチ革命を担うなどの出来事があった。


19世紀に入ってヨーロッパ諸国によるアフリカの本格的な植民地化が進むと奴隷貿易が徐々に廃止され始めたため、ダホメ王国の財政基盤に影響が及んだ。アフリカ分割の中でフランスがダホメ王国に目を付け、第1次フランス=ダホメ戦争(英語版)及び第2次フランス=ダホメ戦争(英語版)によって、最終的には1894年にフランスに征服された。



フランス領ダホメ


1904年、この一帯はフランスの植民地、フランス領西アフリカの一部である、フランス領ダホメ(1904年-1958年)となった。



ダホメ共和国


1960年に自治共和国からダホメ共和国(1958年-1975年)として独立した。しかし、北部のバリバ人(英語版)を基盤とするユベール・マガ、南部のヨルバ人を基盤とするスル・ミガン・アピティ、同じく南部のフォン人を基盤とするジャスティン・アホマデグベの三者による激しい政争が続いて政情は混乱し、1963年にはクリストファ・ソグロがクーデターを起こして政権を奪取。この時はソグロはすぐに民政移管を行ったものの、以後も三者の政争はやまず、その混乱をついたクーデターも頻発した。結局この混乱は、1972年の建国後5度目の政変でマチュー・ケレク政権が成立したことで安定へと向かった。



ベナン人民共和国


ケレク政権は1975年11月に国名をベナン人民共和国に改称し、内政的にはベナン人民革命党(英語版)(PRPB)の一党制に基づく社会主義路線を標榜、外交的には中華人民共和国に近づいた。



ベナン共和国


しかし、ケレク政権は経済運営に失敗し1990年代の社会主義陣営の崩壊を受け1990年にベナン共和国に改称し、複数政党制、三権分立、大統領制を骨子とする新憲法が国民投票で制定された。翌年の大統領選挙ではケレク政権は敗北して退陣、変わって前首相のニセフォール・ソグロが大統領に選ばれ、議会もソグロ派が多数を占めた。1996年の大統領選挙ではケレクが大統領に復帰し、2006年3月の選挙でヤイ・ボニが当選し大統領となった。2016年の選挙では、パトリス・タロンが大統領に選出された。



政治



大統領を元首とする共和制国家を国家体制としており、大統領は行政権を担い、民主的な選挙によって選出される。ベナンは複数政党制が認められており、立法権はベナン政府と国民議会が担い、司法権は行政と立法から独立している。現行憲法は1990年憲法である。


1990年に社会主義体制から市場経済体制に移行した後、情勢は安定している。



軍事



ベナン軍は陸軍、海軍、空軍の三軍と国家憲兵隊により構成される。徴兵制が敷かれており、18歳以上の国民には兵役の義務が課せられている。



地方行政区分





ベナンの県


ベナンは12の県に分けられている。




  1. アリボリ県:カンディ


  2. アタコラ県:ナティティングー


  3. アトランティック県:ウィダー


  4. ボルグー県:パラクー


  5. コリネス県:サバルー


  6. ドンガ県:ジューグー


  7. クッフォ県:アプラウエ


  8. リトラル県:コトヌー


  9. モノ県:ロコッサ


  10. ウェメ県:ポルトノボ


  11. プラトー県:サケテ


  12. ズー県:アボメー



主要都市





地形図


憲法上の首都は南部海岸に位置するポルトノボであるが、多くの政府機関はポルトノボの西にある最大都市コトヌーにおかれており、ここが事実上の首都となっている。コトヌーにはベナン最大の港湾が存在し、ベナンの貿易の大部分を担っているほか、鉄道および道路を利用して内陸国であるニジェールの貿易においても大きな役割を果たしている。南部海岸の主要都市としては、ほかにウィダーがある。北部ではパラクーやジューグーが主要都市となっている。



地理




北西部のアタコラ県の風景



北はニジェール川、南はベニン湾に挟まれており、南から北へ進むに連れて徐々に標高が高くなる。ほとんどの人口は南の海岸平野地帯に集中しており、特にポルトノボとコトヌーがベナン最大の都市である。北部はほとんどがサバンナと半乾燥の高地である。


ベナンの気候は高温多湿であり、一年に二度の雨期(4〜7月と9〜11月)には、雨量が増加する。



経済





最大の都市コトヌー


ベナンの経済は低開発であり続け、国民の大半が従事する農業に依存している。綿花、パームオイルなどの輸出用農業生産のほか、自給用のトウモロコシなどが栽培されている。綿花はGDPの40%、公式輸出収入の80%を占めている[2]。過去7年間で実質成長率は平均5%だったが、急速な人口増加はこの増加を相殺している。インフレーションはこの数年間で終息した。通貨はユーロと連動するCFAフランである。


世界屈指の原油埋蔵量を誇るギニア湾に面しているが、油層に恵まれないためか1980年代に小規模な海底油田が開発されて以降、開発は停滞している。石油製品の国内消費量の大部分は、隣国のナイジェリアに頼っている。


現在の成長をさらに持続するために、ベナンはさらに多くの外資導入を計画しており、観光をより強調し、新食糧生産システムと農産品の開発を促進し、新しい情報技術とコミュニケーション技術を奨励している。


ベナンはOHADAの一員である[3]


コトヌー湾にはベナン唯一の海港と国際空港が存在する。現在新港がコトヌーとポルト=ノヴォの間に建設されている。ベナンは2車線のアスファルトで舗装された道路で隣国のトーゴ、ブルキナファソ、ニジェール、ナイジェリアと結ばれている。携帯電話サービスは全土を通して様々な業者により、利用可能である。ADSL接続は一部地域で利用可能である。ベナンは1998年から衛星接続によって、2001年から単線の海底ケーブルSAT-3/WASCによってインターネットと接続しており、データの値段は非常に高額である。代替として2011年のAfrica Coast to Europeの開通が予期されている。




国際関係



日本との関係



  • 在留日本人数 - 96人(2016年10月現在)[4]

  • 在日ベナン人数 - 74人(2016年12月現在)[5]



国民




1961年から2003年までのベナンの人口増加グラフ




民族


ベナンにはおよそ42の民族が居住し、特に中南部のフォン人(25%)、南部のアジャ人(英語版)(6%)、南部のヨルバ人(12%)、北部のバリバ人(英語版)(12%)などが大多数を占め、他にプール人、ソンバ人(英語版)がいる。



言語



言語は、フランス語が公用語であり、その他にフォン語、ヨルバ語などそれぞれの民族の言葉が話されている。



宗教




ベナンのヴォドゥンの教会



2002年のセンサスによれば、ベナンの人口の42.8%がキリスト教徒(27.1%はカトリック、5%はen:Celestial Church of Christ、3.2%はメソジスト、7.5%はその他のキリスト教)、24.4%はムスリム、17.3%はヴォドゥン、6%は地域に伝わる伝統的な信仰(英語版)、1.9%はその他の宗教、そして6.5%が特定の信仰に加盟していないことを主張している[6]


キリスト教はベナン中部から南部とアタコラ県のオタンマリ郡にかけて信仰されている。しかしながら、ヴォドゥンとオリシャ(英語版)は信仰され続け、ヴォドゥンとオリシャのパンテオンがキリスト教の中に組み込まれてさえもいる。


イスラーム教は主にソンガイ帝国とハウサ人の商人によって現在のベナンに相当する地域にもたらされた。現在ではアリボリ県、ボルグー県、ドンガ県などで、ヨルバ人の中で同等に信仰されている(彼等はまたキリスト教を信仰する)。


土着信仰には、アタコラ県のアニミズム信仰、ヨルバ人のオリシャ(英語版)信仰やシャンゴ信仰、フォン人のヴォドゥン信仰、その他の宗教が存在している。


ベニン湾に面するウィダーの街はベナンのヴォドゥン信仰の中心となっている。アメリカ大陸で信仰されている黒人宗教として知られているヴードゥー教はダホメ王国のフォン人の信仰が発祥であるとされ[7]、それが奴隷貿易の広がりやハイチ革命後のハイチ人(マルーン)の移動とともに西インド諸島のハイチ、キューバ、ブラジル、北アメリカへと広がったと言われている。1992年よりヴォドゥンはベナンの国教となり、毎年1月10日は国を挙げてのヴォドゥン休日となっている。



教育




ベナンの小学校



初等教育の6年間と前期中等教育の4年間は法制上義務教育となっており、近年公立学校の授業料が無料化されたことから、就学率は上昇に転じているものの、未だ子供は重要な労働力であると共に、学校自体が無い地域も多い為、高度な義務教育は達成されていない。高等教育はフランス語で行われる。2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は34.7%(男性47.9%、女性23.3%)である[8]


主な高等教育機関としては、国立アボメ・カラビ大学や国立パラク大学が挙げられる。


日本との関わりでは、ビートたけしの元付き人・タレントで、2012年にベナン駐日特命全権大使に就任したゾマホン・ルフィンにより、たけし小学校やアフリカではまだ珍しい日本語学校であるたけし日本語学校が設立されている(2003年9月)。たけし日本語学校は、2003年に最初の卒業生ローソン・レオポルトを輩出したのを皮切りに、現在に至るまで多くの卒業生・日本留学生を輩出している。


2012年現在の在日ベナン人の多くは、たけし日本語学校の卒業生である。たけし日本語学校では、平仮名・片仮名、漢字、書道などが教授されており、初級で日本語能力試験N4、中級で日本語能力試験N2合格を目標として授業が行われている。しかしベナンはもとよりアフリカで最初の日本語教育の専門学校であるため、運営は難航しており、教室などの施設が受講希望者に対して圧倒的に不足していて数千人の受講希望者が待機する状態となっている。カリキュラムも編成途上であり、上級コースは未だ開設されていない。



文化





コトヌーコンベンションセンター



文学




ベナンの文学はフランス語が支配的な言語になる以前から強力な口承文学を持っていた[9]


1929年にフェリクス・クショーロはベナン初の小説『奴隷』(L'Esclave)をフランス語で著した。



音楽




ベナンはアフリカ音楽のシーンの中で重要な役割を果たしており、全大陸を通して最も大きなスターの一人であるアンジェリーク・キジョーを輩出している。独立後、国は力強く、革新的な音楽シーンの故郷であり、土着のフォーク音楽がガーナのハイライフやフランスのキャバレ、アメリカ合衆国のロックンロールやファンクやソウル、そしてコンゴ民主共和国のアフリカン・ルンバと結びついて育った。イグナシオ・ブラシオ・オショは恐らくペドロ・グノーナス・イ・スス・パンチョスやレ・ヴォルカン・ド・ラ・キャピタル、ピコビー・バンド・ダボメイと並んでこの時期における最も影響力を持ったミュージシャンである。ペドロはフェソ・ジェヴの歌をプロデュースし[10]、曲はヒットし1973年のen:1973 All-Africa Gamesで多くのバンドによって演奏された。



世界遺産




世界遺産アボメイの王宮群



ベナン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件(アボメイの王宮群)存在する。



祝祭日



























































































日付 日本語表記 フランス語表記 備考

1月1日

元旦
Jour de l´an
 

1月10日

ヴォードゥンの祭り
Fête du Vodoun
 
1月

タバスキ(犠牲祭)
Tabaski

移動祝日
3月〜4月

イースター
Pâques

移動祝日

5月1日

メーデー
Fête du travail
 

5月5日

昇天祝祭
Ascension
 

5月16日

聖霊降臨
Pentecôte
 
不定期
モハメッド生誕祭
Maouloud
 

8月1日
建国記念日
Fête nationale
 

8月15日

聖母被昇天祭
Assomption
 

11月1日

諸聖人の日
Toussaint
 

9月

ラマダーン
Ramadan

移動祝日

12月25日

クリスマス
Noël
 


著名な出身者



政治家



  • ニセフォール・ソグロ

  • マチュー・ケレク

  • ヤイ・ボニ


  • トゥーサン・ルーヴェルチュール - ハイチ革命の指導者。父、イポリト・ゴー(Gaou Guinou)は、ダホメ王国のアラダの首長であったが、奴隷としてサン=ドマング(ハイチ)に連行された。



文化人




  • ゾマホン・ルフィン - 日本のタレント・批評家・ベナン大統領特別顧問・駐日特命全権大使


  • アドゴニー・ロロ - 日本のタレント


  • ジャイモン・フンスー - アメリカのダンサー・俳優


  • アンジェリーク・キジョー -



脚注


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  1. ^ abcdIMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])


  2. ^ Background Note: Benin


  3. ^
    OHADA.com: The business law portal in Africa, http://www.ohada.com/index.php 2009年3月22日閲覧。 



  4. ^ 外務省 ベナン基礎データ


  5. ^ 外務省 ベナン基礎データ


  6. ^ International Religious Freedom Report 2007: Benin. United States Bureau of Democracy, Human Rights and Labor (September 14, 2007). This article incorporates text from this source, which is in the public domain.


  7. ^ ジョアン・マノエル・リマ・ミラ「ラテンアメリカにおけるアフリカ系文化」子安昭子/高木綾子(訳)『ラテンアメリカ人と社会』中川文雄/三田千代子 (編)新評論 1995/10


  8. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/bn.html 2009年5月31日閲覧


  9. ^ Benin, http://aflit.arts.uwa.edu.au/CountryBeninEN.html 2007年9月30日閲覧。 


  10. ^ Accessible at Golden days highlife #13, 13 minutes into MP3, accessed 30 March 2008




関連項目







  • ベナン関係記事の一覧

  • 奴隷海岸

  • アフリカ・アメリカ・アジア・リコンシリエーショングループ



参考文献



  • ジョアン・マノエル・リマ・ミラ「ラテンアメリカにおけるアフリカ系文化」子安昭子、高木綾子訳『ラテンアメリカ人と社会』中川文雄、三田千代子編、新評論、1995年10月。


外部リンク



  • 政府

    • ベナン共和国政府 (フランス語)


  • 日本政府

    • 日本外務省 - ベナン (日本語)
















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